敬老ナビ
「おいコラ爺、田部島金三郎、おんどれ今、コックリしとったやろ。運転中に居眠りなんかしとんやないぞボケ。体力が無いんやったら免許証を返納したらんかい!」
突然車内から、どこかの人気番組に出てくる5歳児のような怒鳴り声がした。ただし声は関西弁の巻き舌で野太くて恐ろしい。田部島はびっくりして後部座席を見たが、誰も乗っていない。
すると、
「キョロキョロすな! 前向いて運転せんかい。田部島、おんどれ運転をなめとんのか。もうええ、車を道路脇に寄せて止めたる!」
再び男の声がしてハンドルが勝手に動き、強制的に停車させられた。どうやらAI(人工知能)の仕業らしい。
案の定、車載モニターに東映・任侠シリーズに出てきそうな強面のアバターがこちらを見て睨んでいる。
この車は昨年から75歳以上のドライバーに義務付けられた『敬老ナビ』搭載車だ。政府が高齢ドライバーによる事故が多発していることへの対策として考え出したもので、運転を安全にサポートする機能があるという。
しかしサポートナビの声は自由に選べたはずで、田部島の場合は好きな女性アナウンサーの君津美香に似た声を選んでいる。アバターも彼女に似せたもので、いつもはやさしい声で指示を仰いでくれる。こんな『仁義なき戦い』の修羅場に登場する悪役俳優のようなアバターなんぞ頼んだ覚えはない。
だがそんな疑問より、今はもっと重要なことがある。
「11時に病院の予約があるのに、かってに止められたら困るじゃないか。美香ちゃんにはその予定表を教えてあるはずだよ」
「だったら美香の声でタクシーを呼んだろか? ついでにこの車もレッカーを頼んでやる」
「冗談じゃない。レッカーなんて頼んだらいくらかかると思ってるんだ。早く運転制御を解いてくれ」
「なら『もう居眠り運転はしません』と大声で三回言え!」
その横暴な物言いに、さすがに腹が立った田部島はナビのACコードを引き抜いた。
だが……、
「あ、やりよったか。甘いな。俺がそんなもんでおらんようになると思うたんかい」
モニターの強面アバターは消えなかった。どうやらコードを抜いてもノートパソコンのように何時間かは内臓バッテリーで動くらしい。
「おんどれがそういうつもりやったら高齢ドライバー特別法違反で通報したる」
田部島は慌ててコードをつなぎ返し、しかたなく「もう居眠りしません居眠りしません居眠りしません。これでいいか」と言った。
「これでいいかは余分やがまあええ。今後は気い張って運転せえ」
AIは車のロックを解いた。
「ありがとうございます」
田部島は思わずAIに向かって丁寧な口調でお礼を言ってしまった。
「ん、ええ返事や。それとええ年こいて深夜まで『美少女戦隊・バトルタウン』なんちゅうアホなソシャゲは止めとけ。年寄りは早寝早起き……」
発進させようとしていた田部島は急ブレーキを踏んでもう一度停止した。
「どうしてそれを」
「スマホとはアプリで連動しとるからや。なんや認知症の気もあるんかい」
「そんなところまで監視するなんて聞いてないぞ。完全なプライバシー侵害じゃないか」
「ええか、これも年寄りのためを思うてのことや。日常の生活すべてが運転の安全に直結するんや」
「年寄りをバカにするな。おまえは敬老ナビじゃなくて刑老ナビだ。刑罰の刑」
「ちょっと言ってる意味がわかりませんが」
アバターがそこだけ標準語でしゃべっているということは、誰かの真似でもして、からかっているのだろう。
「なあ田部島さんよ、人間は誰でも年を取るもんや。自分はいつまでも若いなんて思っててもいつのまにか体は衰えとる。しっかり運転しとるつもりでも知らん間に危ないことをしとるもんや……」
「さっきはスマホ首が痛むので首を上下に振っただけで居眠り運転じゃない。ワシは今でもしっかり運転しとる」
「10月17日午前9時23分、松川町交差点、制限時速50キロのところ58キロで通過。10月19日午後1時36分、宮坂通り林原3丁付近、こちらは制限時速40キロをなんと12キロオーバーの52キロで走行。同19日2時41分、倉橋駅東二百メートルの踏切、一旦停止義務を無視して徐行。そして今日10月23日は居眠り運転ときたもんだ」
「お、おまえそんなことまでいちいち記録してんのか。速度違反と言っても周りの車に合わせた巡行運転をしていただけだし、踏切の一旦停止違反というが一応止まったつもりだぞ。停車時間もワシの知る限り99パーセントのドライバーはあんなもんだ」
「それを今度の運転免許書き換え日の時に言いわけしてみることやな。75歳以上は半年にいっぺん書き換えになったやろ」
田部島は理解した。政府は諸外国の目を気にして形だけは老人を守るという態度をとりながら、本当はいびり倒して強引に免許証の返納をさせようとしているのだと。
確かに近年アクセルとブレーキの踏み間違いなど、老人が起こした事故が度々報道されている。だがそれなら、アクセルをバイクのようなスロットル型にするとかアクセルとブレーキの間を離したりして、車の側に工夫をこらして、間違いが起きないように対策をするべきだ。そういった工夫もせずに、こんな老人イジメのAIを義務付けるのはおかしい。こういう安易なやり方は、人権を軽視した単なる効率主義で心の通わない政策だと田部島は思う。
AIは『若いつもりでも』などと言っていたが、年齢を重ねたことなど田部島自身が一番よく知っている。77歳になった今では体中の関節が痛むし筋肉もだるい。政府は年を取ったら運転をやめて電車やバスを利用するように勧めるが、地下鉄の階段は大変で、乗り換えもきつい。バスが近くまで来ているのが見えても停留所まで走って飛び乗ることはできなくなっている。そういうことは黒塗りの高級車に送り迎えしてもらっている政治家には分からないのではないだろうか。
