不穏な予兆
【第4章 傲慢を授かりし者】スタートです
人類の欲望とは、底無しの谷の如く深い。
例えこの世の全てを手にし、その頂を極めようとも、邪悪な心が満たされる事は無く、浄化する兆しすら見せ得ぬであろう。
それは、ポスマーニに聳え立つウィーグム城の大広間に佇む1人の男も、決して例外では無い。
「……余は、何者なのだ?」
深紅の服に身を包み、漆黒の長い髭を蓄え、冷酷さを際立たせた目の男――トラヴィス現ポスマーニ国王は、巨大な鏡に映る己の姿を見詰め自問する。
「陛下」
するとそこへ、茶色の服を着て、緑色のセミショートヘアを靡かせ、素顔を見られたくないのか――道化師のようなデザインの仮面を付けた、怪しい雰囲気の男が入室してきた。
「フラン宰相か」
「そろそろ式が始まります。御子息の御姿は、それはそれはもう勇ましく……是非御出席いただきたく存じます」
「行こう……ところで、例の者は見つかったのか?」
「えぇ、抜かり無く。強欲・憤怒・嫉妬――3つの指輪を手にしたのを、この目で確と認めた次第です」
「流石密偵を熟せるだけの事はある……褒めて遣わそう」
「身に余るお言葉です、陛下」
「して、その者の名は?」
「異国の棒術師・アデラで御座います」
――――――――――――――――――
汝よ、【正義に選ばれし者】よ――
其の方は信念に共鳴し得た者達と――
3つの【欲望】の大罪を鎮めた――
実に見事な立ち回りだ――
なれど、断じて隙を見せてはならぬ――
残る【欲望】の大罪を犯し者達が――
其の方の存在に薄々勘付き始め――
【本物】への志を葬り去らんと画策している――
己の【正義】こそが、偽りの無い絶対的存在であると――
されど、歪められた【正義】は軈て全てを滅ぼす――
その先に汝が求む【本物】は存在せぬ――
真なる【正義】……追い求む【本物】の為には――
如何なる時も、汝の持つ7つの信念を貫き通すのだ――
さすれば、更なる共鳴し得る者が直に現れよう――
【欲望】という深淵への堕落の危機を免れられるか否か――
それは、其の方達8人に委ねられた――
――――――――――――――――――
「8人?」
頭の中で久々に聞こえたあの時の声に反応するような言葉を発した直後、アデラはポスマーニの宿屋のベッドの上で目を覚ました。
窓から朝日が差し、小鳥の囀りも聞こえる。
「今のは……? まさか予知夢……?」
「あっ、アデラさん。お早う御座います」
同室のティアナは既に起床していて、宿屋を出る準備をしていた。
「あっ……お早う御座います、ティアナさん」
「大丈夫ですか? 若干魘されていたような感じでしたよ?」
「あっ、いえ……大丈夫です。気にしないでください」
悟られないように平然を装い、アデラはベッドから下りるや否や身支度を済ませ、ティアナと共に宿を後にする。
外で待機していたショーンとジュノとも合流し、4人は式典が行われるウィーグム城へ赴く。
――――――――――――――――――
城前には、主将に就任したエルベルトの兄・ガルシアの姿を一目見ようと、多くの国民が集まっていた。
「あぁ……何て勇ましいんだ、ガルシア様……」
「正に救世主そのものね」
「彼が赤子の頃からずっと見守ってきたが、あれ程までに逞しく成長されたなら、最早言う事無しだ」
「えぇ。無敵の龍がいれば、ポスマーニは安泰も同然よ」
「あぁ、間違い無い。この国はきっと良くなっていく……!」
群衆が希望に満ち溢れた言葉を口々に漏らしている。
と、その時――
「ガルシア様……!」
みすぼらしい姿をした1人の女性が、手に何かを持ってガルシアの許へ駆け寄る。
「お祝いにと、ケーキを作って参りました。どうかお受け取りに――」
「駄目だ、駄目だ、駄目だっ!!」
しかし、兵が2人の間に入るや否や、女性を突き飛ばす。
「下賤共が作った下賤なケーキなど、何が入っているか分かったものじゃない! そうやって懐に入り込み、我が国を滅ぼさんとする輩を、こちとら何万人と見てきたんだからな!」
「そ……そんな……私はただ――」
「止めろ……っ!」
その一言で兵を下げさせるガルシア。女性の許へ歩み寄ると、彼女が持ってきたケーキを手にする。
