グリードマモン・エドガー
「指輪の力が……暴走した……!?」
人間の姿の時の何倍にも巨大化しただけでなく、最早人間としての原型を留めていないエドガーの悍ましい容姿に、アデラとショーンはただ愕然とした表情で見上げる事しか出来ずにいた。
狸の隈取り風の不気味な模様が付いた顔面に、狐に似た牙と足を持ち、針鼠のような無数の棘に覆われた背中から、烏そっくりの黒い羽が生え、蜘蛛のように8本の腕が胴体から伸びている。
その姿は合成獣というよりも、悪魔の一種と捉えた方が正しいかもしれない。
「フフフ……フフフフフ……」
不気味な笑い声も、複数の声が重なっているようで、それが今のエドガーの悍ましさを更に醸し出している。
「【強欲】の前に怖気付いたか……だが、これは君達自身が招いた結果だ……今更謝っても時既に遅し……私に反旗を翻した事を……私の逆鱗に触れた事を……肉塊となって、あの世で反省するがいい……! 富も名声も……この世の全ては私の物だ……誰一人として……私から侯爵の肩書など奪えはしない……!」
恐怖心を掻き立てるような、地響きにも等しい重くて低い声に、アデラは絶句するあまり足を竦めてしまっている。
しかしショーンは、恐怖を押し殺して「反省するのはどっちだ?」と言わんばかりに、悪魔と化したエドガーを睨み付けると、それに短剣の先端を向ける。
「そんなに欲しているんだったら、その地位と共にくたばればいい。だが、俺達の大事な物――アデラが見たいと願っている【本物】は返してもらうぞ……!」
そう叫んで短剣を構え、戦闘態勢に入るショーン。そんな彼を一瞥したアデラもまた、こんな事でエドガーの討伐を諦めてしまうのは、棒術師としての――【本物】を求めて旅をする者としての性が許さないと、恐怖を払い除けるように首を大きく横に振り、改めて棒を構える。
「フンッ……威勢の良さだけは褒めてやろう……だが、今この場で嫌でも思い知る……己の愚かさと無力さを……どちらが指輪の持ち主として相応しいかを……」
エドガーはそう言って8本の腕を縦横無尽に振るい、2人の動きを封じようとする。
2人は俊敏且つ柔軟な身の熟しでそれを躱し続けるが、すぐにまた別の腕が迫ってきて、エドガーの隙を見出せず、思うように攻撃出来ない。
「このぉ……!」
このままでは埒が明かないと感じたショーンは、短剣を持っていない方の手を前に突き出し――
「闇よ、引き裂け!」
エドガーの顔面に向けて紫色のオーラを放出する。一瞬でも視界を遮って、反撃の緒を見出そうとしたのだろう。
だがエドガーは、既に予見していたのだろうか――
「甘いわっ……!」
攻撃の手を止め、前のめりになって背中の棘をこちらに向けたかと思うと、何という事か、その棘がオーラを突き刺して、闇属性魔法そのものを無効化してしまったではないか。
「なっ……!?」
「フフフフフ……光属性魔法を全身に纏った私に、そんなチンケな闇属性攻撃など通用するに値しない……」
「属性攻撃が利かないなら、物理的に攻撃するまでよっ!」
今度はアデラが一気にエドガーとの距離を詰めると、棒を強く握り締めて、薙ぎ払いするかのように、横一文字に棒を振り回す。
だが、彼の棘は鎧のように堅いものだったようで、彼女の渾身の攻撃ですら折れるどころか皹の一つも付いていなかった。
「えぇっ……!?」
「大陸に名を馳せる異国の棒術師と謳われた君の実力が、まさかその程度のものだったとは……心底失望させてくれる……」
蔑むように吐き捨てると、エドガーは黒い羽で強風を生み出し、アデラを一瞬で吹き飛ばしてしまう。
彼女の身体は壁に力強く叩き付けられ、その場に崩れ落ちる。
「アデラっ!」
「余所見をしている場合か……?」
「があぁっ! しまっ……!」
飛ばされたアデラに気を向けた一瞬の隙を突かれ、ショーンはエドガーの8本の腕に絡め捕られてしまった。
