力無き者は藻屑となりて
「グアァッ!! こ……こんな、事が……!」
短い悲鳴と呻くような言葉が発せられた直後、巨大な悪魔は煙のように消失し、本来の人間としてのユニティの姿に戻った。同時に彼女の指から、赤い光を発する指輪が外れ、アデラの足元へと転がっていく。
彼女がそれを拾い上げるや否や「ユニティには相応しくない」と言わんばかりに、指輪はその光を鎮める。
「見事だ……【正義に選ばれし者達】……認めよう……私は、非力だった……」
肩で息をしながら跪くユニティが、表情を見せまいとするかのように顔を伏せて、己の弱さを受け入れる言葉を漏らす。
「あんたの野望もここまでよ。もうこれ以上犠牲を出す必要は無いわ」
アデラが棒を背に収めながらそう告げると、ユニティは徐に立ち上がって、静かに笑いながらフラフラと後退り、甲板の端の欄干に凭れ掛かると――
「そう……つまり……もう生きる意味も無いって事……そっちの世界に行ってもいいって事だね……そうでしょ……お兄ちゃん……?」
中空に向かってそう呟く。
「……っ! 待って!」
その瞬間、ユニティがやろうとしている事に勘付いたウルスラが駆け出した。
ユニティは彼女に向かって、口だけで「さよなら」と告げ、そのまま背中越しに海へと飛び込もうとする。
「駄目ええええぇぇぇぇ!!」
ウルスラは自分も落ちてしまう程の勢いで、彼女の腕を掴もうとする。
だがその手は虚しく空を切り、ユニティの姿は海中へ消えていった。
「ユニティ……! ユニティッ!」
慟哭しながら更に身を乗り出そうとするウルスラだが、危険を察したアデラ達によって取り押さえられる。
「落ち着け! 堪えるんだ、ウルスラ!」
「この高さから飛び込んだら、助かる見込みは無ぇぞ!」
「そうですよ! 後追い自殺なんて考えないでください!」
「こんな事したって、誰も喜びませんよ!」
彼女達の必死の説得で我に返ったウルスラは、言葉を呑み込むと同時に、力が抜けたかのようにその場に座り込んでしまう。
ところが次の瞬間、大きな衝撃音と共に船体が大きく揺れ出す。海に投げ出されまいと、全員が必死に欄干に掴まる。
「な……何が起こったの……!?」
「不味いぞ……! 下の穴から大量の海水が入り込んでるみたいだ……!」
「それって、もうすぐこの船が沈むって事ですよね……!?」
「おいおい勘弁してくれよ……! 異国の女帝を止めに海原へ駆り出されたが、凋氷画脂で結局全員死にました、なんてマジで洒落になんねぇぞ……!」
その場にいる誰もが慌て慄き、不安と絶望に駆られている。
だが、その時であった。
「マーガレットォ!」
聞き馴染みのある甲高い声が辺り一帯に響き渡る。
振り返ると、オレンジ色の長髪を靡かせた男が乗った戦艦が近付いてくる。
「バーソロミュー様!」
「何とか間に合ったな……今すぐ私の船に飛び乗れ! もたもたするなっ!」
急かされるがままに、エルベルトはマーガレットを、ショーンとジュノはアルフォンスを、そしてアデラはウルスラを抱えて戦艦に飛び乗り、二次被害を受けない為にすぐさまその場を離れる。
残された亡骸の魂と共に海底へと沈み行く艦体を、アデラ達はただただ無言で遠目に見詰めていた。
――――――――――――――――――
斯くしてマーガレット率いるクォージウス連合軍は、異国の脅威であったシャーマイニーの残党を退けた。
アデラ達もまた、陰で尽力したクレオやシューウィッツォ島の復興に携わったティアナとアイザックとも無事合流を果たした。
そして時が流れ、ポスマーニとマームストは、嘗て破られた不可侵条約をも超える強固な絆の証として、新たな二国和平条約を締結する運びとなった。
その調印式が行われる日、会場となるウィーグム城前に足を運んだアデラ達の前に、1人の男が接触してきた。
亡きハルマンの遺志を継ぎ、重臣となったアルフォンスだ。
「【正義に選ばれし者達】よ、間も無く和平調印式が始まる。マーガレット様もタレス陛下も、其方達に是非とも来席願いたいそうだ」
【正義】に同調し、共に2度も大陸の危機を救い、恒久の平和の為に尽力し続ける王達からの式典へのお誘い――アデラ達に断る理由などあろう筈が無かった。