「ベリーソースのケーキか……お祝い事には相応しい代物だ。有難くいただくよ」
「ガルシア様……どうか、この国をお導き下さい……!」
女性は嬉々としてその場を後にする。
一方ガルシアは、女性を突き飛ばした兵にケーキを預けると共に、彼の粗暴な振る舞いを厳しく窘める。
「ポスマーニは民によって支えられている。民無くして、この国の存続は有り得ない。如何なる身分の者でも、この国で欠けてはならない大切な存在だ。それを一時も忘れるな、いいな?」
「し、失礼致しました……!」
叱責を受けた兵は、やや俯いて1歩下がる。
「おい、見ろ……トラヴィス陛下が……」
その直後、城の屋上にトラヴィスが姿を現し、黒山の人だかりを見下ろす。
「あの目……いつ見ても、冷ややかだわ……」
「おい、馬鹿……! 目を合わせるな……! 殺されるぞ……!」
「あの御方が現れると、いつも背筋が凍る……」
「でも、この国で生きていくには……あの御方に従う他無いわよ……」
「その通りだ……民は王を選べない……」
「せめてガルシア様の治世になれば、この国は変われるだろうに……」
緊迫した状況と国民達の愚痴など意にも介さず、トラヴィスはその権威を指し示すように右手を高く突き上げる。
その中指には、特徴的なデザインで赤く発光する指輪が嵌められていた。
その光に反応するかのように、アデラの指輪も一瞬青い光を放つ。
それに気付いたアデラが、指輪を見詰めながら歩を進めていると――
「おいっ!」
「そこの4人っ!」
「ひぇっ……!」
突然見張りの兵士達に怒声を浴びせられ、アデラは小さく悲鳴を上げる。
「何だ貴様等は!?」
「私達はその……トラヴィス陛下に謁見したくてですね……」
「そんなもの駄目に決まってるだろ! 下賤の者に構っている暇など、陛下にある訳が無いだろう!」
「下賤って……! お前等喧嘩売ってんのか……!?」
「ジュノさん……! 口の利き方には気を付けてください……!」
「王家の者の許可があるのなら話は別だが……貴様等のような人間に、そんな縁があって堪るか! とっとと失せろ!」
そう叫び、頑なに4人を拒否する兵士達。
「すごい威圧的ね……」
「……仕方無い。ここは一旦身を引こう」
「そうですね……これ以上の抵抗は無意味でしょう」
「だが、あの傍若無人さには辟易するぜ……」
4人は指示に従い、その場を後にする。
「あっ、皆さん……!」
暫く歩いていると、正面からエルベルトが駆け寄って来る。
「あれ? 皆さん、どうしたんですか? 浮かない顔をして……」
「お前の父に謁見したかったんだが、見張りの兵に突き返されてな……」
ショーンの言葉に、エルベルトは「あぁ……」と、やっぱりなと言わんばかりの溜息を漏らす。
「父は非常に用心深い人ですので、例え僕の顔馴染みだとしても通してはくれないでしょう。でも兄なら、何かしらの方法を考えてくれると思います。今から行って、兄に話してみます」
「お願いします、エルベルトさん」
「今の俺達は、お前だけが唯一の頼りだ」
「このまま手ぶらで帰る訳にもいかないから……宜しく頼むわ」
「はいっ……!」
兄への祝福の思いと4人の期待を背負い、エルベルトは駆け出していった。
――――――――――――――――――
「兄さん」
「エルベルト?」
暫く国を離れていた弟が現れた事に、ガルシアは若干驚きを見せる。
「主将の就任、おめでとう」
「態々帰って来てくれたのか? 悪いな……有難う」
「兄さんの弟として、僕は鼻が高いよ。僕もいつか兄さんみたいに、国が誇る剣士として名を馳せてみせるよ」
「フフ……そうか。今から楽しみだな。私も主将として誓うよ。命尽きるまで、この国と民の繁栄を願い、混沌を鎮める為に精進するとね」
「兄さん……」
それからエルベルトは、帰郷するまでに経験した事やアデラ達の事等、様々な話をガルシアと交わした。
久々の兄弟での会話は、傍から見てもとても楽しげな雰囲気だ。
しかし――
「父上……!」
そこに水を差すかのように、トラヴィスが城内から姿を現す。
その場にいるポスマーニ軍の関係者達が、全員敬意を表すように跪く。
トラヴィスはエルベルトを一瞥すると、すぐにガルシアへと視線を移す。
