暗躍の時
3人がスフィージュの街に戻った時には、すっかり陽が落ちていた。
コリーナを無事孤児院に引き取ってもらったティアナとも合流し、4人は宿屋で一晩休息を取った。
翌朝、4人は宿屋を後にして、近くの酒場で朝食を食べる事に。
「この肉のソテー旨ぇな……! 米との相性も抜群だ……!」
「蟹の身が入ったこの海鮮サラダも、味が濃厚で飽きさせない一品だ」
「トマトのスープはあっさりしていて、朝には最適ですね」
「私はやっぱり、このパンとホットミルクの組み合わせが1番好き……!」
思い思いの感想を述べながら、テーブルの上の料理を食していく。
少し離れたテーブルでは、貴族達が2つのグループに分かれて雑談をしている。
「いやぁ……この日をどれ程待ち侘びた事か……」
「イメルダ様が主演の【虚飾と真実】……ある哀れな女の一生の物語だそうだ」
「ほぅ……一体どんな女なんだろうな?」
「開演が待ち遠しくて……もう体がうずうずしてしまうよ……!」
片や、イメルダ主演の最新作の開演を楽しみにしており――
「ジミー様が行方不明だって噂、聞いたか?」
「あぁ。何でも、イメルダ様と袂を分かったとか分かってないとか……」
「全く馬鹿な男だ。あれ程の成功を棒に振るとは……」
「イメルダ様に逆らうなど、獰猛な野良犬でもしないぞ……!」
「だがそうなると、彼がやる筈だった役は、今後誰が代わりをやるんだ?」
片や、ジミーについてある事無い事を口々に呟いている。
彼等の会話に聞き耳を立てながら、黙々と食事を続けるアデラ達。
「……2人の真相を知っても、あの人達は同じ事を言えるのかしら?」
「上辺だけで判断しているような輩だ。陰の部分など興味も無いんだろう」
「正に知らぬが仏、だな……全く幸せ且つ目出度い奴等だ」
「……あっ、そろそろ行かないと」
飲み掛けのスープをテーブルの上に置いて、ティアナは椅子から立ち上がる。
「どうした、ティアナ? スープ残ってるぞ?」
「すみません。私、今日の公演の為の衣装の最終チェックをしなければいけないので……これにて失礼致します。あっ……御代は私が払っておきますので、皆さんはごゆっくりどうぞ」
そう言い残し、ティアナはマスターに4人分の代金を支払うと、駆け足で酒場から出ていく。
「ティアナさん、今回の公演の衣装も担当しているのね」
「昨日の事があったから、てっきりイメルダの鶴の一声でクビになったか、居た堪れなくなって自主的に辞めたと思ってたけどなぁ……あの様子なら心配無用だな」
「クビは兎も角、彼女は自分に任された務めは、途中で放棄せずに最後まで果たそうと奔走する性分だ。正に神官の鑑と言うべき存在だな」
「……ん?」
ホットミルクの入ったカップを傾けながら、今度はアデラが窓の外をじっと見ながら短く声を出す。
「アデラ、どうしたんだ?」
「今……マリアだっけ? その人が歩いているのが見えたの。多分劇場の方へ向かって行ったと思う」
「有言実行させに、か……よしっ、俺達もそろそろ行くとするか」
「あぁ。あの幸せな連中の目を覚ましにな」
3人も食事を終えて酒場を後にし、劇場へと足を運ぶ。
――――――――――――――――――
「さぁさぁ! こちらへお並びください! 大陸随一の大女優と名高きイメルダ様主演の、待望の新作ですぞ! くれぐれもハンカチをお忘れなきように!」
劇場内では支配人の呼び掛けの下、既に貴族達が長蛇の列を成している。
「相変わらずの有象無象だな。まぁ、俺達はそいつ等に、彼女の化けの皮が剥がれたところを見せ付けてやるまでだがな」
「この演劇にハッピーエンドを望むのは百年河清を俟つに等しいが、あいつを討つ為には我慢して観覧するしかねぇな……」
「さて、私達も早く並びましょ」
アデラ達も早速列に並ぼうとするが――
「ん?」
彼女達の存在に気付いた支配人が、怪訝そうな顔をして近付いていく。
「何だ貴様等は?」
「私達は、最新作の演劇を鑑賞しに来たんです」
「鑑賞だ? どう見ても金を持ってるようには見えんな。何処から忍び込んだ?」
