決行の時
「ちょっとショーン!」
そこにいたのは、見覚えのある銀髪の少女――アデラだった。
彼女は若干涙目になっていて、ここまで全力疾走してきたのだろうか、肩で息をしながら頬を赧らめていた。
「属性魔法の師匠として動いてもらうって約束したでしょ!? 非戦闘時での活用法とか注意事項とか、いろいろ事前に教えなさいよ!」
「お……おい……帰ってくるなり、いきなり何なんだ……?」
ショーンに大目玉を食らわせるアデラだったが、よくよく見ると、彼女の身体のあちこちに、煤のような黒い汚れが付着していた。
彼女の言うところによると、研究所と思しき施設の地下深くの牢獄に閉じ込められ、数人の兵に凌辱されかけた為、棒を持っていない状況ではあったが、一か八かの賭けで属性魔法を発動させたのだという。
その結果、偶々手枷が木製で且つ腐り掛けだった為、焼失させて自由になったものの、魔法の力を上手く制御出来ず、火達磨になった訳では無いものの、危うく身に着けている全ての物までをも焼失させてしまいかねなかったらしい。
しかし、感覚で属性魔法の発動を終息させた事で、凌辱される以前の辱めを晒さずに済んだそうだ。その直後に、彼女の属性魔法に怯んだ兵達を、これまた偶然に落ちていた長い棒を使って、形振り構わず全員殴り殺し、開けっ放しになっていた格子扉から脱出し、ここまで全力疾走してきたのだという。
「逃げてる間も、何かの拍子に脱げないかって、ずっと気にしてたんだからね!」
詰まるところ、今の彼女には牢獄に閉じ込められ凌辱されかけた恐怖、ここまで全速力で逃亡してきた事から来る疲労、そして何よりあられも無い姿になってしまいかねないという恥辱――その全ての感情が綯い交ぜになっているが故に、頬を赧らめて涙目になっているのだ。
「え……えっと……僕達全員2階に上がりましょうか……?」
「あっ……え、えぇ、そうして。終わったら呼ぶから」
アーサーは気を使って、ショーンとジュノを連れて2階へと上がっていく。
1階で一人きりになったアデラは、身に着けている物を全て外し、焼け焦げていたり綻んでいたりしていないか隈無くチェックする。
それから僅か数分後――
「もう下りてきて大丈夫よ」
彼女の声が聞こえ、3人は階段を下りる。
そこにはいつも通りの格好をしたアデラの姿があり、彼女は身体中に付着している煤を拭き取っている最中だった。どうやら修繕しなければいけない箇所は何処にも無かったようだ。
先程の青筋を立てたような顔とは打って変わり、安堵から来る微笑みを浮かべているのを見て、3人もまた自然と頬を緩ませた。
――――――――――――――――――
――異民族に対抗出来る唯一にして絶対の希望……
――それこそが常磐之理であり、この完成された【磐薬】だ……
――立ち開る者は、誰であろうと消し去るのみ……
大部屋で佇み、手に持っている緑色の液体が入った小瓶を見詰めながら、心の中で己の自尊心と信念を呟くカーティス。
彼の傍らには、常磐兵によって捕縛されている、初老の男女の姿が……
その時、焦燥感を露わにしたリチャードが、走りながら入室してきた。
彼を見るなり、男女は藁にも縋ろうといった感じの反応を示す。
「おぉ……リチャード……」
「リチャード……」
「父さん……!? 母さん……!?」
捕縛されている男女は、投獄されていた筈のリチャードの両親だった。その変わり果てた姿を見るや否や、彼はカーティスに問い詰める。
「カーティス様……これは一体……!? 何故私の両親がここに……!? 何故このような仕打ちを……!? 約束が違いますっ!」
「リチャードよ……」
そう言って睨み付けるカーティスは、これまで以上に怒りを覚えているようであり、リチャードは急激な背筋の寒気に襲われる。
「貴様が餌として最も有効的と見た外来種の女を捕らえたと聞いたが……そいつの死骸は確認したのか?」
「武器を携行せず、手を拘束され、とても対抗出来る程の力など備えていないようだったので、生きている可能性は限りなくゼロであろうと……」