「ガルシア――我が息子よ……余は、其方が物心付く前から知っておった……兵になるや否や、戦果を挙げ続け、我が国が誇る龍となる、とな……」
「身に余るお言葉です、父上」
「其方のこの先の武勲……期待しておるぞ……」
「この命に代えてでも、必ずや……!」
彼の応答に満足したように「うむ……」と発すると、トラヴィスはその場を後にしようとする。ところが、何か言いそびれた事があるのか、一瞬足を止める。
「ガルシアよ……次の戦が待っておる……宴を終えたら、即刻発つように……」
「はっ……! 畏まりました……!」
そう言い残すと、トラヴィスは今度こそ城内へと消えていく。
「父上……?」
悪い予感を覚えたのか、エルベルトは後を追うように城の中へと入って行った。
――――――――――――――――――
「失礼致します」
エルベルトは一礼し、王の間へ入室する。
「エルベルト様、式典の最中です。今は陛下への御面会は――」
「すみません、急ぎなので……!」
侍女の制止を振り切り、玉座の父・トラヴィスの許へ近付く。
「父上、折り入ってお話があります」
「エルベルト……帰郷して間も無く余に話とな……どれ、申してみよ」
「非常に申し上げにくいのですが……今戦を行うのは得策ではないかと」
「……」
「帰郷直前、ポスマーニは最近戦続きで、兵達が疲弊し、士気が著しく低下しているとの報を耳にしました。ほんの1日だけでいい――兵達に休息を与えてはいかがでしょうか?」
進言されたトラヴィスは暫く沈黙すると、「そうか、なるほど」と呟き、肩を揺らしながら顔を伏せて静かに笑う。
一頻り笑うと、徐に顔を上げる。その表情は、冷酷という言葉が相応しい程に【無】だった。
「エルベルトよ……外の世界で、何を学んだかは存ぜぬが……詰まるところ、余に楯突こうという魂胆か」
「えっ……? 何を仰っているのですか?」
エルベルトが戸惑っているのを尻目に、トラヴィスは玉座に立て掛けられている、自分の背丈ほどある長剣を手にし、楯突く者へと歩み寄る。
「新たな正しき知識を得て、もう少し利口になって帰ってくると思うてたが……所詮、愚弟は愚弟だったという訳だ」
この場で処刑せんとばかりに長剣を振り被るトラヴィス。
しかし、振り下ろす寸前に突然手を止めると――
「だが……父として息子の血を見るのは、やはり気が引ける……ハルマンよ」
「はい」
傍らに立つ、紺色の服を着ているやや年を召した従者・ハルマンの許へ近付く。
「其方には、息子が赤子の頃から躾けさせてきたな……? 学問・剣技・教養――全てにおいて其方に任せていた……」
「然様で御座います、陛下」
「故に、息子の過ちは貴公の非である……」
「父上……!?」
「……」
「ハルマンよ……貴公は息子の教育に関して大きな過ちを犯した……最早、重罪以外の何物でもない……跪け」
命令に従い、ハルマンはその場に跪く。その彼の首を刎ねようと、トラヴィスは長剣を再び振り被る。
「お止めください、父上……!」
エルベルトはそう叫ぶと、すぐさま駆け寄り、頭を垂れながら跪く。
「ハルマンに罪はありません……! 全ては僕が自ら犯した過ちです……! 進言をした僕が愚かだったのです……! 申し訳御座いませんでした……! 金輪際このような事は致しません……! ですので、どうかお許しを……父上……!」
己の愚かさを猛省したと捉え、トラヴィスは長剣を下ろすと――
「まぁ、良い……愛息に免じて、今回は不問としよう……だが、2度目は無い……確と肝に銘じておけ」
そう釘を刺して玉座に戻る。
不問とされたハルマンは、トラヴィスに一礼すると、エルベルトを立ち上がらせ、彼と共にその場を後にする。
――――――――――――――――――
「エルベルト、遅いわね……」
「ガルシアの説得に行き詰ってるんじゃないか?」
「いやいや、兄弟は他人の始まりとはよく言うが、骨肉相食むような仲じゃねぇだろ? 大丈夫だって」
「でもやはり心配です……少し様子を見に行ってみましょう」
エルベルトからの報告を待っていたアデラ達だが、予想以上に時間が掛かっている事に些かの不安を覚え、ティアナの提案で、再びウィーグム城へ赴く事になった。
その道中、広場に集まっているポスマーニ軍の兵達が雑談を交わしている。
「また戦かよ……」