「おい、大事な鑑賞客に対して、不躾にも程があるだろ?」
「不躾なのはどっちだ? ここはイメルダ様の神聖なる劇場だぞ」
「だからって、支配人が明白にそんな態度をしていい訳無いだろ。商人と屏風は直ぐには立たぬって言うじゃねぇか」
「えぇい、黙れ! 屁理屈扱くな! 失せろ、目障りな貧乏人共め!」
支配人は、前に出てきていたジュノを思い切り突き飛ばす。
「痛って!」
「うぐっ……!」
「きゃぁっ……!」
思った以上に力が強かったようで、後ろにいたショーンとアデラも、巻き添えを食らって押し返される。
「フンッ!」と鼻息を鳴らし、支配人は列の方へ戻る。
「これは失敬、お見苦しいところを……さぁさぁ! 間も無く開演ですぞ!」
ジュノの言葉を否定するかのように、並んでいる貴族達を相手に愛想良く振舞っているが、所詮は見た目だけで上客か否かを判断しているだけなのである。
「入れそうにないわね……」
だが何れにしろ、イメルダに近付くチャンスは、ほぼ失われてしまった。
「正規に入れないんじゃ、ここで油売ってても仕方無ぇな……行くぞ、ショーン」
「あぁ」
ジュノとショーンは、何故かアデラを置き去りにしてその場から離れようとする。
当然彼女は、それを許す筈が無い。
「え、え、え? ちょ、ちょっと……! 2人して何処行くつもりよ?」
「時間が出来たら、2人で実行しようと思っていた事があってな……」
「済まねぇ、アデラ。前からそう2人で決めててさ……終わったらすぐ戻る。それまでにあの盗賊女に会ったら、そいつと先に行ってて構わねぇから。じゃあな」
アデラは引き留めようとしたが、言い淀んでいる内に、2人はそそくさと劇場を後にしてしまった。
「時間が出来たらって……この時じゃなきゃいけない事なの……?」
自身を置き去りにした事、そして2人が水面下で秘密裏に何を企んでいるのか把握させてくれない事に、アデラは頬を膨らませて不満をぼやく。
「来ていたのね……」
すると突然、脇から突然声が聞こえ、アデラは「ひゃっ」と短く悲鳴を上げてその方へ振り向く。
声の主がマリアだと気付くと、平然を装いつつも「き、来てたわよ」と少々吃りながら応答する。
「あら……今日はあなた1人?」
「えぇ。ティアナさんは公演の衣装担当で、その最終チェックをしに。ショーンとジュノは今し方一緒にいたけど、個人的事情……?」
アデラの曖昧な言葉に、マリアは「そう……」と素っ気無く答える。
「分かってると思うけど、今日イメルダが舞台に立つの。そこで私は、積年の思いを遂げる。この劇場を……あの舞台上を、彼女の墓場にしてやるの……!」
「私も勿論手伝うわ。例え1人でも、手は多いに越した事は無いもの」
「そうね……そもそもあなたは、イメルダの素性を知る数少ない人物……もう私は止めないし、止めたところで付いて来る事は目に見えている」
「……」
「さぁ、イメルダを探しましょう。開演前だから、間違いなく劇場内にいる筈よ」
アデラも二つ返事で承諾し、マリアと共に劇場の舞台裏へと向かう。
――――――――――――――――――
2人が舞台裏の通路を進んでいると、あの時のイメルダによる女優絞殺事件があった大部屋の前で、ふとマリアが足を止めて部屋の方を見遣る。
「ん? どうしたの?」
「いえ……あの頃の事を思い出してね……」
そう漏らすと、マリアは自分の思い出話を語り始める。
「嘗てこの劇場は、私にとって希望に満ち溢れた場所だった。情熱を帯びた台詞に観客が沸くと、途轍も無い高揚感があった。それからは大いなる成功を夢見て、舞台に立ち続けた」
すると、突然項垂れて「でも……」と表情を曇らせる。
「あの女が壊したの、何もかも……そのせいで、今の私にとって、この劇場は忌まわしい記憶が澱として溜まった場所と化してしまった」
おどろおどろしい残滓から目を背けまいと、改めて大部屋を見詰める。
「絶望と屈辱に苛まれ続け、私は頭の中で何度も死を過らせた。それでも、あの女への復讐だけを【糧】に、藁にも縋る思いで今日まで生きてきた。その藁というのが、あなた――あなた達みたいな人の事よ」