「なるほど……つまり貴様は、確証も無く私に報告したという訳だな?」
「そ……それは……」
口籠るリチャードを尻目に、カーティスは彼に背を向け、腕組みをして天を仰ぐ。
「今し方、別の常磐兵から報告があってな……女が捕らえられていた牢獄へ様子を見に行ったところ、女の姿は無く、貴様が引き連れていた兵は、全員鈍器のような物で殴り殺されていたそうだ……」
「なっ……!?」
「リチャード……貴様には失望したよ。最早貴様も、産廃に等しい存在に成り下がったという訳だ……非常に残念でならない」
「カ……カーティス様……!?」
貴様にはここで死んでもらう――そこにいる誰もがその言葉が出てくると思ったのだが、カーティスは突然首を垂れると、溜息交じりに「しかし……」と呟く。
「貴様がこれまで私に尽くしてくれた事実も無視は出来ない……故にリチャード、もう1度だけ機会が欲しいか?」
「も、勿論ですっ! 金輪際カーティス様を失望させはしませんっ!」
「フフフ……よくぞ言ってくれた」
リチャードの回答に満足したような口振りだが、振り向いた時の表情は全く笑っていなかった。
「ならば、早急に代役を立てねばならんなぁ……」
「……へ?」
カーティスはリチャードの両親を徐に指差し――
「……殺せ。こいつの目の前で、な」
無慈悲な宣告を下す。
「や、止めろっ!! 止めろぉ!! ウワアアアアアアァァァァァァ!!」
両親を殺させまいと、絶叫しながら駆け寄ろうとするリチャード。
だが常磐兵に取り押さえられ、主張も聞き入れられず、遂に両親の傍らに立っていた常磐兵が持つ刃によって、2人は身体を貫かれた。
――――――――――――――――――
「痛っ!」
椅子に座って休息していた時に、ジュノから背中に軽い火傷の跡がある事を指摘されたアデラは、彼から応急処置を施してもらっている。
「ビリッと来るだろうけど、塗った瞬間だけだから我慢してくれ」
彼が塗っているのはカズール鶏の脂だ。
火傷に非常に効果のある塗布薬で、治りが早くて跡が残らないばかりでなく、水膨れ等の心配も全く無い代物なのだという。
「よしっ……これで大丈夫だ。お前の綺麗な背中も維持出来るだろう」
「有難う、ジュノ」
「うん」と首を縦に振った彼は、壁に立て掛けてあった、彼女の武器である棒を持って差し出す。
それを受け取って相槌を打ち、大事そうに何度か撫でるように手を動かした後、背中に斜めに挿す。
「アデラ……」
すると今度は、罰の悪そうな顔をしたショーンが歩み寄ってくる。そして立ち止まるや否や、勢いよく頭を下げる。
「済まなかった……!」
「えっ……? な、何が……?」
「お前がしっかり属性魔法を使い熟せるようにするのが、お前の旅への同行条件だったというのに……俺は完全に失念していた……! 言い訳がましいだろうが、この街の【本物】が失われるかもしれないという問題を解決したいが為に、俺は自分の独断で先送りにしてしまっていた……! お前がそんな目に遭ったそもそもの原因は、間違いなく俺の怠慢だ……! こんな箸にも棒にも掛からない俺だが……頼む、この通りだ……! 許してくれ……!」
力強く目を瞑り、深々と頭を下げて許しを請うショーン。
そんな彼の許に、アデラはそっと近付くと、彼の両肩に優しく手を置いて、そのまま顔を上げさせる。
「私からも謝らせて。パニックに陥ってたとはいえ、ちょっと言い過ぎたわ。本当なら、私の方からちゃんとお願いしなきゃいけなかったのに……私こそ怠慢だったわ……御免なさい」
今度はアデラが深々と頭を下げる。
「それに、全てを完璧に熟せる人間なんていないもの。実際私は棒を置き去りにして、あなた達の許可無くその場を離れてしまった……だからあんな怖い目に遭ったのも、必然だったのかもしれないわね……身から出た錆って奴かしら? さっ、これで御相子、この話は終わりよ。今は【本物】を失わせない事が最優先だからね」
この件は水に流そうと言わんばかりに微笑むアデラ。そんな彼女を見て、ショーンも「そうだな」と言いたそうに相槌を打つ。
と、その時――
ゴォーン! ゴォーン!