「仕方無いだろ? 陛下が満足するまで、永遠に終わらないさ」
「それって……クォージウスが全部ポスマーニの物になるまでって事か?」
「あぁ、そうだ。だが、この国は今や無敵……何しろ、あのガルシアがいるんだ」
どうやらこれから戦場へ赴く者達のようだ。
そんな会話を横目に、アデラ達は城の前までやって来た。
するとそこには、エルベルトではなく兄のガルシアの姿が……
4人の存在に気付くと、ガルシアの方から歩み寄って来る。
「おや? 君達は確か……ショーン君とジュノ君とティアナさんだったな」
「覚えていてくれたんですね?」
「忘れる訳が無いだろう。あの時はエルベルトが世話になった」
「恐縮だ」
「鉛刀一割な俺達に付いてきてくれただけでも有難かった」
「大陸存亡の危機を救ったんだろ? そう遜るな」
顔馴染みの3人との再会を喜ぶガルシア。
「あの、ガルシアさん……エルベルトさんはどちらに?」
「それが……少しばかり出しゃばった真似をしてしまってね……私がこれから向かう戦から帰るまで、従者のハルマンの監視の下、城内で軟禁処分となってしまったんだ。暫く外には出れない」
「おいおい、軟禁って……あいつ一体何仕出かしたんだよ?」
「まぁ、首を突っ込むきらいがあるのはあいつらしいがな」
ジュノとショーンがエルベルトの処遇に呆れていると――
「ん?」
ガルシアが3人の傍らにいるアデラの姿を視界に捉え、不思議そうな表情を浮かべて彼女の許へ歩み寄る。
「見慣れない顔だな。君は一体……」
「アデラです。モハディウスから旅をしている棒術師です」
「あぁ、君がそうなのか。噂は耳にしていたし、先程エルベルトからも話を聞いたよ。彼曰く、陛下に謁見したいらしいな?」
「あっ……そうなんです」
「引き受けたいのは山々だが、今は戦の最中だ。そう容易に叶えられはしない。そこでだ……君達全員、我が軍の兵とならないか?」
「えっ? 君達って……」
「俺達も込みでか?」
「あぁ。戦で武勲を立てられさえすれば、恐らく陛下も謁見を認めてくれるだろう。エルベルトも君達の腕を推していた。実力は間違いないと見ている。戦は暫く続くだろうから、今すぐでなくてもいい――皆で考えておいてくれ。良い返事を待っている。それじゃ、私はこれで失礼する」
ガルシアはそう言い残して、広場の方へと足早に向かって行った。
――――――――――――――――――
「誇り高きポスマーニの兵達よ! 命を賭し、この龍に続け! ポスマーニの誇りを胸にっ! 出発だ!」
「おおおおおぉぉぉぉぉ!!」
広場に集められた兵達を、ガルシアが鼓舞して士気を高め、戦場へと赴いていく。
そして、すっかり陽が落ちた頃、ガルシア率いるポスマーニ軍は見事勝利を収め、凱旋帰国を果たした。
「おぉ! 国軍の凱旋だぞ!」
「また勝利を掴んだんだな! 実に素晴らしい!」
「ガルシア様! この国の誇り高き英雄よ!」
「どうか、私達をお導き下さい!」
国民達からの歓迎を受けていると、トラヴィスが軍の前に現れる。
ガルシアを始め、軍兵達が一斉に跪く。
「ガルシアよ……良くぞ戻った、実に見事だ……その龍の如き力強さ……流石は我が国の宝ぞ……褒めて遣わそう……」
「有難きお言葉……!」
「我が息子よ……さぁ、この父を抱き締めてくれよ……」
「父上……無論、喜んで……!」
ガルシアは徐に立ち上がり、父と抱擁を交わす。
その姿に、国民達も手放しで喜ぶ。
そして「この次も頼むぞ」と言わんばかりに、ガルシアの肩に手を添えて小さく頷くと、トラヴィスは城へと戻っていく。
その道中、彼は今のガルシアに、嘗て次期ポスマーニ国王として先代から期待されていた、己の憎き兄の姿を重ねていた。
そして、再び自問自答を繰り返す。
――余は、何者なのだ?
――己の強欲さに身を任せ、私腹を肥やす王か?
――憤怒や嫉妬に荒れ狂い、虚勢を張る王か?
――否、何れでも無い
――余は、この世の全ての頂を極めし王なり
――クォージウスを統べる玉座に相応しき王なり
――他の何者にも務まりはせぬ
――その玉座を欲す者は全て……余によって滅されるべきぞ
彼の【傲慢】という名の魔の手は、曲がりなりにも龍の許へ、そしてアデラ達にも確実に忍び寄っていた――