要するに年をとればとるほど逆に車に乗る必要性が生じる。それは田部島のように独身で家族がいない者は勿論、息子や娘がいたとしても離れて暮らしている者にも言える。
しかし、こんな場所でAIと言い合いをしていてもしかたがない。
「わかった。免許証の返納については真剣に考えてみることにしよう。だが今は予約してある病院に行かないとお医者さんを始め、他の患者さんや病院の職員さんにも迷惑をかける。だから運転の邪魔をしないでくれ」
田部島はそう言ってこの場を収めた。
「その表情は真正27パーセント・虚偽73パーセントと判定した。いわゆる面従腹背というやつやな。まあええやろ。今後は安全に気い付けて運転せえよ。常に見張っとるからな。ほなら美香に代わってやる」
そう言うと強面のアバターはモニターから消え、いつものニコニコ顔の君津美香に似た女性アバターが現れた。
「金三郎さん、お待たせしました。石谷総合病院へはこの先三百メートルの交差点を左折です。予約時間には若干遅れる予定ですが、慌てないで安全運転をお願いしますね」
こいつもグルだ。というか、顔と声色が違うだけで先ほどの強面アバターと同一のAIなのだ。田部島は、すでに美香のアバターも信用できなくなっていたが、できるだけ平静を保って「ああ、大丈夫だ。いつもありがとう」と答えた。
南米に生息するハキリ蟻は木の葉を切り出して巣の中に運び、キノコを育てて食べるという習性がある。だが牧歌的な印象とは別の恐ろしい生態も持っている。
戦いで傷ついたり、老いて役に立たなくなった個体は巣に入れてもらえず追い返されるのだ。それでも巣に帰ろうとする者は、仲間たちから容赦ない攻撃を受けて二度と帰れぬ深手を負わされ、遠くに捨てられる。ハキリ蟻はどこまでも社会の効率を最優先する動物なのだ。
『敬老ナビ』を義務化した政府。それは田部島に以前テレビで見たハキリ蟻のドキュメンタリー映像を思い起こさせた。
病院での診察を終えると、田部島はこの地域で一番大きな中古車センターまで走った。
「この先、百メートル。左手がグランビッグ中古車センターです」
田部島の行動をAIが察知して何か言ってくるかと思ったが特に何も口を挟まなかった。老人が車を売り払うという行為は推奨すべきものと認識しているのかもしれない。
「19年型、アリアス・タイプGですと、買取価格は27万円というところです」
年配者に人気だったこの車は、最近手放す人が多いとかで、かなり店員に買い叩かれたが、田部島の決意は揺るがなかった。
「それでね、代わりに『敬老ナビ』が必要ない車とかは無いかい? 例えば軽自動車などはどうなっていたかな」
「残念ですが、軽自動車も75歳以上のドライバーには『敬老ナビ』が義務付けられています。それを避ける意味で、このところスクーターになさる方も多いですよ。50㏄以下の原付は普通免許で乗れますし、もし自動二輪免許をお持ちであれば125㏄がお勧めです。この前来られた方などは若い頃に憧れだった大型のバイクの中古を買われました」
大型のバイクは田部島も確かに憧れだった。だがそれに乗るのは簡単ではない。田部島は限定解除の自動二輪免許など持っていないし、あったとしても制御する体力はもはやない。仮に免許を取りにいっても拒否されるだろう。
そう言おうとしたら、
「ハー〇ーダビッドソン・トライクという三輪のバイクがありましてね。これは普通免許で乗れるんですよ。三輪ですから勿論、停車しても倒れることがありません」
中古車センターの店員は、そう言ってバイクコーナーの中央に展示してあった、黒い巨大なマシンを見せた。
偶然にも雲間から差し込んだ光に照らされたハー〇ーダビッドソン・トライクは、まるで新車のように神々しく輝き、田部島を誘っていたが、残念ながら値段が高すぎた。
「確かにいいとは思うが、予算というものがある。三輪バイクの安いのはないの?」
そう言うと店員は、その言葉を待っていたとばかりに彼を別のコーナーに誘った。
そこには東南アジアでよく見かける、トゥクトゥクという三輪車がズラリと並んでいた。
「タイで組み立てられて日本に入って来ていますが、中身はダ〇ハツ製。車検も車庫証明がいらず普免で乗れます。屋根があるので雨にも濡れませんし,高速道路も走れます。アクセルはスロットル式ですから踏み間違い事故もありません。塗装はカラフルですがお好みにより地味な色にも塗りかえられます。そして勿論これには『敬老ナビ』が必要ありません!」
店員は一挙にまくしたて、最後の部分を力強く締めくくって、指でグーマークを出した。
「それにしよう」
田部島は釣られて衝動的にトゥクトゥクを買ってしまった。
しばらくの間は目立つのでかっこ悪いが、この調子だと『敬老ナビ』を嫌う老人が次々と購入すると思われる。そうなればトゥクトゥクは日本でも日常の風景になるだろう。やがて政府はこうした車にも『敬老ナビ』を義務化してくるかもしれないが、それまでは気楽に楽しめそうだ。
田部島は契約を済ませると、派手な色のトゥクトゥクを駆って町に出た。
トゥクトゥク、トゥクトゥク。軽快なエンジン音は、『ワシはまだまだ隠居はしないぞ』という田部島の矜持を街中に伝えているかのようだった。
了
この小説は大阪文学学校が発行する「樹林」2022年7月号に掲載された小説です。