正義に選ばれし者
汝よ――
其の方は間も無く――
【本物】を求める旅に赴く事だろう――
なれど、その旅は――
汝の想像を絶する過酷なものとなろう――
地位や名誉を意のままに欲する者――
怒りに身を任せ恐怖に陥れる者――
世の全てを妬み不幸を誘う者――
他人を見下し己より秀でる事を許さぬ者――
他の蓄えを独占し貪る者――
異性を誘惑し骨の髄まで性を吸い尽くす者――
何事にも無関心で己の価値観のみが全てと疑わぬ者――
彼等は、世を滅ぼしかねない――
【欲望】という名の大罪を犯しながらも――
一部では神々の力を授かりし者と崇められ――
この大陸に君臨している――
人類の欲望とは、底無しの谷の如く深い――
汝が誠に【本物】を求め続けるのなら――
彼等は何れ、全てを弾く巨壁となり――
汝の前に立ち開り、凄まじき脅威となろう――
されど、案ずるでない――
汝の持つ慈愛・忍耐・感謝・謙虚・節制・純潔・勤勉――
その信念を揺るがせずに貫き通せば――
必ず共鳴し、助けとなる者が現れよう――
さぁ、深き欲望に臆せず行くがいい――
【正義に選ばれし者】よ――
――――――――――――――――――
「……はっ!」
酒場のカウンターに、微睡から我に返ったように目を開ける、1人の少女の姿がそこにはあった。
大陸屈指の棒術師・アデラ(19歳)その人である。
「あの声は……一体誰……? というか、夢……? でも、間違いなく私に話し掛けてきてた……」
「ずっと話し掛けてるよ。あたしがねっ……!」
前方から説教するような大人びた女性の声が聞こえ、アデラは短い悲鳴を上げ、肩口まで伸びた銀色の髪を揺らしながら顔を上げると、大きく鮮やかな緑の瞳に、先程の声の主を映す。
「マ……マスター?」
「『マスター?』じゃないでしょ……!? まったく……あんたの好物出してやったのに、ちっとも手ェ付けないし……何度呼び掛けても返事が無いし……どうしたのかと思ったら、まさかの居眠りかい? らしくないねぇ、アデラにしちゃぁ」
カウンターの上には、アデラが「いつもの」と言って出してもらったのであろう、郷土料理であるカズール鶏のオイル煮とジョッキに入ったホットミルクが置かれている。その量は、出された時と殆ど変わっていない。
因みにこの世界では、満17歳になれば酒が飲めるのだが、アデラ自身は下戸であるが故、酒場では決まってホットミルクを飲んでいる。
「あぁ~……最近この界隈で、猿や猪の魔物が異常に出没するようになったし、盗賊の被害なんかも増えてきた感じだし……その討伐や捕手の手助けの依頼が多くて、あまり眠れてないせいかもね……何か物騒な世の中になっちゃったよねぇ……」
「それだけあんたの腕を買っている人が大勢いるって事だよ、特にこのご時世は」
「まぁねぇ……頼りにしてくれるのはすごく有り難いけど、何事も身体が資本だから、倒れないように健康には一層気を配らなきゃ……」
「あんたの場合は、それに加えて、下衆な野郎共に対して隙を与えないようにしないとね。いつも思うけど、あんたの格好はパッと見棒術師というより……寧ろ踊子に近い感じだからね」
「お……踊子って……! 私そんなに男の人を誘って見える……!?」
個人的に失礼な事を言われたと感じたのだろう。反射的に立ち上がり、目くじらを立てて睨み付ける。
幸い店内には他の客があまり入っていなかった為、変に注目を浴びるという事はなかったが、それでもマスターはアデラの怒り様に若干驚きつつも「大きい声出すんじゃない! 座りな!」と表情とジェスチャーで怒り返す。
だがマスターの言う通り、アデラを初めて見た者は、誰しも彼女の事を棒術師とは分からず、踊子だと勘違いしてしまうだろう。
それもそのはず、彼女の腕部・脚部・腹部は肌が剥き出しになってかなり露出が多く、出る箇所は出て、引っ込む箇所は引っ込んでる感じの抜群のスタイルで、同性ですら見蕩れてしまう程である。あどけなさが残る顔付きや足元の煌びやかなグラディエーターサンダルも、踊子らしさに拍車を掛けている感じだ。
踊子らしくない箇所を強いて挙げるとすれば、両手に嵌められた厚手のフィンガーレスグローブが、重厚な武器を扱えそうな雰囲気を醸し出している程度だ。
兎にも角にも、マスターに諭され椅子に座るアデラだったが、やはり指摘された事に納得いっていないのだろう、その表情はブスっとしている。
そんな彼女の様子に、マスターはハァ~と溜息を吐きつつ――
「まぁ……あんただったら、もし手ェ出す奴がいようもんなら、自慢の棒捌きで成敗するだろうから大丈夫だと思うけどね……」
と、若干のフォローを入れる。
「肌を出した女が皆誘ってると思って、下心を丸出しにする方がおかしいのよ」
愚痴を零しながら、アデラは木製の小さいフォークを使って、オイルに浸されたカズール鳥の肉塊を2つ程口の中に放り込み、それを流し込むかのように、少し温くなったホットミルクを一口飲む。
「……ん?」
その時マスターは、とある小さな違和感を覚えた。
「ちょいと、アデラ」
「ん?」
「それは……何だい?」
「何って?」
「その……指輪だよ、指輪」
「指輪?」
見てみると、アデラの右中指には、特徴的なデザインが施された1つの指輪が、知らず知らずの内に嵌められていた。
「店に入って来た時は、そんな物付けてなかった筈だけど……でもさっき一瞬、不思議な青っぽい光を発した気がしたんだよね……何て言うか、こう……吸い込まれそうな……優しい感じの光が……」
