対峙の時
階段を上り切ったアデラの視界に飛び込んできたのは、豪華絢爛な装飾で彩られた広い踊り場と、そこから更に上へと伸びている階段だった。
これを上った先に、【本物】を取り戻す為に討伐すべき者がいる――そう考え、意を決した彼女が足を1歩踏み出した、正にその時であった。
「おや? 来客の話は聞いてないが? それ以前に、命を落とさずにここへ来られた者も初めてな気がするなぁ」
聞き覚えのある声がすると同時に、その主が階段をツカツカと下りてくる。
襟元に純金のアクセサリーが施された純白の燕尾服姿で、不気味な模様の仮面で顔の右半分を覆った、欲という欲が表情に滲み出ている見慣れた男――討伐すべき者・エドガー侯爵その人である。
彼は踊り場に佇むアデラの姿を捉えると、目を見開いて「待っていたよ」とでも言いたそうな笑みを浮かべ、階段を下り切ったところで足を止める。
「君は確か、アデラ……だったかな? また会ったね」
「そして……これが最後の挨拶よ」
彼女の発言が気に入らなかったのだろうか、その顔からフッと笑みが消える。
「その口振りからして、どうやら私の期待に応えに来てくれた――という訳では無さそうだね……棒術師・アデラ」
「……!」
昨夜のパーティに潜入した時には、間違いなく棒術師の肩書は伏せていた筈だ。それなのに、何故彼がそれを知っているのかと、アデラは眉を顰める。
そんな彼女の反応を面白がるように、エドガーは「何故知っているか教えてやろうか?」と言わんばかりのほくそ笑みを浮かべて言葉を続ける。
「実はね……私の優秀な執事が、たった一晩で君の事を調べてくれたんだ……君は異国の出身の棒術師で、義賊のショーンという者と結託し、私を失墜させようと画策しているとかいないとか……」
「……」
「図星のようだね」
「だったら何なの? 私は【本物】を求めてこの街に来たの。【本物】をこの目で見れるのなら、街の再建を望む義賊と手を組む事は勿論、街を支配している侯爵に反旗を翻す事だって厭わないわ……!」
アデラはそう言って背中の棒に手を掛けて、鋭い視線をエドガーに向ける。
「そんな怖い顔をしないでくれたまえ。折角の美貌が台無しじゃないか」
エドガーは両手を広げて、自分には敵意が無いというアピールをしているが、小馬鹿にしたような表情からして、彼女を茶化しているのは明白である。
「それと、君はさっき『これが最後の挨拶』と言っていたが、私は君の事をとても気に入っているんだよ。その美貌も然る事ながら、今し方見せた芯の強さも……」
「また訳の分からない事言って……!」
「どうかね? お互いこれまでの事は水に流さないか? 君が私に牙を剥いた事も目を瞑ってあげよう。その代わり、君もショーンという義賊とは金輪際関わらないと、この場で宣言してもらおう」
「この期に及んで、何をいけしゃあしゃあと……!」
「もし、私の下で用心棒として働いてくれるのならば、君が望む全ての【本物】を授けてあげようではないか」
彼の【本物】という単語に、アデラは一瞬ピクリと反応を示す。
「【本物】を求めているという事は即ち、これまで君は偽物に囲まれて生きてきたという事……本物を知らぬ者は偽物によって身を亡ぼす――君がその轍を踏まぬよう、私が【本物】とは如何なるものか教えを乞おうと言っているのだ。私の矛となり盾となれば、君は更なる棒裁きの技術と【本物】に対する知識を吸収出来る……決して悪い話ではないと思うが?」
「悪びれもせずに、次から次へと御託を並べて……!」
「君は強くて美しいだけでなく……聡明さも兼ね備えていると私は見ている……」
「そういうあんたこそ、侯爵という地位まで成り上がってるくらいなんだから、相当な賢明さを持っているわよね? だったら言わせなくても、私の答えは最初から分かってる筈よ? 私を信じてくれる【仲間】と同じだって……」
