背後に迫る危機
3人は階段を下り、地下の通路へとやって来た。
ここは先程までとは空気の張り詰め方が桁違いであり、殆ど人の手も加わっておらず、常に寒気を催す程の不気味さである。
「あっ……!」
周囲を注意深く見回しながら歩いていて、1つの小部屋に何者かの姿がいるのを見つけ、アデラが小さく声を上げる。
ふと近付いてみると、1人の男が苦しそうな唸り声を出しながら蹲っている。
仕える者の正装に土気色の肌――カーティスによって人ならざる者に変貌させられた使用人・ラルフで間違いない。
「見つけたぞ、木偶の坊……!」
ジュノの明白な罵倒の言葉を耳にしたラルフ。徐に顔を上げ、赤黒く変色した目を3人に向けると――
「最コウのオショく事ヲぉォ……! しツの良イおにクヲぉォ……! オトどけセネばぁァ……! シン鮮なあアァァ! オニくヲおおオォォお! かーティスサまにイイいぃぃィ!」
最早理性など完全に失っている様子であり、譫言のような言葉を口にし、人とは思えぬ鋭い爪を光らせながら無造作に襲い掛かる。
透かさず3人は武器を構え、彼の攻撃を次々と受け流す。
しかし、ラルフもまた上質な肉を求めて、しぶとく攻撃を仕掛けてくる。
「クソッ……! これじゃ切りが無いぞ……!」
「さっきとは雲泥の差ね……隙が見当たらないわ……!」
「待て……! 2人とも、そいつから離れろ……!」
苦戦を強いられているショーンとアデラに、ジュノがラルフとの距離を置くよう指示すると――
「テメェはこれでも嗅いで逆上せてろっ……!」
アデラに付けられた香袋を、ラルフの顔面目掛けて力強く投げ付ける。
「……っ!?」
袋はラルフの額に直撃すると、その場にボトッと落下する。そして当てられた本人は、足元の物に対して牙を剥き、爪を立てようとする。
「雷よ、貫け!」
それはつまり、3人から完全に目を背けてしまっている訳で、ジュノが放った矢にも全く気付かない。
「ガ……ガガガガガ……!」
胸に刺さった矢から強烈な電流が発生した事で、ラルフはその場で藻掻き苦しむ。
「2人とも、今だっ……!」
「闇よ、引き裂け!」
「火よ、彼の者を燃やせ!」
ジュノの合図で、2人は同時に属性魔法を放つ。
「グ……グゴゴガギ……!」
強烈な属性魔法を受けて、ラルフは苦悶の声を漏らした直後、その肉体を爆発させて消失する。
静寂に包まれたのを確認して、3人は武器を収納する。
「今の消え方……さっきと全く同じ……」
「奴はもう、どう施しても助からなかっただろうな……鬼が弱り目に乗った事でこんな末路を迎えるなんて、あまりにも哀れで惨たらし過ぎる……」
「俺達は、あいつの魂が少しでも救われる事を祈るだけだ……」
ショーンは霧散していったラルフに黙祷を捧げる。
「さて……依頼は遂行した。家に戻るか」
「そうね……こんな薄気味悪い所とは、逸早くさよならしたいわ」
「ただ、アーサー以外の人間には見つからないようにな」
3人は再び周囲を警戒しながら、足早にその場から立ち去った。
――――――――――――――――――
その頃、アーサーとリチャードは実験室と思しき小部屋で、磐薬の開発の最終段階に入っていた。
何匹もの小さな虫や動物を実験体として、より確実な効力の発揮を試みているようだが、どれも短時間で絶命してしまうようで、なかなか成果を上げられない事に、リチャードはかなり苛立っているようだ。
「クソッ……! 何故上手くいかない……!?」
「リチャード、日を改めて頭を冷やした方がいい。ストレスを溜めたままでは、余計にミスを繰り返すのがオチだ」
「馬鹿野郎……! カーティス様に『完成は間近だ』と言ってしまった手前、これ以上遅らせれるか……!? それに……例の日までに完成させなければ、両親を助けられないんだ……! 肉親と離れ離れになっているお前には関係無いかもしれないが、俺にとっては重大な事案なんだぞ……!」