「へぇ~……でも、何で私こんな指輪――」
そこまで言い掛けた瞬間、彼女の頭の中に、先程の謎の声が再び響き始めた。
――――――――――――――――――
汝よ――
其の方は――
【正義】の力を宿した指輪に選ばれし者――
それが導く先には――
汝が望む【本物】が待っていよう――
なれど、己を過信するべからず――
1度道を誤れば――
その先に待つのは――
【正義】とは名ばかりの歪められた世のみ――
欲望や虚像に惑わされず――
果たすべき責務を遂行するのだ――
さぁ、汝が求む【本物】を見つけるのだ――
汝こそが【正義に選ばれし者】なのだから――
――――――――――――――――――
「あの声……さっきと同じ……夢じゃなかったんだ……それに……私が正義の指輪に選ばれし者……私が求める本物……」
「どうしたんだい、アデラ? 急に黙り込んじゃって――」
「マスター」
何かを思い立ったのか、発言を遮って顔を上げるアデラ。
「私……今からこの地を離れて、暫く旅に出ようと思う」
「えっ……? えぇっ……!?」
突然出てきた突拍子の無い言葉に、マスターは目を白黒させるばかりだ。
「た、旅って……! き、急に何言い出すんだい……!? あんたがこの地を離れたら、治安の維持はどうすんだい……!? この街の人達は、皆あんたの力を必要としてるんだよ……! それはあんた自身分かってるだろう……!?」
「だからこそよ。だからこそ私は旅に出るの」
「はぁ……? だからこそって……意味分かんないんだけど……!?」
「私への依頼が多いのは重々承知してる。でも、それってある種の驕りと怠けだと思うのよね。最近依頼してくる人達を見てると、心の中に『全部アデラにやらせとけばいい』とか『アデラがやってくれるから自分は別にいいや』とかいう考えが慢性的にあるように感じたの。そうなったら、本来この地の治安を守る筈の警備隊や騎士団の人達はどうなると思う? 自分達の職務を放棄するようになって、見る見るうちに弱体化しかねないでしょ? それに、私だって1人の人間よ? 大怪我をする事もあるだろうし、大病を患う可能性だってある。そんな感じになっても『アデラがいなきゃ事が治まらない』なんて抜かしてたら、この街の信頼度はガタ落ちよ? 本来動くべき人達がちゃんと対処しなきゃ警備隊や騎士団の名折れよ。出来損ないを排除するんじゃなくて、秀でた者を独立させる……そうすれば、出来損ないだって切磋琢磨するようになって、軈てはトップに立てる可能性だって出てくる……そういうものよ、人間って」
そう言われたマスターは、何となく腑に落ちたような気がした。
確かにアデラのお陰で、街の治安はある程度改善している。
だが彼女は1人の棒術師であり、正式な警備隊や騎士団ではない、言わば部外者である。おまけに、彼女自身には入隊する意思が皆無なのだ。そんな彼女に任せっきりにしてしまっては、警備隊や騎士団の士気は忽ち下降線を描き続け、街の治安は元の木阿弥と化してしまい、最悪の事態を招きかねない。
それは否が応でも避けなければならない。ならば、何処かのタイミングでアデラを外の世界へ見送る必要がある。それが今正にこの瞬間だった、という事なのだろう。
「ま、まぁ……その考えも一理あるけど……理由はそれだけかい?」
「それともう1つ……私の実力は【本物】なのかどうか知りたくなったの」
「いやいやいや、誰が見たって本物じゃないか」
「それは飽くまでもこの街での実力でしょ? この大陸には、私でさえ知らない、隠れた実力を持っている人がごまんといるはず。その人達に通じてこそ、初めて【本物】の実力って言える筈よ?」
「なるほど……力試しってやつか」
「それだけじゃない。若しかしたら、この街以外にも私のような人の助けを必要としている所があるかもしれない」
「ほぉ~……5年前に異国からやって来て、棒術師としては未熟者の中の未熟者で人の陰に隠れがちだったあんたが、棒裁きの腕だけじゃなく、物怖じしない精神力まで養ってたなんて……なかなか見上げたもんじゃないか。あたしも鼻が高いよ」
そう言って笑うマスターの目尻には、うっすらと涙が浮かんでいた。
「すぐにでも発つのかい?」
「うん。この棒があれば何があっても大丈夫。それと……この指輪も。何か分かんないんだけどさ、この指輪があると1人じゃないって思えるような気がするの」
「そうか……そうだね。あんたには常に頼れる相棒もいるもんね」
「うん……!」
微笑みながら力強く肯定すると、アデラはオイルの中に残っている肉塊を全て口の中に放り込み、すっかり冷めてしまったミルクを一気に飲み干すと、椅子から立ち上がって、傍らに立て掛けてあった棒を背中に斜めに差し直し、ポケットから小さな金貨を複数枚取り出しカウンターに置く。
「ご馳走様、マスター」
「必ず帰ってくるんだよ。オイル煮用意して待ってるから」
「うん、絶対よ……!」
約束を交わし合い、マスターに見送られながら、アデラは酒場を後にした。
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「私の求める【本物】って……この大陸の何処にあるのかしら? 必ず探し当ててやるわよ……!」
これから自分に降り掛かるであろう数多の脅威や苦難や挫折さえも、全て跳ね返さんと誓い、アデラは共に育った相棒と新たな仲間を連れて、世話になった街――モハディウスから伸びている林道に向けて、力強く駆け出すのだった――