辺獄へ誘われし時(現世編)
【第8章 正義を滅ぼし者】スタートです
――て……
――け……れ……
――たの……む……
――助けてくれ……マーガレット……
――冷たい……苦しい……
――はや……く……奴が……来る……前に……
――私が……私で……無くなる……
――だから……早く……助けてくれ……マーガレット……
――たす……け……
――ぐわああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁ!!
――――――――――――――――――
「……っ!?」
ウィーグム城の一室のベッドの上で、声にならない悲鳴と共に飛び起きる、ポスマーニの女王・マーガレット。
「夢……? 否、きっと違う……お兄様が……助けを求めて……」
あまりにも生々しい光景だったのだろう、大量の汗を搔いており息遣いも激しい。
気持ちを落ち着かせる為、マーガレットはベッドから下り、テーブルの上の水差しからコップへ水を一杯注いで一気に飲み干し……
「何言ってるのよ、私は……お兄様はもうこの世に……しっかりしないと……」
己を奮い立たせるように、そして絡み付く悪夢を払うように首を振る。
すると突然、外の方から激しい足音が聞こえたかと思うと……
「マーガレット様っ!」
重臣となったアルフォンスが、慌てた様子で闖入してきた。
「アルフォンス……どうしたの、そんな酷い顔をして――」
「一大事です……! すぐに医務室へお越しください……!」
「えっ?」
彼の激しい息遣いと切羽詰まったような表情から、事の重大さと徒ならぬ凶兆を感じ取ったマーガレットは、すぐに身支度を済ませるや否や、アルフォンスと共に医務室へと向かっていった。
――――――――――――――――――
医務室に入ったマーガレットの目に飛び込んできたのは、想像を絶する程の見るに堪えない有様であった。
「エルベルト……それに【選ばれし者達】まで……」
【正義に選ばれし者】であるアデラと共に旅をしていた――己の双子の弟であるエルベルトを含めた7人が、ベッドの上で横たわっているではないか。
しかも彼等は、治療に当たっている薬師達からの呼び掛けや刺激を受けても、目を瞑ったまま全く反応を示さず、覚醒する兆しが一切見られない。
「一体……一体何があったというの……!?」
「分かりませぬ……幸いにも、全員一命は取り留めているようですが……昏睡状態となってしまっている事以外は何も……」
目立った外傷も特に見られないにも拘らず昏睡状態に陥っている……理解に苦しむ状況に、マーガレットもアルフォンスも狼狽えるばかりだ。
すると、背後から「マーガレット女王」という男の声が……
「聖炎騎士団長・ヘルムート、ただいま戻りました」
深々と頭を下げて帰還を告げるヘルムートの姿がそこにあった。
更に彼の傍らには、俯き加減で冴えない表情を浮かべるアデラの姿も……
「【正義に選ばれし者】アデラ? 何故あなたは――」
「マーガレット女王……」
ヘルムートが右手を挙げて、マーガレットを制止する。
彼女がアデラに対して多くの疑問を投げ掛けたいと感じているのは、無論ヘルムート自身も承知しているだろう。しかし事態は、医務室の前で一問一答を繰り広げれば解決出来る程の小さなものでは無い。
更に言えば、最も気持ちの整理が付いていないのは、7人の同志達を奪われたアデラ本人だ。この場で彼女に詰問するのは、傷口に塩を塗るようなものである。
「ここから先は少し長い話になります故、詳しくは王の間で……」
マーガレットもまた、そんな彼の思いを汲み取ったのか、先走る気持ちを押し殺して冷静に対応するよう己を律する。
「……では、バーソロミュー様とタレス陛下も同席させましょう」
「すぐに手配します」
そう言ってアルフォンスがその場から離れようとした時、ヘルムートが「待ってくれ」と制止する。
「私も2人ほど呼びたい者がいる。合わせて手配を頼めないか? こういった状況で、人は多いに越した事は無い」
「承知した」
ヘルムートからの依頼も受け、アルフォンスはその場から離れていった。
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太陽が南中辺りまで昇った頃、心に負った傷を癒す為か、城の屋上にある庭園で休息していたアデラが、アルフォンスに呼ばれて王の間へ入室する。
