辺獄へ誘われし時(辺獄編)
オーラに飲み込まれて暫くの間、アデラは天を蓋する大地から真っ逆さまに堕ちていくような感覚を覚える。
それが治まると、彼女は瞑っていた目を徐に開く。
「ここ……は……?」
周囲を見渡すと、既視感のある街並みが視界に飛び込んでくる。
それはまるでポスマーニを真似たような……
だが街全体は暗く澱んでおり、空気も重く冷たい。
そんなおどろおどろしい雰囲気に、背筋が寒くなる感触を覚えていると……
汝よ……【正義に選ばれし者】よ――
突然あの時の声が頭の中で聞こえ始める。
ここは死した者達の世……【辺獄】――
其の方は死なぬ身のまま、この地へ誘われた――
辺獄の闇は、生者にとってあまりにも過酷――
なれど【正義】の指輪あれば闇を照らし、辺獄の地も歩めよう――
さぁ……進むがいい――
辺獄の地に潜む、直視せざるを得ぬ【本物】を見つける為に――
声に導かれるように、アデラは意を決して辺獄のポスマーニの街を進んでいく。
街中に点在している人々――死者達は、ただ単に現世のポスマーニで死した者達というよりも、何らかの未練を残し浄化出来ぬまま留まり続けている、所謂地縛霊と化した者達と見る方が的確かもしれない。
志半ばで病に倒れた学者……
常に食べる物に困っていた挙句餓死した貧民……
武勲を上げる前に味方に誤射された兵士……
冤罪により国賊として見做され処刑された神官……
彼等の無念に満ちた表情や雰囲気が、この地に巣食う闇を物語っている。
そして、それは街外れのマーガヒック峡谷を真似たような地でも同様であった。
長年、幾度と無くこの地で繰り広げられてきた戦争によって命を散らしていった者達の一部が、やはりこの地に留まっている。
中には、現世で棲み処としていたものの、人間によって駆除された魔物達も混じっており、本来の姿が崩れたような、見るもおどろおどろしい容姿と化していた。
歩を進めるアデラの姿を見つけては、現世での無念を晴らさんばかりに――見ようによっては助けを乞うているようでもあるが――彼女に襲い掛かる個体もいたが、彼女の棒術の前には手も足も出なかった。
そんな彼女の足は、嘗て山岳の狂犬・セスを討った際に、ポスマーニ軍が本陣を敷いていた絶壁と非常に似ている岩場に向かっていた。
螺旋状に敷かれた道を、固唾を呑みつつ一歩一歩確実に登っていく。
そして遂にアデラは、その頂に辿り着いた。
そこには、僅かな時間で彼女にトラウマを植え付けた者の後ろ姿が……
「ホーヴァン……」
「来たか……」
振り向き様に睨み付けてくる赤い瞳は、彼女に対する憎悪で満たされている。
「【正義に穢されし者】アデラよ……まさか貴様如きが、この辺獄に干渉出来るとはな……ククククク……丁度いい……生身の人間が、辺獄の地でどれだけ亡者とやり合えるのか……偶然目に掛かったこいつで試してみるとするか……」
そう言って、ホーヴァンは禍々しい笑みを浮かべながら、彼女に向けて手を翳す。
すると漆黒の炎と共に、目から赤黒い光を発する黒い人影が姿を現す。
その風貌からして、どうやら女性のようである。
「あ……あぁ……」
「ククククク……この女が何者か知りたいか……?」
初めて見るその女性に、アデラはただただ困惑している。
「あぁ……マーガレ……ット……許……し、て……」
マーガレットの名を呟き許しを乞うている。彼女の血縁者なのだろうか。
「ポスマーニの元王妃……現女王マーガレットの母・エレオノーレだ……」
「……!?」
その名を聞き、アデラは愕然とする。
マーガレットの身の上話で登場していたエレオノーレという女は、本来処刑の身となる筈だったマーガレットを己の命と引き換えに生かした、母親という名の命の恩人であった。
そんな彼女が、ホーヴァンの手に堕ちた挙句亡者に変えられ、彼の傀儡として彼女の目の前に立ち開っている。
「私を……許し、て……マーガ……レッ、ト……」
「この地に留まる程の無念を抱いていたようだな……ククククク……あまりにも愚かで哀れだ……娘の為――民や国の為が聞いて呆れる……だがそんな存在こそ、私にとっては最高の駒……心優しきまま死した王妃が、私の忠実なる下僕と化し……守るべき国を自らの手で滅ぼす……正に一興だ……! さぁ……【正義に穢されし者】アデラよ……彼女の怨念に呪い殺されるがいい……!」
「あああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
彼の声に呼応するかのように、亡者エレオノーレは手に小刀を持つと、叫び声を上げながらアデラに襲い掛かる。
咄嗟に背中から棒を抜いて攻撃を受け止めるが、一国の王妃であった者が片手のみで押し込んでいるとは思えない程の凄まじい力に、アデラは一瞬辟易する。
「何……この、力は……!?」
両腕の力だけでは持ち堪えられないと悟ったのだろう、アデラは右足で亡者エレオノーレの腹部を思い切り蹴り、一時的に距離を取る。
僅かに後方へ蹴り飛ばされた亡者エレオノーレは、一瞬怯んだ様子を見せるも、すぐさま体勢を立て直しつつアデラを睨み付け――
「マーガレットを、誑かす……正義は……私が、滅する……正義は……大罪は……あああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
再び叫び声を上げながら小刀を大きく振って空を切ると、彼女の前に巨大な渦潮がいくつも現れ、次々とアデラを飲み込まんとする。
「……っ!」
持ち前の身の熟しで渦潮を回避していくアデラ。
しかし、このままでは埒が明かないばかりか、体力を無駄に消耗しジリ貧になりかねない……そう感じた彼女は透かさず棒を構え――
「雷よ、彼の者を封じよ!」
先端から黄色い光の玉を放つや否や、格子状の巨大な球体に変化させ、亡者エレオノーレの全身を素早く包み込む。
「うぅ……っ!」
亡者エレオノーレは身動きが取れなくなり、小さく呻き声を上げる。
アデラは好機を見逃さず、雄叫びを上げながら亡者エレオノーレの腹部を棒の先端で突き、肩や腰や腿や脛を棒で強打し、止めを刺さんとばかりに棒を構える。
「風よ、彼の者に調和を!」
先端から放たれた緑色の光の玉は、音速程度の速さに達するや否や、凄まじい旋風へと変化し、亡者エレオノーレを巻き込んでいく。
その攻撃が止むと同時に、亡者エレオノーレは身体から何かが抜けたかのようにガクッと項垂れる。
それでも彼女は徐に顔を上げ――
「8つ目の大罪を……この手で、滅するまで……我が主の宿願を果たす為にも……私は……私はぁ……ああああぁぁぁぁ……!」
呻き声を上げつつ、再び小刀を振るおうとする。
「ああああぁぁぁぁ……っ!」
しかし、突然ピタッと動きを止めたかと思うと……
「あ……あぁ……」
力の源である【憎悪】を殆ど浄化されたからなのだろうか、精も根も尽きたかのように、呆気無くその場に蹲ってしまう。
それが面白くないホーヴァンは……
「チッ……役立たずが……無に帰せ、哀れなる魂よ……」
舌打ちをした後、亡者エレオノーレに向けて手を翳す。
その瞬間、彼女の身体が漆黒の炎に包まれ、跡形も無く消失してしまった。
「ククククク……【正義に穢されし者】アデラよ……肝に銘じておけ……次に辺獄を訪れた時こそ、貴様の最期だと……」
そして禍々しい笑みを浮かべながら、アデラへの死亡通告を口にすると、漆黒の炎と共にその場から姿を消した。
その直後、指輪から青白い光が発せられるや否や、彼女の視界が一瞬にして真っ白になった。
――――――――――――――――――
気が付くと、アデラはウィーグム城へ続く橋の中腹に佇んでいた。即ち、元の現世に戻ってきたのである。
既に夕刻を迎えたのだろうか、空は赤く変色している。
辺りを見回し、城の前に人集りを目視すると、すぐさまその許へと駆け付ける。
周囲には数え切れぬ程のポスマーニ兵の屍が転がっており、亡者達との戦闘の過酷さが伝わってくる。
「【正義に選ばれし者】アデラ……!」
「禍々しいオーラに飲まれるのを見たが……何があったんだ……!?」
生還してきた事に対する安堵と、不可解な現象に遭遇した事に対する戦慄が綯い交ぜになった声が、マーガレットやタレスから上がる。
「かなり複雑な話になるわ……詳しくは王の間で……」
ある種の恐怖に苛まれているのだろうか、そう呟いたアデラからは、いつもの覇気が感じられなかった。
――――――――――――――――――
アデラの提案により、とりあえず一同は王の間に集まった。
そこで彼女は、事の成り行きを具に報告する。
死者が蔓延る辺獄が実在する事――
ホーヴァンが亡者を牛耳っている事――
そして……エレオノーレが彼の手に堕ちた事――