「ショーン!」
それに気付き、アデラはすぐさま立ち上がって棒を構える。
「フフフフフ……だから言っただろう……? これは君達が招いた結果だと……アデラ……君が素直に私の下に付くと答えていれば、【仲間】をこんな目に遭わせなくて済んだんだ……つまり、君は全ての判断を見誤ったんだよ……」
「見誤ってなんていないわ……! いいえ……あんたは私がどう答えようと、最初からショーンを葬るつもりでいた筈よ……!」
「フンッ……やはり君は聡明だ……」
腕に絡め捕られているショーンを見ながら「その通り……」とエドガーは続ける。
「彼は私にとって目の上の瘤だ……それを今、私の手で排除出来る……これで本当に私の邪魔をする者はいなくなる……私の侯爵としての地位は絶対なのだ……!」
「あんたの目は節穴なの? まだここにいるわよ……あんたの思惑通りにさせんとする者がね……!」
「君1人だけで何が出来るというのだ……? 自慢の棒裁きなど、私には通用しないと証明されたばかりに……」
「……」
「そうだ……これから君には……【仲間】である彼が肉塊となっていく解体ショーを見ていってもらう事にしよう……」
「なっ……!? 何を言って……!」
「おっと……! 動くんじゃないよ……動こうものなら、彼が肉塊になるスピードが上がっていくだけだからね……こんな風に――」
エドガーは絡め捕ったショーンを握り潰す力を徐々に強めていく。
「ぐあああぁぁぁ!!」
「ショーン!!」
苦しむショーンを助けようとアデラが足を一歩踏み出すと、エドガーは更に握り潰さんと手に力を込める。ショーンを肉塊にして葬ろうとしているのは、口先だけの脅しでは無いようだ。
「ア……デラ……」
最早呼吸すら儘ならなくなりながらも、持てる気力を振り絞り、半目を開けて声を出すショーン。
「俺の事など……構うな……お前が……その手で……【本物】を取り戻せ……」
「……出来る訳無いでしょ、そんな事っ!」
「アデ……ラ……?」
「確かに私は【本物】を求めて、このシモアンティに赴いた……でも【本物】のシモアンティを取り戻すと最初に言ったのは、他でもないショーンの筈よ……! 当の本人が命を散らしたら、いくら取り戻せても、その【本物】を見届けられないじゃない……! あなたはそれでいいと思ってるの? そんな風に思われて取り戻した【本物】なら……私はいらない! 見たくもないわ! これはあなたが――いいえ、あなたと取り戻すべき【本物】を賭けた闘いなの! それに――」
右中指に嵌められている指輪を見詰めるアデラ。
「この指輪に導かれたから、自分の【正義】を再燃させられたって……そう言ってたでしょ? だったらそれを貫きなさいよ……! 無駄に命を散らさずに、自分の信念を……大義を……【正義】を果たすって、この指輪にもう1度誓って!」
拳を突き出して、ショーンに指輪を目視させる。身体が思うように動けなくなりながらも、指輪を確認した彼は、自分の【正義】の為に必死に藻掻く。
「俺は……俺……はっ――」
「最後の会話は済んだようだな……ではフィナーレといこう……その指輪は私がいただく……有難く思うがいい……!」
己の勝利を確信して、2人を憐みとも蔑みとも取れる目で見ると、エドガーはショーンを絡め捕っている手を、そのままアデラに向けて振り下ろしてきたのだ。
「2人仲良く夢を見続けるんだな……!」
馬鹿にしたような笑いと共に、2人を圧死させようとするエドガー。アデラも改めて棒を構えるが、防ぎ切れる可能性は皆無で、確実に圧し潰されてしまう。かと言って避けたとしても、絡め捕られたショーンを見殺しにしてしまう。
最早2人が生き残る事は不可能だと、誰もが疑わなかった。
その時、アデラの指輪が一瞬青く発光すると――
「おぉっ……!?」