ほんの僅かに柔和になった表情で、アデラの方を向くマリア。顔を向けられたアデラは「私?」と言わんばかりにキョトンとしている。
「あなた達の存在が、何よりも心強かった。私を今日まで信じてくれたから。あなた達と出会えたからこそ、私はここまで来れたのかもしれない……感謝するわ」
「ううん……私はただ【本物】を追い求めていただけ。例え正視し難くても、絶対に【本物】からは目を背けない――その信念を持って旅を続けてたから、あなたの目的に共鳴する事が出来たと思うの。だから、寧ろ感謝するのは私の方よ」
濁りの無い純粋な目で、微笑みながらアデラは己の思いを伝える。
「……強いのね、あなた」と少々照れ臭そうに呟くマリアに対して、アデラも「あなたこそ」とはにかみながら返す。
「先に進みましょう」
マリアの言葉を再前進の合図にして、2人はその場を後にする。
――――――――――――――――――
2人は舞台俳優達の楽屋がある通路に辿り着いた。
虱潰しに部屋を1つずつ見て回っていると、ある部屋から人の気配を覚え、恐る恐る扉を開けて中の様子を窺う。
煌びやかな衣装を纏ったダークブラウンの長髪の人物が、椅子に座った状態でこちらに背を向けている。
背格好からして、イメルダに間違い無いだろう。
2人は互いにアイコンタクトを取ると、部屋の中へ進入する。
「イメルダ……名高き大女優の最期の時よ。その椅子の上がいい? 死に場所を選べる権利くらいは、くれてあげてもいいわよ?」
憎むべき相手を目の前にして、マリアは挑発の言葉を並べる。
だが何故かイメルダは椅子に座ったまま、うんともすんとも言わない。それどころか、身体をピクリとも動かさない。
「随分と余裕ね……演劇の為に瞑想しているか、それとも居眠りかしら? 生憎だけど、どちらにしても時間切れよ……!」
マリアはイメルダに近付き、振り向かせようと肩に触れる。
次の瞬間、イメルダは椅子から転げ落ち、その場に倒れ込んでしまう。
「「えっ……!?」」
想像だにしていなかった事態に、2人は一瞬たじろいでしまう。しかし、マリアは透かさず身を屈め、倒れた人物の顔を覗く。その顔を見た彼女は、驚きのあまり再び絶句する。
「イメルダじゃ……ない……!?」
「えぇ……!?」
「この人、さっきまでホールにいた劇場の支配人よ……しかも死んでる……!」
「何でそんな人が……!? ていうか、死んでるってどういう事よ……!?」
「私にも分からない――ん?」
イメルダの格好をして死んでいた支配人の傍らに、謎のメモが書かれた紙を見つけたマリア。拾い上げて文字を読む。
――目に映るは虚飾、躊躇せずに瞼を閉じよ
――紛う事無き真実は、常に見えぬ傍らに浮遊す
「……どういう意味かしら?」
「それにしても、ここにいないんだったら、一体何処に……?」
謎めいた状況に混乱する2人。
すると、劇場の方から、観客達の拍手の音が聞こえてきた。
――――――――――――――――――
その頃、舞台上で繰り広げられているのは、雇い入れた女性と一夜の過ちを犯してしまった男が、その情事を目撃してしまった妻に謝罪を請うている、言わば不倫による愛憎に満ちたシーンだ。
まるである女の過去の話のようである。
「許してくれ、アンジュ……これは私の過ちだ」
「マイケル……」
【アンジュ】は雇われの身である【イメルダ】と一夜の過ちを犯した【マイケル】に歩み寄り、彼を窘めるかの如く優しく抱き締める。
「なら、その過ちを雪いでちょうだい……この憎悪に満ちた刃でっ!!」
そう叫びながら、隠し持っていた小刀で【マイケル】の胸を刺し、彼の最期を見届けると、近くで跪く【イメルダ】の許に歩み寄り――
「末代まで呪われなさい……! 穢れ切った忌まわしき痴女よ……!」
憎悪に支配された言葉で貶し、手にしている小刀で自らの腹を裂き、【アンジュ】もまた絶命する。
音も声も消え失せると、【イメルダ】は徐に立ち上がる。