その目で直視し、その肌で実感した【本物】を包み隠さず……
「【辺獄】……死者の世やと……?」
「そいつは、死者を意のままに操れるというのか……?」
「まさか母が……その犠牲になるなんて……」
「姉上が……何故……」
その場にいる誰もが、俄には信じ難いという表情を禁じ得なかった。
特にエレオノーレが亡者として利用された事に、娘であるマーガレットと弟であるバーソロミューは大きなショックを受けている。
と、その時……
「漸く知る事となったか、愚人共よ……」
追い打ちを掛けるかのように、突然聞こえたおどろおどろしい男の声。
その直後、漆黒の炎と共に声の主が姿を現す。
「ホーヴァン……!?」
「此度そこにいる【正義に穢されし者】アデラを辺獄へ誘ったのは……それを貴様等に教える為……言わば、あの世からの挨拶だ……そして置き土産として、貴様等に通告しておこう……明日のクォージウスの地図に、ポスマーニの文字は無い……その時こそ、貴様等の終わりだ……」
ポスマーニを陥落させるという宣戦布告に他ならないホーヴァンの発言。
その言葉に苛立ちを覚えたバーソロミューが……
「勘違いも甚だしい……終わるのは貴様の方だ!」
亡者として利用された姉の仇と言わんばかりに斬り掛かろうとする。
だが、ホーヴァンが放った極小さな邪黒炎によって、バーソロミューの身体は大きく後方に弾き飛ばされ、壁に強く叩き付けられてしまう。
「バーソロミュー様っ!」
「がぁっ……! かはっ……!」
苦悶の表情を浮かべて倒れ込み、赤黒い血を吐くバーソロミュー。
片やホーヴァンは、「脆く温い奴だ」と言わんばかりの冷たい笑みを浮かべ……
「ククククク……! 随分と生き急ぎたいようだな……安心しろ……慌てずとも、私が全員亡者として従えさせてやる……直にな……」
そう言い残し、漆黒の炎と共にその場から姿を消す。
「く、そぉ……!」
バーソロミューは苦虫を噛み潰したような表情を浮かべて、徐に立ち上がる。
「明日のクォージウスの地図に……ポスマーニの文字は無い……」
「我々の策は奴等に通用しないのかもしれぬ……練り直す必要がありそうだ……」
「振り出しに逆戻り、っちゅう訳か……」
【本物】のホーヴァンの実力をまざまざと見せ付けられ、その場にいる誰もが戦意喪失してしまう程に顔を青褪めさせていた。
――――――――――――――――――
今日のところは一先ず解散となり、アデラを含め全員が一旦城を後にする。
マーガレットは自室のバルコニーで、何かを憂いているかのように空を見上げる。
その時、背後からアルフォンスが姿を現し、居た堪れない心境を口にする。
「マーガレット様……母君の――王妃様の無念を思うと、やり切れませぬな……まさか死者となっても、力を持つ者に操られてしまうとは……」
「私だけじゃない……バーソロミュー様もきっと同じ思いを……」
幾重もの辛い思いを募らせている彼女は、「はぁ~……」と深い溜息を漏らす。
「お兄様……」
こんな時あなたならどうするのか――そんな彼女の思いが、陽が沈み掛け紫色に染まる空に虚しく漂っていた。
――――――――――――――――――
その頃、辺獄では……
「助けて……くれ……マーガレ……ット……」
浄化される事無く助けを求めて彷徨った末に、性も根も尽きたかのように倒れ込むガルシアの姿が……
その時、彼の許にホーヴァンが姿を現し――
「欲深き哀れなる魂よ……【本物】の炎に焼かれ……我が下僕とならん……!」
ガルシアの身体――具現化した魂に、邪黒炎を纏った剣を突き立てる。
「ぐわああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
勢いよく燃え上がる邪黒炎と共に、断末魔のような声が響き渡る。
暫くして炎が治まると、そこには目から赤黒い光を発し、虚ろな表情で佇むガルシアの姿が……亡者ガルシアの誕生である。
「ククククク……! ガルシアよ……我が忠実なる下僕よ……貴様の剣で、欲望に塗れたポスマーニを死の地と化せ……!」
「ホーヴァン様の……仰せのままに……」
命を下した主に対し、片膝を付けて首を垂れる亡者ガルシア。
「【正義に穢されし者】アデラよ……これで貴様も終わりだ……!」
最高の駒を手に入れたホーヴァンは、天を仰いで哄笑するのだった――




