灰と化す英傑
「これが……神をも凌ぐ……人間の、力……!」
己の驕りを嘆いているようにも、アデラ達の真なる実力に唖然としているようにも取れる言葉が発せられた直後、巨大な神々しい存在は煙のように消失し、本来の人間としてのユーゼフの姿に戻った。
その場で蹲り、肩で息をしている。
「アイザック……」
消え入りそうな声で旧知の友の名を口にしたユーゼフは、僅かに顔を上げて、アデラ達を見詰める。
その目は彼女達への怨恨では無く、己に対する悲哀で満ちていた。
「僕は……君を含めた全ての人間に、憎悪を抱いていた……【本物】の闇は、全ての人間の心に棲み付いているものだと信じて疑わなかった……」
ユーゼフはそのまま視線を下へ向けると――
「でも……君や、その同志達との闘いの中で……今更ながら、考えが変わった……君達は……君達だけは……微かな光の集まりのようだ……」
そう呟き、精も根も尽きたかのように仰向けに倒れ込む。
先の戦闘で、神殿の天井に出来た僅かな亀裂から、光が漏れ出ている。
「ハハハ……気付くのが遅過ぎたよ……僕も結局かの愚者と同じだったと……」
その光を見詰めながら、ユーゼフは自嘲の涙を流し――
「【更なる高き天を目指し英傑は、その翼を捥がれ灰と化す。欲望に身を任せるべからず。神は常に心を見透かしている】……」
幼少期から心に刻み込まれた言葉を呟きながら、光に向けて徐に右手を伸ばしたかと思うと――
「あぁ……御祖父様……僕も、あなたの傍に……」
浄化されていくように全身が灰と化し、そのまま崩れ落ちて消失した。
同時に赤い光を発する指輪が、アデラの足元へと転がっていく。
彼女がそれを拾い上げるや否や「ユーゼフには過ぎたものだった」と言わんばかりに、指輪はその光を鎮める。
するとアイザックが、ユーゼフだった灰の山に近付き――
「ゼフ君……最後の姿がこんな儚いものになるとは……残念でならないよ……」
右手で一掴みしては零れ落ちる灰を見詰め、悲哀に満ちた表情を浮かべる。
「あっ、カレン……!」
片や、黒き炎から解放され、アデラ達の近くで意識を失って倒れているカレンに気付いたティアナが、すぐさま彼女の許に駆け寄る。
「おい、大丈夫か?」
「あぁ……何とかな」
更にジュノは、跪いているホーヴァンの許へ駆け寄って肩を貸す。
そんな中、アデラは――
「【強欲】【憤怒】【嫉妬】【傲慢】【暴食】【色欲】……そして【怠惰】……」
「遂に、7つの指輪が揃いましたね……! 後はそれ等を封印してしまえば、本当に全てが終わります……!」
旅の目的の1つであった、7つの指輪の奪還を成し遂げ、肩の荷が下りたかのように微笑むエルベルトと共に、一定の区切りが付いた事の喜びを噛み締めている。
だが、ジュノと共に歩み寄ってきたホーヴァンは「否……」と首を横に振り――
「人間の心に【欲望】がある限り、終わりなど無い……」
そう言って、例の日の記憶を蘇らせる。
――――――――――――――――――
「ホーヴァンよ……其方と私はこれまで、共に指輪の行方を捜してきた。この大陸を守り続ける事――それが私の使命だと信じていたから」
「……」
「だが今の私は、進むべき道を失いつつある。妻が不治の病に臥せ、残された時はごく僅かだ……ホーヴァンよ……今の私は、何が為に戦うべきなんだ?」
「リンゼイよ……問いの答えを知りたければ、己の心に聞けば良い。其方の答えは、既に出ている筈だからな」
「……」
「リンゼイ・セルバンテス――大聖者ラチウムから連なりし血族よ……古から紡いできた忌むべき契りは、この時を以て終いだ」
「……! ホーヴァン、一体何を――」
「リンゼイよ、其方を自由にしてやろう。我が炎で記憶を滅する事でな……其方は使命を忘却し、心の赴くままに生きよ。そしてその使命まで、私が背負おうではないか。私が1人で指輪を見つけ出し、全てを終わらせる……」
「ホーヴァンよ……其方は、何が為に戦い続ける……?」
「……さらばだ、リンゼイ」
――――――――――――――――――
「それが最後だった……」
アデラ達と共に聖炎教会の大聖堂への帰路に就いていたホーヴァンは、その道中でリンゼイとの惜別の時を、彼の娘であるカレンに伝えていた。
「大陸の守護者としての宿命を失ったリンゼイは、救うべき家族の為に旅に出たそうだ。だがその数年後、彼の妻が息を引き取ったと小耳に挟んだ。その後のリンゼイの消息は、今なお不明だ」
「……」
「私は今も己に問い続けている……これが本当に正しかったのか、と……」
リンゼイを大陸の守護者としての使命から解放させる事が【本物】の【正義】だったのか――本人の生死すら分からない今となっては、判断の仕様は無いだろう。
「父を……知っていたのね……」
だが彼の人生の一片を知る事が出来ただけでも、カレンにとっては十分過ぎるほどの財産となったに違いない。