遠くの方から、鐘の鳴る音がけたたましく聞こえた。
「何だ、突然?」
「これは何の合図だ?」
「いい事……では無さそうね」
3人が怪訝そうな顔をしながら聞いていると――
「拙いっ!」
アーサーが声を上げるや否や、突然立ち上がって家を飛び出す。
「あっ、ちょっと!」
彼の突飛な行動に、アデラ達も透かさず後を追う。
外に出ると、アーサーはある方向を見て立ち尽くしていた。
アデラ達が駆け寄り、彼の目が向いている所へ顔を向ける。
その先には、街の中心部へと向かう主要の道が伸びているのだが――
「やっぱり……遅かったか……!」
多くの常磐兵とバリケードによって、道が封鎖されてしまっているのだ。
「何で……何で道が塞がれてるの?」
「さっきの鐘の音は、カーティスが中心部で演説を行う合図です。そして、それはつまり――」
「磐薬をばら撒く時でもある……だな?」
「はい……ですが、あの数の兵とかなりの高さのバリケード――あれを強行突破するのは、ほぼ不可能と言っていいでしょう。しかし、このまま指を銜えていては、ゲオンバートは彼の手に完全に落ちてしまいます……!」
「正に八方塞がり……何か打つ手は無ぇのか……!?」
アーサーは、策を絞り出そうと一瞬逡巡すると――
「皆さん、少しここで待っていてください。中心部へ行く為の他のルートを探してきますので。必ず戻ってきます」
そう言って街中の道無き道を、草木を掻き分けながら駆け抜けていった。
3人が無言で彼を見送っていると――
「ウワアアアアァァァァ!!」
突然背後から、男の叫び声が木霊する。
振り返ると、1人の男が小刀を振り翳しながら、アデラ目掛けて突進してきた。
透かさず彼女は棒を引き抜き、男が振り下ろしてきた小刀を受け止める。
「はぁ……! はぁ……!」
男は興奮しているのか、目が血走り過呼吸になっている。
ところが、アデラはその男に見覚えがあった。
「あんた……あの時私を攫った……!」
奇襲を掛けてきたのはリチャードだった。何故彼が突然姿を現したのか定かではないが、彼女は腕尽くで小刀諸共彼を押し返す。
「人攫いの次は人殺し!? あんた、何処まで野蛮なのよ!?」
「貴様が……生きているから……!」
「……は?」
「貴様のせいでっ……! ウワアアアアァァァァ!!」
再びアデラに向かっていくリチャード。だが戦い慣れしていないのであろう、彼の動きは全く以て隙だらけであり、彼女はいとも簡単に躱していくと、棒を駆使して、一瞬の内に小刀を打ち払う。
払われた小刀は近くの川に落ちてしまい、リチャードは丸腰となる。
それでもなお敵意剥き出しの目を彼女に向け、突如捲し立て始める。
「貴様は逃亡してのうのうと生きているのに、俺の両親は捕縛されて命乞いすら許されなかった! こんな……こんな理不尽が罷り通っていいのか!?」
「罷り通したのが、お前の主君・カーティスなんだろ? 暴君に付和雷同したが故の向天吐唾だ。そんなお前が、アデラに赤口毒舌を浴びせる資格なんて無ぇ!」
蔑むような眼で睨み付けながら、ジュノは背中の槍を素早く抜き、言い掛かりを捲し立てたリチャードに、鋭い一突きを食らわせる。
リチャードは寸のところで躱したのだが、大きく仰け反ったが為に、勢い余って後方に転倒し尻餅を搗く。
痛みに耐えながらすぐに立ち上がろうとしたが、その瞬間に、首筋にひんやりとした感触の物が当てられる。
ショーンが持つ短剣だ。
「恨むんだったら、碌に両親を助けられる程の力も付けずに、金魚の糞に徹し続けていた自分自身を恨むんだな」
目線を合わせるように跪き、半目で呆れたように言いながら、ショーンはその刃をゆっくりと動かす。僅かに傷付けられた箇所から、徐に血が流れ出る。
ショーンが徐に立ち上がった後、リチャードは血が出ている部分を手で押さえながら、自分を見下すような眼で見ている3人を、歯を食い縛って睨み付け――
「……クソッ!」
捨て台詞を吐いて、転がるようにその場から退散していった。
それから間も無く――
「皆さーん!」
道無き道からアーサーが走って戻ってきた。
「中心街への道が見つかりました! 僕に付いてきて下さい!」
「よしっ、行くか! カーティスを止めにな!」