「……」
リチャードの剣幕に圧倒されたアーサーは、口を噤んでしまう。
「済まない、リチャード……どうやら、頭を冷やさなければいけないのは僕の方のようだ……先に失礼させてもらうよ……」
アーサーはそう言って自分の身の回りを片付けると、そそくさと帰ってしまう。
そんな彼を懐疑的な目で追うリチャード。
「普段から腰が低い奴だが、今日はいつにも増して頭が上がってなかった……何なんだ、この違和感は……? あいつ、何か企んでるのか……?」
アーサーに限って、そんな事ある筈が無い――そう思い、疑念を払拭するように頭を横に振る。だが、彼の中ではもう1つの疑念が燻っていた。
「あの3人……明らかにゲオンバートの人間じゃない……特に女の方は、肌の色からして、クォージウスの人間ですらない……なのに、何故奴等は住民すら知らないこの場所へ……? まさか……カーティス様を嗅ぎ回ってるのか……!?」
アデラ達を、カーティスの【正義】を打ち負かさんとする野蛮な集団と自己解釈すると、彼の中で先程とは異なる怒りの感情が沸き上がる。
「下等な異邦人がカーティス様に盾突こうとは、蟷螂之斧もいいところだ……! すぐにでも目に物言わせてやる……!」
リチャードは実験も程々に、カーティスの許へと駆け出して行った。
――――――――――――――――――
「あっ……」
アーサーが自家に帰ってきたのは、3人が戻ってから1時間程経ってからだった。
3人は食事をしていたテーブル前の椅子に座って、彼の帰宅を待っていた。
夜半を過ぎていて、アデラはこっくりと船を漕いでいたが、彼が帰宅してきた事をショーンが伝えると、我に返ったように目を覚ます。
「もう済んだのですね……」
「あぁ……御蔭で待ち惚けだ、こっちは」
「すみません、すっかり遅くなってしまって……」
「否……思ったよりも早く片が付いただけだ。気にする事は無い。それより、次はお前が口約を果たす番だろ?」
「そうですね……では約束通り、皆さんに全てをお話ししましょう」
空いている椅子にそっと座るアーサー。
「皆さんは【シャーマイニー王国】をご存じですか?」
「シャーマイニー王国?」
聞き覚えの無い国名に、アデラは首を傾げるが――
「十数年程前にゲオンバートに侵攻したものの、傭兵団によって返り討ちに遭い、逆に攻め入られた上に、一夜にして滅亡した国だろ?」
「あぁ、あの時言っていた……」
ジュノの言葉によって、目から鱗が落ちたようだ。
「滅亡したのはその通りです。でも実際には、ゲオンバートの傭兵団が一方的に侵攻した事で滅亡した訳で、シャーマイニーが侵攻した事実は一切無いんです」
「えぇっ? じゃあ、何で向こうが侵攻してきたなんてガセが?」
「カーティスが事実を歪曲させた、といったところか……」
「そうです。カーティスは自分が伸し上がる為――自分の権威と栄誉の為なら、重大な事実も平気で握り潰す力を持っています。そして彼は、当時の傭兵団の長でもありました」
「傭兵団の長だった人が、どうしてこの街の領主を務められるの?」
「アデラ……今の言葉で察せなかったのか?」
呆れ半分にショーンが口を挟む。
「事実を容易に握り潰せるなら、その逆――事実無根の醜聞を流布して失脚させるのも造作無いって事だ」
「その通りです。前領主が正にその被害者だと、巷ではよく言われています。彼によって捏ち上げられた不正によってその座を追われたと、何度も街で耳にした事があるので……」
「弁の立つ元悪徳軍師による独裁……希望を見出せないのも頷けるわね……」
「でも、何でお前はそんな奴に仕えてるんだ? まぁ、仕えてるって簡単に言っても、蹇蹇匪躬って感じにはとても見えなかったけどな……」