「でも私は、あなたの行動は間違ってなかったと思うわ……だって父は、結果的に自分が信じる道を進めたんだから……」
「リンゼイは己の宿命を、一人娘に背負わすまいとしたのだろうな」
「消息が分からずとも、父はいつでも私の心の中で生きているわ……迷いそうになった時に、いつも背中を押してくれる……例え進む先が茨の道であっても……」
「人が生きる世に、平坦な道など存在しない……」
「承知の上よ……それでも私は、人間の強さをこれからも信じるわ……」
「……」
カレンの言葉に賛同しているのか、あるいは腑に落ちない点があるのか、ホーヴァンは一言も発する事無く、無表情のまま大聖堂へと歩を進めていったのだった。
――――――――――――――――――
「ホーヴァン……そして【正義に選ばれし者達】よ……良くぞ戻った……!」
大聖堂に戻り、ヨハンに一連の事件の終息を報告し、ホーヴァンと別れたアデラ達一行は、アイザックに連れられ、事件の犠牲者が眠る墓地へ足を運ぶ。するとアイザックは徐に跪き、雪が降り積もっている足元に、小さな栞のような物を置いて静かに瞑想する。
彼曰く、それは10年程前にユーゼフとの別離の際に渡された形見のようなもので、今日に至るまで肌身離さず大事に持っていたのだという。
死という形で袂を分かった仲でありながらも、こうしてユーゼフを弔っている様子からしても、アイザックは彼を【本物】の旧友だと思っているのだろう。
「『人の心が【完全なる闇】に染まれば【聖炎】すらも【邪黒炎】へと変貌する』か……」
徐に目を開いたアイザックが、ふと【3種の炎】に記されていた言葉を漏らす。
「果たして、それは不可逆的な事なのだろうか……?」
「……?」
「彼は既に私と出会った頃から【邪黒炎】を内に秘めていたというのか……? そして、もしその時私が彼を【完全なる闇】から救い出せていたのなら、彼の中にあった【邪黒炎】は再び【聖炎】に戻れたのだろうか……?」
「アイザックさん……?」
「……あっ」
悔恨の念に駆られたかのように独り言を呟き続けていたアイザックだったが、アデラの呼び掛けの声でフッと我に返る。
「済まなかったね……私だけの問題ではない筈なのに、皆の気持ちを置き去りにするように、1人でずっと……」
「置き去りだなんて、そんな――」
「全くだよ、あんたって人は……!」
突然聞こえたクレオの声に、アイザックは若干動揺の形相を見せる。
「あたしとウルスラは手合わせただけで終わったってのに、自分だけはずぅっと感傷に耽っちゃってさぁ」
「それとも、自分は人一倍に浪花節的な人間だっていうアピール――私とクレオに対する当て付けかしら……?」
「あ、当て付けって……私は、ただ1人の旧友としてだな……」
揶揄うようににや付きながら、嫌味たらしくアイザックに詰め寄る2人。
「あのやり取りを見ていると、いつもの3人だなぁって思いますね……」
「でも、私には少しアイザックさんが可哀想に見えるけど……」
「心配いりませんよ。あれでもアイザックさんからすれば、承知の上で乗ってあげてるだけなんですから」
「合縁奇縁というのは、あの3人の為にある言葉とも言えるな」
アデラの若干の困惑も、ティアナ・エルベルト・ショーンは何処吹く風と言った感じで3人の様子を微笑ましく見守っている。
「よしっ……それじゃあ、指輪も全部戻ったし、忌まわしい奴等も全員いなくなったし……今からそこの酒場で鱈腹飲んで盛り上がるかぁ!」
そんな中、ジュノから場違いな言葉が発せれると一変、見守っていた3人は目くじらを立てて彼に詰め寄り罵り始める。
「おいジュノ……! 何でお前はいつもそうなる……!?」
「先ずはここまでの長旅を続けてきたアデラさんを労うべきです……!」
「今の言い方、ただ自分が楽しみたいだけに聞こえますよ……!?」
「そ、そこまで3人で責め立てなくったっていいだろ……お、俺だって得魚忘筌は良くねぇって事は、重々承知してるし……」
3人の剣幕に、流石のジュノもたじろいでしまう。
「まぁ、もう夜も遅いし、一段と寒くなってるし、何より大事件の後だし……いろいろリセットする意味でも、今日は一旦宿屋に泊まって休みましょ?」
パンッと手を叩き、混沌気味になっている旅団一同を注目させるアデラ。
「あっ……あぁ、確かにそうだな……」
「揉めてる場合でもじゃれ合ってる場合でも無いですよね……」
「ちょっと巫山戯過ぎたかな、あたし達……ハハハ……」
彼女の言葉でフッと我に返り、苦笑いを浮かべる一同。
「では皆さん、早めに移動しましょう。私が宿屋まで御案内致しますね」
ティアナの先導の下、旅団は墓地を後にする。
「遂に指輪が揃った……後は祭壇へ持っていければ……」
アデラも神々の力が宿りし7つの指輪を携え、後に続いていく。
銀世界の中で燃え滾る大聖炎の加護を全身に受けながら――
これにて【第7章 怠惰を授かりし者】終了です