何かがエドガーの手に直撃したのだろうか、彼の手が一斉に開かれ、絡め捕られていたショーンが解放されたではないか。
彼は受け身を取りながら何とか着地したものの、何度も握り潰されそうになった為か、肩で息をしていて動きも何処かぎこちない。
「ショーン!」
透かさずアデラが駆け寄り、彼を慎重に立たせる。
「大丈夫?」
「あぁ……済まない、俺が隙を見せたばかりに……迷惑を掛けた……」
「そんな迷惑だなんて……良かった、生きて帰ってきてくれて……」
「それにしても……さっきのは、一体何だったんだ……?」
突然の助け舟に困惑を隠せないショーン。
「何だ……? 何が起こったんだ……!?」
それはエドガーも同じようだ。
すると、アデラの目の前に、橙色に輝く光の玉が浮遊しながら出現した。その周りには陽炎のような靄が掛かっているようにも見える。
「えっ……? 何これ……?」
「……!」
得体の知れない物体を目にして困惑しているアデラとは裏腹に、ショーンは何か心当たりがあるようだ。
「これは……火のソウル……!」
「火のソウル?」
「火属性魔法を得る者に与えられる……火属性の元となる精霊の力だ……! それを授かったって事は……アデラ……お前、火属性魔法の使い手だったんだ……!」
「私が……火の使い手?」
そんな事を呟いていると、橙色の光の玉もとい火のソウルが、彼女の目の前でパッと散る。すると彼女が手にしている棒が、ほんの一瞬仄かな橙色に発光した。
それを受け入れたかのように、アデラも棒を見詰めて軽く頷く。
「火のソウル……今し方手に入れた属性魔法……フフフフフ……」
再び冷笑いを漏らすエドガー。それに反応して、2人はそれを見上げる。
「使い熟せもしない属性魔法の力を得たところで……この私に抗う事など到底不可能……! 次で完全に息の根を止めてくれる……!」
「それはどうかしら? やってみなきゃ分からない事もあるのよ……!」
己の持つ属性魔法が何であるのかを知った事で自信が付いたのか、アデラは先程までとは打って変わり、気丈に棒を構える。
そして、頭に浮かんだ属性魔法の呪文を唱える。
「火よ、彼の者を燃やせ!」
棒の先端から火炎放射の如く、エドガー目掛けて火が噴出される。
それを蟷螂之斧と無礼ている当の本人は――
「フンッ……どんな属性であろうと同じ事……!」
再び前のめりになって背中の棘を向け、火属性魔法を無効化しようとする。
ところが……
「……!?」
火は無効化するどころか、エドガーの背中を滑るように広がっていき――
「あぁっ! 熱いっ! 痛いっ!」
羽に引火したところで、突然叫び声を上がるや否や、体勢を崩して悶え始める。
「羽か……羽が弱点だ! アデラ!」
「弁慶の泣き所が分かればこっちのものよ!」
アデラは再び棒を構えて――
「火よ、彼の者を燃やせ!」
無防備になっている羽に向けて火を放つ。
見事に命中した火は、更に勢いを増してエドガーの羽を焼いていく。
「熱いぃ!! く、苦しいぃ!! 息が……息があぁー!!」
「はあぁー!!」
熱さに加え、己の焼けている皮膚から発せられている悪臭に藻掻き苦しんでいるエドガーを尻目に、アデラは高く跳躍すると――これまでに彼から受けた恨み辛みを錘にしたかのような――強烈な踵落としを彼の後頭部にお見舞いする。
「ぐっほおぉっ……!」
「ショーン、今よ!」
「おぉ!」
様々な痛みや苦しみが連続して襲ってきて、最早怯んでいるのか気絶しているのかも分からなくなってしまっているエドガー。
そんな彼の頭上まで跳躍したショーンは、両手に短剣を携え――
「エドガー……お前には最早、誉れに恵まれる時間など存在しない……! だが、悔やみに苛まれる時間はたっぷりと与えられている……地獄になっ!」
大きなバツ印の傷が残る程に、その巨大な胴体を力強く斬り裂いた――




