新たな見えざる敵
【第5章 暴食を授かりし者】スタートです
「侯爵は、私だけの栄誉……この身死すとも……その地位は永遠に私の物……!」
瓦礫と化していく己の屋敷の中で、そんな最期の言葉を口にしていたエドガー。
彼が凭れる壁の傍らには、血でこのような文字が書かれていた。
――汝、全てを持たざるべし
――隣の青き芝生を妬むべからず
――決して多くを求むるなかれ
――蓄えこそ身を灰燼と帰す業火
――末代まで祟る呪いに他ならぬ
死に行くエドガーに向けられたものであろう、呪詛のような悍ましい言葉。
だがその書き主を知る者は、誰一人として存在しなかった。
――――――――――――――――――
アデラ達一行は、大陸西方のガーヴェックという街に来ていた。
ショーンの言う事によれば、このガーヴェックはクレオの故郷なのだという。
この街はマームストに隣接する、西方では比較的大きな都市であり、それが故に交易の街として広く知られているそうである。
更には、クォージウスとしては珍しい巨大闘技場が存在している事でも有名で、年に1度腕自慢の猛者達が各地から集まり、最強の剣闘士を決める大武闘会が開催されているのだという。
「無論女の剣闘士も毎年何人か参加してはいるんだが、未だに優勝した者はいないらしい。どうだ、アデラ? 史上初の女剣闘士の優勝を目指してみるのも、【本物】の実力を更に極めるという意味でも、いい腕試しになるんじゃないか?」
「う~ん、そうねぇ……この旅が一段落したら考えてみるわ」
ショーンの提案に、どっちつかずの返答をするアデラ。最近の彼女は、話をはぐらかすのも上手くなってきているようだ。
そんな中クレオが「寄りたい所があるから付き合ってほしい」と頼んだかと思うと、近くの露店で花を購入し、街の外れの小さな空き地に足を運ぶ。
「それにしても……もう5年も経つんだね……」
そこに佇む1基の墓標に向けてそう呟くと、クレオはそっと花を手向け――
「ペトロニラ……」
そこに眠る者の名を零しながら瞑想し、手を合わせる。
本人によると、ペトロニラというのは彼女の約20年来の友人なのだという。
幼き頃から身寄りのいなかった2人だったが、クレオは己の糸使いの能力で幾多の衣類や小物を作って売り、ペトロニラも自慢の身の熟しで義賊めいた行動を起こして悪党から金目の物を掠め取り、その日暮らし同然の生活を送っていた。
自分達が将来のクォージウスをいい方向に導いていく――その共通の夢を叶える為に、2人は苦しいながらも充実した毎日を過ごしていた。
ところが、クレオが例の任務から帰省した日、ペトロニラは忽然と姿を消した。
彼女の死を知らされたのは、それから数ヶ月経ってからだった。
何でも外の世界を見に行くとシモアンティへ赴き、そこで出会したエドガーによって捕らえられ、奴隷として飼い馴らされた挙げ句、他の奴隷達への見せしめとして嬲り殺されたのだという。
「定期的に帰省しては、必ずここを訪れるようにしてるんだよ。クォージウスはいい方向に導かれてるって報告する為に……そして彼女を死に追いやった、エドガーという惨禍を忘れないように……」
「ガーヴェックは、エドガーと何か関係があるんですか?」
率直な疑問を投げ掛けるティアナ。
「この街にはね、そのエドガーの別邸があるんだよ。まぁ、とはいえ……結局1度も訪れる事無く本人が死んで、今じゃ廃墟同然だけどね」
肩を竦めながらそう言うと、クレオは「さぁ、この話題はこれで終わり」といった感じでパンッと手を叩く。
「さて、もう少しだけあたしに付き合ってくれないかぃ? ちょいと酒場に寄って、確かめたい事があるんだよ」
「確かめたい事? 一体何ですか?」
「風の便りで聞いたんだけどね、ある人物がこの街にお忍びで、友人の誘いを受けて会食するらしいんだよ」
「ある人物とは……?」
「富豪・エンリケ――黒い噂の絶えない男さ」
「エンリケ……?」
聞き覚えの無い名前に首を傾げるアデラに対し、「ほぉ、あのエンリケが……」と漏らしたのはアイザックだ。
「アイザックさん、知ってるんですか?」
「知っているも何も、エンリケはこのガーヴェックを含めた大陸西部で暗躍する悪徳富豪だよ。今は遺された【粉】を裏取引で売買していると噂されている」
「恐ろしい方がいるものですね……私には到底理解出来かねます……」
性善説を信じる純粋な神官であるティアナにとっては、悪知恵を働かせる事を糧に生きている人間が大陸に存在している事など想像もしたくないのだろう。
「でもそんな人が、どうしてこの街に、それもお忍びで来るんでしょうか?」
「恐らく……狙いは侯爵の遺産ね……」
「エドガーが築き、遺した販売網か……俺もそう睨んではいる」
「つまり……その友人の伝手を利用して、更なる名声と多額の報酬を我が物にしようと企んでいる……って訳ですね……」
「莫大に富んだ人間にしか興味無ぇってか。呑舟の魚枝流に游がずだな。あるいは……包蔵禍心で友人をも出し抜いて、跳梁跋扈してやろうって魂胆かもな」
溜息交じりに呆れ口調で嫌味を漏らすジュノ。
「でもそれは逆に、表沙汰になっていない販売網を叩く為の重大なヒントを掴めるかもしれないって事だよ。いつまでもクォージウスに、強欲侯爵の火種を燻らせる訳にはいかないからね」
「さぁ、行こう」というクレオの掛け声を合図に、アデラ達一行は酒場へ向かう。
ところが、8人の淡い期待感は、一瞬にして大きな違和感へと変化した。
「……ん?」
酒場の前に何故か人集りが出来ているのだ。
中の様子を窺っているその表情からは、物珍しさというよりは、寧ろ見てはいけないものを見てしまった恐怖や後悔のような感情が滲み出ている。
胸騒ぎを覚えたアデラ達は、群衆を掻き分けていき、半ば強引に店内へ進入する。
「これはっ……!」
そこで彼女達の目に飛び込んできたのは、1人の着飾った男と数人の取り巻きと思しき者達が血の海に溺れている、見るに堪えない凄惨な光景だった。
反射的に男の許に駆け寄ったクレオは、その顔を見て更に表情を強張らせる。
「こいつ……噂の富豪・エンリケじゃないか……! しかも死んでる……!」
「な、何だと……!?」
「酷い……こんな事って……!」
「一体誰の仕業なんですか……!?」
誰もがその惨状に恐れ慄いていると――
「皆、見たまえ」
アイザックがカウンターの方を向いて声を上げる。
「壁に血で文字が書かれている」
「何だって?」
指示された方へ目を向けると、そこにはこのような殴り書きが残されていた。
――富める者に裁きを
――蓄えを持つ者に粛清を
――我は全てを持たざる者なり
「全てを持たざる者……?」
エンリケの死体と【全てを持たざる者】を名乗る者が書き残した禍々しい文面。
それ等はアデラ達に新たなる脅威が差し迫っている事を暗示していた――