ジュノの指摘に、アーサーは深く溜息を吐いた後「実は……」と続ける。
「僕達家族は、シャーマイニーでは有名な薬師一家で、王宮の専属薬師を務めた事もあり、大変重宝されていました。でも……かの戦乱の中で皆離れ離れになってしまい、僕はシャーマイニーの生き残りとして、カーティスによって投獄されました……否、捕虜にされました、と言った方が正しいかもしれません」
「なるほど……お前に一定の利用価値を見出したが故、敵対する者だと一思いに殺すのは惜しいと踏んだんだな」
「そうなんです。カーティスは、僕の薬師としての技術力に目を付け、ある薬を製造するよう迫ってきました。人間としての【生】――感情や理性を放棄する代わりに、強靭な肉体を得られる薬を……」
「それが磐薬っていう訳か……」
アーサーは無言で小さく頷く。
「それをあなたは、捕虜という立場上、二つ返事で受けてしまったと……」
「と、とんでもありません……! 無論最初は断りました……! するとカーティスは、『開けろ』と言わんばかりに、2つの木箱を僕の前に差し出してきました。中に入っていたのは……」
「まさかっ……!」
「行方知らずになっていた、両親の首だったのです……」
「……!?」
「おいおい、見せしめに肉親の首狩りとか……何処の部族の話だよ?」
「そしてカーティスは、同時にこう言いました……『これでも足りぬのなら、妹君の首も近々お披露目する事になるだろう』と……」
「完全に恐喝だな……」
「正直、僕自身の命はどうなろうと構わない……でも、両親のみならず妹のユニティまで失って、一族の薬師としての、後世に残すべき技術を根絶やしにされる事だけは、絶対に避けなければならない……だから僕は彼に降り、要求を全て呑む他無かったんです……」
祖国を失くした1人の薬師の男の、捕虜となってから今日までの人生が、壮絶極まりないものであった事は、最早想像に難くない。
「もう少し詳しく聞かせてちょうだい。カーティスの目的とか……」
やや前のめりになりながら、アデラは更に問い質す。
「カーティスは今、恐るべき事を企んでいます。磐薬を捕虜になっている者達に与えて、歯向かえる者の存在しない強靭な軍隊を作るつもりなんです。でも、それだけじゃありません……彼は多くの兵士を引き連れて、近々街の中心部で演説を行う予定で、そこで完成した磐薬をばら撒き、ゲオンバートを完全掌握しようとしています。それは絶対に阻止しなければならないと、僕は彼の目を誤魔化して、今日まで完成を遅らせてきましたが……どうやら、それも限界のようです……」
「たった1人で抗ったところで、状況が劇的に変わるなんて、常識的には有り得ないからな……正に衆寡敵せず、焼け石に水だな」
逼迫しつつある現状に、重苦しい空気が4人に圧し掛かる。
暫く沈黙が流れる中、アーサーが徐に口を開く。
「皆さんにお願いがあります……」
「またか? 今度は何だ?」
「……これから酒場へ行っていただけませんか?」
「酒場? 何でまたそんな所に?」
「あそこは今、常磐之理を良く思わない人達にとって、ストレスの捌け口みたいな場所になっているんです。そこへ行けば、若しかしたら、皆さんがこれからどう動くべきか分かるかもしれません」
「なるほど……毒を制する為の毒を手に入れろって事か」
「お前は一緒に行かないのか?」
「僕はシャーマイニー王国の生き残りとして、カーティスのみならず彼が率いる常磐兵にも目を付けられています。街中を警備している兵達に、不穏な動きを見せたとして密告されてみてください。間違いなく僕はすぐに処罰され、彼を止める手立てが完全に失われかねません」
「確かに、お前はカーティスに近付ける唯一の情報源だ……今失えば、俺達がかなりの痛手を負うのは目に見えている……」