「では、共に来てもらおう」
承諾を受けたアルフォンスは、彼女達をウィーグム城前へと先導するが、その道中で小さく溜息を吐く。
「全く……俺はこの国の将軍だったというのに……まさかこんな役回りをさせられる事になろうとはな……」
そんな愚痴を聞き逃さなかったアデラは、少しばかり頬を緩ませていた。
式典会場には既に多くの住民が群衆を成しており、その前方の壇上にマーガレットとタレスの姿がある。
すると、目の前で確と見届けてもらいたいという彼等たっての希望により、アデラ達8人が壇上に招かれる事となった。
畏れ多いながらも2人の王の願いを断る訳にもいかず、結局アルフォンスに先導される形で壇上に移動する事に。
「この日を迎えるまでに、多くの犠牲を出してしまったな」
「ですがこの先は、我々が手を取り合って共に守っていきましょう」
「うむ」
クォージウス大陸の未来を見据える2人に最早迷いなど無かった。
「我がポスマーニは、剣や槍を収め、貴国を愛し敬う事を――」
「我がマームストは、安寧を願い、貴国と契りを交わす事を――」
「「ここに誓う」」
二国和平条約の書面に連名で調印を行い、群衆に目を向け――
「「クォージウスに光があらん事を!」」
高らかに宣言すると、群衆は万歳三唱を行い、歓喜の声を上げた。
――――――――――――――――――
調印式終了後、アデラ達はマーガレットとタレスに別れを告げ、城を後にする。
その後ウルスラたっての希望により、ポスマーニの街外れにある小さな墓地に足を運ぶと、ウルスラはその辺の土を掻き集めて小さな盛土を作り、その上に宝石が埋め込まれた小さな金属の板を添えて手を合わせる。
彼女曰く、それはユニティが付けていた首飾りの一部で、戦艦から脱出する直前に甲板上で見つけたのだという。
態々このような形でユニティを弔っている様子からして、袂を分かった仲だとしつつも、やはり【本物】の良き理解者として惜しい人を失くしたと心の片隅で感じていたのかもしれない。
「ウルスラさん……1ついいですか?」
その時、アデラがある疑問を投げ掛ける。
「何かしら、アデラ……?」
「どうしてあの時、ユニティを助けようとしたんですか?」
彼女の言葉に一瞬眉を顰めるウルスラ。対してショーンは「確かに」と小さく首を縦に振りながらアデラに同調する。
「あいつのせいで多くの人間が不幸のどん底に陥れられた。無駄に命を散らした人間だって、決して少なくは無い」
「誰がどう考えたって万死に値するってのに、何でなんだ?」
どうやらジュノも同じ疑問を抱いていたようだ。
するとウルスラは、アデラ達を真っ直ぐ見詰めて「勘違いしてほしくないんだけど……」と前置きした上で口を開く。
「私は助けようとしたんじゃないわ……逃亡させたくなかっただけよ……」
「逃亡、させたくなかった……?」
言葉の意味を汲み取れず、アデラは首を傾げる。
「幼少期からよく両親から言い聞かせられててね……例え現世に絶望したり未来を見出せなくなったりしても、決して自ら死を選んではいけない――不可逆的逃避行に走ってはならないって……何故なら、その先にある筈の【本物】の幸福を掴めないばかりか、それに向かう為の再起のチャンスさえも与えられなくなるから……」
まるで自死を思い留まらせる為の常套句のような言い分に、7人は半ば呆れ気味に互いの顔を見遣るが、ウルスラは構う事無く「それにね……」と言葉を続ける。
「それは悪行を犯した者にも言えるのよ……」
「と、言いますと……?」
「死を以て償うとか、あの世で神の裁きを受けるとか……そんな都合のいい話なんて罷り通る訳が無い……罪は生きていなければ償えない……罰は生きていなければ受けられない……それで感じる恥も苦痛も、生きていなければ味わえないの……」
確かに彼女の言い分に一理はあるであろう。だがいまいち腑に落ちていないのだろうか、クレオは頭をポリポリと掻いている。
「う~ん……言いたい事はすごく分かるんだけどねぇ……」