そこには既に、マーガレットが招集したバーソロミューとタレス、更にはヘルムートが招集したと思われるカレンの姿があった。
だが、もう1人招集されたであろう若い男に、アデラは見覚えが無かった。
マーガレットと同じような出で立ちからして、かなり高い地位の人間である事だけは何となく感じ取る事が出来た。
ヘルムート曰く、その男はアレスティアという名で、シューウィッツォ島の領主であったジョルジュの息子なのだという。
自分の立場を鼻に掛ける事も驕りを見せる事も一切無く、それが故に人望も厚く、それを買われて父の助手として――領主の跡継ぎとして、数日程前まで遠征に出ていたのだが、父の訃報に触れた事で急遽こちらへ戻り、緊急という形ではあるが、領主の地位に就く事になったのだとか。
「自分が【正義に選ばれし者】アデラっちゅうんか……噂は前から聞いとったで。親父の仇討ってくれて、おおきにな」
かなり軽い口振りではあるが、父であるジョルジュや彼の臣下から一目も二目も置かれていたのだから、その実力は【本物】なのであろう。
そんな中、ヘルムートが「挨拶はその程度で」と言わんばかりに咳払いをする。
「では、【正義に選ばれし者】アデラよ……先程の話を今一度頼む」
「えぇ……」
神妙な面持ちで、アデラは己の身に降り掛かった出来事を話し始める。
「聖炎環護長を装っていたホーヴァンは、ミーナケネッグの祭壇に封印される筈だった【強欲】【憤怒】【嫉妬】【傲慢】【暴食】【色欲】【怠惰】――7つの大罪の力を宿した指輪を奪っていったの……本来はこの【正義】の力を宿した指輪も奪うつもりだったみたいだけど、見ての通り私の指に嵌ったままで……」
「そして彼は、7つの指輪と邪黒炎の力で、真面に受ければ死をも招く昏睡の呪いを【選ばれし者達】に掛けた……だが指輪を嵌めていた彼女だけは、その加護によって難を逃れたという訳だ……」
とても現実に起こった出来事だとは俄に信じ難いといった感じで、そこにいる誰もが困惑の色を隠せない。
すると、バーソロミューが「おい」と視線の先にいる1人の人物に声を掛ける。
「そこの神官女……名は確かカレンと言ったな……そのホーヴァンとやらは一体何者だ? 聖炎教会に身を置いている立場として、詳しく教えてくれ」
「詳しくも何も……彼は聖炎環護長で、神々の力が宿った指輪の守護を担っていた……それだけよ」
「神々の指輪を守る立場でありながら、それを利用して指輪を奪うとは……全く殺生な話やで……せやけど、そのホーヴァンっちゅう奴、前からそれを匂わすような素振りを見せてたんか?」
「いえ、そんな事は一切……」
「私も彼とは旧知の仲ではあるが、悪事に手を染めるような前兆は全く……」
カレンもヘルムートも、ホーヴァンの背任に等しい行為には首を傾げるばかりだ。
「【正義に選ばれし者】アデラ……他には?」
「確か……この世に蔓延る全ての欲望――8つの大罪を全て葬り去って、人類が皆無欲純粋で、醜い欲望を曝け出したり、歪んだ正義感をぶつけ合ったりしない、【本物】の平和な世を創る、って……」
「無欲純粋な人類が住む、【本物】の平和な世……」
「実を言うと……5年前に起こった、大陸終末未遂事件を引き起こしたのもホーヴァンだったの……」
「まさか……!? という事は、彼は5年前に成し得なかった大陸の終末を、指輪の力を以て再び画策しようというのか……!?」
「それに、ホーヴァンは邪黒炎を意のままに操って、現世の者とは思えない存在まで従えられるみたいなの……これからクォージウスに何が起こるのか……それ以前に、どうして聖炎環護長ともあろう筈のホーヴァンが、そんな事を企てたのか……私には分からない事ばかり……」
「うむ……現状では、話せる目撃者が【正義に選ばれし者】アデラ以外に誰もいない事に加え、判断材料があまりにも少な過ぎる……先ずは情報収集だな……」
「海の男は単純やなぁ……雲を掴むような話やってのに、何をどう調べんねん?」
嫌味交じりではあるが、アレスティアの言い分は尤もである。