「フフフフフ……君をここへ行かせるが為に、自らが盾になる算段か。だがその仲間とやらも、血気盛んなロジャーとその部下達の前には多勢に無勢……もう既にその命を散らしている可能性だって――」
「エドガー様!」
突然執事の男が、切羽詰まった様子で階段を駆け下りてきた。
「騒々しいな。今彼女と取引をしている最中――」
「一大事です……! 畑が何者かによって無残に荒らされています……! 奴隷達も皆、何処にも姿がありません……!」
「何だと……!? 何故そんな事に――」
「俺がやった」
その場にいる誰の物でもない声がすると、地下通路へ通ずる階段から上がってくる1人の青年の姿が露になる。
「ショーン……! 無事だったのね……!」
「お前が全ての罠を解除してくれた御蔭で難無く来れた。感謝している」
歓喜の声を上げるアデラに、ショーンは息を切らす様子も無く淡々と言葉を返す。黒い布で隠れてはいるが、その口元は間違い無くほくそ笑んでいるだろう。
「貴様がエドガー様を脅かしている、義賊紛いのショーンか……!?」
主であるエドガーを、身を挺して守る態勢を取りながら、鬼の形相でショーンを睨み付ける執事の男。
そんな彼の事など意にも介さないと言わんばかりに、ショーンはエドガーにだけその鋭い視線を向けて――
「教えてやるよ。畑の事も、奴隷の事も」
と、1歩前に出て事の成り行きを話し始める。
「昨日の深夜、普段船頭に扮している俺の仲間に頼んで、奴隷達を全員ニトーミ諸島へ移送した。あそこは島同士の貿易が盛んで、元々商人の奴等にとっては、ここで無賃金で働かされるより、その貿易の担い手で身銭を稼いだ方が圧倒的に好都合だ。その後は、俺が畑の植物を一株残らず根元から刈り取り、周辺の街に対して、お前に関する悪行の様々を記した文書をばら撒いた。今頃多くの騎士団が、お前の容疑を暴こうと調査に動いている最中だろう」
「えっ……? 若しかして、昨日言ってた仕事って……」
「飽くまでも教会への寄付の方がメインだがな」
アデラを一瞥しながらそう付け加えると、再びエドガーに視線を戻して「そういう訳で」と続ける。
「お前の資金源である【粉】は、これで一切市場には出回らなくなった。お前の侯爵の地位も、直に剥奪されるだろう」
「……!」
流通遮断に地位降格――それはエドガー自身にとっては、己の存在価値の凋落に他ならない。
このシモアンティという街には、自分に逆らう者など存在しない――彼が描いていた独裁国家に等しい理想郷は、1人の義賊の男と、彼に手を貸す異国の女棒術師によって、既に崩壊のカウントダウンを始めていた。
「お前がいくら富に恵まれていようと、いくら高い地位や強い権力を握っていようと……俺の――俺達の財産は買えもしないし揉み消せもしない。俺達は互いを信頼しているからな」
追い詰められて冷や汗を流すエドガー。
多くの騎士団が既に動いているとなれば、最早証拠を隠滅する事は不可能に近い。ならば、この危機的状況を脱する唯一の方法は、自分に反旗を翻した目の前の2人を亡き者にする以外には存在しない。
そう確信したエドガーは――
「……虫唾が走るその口、2度と利けないようにしてやろう」
そう呟くや否や、腰に携えていた鞘から、徐にサーベルを引き抜く。
同時に執事の男も、無数の投げナイフを両手に持ち、2人目掛けて投擲する。
透かさず躱した2人は、自身の武器を手にして、エドガーに狙いを定めて攻撃を仕掛けるが、2本の小刀を逆手に持った執事の男に妨害される。
「エドガー様には指一本触れさせん……!」
己を鼓舞するように声を上げ、2人を一気に振り払う。
すぐさま体勢を整えると、ショーンが執事の男の許へと駆け寄り、短剣を駆使して彼の動きを止める。
その隙にアデラは、2人を跳び越えて――
「でやあぁー!!」
エドガー目掛けて棒を力強く振り下ろすが、彼はサーベルでそれを受け止める。
互いの武器がギリギリと鈍い音を立てて膠着する。