「あぁ、何て哀れな事……でもあなた達がお望みなら、私はどんな重荷も背負って生き続けるわ。無論、あなた達の憎悪も……どんなに重苦しく辛い運命だとしても、甘んじて受け入れましょう……千をも万をも超える憎悪の刃をっ!」
彼女の台詞で一幕が終わり、観客席から拍手と喝采が響き渡る。
――――――――――――――――――
「あの女が……舞台上にいる……!」
「もう演劇が始まってるの……!? まだそんな時間じゃない筈なのに……!」
「……やられたっ! あの女はこうなる事を見越して開演を早めたんだわ……!」
出端を挫かれ、奥歯を噛み締めるマリア。
「急ぎましょう、舞台の方へ……!」
2人は足早に部屋を出て、劇場裏の更に奥へと進んでいく。
どれ程走っただろうか、漸く舞台袖の近くに辿り着いた2人。
「この先にイメルダがいる……彼女が1人になったところで、奇襲を掛けるわよ」
「異議無しっ……!」
「あと少し……あと少しで、あの化け物を葬れる……終わりの時は……近いわ」
――――――――――――――――――
その時劇場内では、新たな一幕が既に佳境を迎えていた。
1人の男性を挟むようにして、【イメルダ】と悶え苦しみながら倒れている少女の姿がそこにはあった。
まるで、あの時の出来事を想起させるような……
「終わりの時は……近いわ。さぁ、自分の意思で選びなさい、ジェームス……!」
「……っ!」
言葉を失い足を竦ませる【ジェームス】。愛する女と娘――大切に思っている両者の命の選別という状況に、彼の心は激しく揺れる。
葛藤の末、彼は愛する女を助ける事を選び、【イメルダ】の許へ歩み寄ってブローチを手渡す。
彼の決断に【イメルダ】は北叟笑むも、己の罪深さに心苦しくも思っていた。
「私は……幾重にも罪を重ね過ぎた。そう遠くない時に、それ相応の大いなる罰が私を待ち受けている。だけど……私はそれをも全て背負っていく。憎悪の刃に斬り刻まれるその時を……私はいつまでも待ち焦がれているわっ!」
彼女の台詞が終わると、舞台の照明が一旦落とされた。
――――――――――――――――――
再び照明が灯ると、舞台上には【イメルダ】が1人佇んでいる。
と、舞台袖から2人の女性が現れる――アデラとマリアだ。
想定外の登場人物達に、観客は誰もが響いている。
しかし2人の姿を目視しても、ただ1人【イメルダ】だけは、至って冷静だった。
「やっと会えたわね、イメルダ……あんたの墓場を、私はずっと探していた……そして見つけたわ、この舞台上という至極の墓場を……あんたにお似合いよ」
マリアの挑発に、【イメルダ】は満足したような不敵な笑みを浮かべる。
「私も……あなたの憎悪に満ち溢れた刃を待ち焦がれていたの。いいわ……その短剣で、憎き私の胸を貫いてみなさい!」
刺してみろと言わんばかりに、両手を広げて含み笑いを漏らす【イメルダ】。
「下らない」とでも言いたそうに、蔑んだ目で睨み付けながら溜息を吐くマリア。
「全く以て陳腐な台詞……あんたの演技に付き合うのは、もううんざりよ……!」
叫びながら短剣を手に取るマリア。アデラも棒を手にして構える。
そんな姿を滑稽だと感じたのか、【イメルダ】は「フフフ……」と嘲う。
「何がおかしいの……!?」
「まだ分からないの? 本当に哀れな女ね、あなたって人は……」
薄ら笑いを浮かべながら、【イメルダ】は挑発を続ける。
「今この場での出来事は、全部台本通りなの。あなたがそうやって短剣を握る姿も、あなたの傍らに協力する者がいる事も……全部紛い物――演劇の一部なのよ。だからあなたは、実に優秀な助演女優ってところかしらね?」
「何訳の分からない事を……! その反吐が出る薄ら笑いも、澱として塗れた記憶も……私に纏わる忌まわしい物を、今この場で消し去ってやるわっ!」
2人は各々の武器を握る力を一層強める。
「真実の結末を、その目で見届けなさい……さぁ、終演の時よ!」
大勢の観客が見守る中、筋書きの無い舞台上での戦闘の幕が切って落とされようとしていた――