「そうね。私達が異国からの旅人だと見られてる分、彼や街の住民よりも動きやすいのは間違い無い訳だし……」
「枝先に行かねば熟柿は食えぬか……よしっ、これも街の未来の為だ。もう一肌脱ぐとするか、なっ?」
ジュノはそう言いながら立ち上がり、ショーンとアデラに同意を求める。2人はやおら立ち上がり、当然と言わんばかりに首を縦に振る。
「皆さん……重ね重ねのお願いにも関わらず……本当に有難う御座います……!」
「その先に【本物】があるなら、私達は冒険あるのみよ……!」
「俺達はそういうスタンスだからな……じゃあ、行って来るぜ……!」
「何か分かったら速やかに戻る……!」
「はいっ……! 宜しくお願いします……!」
3人はアーサーに見送られ、酒場へと向かって行った。
――――――――――――――――――
「そうか……異国の邪魔者がこの地に……」
その頃、カーティスはリチャードから、アデラ達の存在の報告を受けていた。
「はい、彼等は何れカーティス様の脅威になるやもしれません」
「厄介な外来種は、成長する前に駆除するのが最善だ……」
カーティスはほくそ笑むと、リチャードに近付き肩に手を置く。
「駆除はお前に任せる。こちらに最も好都合となる者を、な」
「お任せください! カーティス様の為なら!」
するとカーティスは、一瞬視線を逸らして「しかし」と呟くや否や、再びリチャードへ視線を戻す。
「お前も確か異国の出身だったな……まさかその者と同様の思考を持っているとか……そんな情に流されるような馬鹿げた事を考えてはいないだろうな?」
「な……何を仰るのですか? そ、そんな事……あろう筈がありません!」
恐怖を覚え、全身を強張らせ、言葉に詰まりながら答える。
「磐薬が完成した暁には、投獄されているお前の両親……彼等を釈放し、お前の許へ帰してやっても良い」
「ほ、本当ですか!?」
「フフフ……約束は確と果たす。その為に……抜かり無くやれ、孝行息子よ……」
――――――――――――――――――
アデラ達は酒場に着くと、周囲の客の愚痴や噂を余す事無く聞き取れるようにと、若干距離を取ってカウンターの前に立つ。無論、盗み聞きしていると怪しまれないように、ショーンはエールを、ジュノはラガーを、アデラはホットミルクを片手に立ち飲みしながら、である。
だが、愚痴らしい愚痴は聞こえてくるものの、常磐之理に関する内容は、ほぼと行っていい程聞こえてこない。
やはり、万が一常磐之理の者に聞かれたら冗談では済まなくなる事を――密告されて厳しい処罰を受ける事を警戒しているのだろう。
裏を返せば、それだけゲオンバートの住民は、カーティスの権力が如何に偉大かを理解しており、それに恐れ慄いているという事なのだろう。
「……ん?」
そんな中、アデラは殺気を感じたのか、ふと窓の方へ視線を向ける。
するとそこには、1人の男が窓の外から彼女達を鬼の形相で見詰めているのがはっきりと映っていた。
「……!」
彼女がその存在に気付くと、男はそれを察知するや否や、顔を伏せてそそくさとその場を立ち去っていく。
不審に感じた彼女は、その後を追おうと、代金をカウンターに置くなり、酒場からすぐに出て行く。
カウンターの傍らに、己の武器である棒を置き去りにして――
外に出るなり、男が歩いて行ったであろう方向に目を向けるが、道にそれらしき人物は確認出来ない。
ならば、近くに身を隠したのかもしれないと、彼女は建物の裏へと回る。
と、その時――
「……っ!?」
突然頭部に強い衝撃が走り、彼女はそのまま気を失い倒れてしまう。
その許に複数の人影が歩み寄る。
「連れて行け」
男の声がするや否や、武装した数人の男達がアデラを担いで足早に立ち去る。
だが、彼女が落としていった香袋が、その場に残されてしまっているのには誰一人として気付かなかった――