「なるほど……大陸中を轟かせる異国の女棒術師の実力は、やはり伊達じゃないようだねぇ。私の見込み通りだ。どうだね? 今からでもまだ間に合う。そこのショーンという男とは手を切って、私の用心棒として働く事を、もう1度考えてはくれまいか?」
「あんたみたいな強欲且つ好色な男爵から、魅力もへったくれも無い口説き文句を言われたところで……こっちから願い下げよっ!」
鍔迫り合いの状態から解放する為、強めの口調と共に武器ごと押し返すアデラ。
と、その時――
「アデラ! 後ろだ!」
ショーンの叫び声に反応して背後を一瞥すると、執事の男が小刀を真横に構えて、こちらに向かって、物凄い勢いで迫ってくるではないか。
しかしアデラは臆する事無く、小刀が真一文字に振られる寸前に、バク宙の要領で躱すと、着地する寸前に、ガラ空きになっている執事の男の首元を棒で強打する。
急所を突かれて一瞬動きを止めたのを見逃さず――
「ショーン! 今よ!」
アデラが叫んだ直後に、ショーンは一気に間合いを詰め、執事の男の背中に短剣を力強く刺した。
刺された執事の男は、剣先が肺に達したのだろうか、口から大量の血を流し――
「エドガー……様……申し訳……御座いま……」
主への謝罪の言葉を絞り出す間も無く、その場に倒れて命を散らす。
己の右腕を失ったエドガーは一瞬怯んでしまった。その隙を逃さず――
「うおぉー!!」
ショーンは素早い動きで、彼の右腿を斬り――
「はあぁー!!」
アデラも棒の先端で、彼の腹を力の限り突いた。
「がぁっ……はぁっ……!」
エドガーは連続の物理的攻撃を受けて蹌踉めくと――
「ぐぅっ……! やる……じゃないか……」
ショーンに斬られた腿とアデラに突かれた腹を押さえて、その場に蹲る。
押さえている腿からは、赤黒い液体がドクドクと絶え間無く流れている。
「異国の棒術師……アデラ……君が彼に……ショーンに反旗を翻させた……こんな形で君が現れなければ……彼が私に敵意を持つ事など……!」
呪詛とも取れる言葉を口にしながら、エドガーは歯をギリギリと食い縛り、アデラを睨み付けながら、拳で床を何度も殴る。
すると、彼の言葉に対抗するかのように、アデラの指に嵌められている指輪が一瞬青い光を放つ。
それを目にしたエドガーは、反射的に立ち上がって後退りをする。
「――!? その指輪は……まさか君も……!?」
「俺は信じている。自分の信念を……彼女の意志を……そして、互いの【正義】を。だから何があろうと、俺達はお前なんかに負けはしない――絶対にだ……!」
「黙れ……黙れ黙れ黙れっ、義賊気取りの若造が……! 信じているだと……? そんな醜くて下らんものを……?」
悪態を吐いたエドガーは、フラフラと後ろの方へ歩いていき、そのまま壁に凭れ掛かると、苦しそうな呻き声と共に、床に大量の吐瀉物を滴り落とす。
一頻り嘔吐すると、貪るように呼吸をしながら2人を睨み付けて「何処までも悍ましい……」と、これまでの彼からは想像も付かないような低い声を発し、足を引き摺るようにしながら再び近寄っていく。
「忌々しい蛆虫共が……揃いも揃って、偽物にもなり得ぬクソを貪って……! そんな下等を信じるくらいなら……いっその事、この身を滅ぼした方がマシだ……! この世で信じられるのは己と……内に秘めた欲のみ……!」
そう叫ぶと、彼は握られた右の拳を徐に前へ突き出す。その中指には、アデラとは異なるデザインが施された指輪が嵌められていて――
「【強欲】の力宿りし指輪よ……我の声を届け、真なる姿を……真の【強欲】を我に与えたまえ……」
呪文のような言葉が発せられると、指輪が赤く発光するや否や、彼の身体がおどろおどろしい漆黒のオーラに包まれ、次第にその体積を膨らませていく。
次の瞬間、爆発でも起きたかのような激しい音と共にオーラが晴れると、そこには先程までのエドガーとは似ても似つかない姿をした巨大な化け物が、鋭い牙を剥きながら2人を見下ろしていた――