「牛耳る暴君なんかに、【本物】は絶対に消させないわ!」
「一縷の望みがあるなら、徹底的に抗わせてもらうぜ!」
3人はアーサーの道案内の下、足早に中心街へと向かって行った。
――――――――――――――――――
その頃中心街では、今正にカーティスの演説が始まろうとしていた。
彼の周りを常磐兵達が陣取り、その傍らには巨大な大砲が2台設置されている。
家の中にいた者達は皆、常磐兵達によって強制的に外へ引っ張り出され、彼の演説を嫌々聞かされている。
「ゲオンバートの住民よ……本日は折り入って伝えるべき事があり、このような場を設けさせてもらった」
「何が伝えるべき事だよ……」
「どうせ碌な事じゃない、適当に聞き流しとくか……」
悪政に苦しめられている住民達の口から、次々と不平不満が漏れている事を知ってか知らずか、カーティスは自慢げな表情と共に演説を続ける。
「この地、ゲオンバートから異国の襲撃を退けてはや十数年……我々常磐之理は使命を全うし続けてきた! 常磐の如く、この地の平和を永久的に不変且つ磐石なものとせんという壮大な使命を!」
己の自尊心を誇らしげに語るカーティス。
だが突然、その表情が怒りへ変わったかと思うと、彼は「しかし!」と続ける。
「異民族は今なお、この地を奪取せんと爪を研いでいる。奴等に奇襲を掛けられた時、血を流すのは辺境の民ばかり! 異民族の脅威に曝されるのは、いつの時代も我が兵士達のみだ! それが故、力無き民は常に神頼みする他無いのが現状だ。時代が変わっても、なお脅威に曝され続ける民を救う為にはどうすれば良いか、我々は長年研究を続けてきた……そして遂に――」
彼は懐から緑色の液体が入った小瓶を取り出し、高々と天に掲げる。
「その唯一にして絶対の手段……【磐薬】が完成した!」
「ばん……やく……?」
「ど、どういう事なんだ……?」
住民達は理解が追い付いていないようで、皆かなり困惑している。
「この薬を吸入すれば、誰もが鋼の肉体を得られる! 最早神頼みなどと言う運に頼る必要は無い! 一瞬にして、圧倒的な力と刃を手に入れられるのだ! さぁ、この閉塞された世を……今こそ己の力で引き裂こうではないか!」
そう叫んで群衆を煽ると、カーティスは薄紅色の液体が入った小瓶を取り出し――
「常磐兵達よ……【機漿】を飲み干せ!」
蓋を開けるや否や、液体を一気に体内へ流し込む。続けて、彼の周囲にいる常磐兵達も同様に、液体を口腔内へ流し飲み込む。
「さぁ、今こそ決行の時……磐石の平和への前祝いだ!」
カーティスはそう叫んで哄笑すると、合図として勢いよく右手を挙げる。
その瞬間、大砲から緑色の液体の塊――磐薬が、上空へ続け様に打ち上げられた。
それを見届けると、カーティスは兵達と共にその場を引き上げていく。
上空に打ち上げられた大量の磐薬――それは軈て緑色の雨となって、ゲオンバートの中心街に降り注いだ。
そして、それは間も無く表面化する事となる。
「うっ……ぐぅ……」
1人の男が急に苦しみ出し――
「お父さん? どうしたの?」
「グゥゥゥゥゥガアアアアアァァァァァ!!」
断末魔のような叫び声を上げると同時に、彼の皮膚は一瞬にして土気色へと変化し、目からは魔物の如く赤黒い光が放たれている。
「うわああああああぁぁぁぁぁぁ!!」
「きゃああああああぁぁぁぁぁぁ!!」
人ならざる者――凶人へと変貌する様子を目の当たりにしてしまった事で、周囲の者達は忽ちパニックに陥る。
蜘蛛の子を散らしたように一斉に逃げ惑うが、その最中に磐薬を大量に吸入してしまった者も一定数おり、彼等もまた例に漏れず凶人と化していった。
「だ、誰か……助けて! 常磐兵でも何でも構わない! 助けてくれ、頼むっ! 皆が急におかしくなってるんだ! 早くここから出してくれっ!」
バリケードの許に立っている常磐兵達に駆け寄り、解放を求める者もいる。
だが……
「グゥゥゥオオオオオァァァァァ!!」
薄紅色の液体――機漿を飲んでいない兵だった為、彼等もまた凶人に……
「ヒィッ! 誰か……誰かあああぁぁぁ!!」
ゲオンバートは、文字通り阿鼻叫喚の地獄絵図と化した――