「無論シューウィッツォ島の人達の気持ちを考えたら、そんなのは単なる綺麗事だって――数え切れない犠牲を生んだ大罪人に慈悲なんて無用だと言われるのは百も承知よ……でも、だからといって……本当に命を奪おうものなら……彼女を重罪の意識から解放させてしまうばかりか……私達がかの暴君と同じ人間になってしまうんじゃないかしら……?」
その言葉に、7人はハッとする。
嘗てトラヴィスに仕えていたポスマーニの兵隊が、大きな戦果を挙げて国へ帰還した際、出迎えたトラヴィスと一瞬目を合わせた上に頭を垂れるのが若干遅れた――そんな傍から見れば下らない小さな理由で、トラヴィスは激昂した挙げ句にその隊長を斬首し、部下達も国を追われる身となった。
気に食わなかったから命を奪ったのだ。
若しかするとユニティは、アデラ達は自分が気に食わないから己の身投げを止めないだろうと思っていたのかもしれない。
それによって時の経過と共に、アデラ達に呵責の念を植え付けてやろうと考えていた可能性も十分に考えられる。
だが、ウルスラがそれをさせまいと動いた。
自分やアデラ達は、かの暴君と違わぬ道を歩みはしまいと……
しかし結果的に、ユニティに重罪の意識を刻み込ませる事――現世に留まらせる事は出来なかった。
今のウルスラは、それが唯一の心残りとなっているようだ。
「ウフフ……な~んてね……」
しかしいつもの妖艶な笑みを浮かべると、ウルスラは揶揄うように、それでも本音を紛らわすような言葉で締め括る。
「はぁ~……何かここ最近、暑苦しい所ばかり行ってるわね、私達……次はもう少し涼しい所でリフレッシュするのもいいんじゃないかしら……?」
「自分でいろいろ振っといて、コロコロと話題を変えてくるなぁ……鬱陶しい」
「裏を返せば切り替えが早いって事だよ。彼女はそういう人だから見逃してやってくれ。女の人の陰口を叩くと後で怖い思いをするから……ねっ、ショーン君?」
「……事実でしか無いから、ぐうの音も出ない」
「でしたら、オーシェンウーカはいかがでしょうか?」
ショーンとアイザックが小声で言い合っている中、提案してきたのはティアナだ。
「あそこには聖炎教会の大聖堂があります。私の顔馴染みの司祭様や司教様が集まっていますし、何より長であるヨハン教皇様には、私自身近況を報告しなければと思っていたところだったんです」
「ほぅ~、聖炎教会の大聖堂か……確かに一目見たい気持ちはあるねぇ」
「確か教会には、各地から剣の精鋭が集められた【聖炎騎士団】が属しているんですよね。僕も一介の剣の使い手として、どれ程腕っ節の強い方々がいるのか、幾分興味があります」
クレオとエルベルトは提案に乗り気のようである。
しかし「でもよ」と難色を示しているのはジュノだ。
「確かオーシェンウーカって雪国だろ? 俺達は兎も角、肌の露出が多いアデラとウルスラには過酷なんじゃねぇか?」
そう言われ、その場にいる全員が2人を見遣る。
だが当の本人達は、指摘された事について全く気にしている様子は無い。寧ろ「身体が慣れてるから問題無い」と言わんばかりの余裕の笑みを浮かべており、特にウルスラは妖艶な含み笑いを漏らしながら、ジュノにそっと抱き着いてくる。
「あら……? 若しかして、私とアデラが極寒の地で体調を崩すのを心配してくれているのかしら……? ウフフ……流石薬師さんね……気遣いもバッチリ……」
「ばっ……ちょ……そういう訳じゃ……! てか、茶化すんじゃねぇ……!」
頬を赧らめながら「少しは旅団唯一の薬師を敬え」だの「仮にもお前より年上なんだぞ」と目くじらを立てたように窘めるジュノに対し、ウルスラは「私はいつも感謝しているわよ」とか「今は年上年下なんて特に関係無いでしょ」と色気を出しながら往なしている。
「ティアナさん、私は何処へでも行きますよ。例え雪の中でも溶岩の中でも……その先に見つけたい【本物】が存在するのなら」
「アデラさん……御厚意に甘えさせていただきます。では皆さん、私が大聖堂まで御案内致します」
ティアナの先導の下、旅団は更なる【本物】を求め、再び出発する。
「とうとう指輪が6つ……残すは【怠惰】だけ……」
アデラもまた最後の指輪の在り処を探す為、後に続いていく。
確固たる絆を見守る遥か彼方からの海風の香りを感じながら――
これにて【第6章 色欲を授かりし者】終了です