事の背景が曖昧な上、その解決への方向性も定まっていない中で、滅多矢鱈と動くのは、それこそ骨折り損の草臥れ儲けになりかねない。
その時、記憶を辿るかのように瞑想し続けていたタレスが、フッと目を開くや否や徐に口を開く。
「【数多の影が忍び寄る前に、黒き結界を封じよ】……嘗て読んだオブカシム王国に纏わる文献に、そんな文章が記されていたな……」
「オブカシム……確かキーパリシュの裾野に広がっていた大陸一の王国だな……だが十数年前に突然滅亡、その原因は未だに分からず仕舞い……」
「数多の影……黒き結界……5年前と今回の2つの事件に、何かしら関係があると見ていいのでは……?」
「あるやないか、手掛かり……! ほんなら、オブカシムに関連した情報を集めれば、何か見えてくるかもしれへんな……!」
「他に手掛かりが無いのなら、それについて虱潰しに調査するしかあるまい……」
「では先ず、オブカシム王国について詳しい学者達を集め、その歴史を記した文献を片っ端から当たりましょう」
大方の方向性が決まり、それに向けて各々が行動を開始しようとする。
だがその直後、突然大きな地響きが起こり始めた。
不審に思ったアデラ達は、避難も兼ねて城の外へと飛び出す。
すると、城から伸びる橋の向こう側に不気味な光を放つ巨大な壁が出現する。
「あの禍々しい光の壁……まさか……」
「何やねん……! 空気読めへん奴やなぁ……!」
その様子を目の当たりにし、マーガレットは困惑の表情を見せ、アレスティアは若干の苛立ちを隠せないでいる。
一方で、アルフォンス率いるポスマーニの軍勢が壁の許へと駆け付けると、壁の中から邪黒炎を纏った禍々しい仮面と漆黒の鎧に身を包んだホーヴァンが、不気味な笑みを浮かべながら姿を現す。
「ククククク……何処までも笑わせてくれる、愚人共め……呑気に会合している暇があるのか……? まぁ、貴様等が何をしていようと、私には関係無い……新たに生み出した亡者達の糧としてくれよう……」
低い声でそう言ったホーヴァンが、アルフォンス達に向けて手を翳すと、次の瞬間、ポスマーニ兵の鎧を纏った亡者達が、漆黒の炎と共に際限無く出現する。
「構えぇっ! 一歩たりとも城に近付けるなあぁっ!」
一斉に武器を構えるや否や、襲い掛かってくる亡者達を次々と斬り捨てていく。
だが亡者の数は一向に減らず、寧ろ増加の一途を辿っている。
これ程の数の亡者を、ホーヴァンはたった1人で生み出したというのだろうか。
そして亡者達は、軈てアデラ達の許にも姿を現す。
「……っ!」
丸腰のカレンの目の前に現れた亡者が、彼女に襲い掛からんとするが、近くにいたヘルムートがすぐさま剣で対処した事で難を逃れる。
「この場は危険だ、下がっていろっ……!」
「あ……有難う御座います、団長様……」
カレンを下げさせ、際限無く増え続ける亡者達を迎え撃つヘルムート。
「マーガレット! ウチのケツから離れるんやないでぇ!」
アレスティアもまた、次々と現れる亡者達を斬り捨てていく。
しかし、マーガレットを気にするあまり、何度も余所見をするように……
「アレスティアっ!」
マーガレットが叫んだ時には、1体の亡者が既に彼のすぐ目の前まで迫っていた。
だが、すぐさまバーソロミューとアデラが駆け付けて助太刀する。
「未来の王が聞いて呆れる……そんな構えで、女王を守れると思うな……!」
「堪忍なぁ、バーソロミュー……」
そんな会話が繰り広げられている中、アデラが嵌めている指輪が突然青白い光を発したかと思うと、そこから一条の光が現れる。
「指輪が……導いている……?」
その光は、どうやら橋の中腹辺りまで伸びているようだ。
「【正義に選ばれし者】アデラ……行って!」
「ここはウチ等に任しとき!」
「片を付けて来い!」
一瞬後ろ髪を引かれる思いがあったアデラだったが、3人からの後押しとも取れる大きな頷きの御蔭で、迷いは断ち切れたようだ。
「皆……有難う……!」
亡者達の対処をその場にいる者達全員に託すと、指輪の導きが指し示した橋の中腹へと駆け付ける。
そこには黒い光を放つ時空の歪みが……
彼女がその歪みに近付くと、嵌めている指輪が青白く光り、直後に歪みから巨大な禍々しいオーラが現れる。
オーラは一瞬で彼女を飲み込み、何事も無かったかのように消失したのだった――




