あなたに微笑む
私は桜が好きだ。綺麗で、儚い美しさが心を奪う。
恋の終わりを告げる花でもあると言うけれど、それは人それぞれだ。
「別れよう」
卒業式を終えて、高校進学も、あと少し。
五分咲きに満たない桜の下で、恋人が切り出した。
「え……何で……」
「お前ってさ、恋人っつうよりダチみたいな感じじゃん。大人しそうに見えんのに、ガサツっていうか……」
彼とは去年の初夏からの付き合いだ。告白も、彼からされた。
まさか、そんなことを思っていたなんて……。
でも、確かに男友達な感じがした。友達のようで、恋愛的な感情は芽生えなかった。
ただ楽しかったという感想しか湧かない。
「……そっか」
だから、別れを切り出されても何も感じなかった。
友達と挨拶するとき、元恋人に呼び出されたことを聞かれた。
正直に別れたと言うと、かなり驚かれた。
「ええっ!? あんなに仲良かったのに!?」
「真咲、大丈夫?」
すごく心配されてしまった。
思わず苦笑して「大丈夫」と宥めようとしたが、別れた理由に友達は憤慨した。
「ガサツって……! 真咲は明るくて優しくて気配り上手なのに!」
「笑った顔も可愛くて、こっちまで楽しくなるのに!」
心の底から怒ってくれる友達。
嬉しくて「ありがとう」と言うと、友達は「別れて正解!」と力強く言う。
「何の話?」
ふと、馴染みのある声が聞こえた。
顔を向ければ、クラスで人気者だった男子がいた。
私の幼馴染、京介。
「聞いてよ! 真咲の恋人……や、元恋人がさぁ! 真咲をガサツって言ってフったの!」
有り余った勢いのまま友達が叫ぶように教える。
聞いた京介は目を見開き、眉をひそめた。
「は? ガサツ……だって?」
「そう! あんなに真咲に構ってたのに!」
「ふざけんなっての。真咲の魅力に気付かないなんて馬鹿じゃないの?」
友達の罵詈雑言に思わず引き攣る。
ど、どうやって宥めよう……。
「い、言いすぎじゃない?」
「真咲はもっと怒りなよ!」
「そうそう。あんな奴に遠慮しないでいいから。ていうか優しくしなくていい!」
火に油を注いでしまったようで、般若のような形相で私に説教した。
乾いた声で苦笑いしてしまうと、京介に肩を叩かれた。
「文句ならいっぱい聞く。早く帰らないと真咲のお母さんに心配されるぞ」
「あ……そうだね。二人とも、また今度」
「うん」
「今度は一緒にカフェに行こうね。愚痴、いっぱい聞くから!」
頼もしい言葉に「ありがとう」と笑って、手を振って別れた。
「落ち着いてるけど、悲しくないのか?」
帰り道、京介が訊ねてきた。
確かに、普通なら悲しい気持ちになるだろう。
けど、私はそんな感情を持っていない。
「悲しくない、かな。彼とは男友達みたいな感覚だったし、友達として好きだったみたい。ガサツって言われたのは、ちょっとショックだったけど……本当のことだし」
「……そうか」
短く、京介は吐息混じりに相槌を打つ。
どこか安堵したような声音に、少し嬉しくなった。
「心配してくれてありがとう」
「え……?」
「本当に全然気にしてないの。だから大丈夫だよ」
心配してくれているのだと思って、お礼と安心させる言葉を続ける。
目を丸くした京介は、やや目を細めた。
「違う。確かに心配したけど、そうじゃない」
急に固い声で言った京介は私の手を握って、ある場所へ向かった。
そこは、町全体を見渡せる高台。
ソメイヨシノの他に山桜も植えられていて、町の中では一番のお気に入りの場所。
学校のソメイヨシノと違って、山桜は八分咲き。満開まで、あと少し。
京介はその桜の下で立ち止まると、私に向き直って――
「好きだ」
簡潔に、熱を込めた声で告げる。
突然の告白に、じわりじわりと目を見開く。
「幼馴染じゃない。一人の女性として好きなんだ」
真剣な眼差しを向けられて、余計に混乱する。
「え……え? いつ、から……?」
今までそんな素振りを見せたことがなかったのに。むしろ、中学校に上がってから素っ気なかった。
恋人ができてからは更に冷たくなったのに、どうして?
困惑する私に、京介は眉を下げた。
「初めて出会った時、覚えてるか?」
「……うん。桜が満開で、すごく綺麗で……ころんじゃった私を慰めてくれたよね」
桜の森みたいな公園で、お花見をしていた時だった。
雨のように降る花びらが綺麗で、くるくる回って、つい転んでしまった。
怪我はしなかったけど泣いちゃって、その時に京介がハンカチをくれた。
それからほどなくして小学校に上がった時、もう一度会えて、そこから友達になって、幼馴染に発展したのだ。
「あの時、真咲に見惚れた。桜の精みたいで、綺麗だって」
知らなかった京介の思い出に、私は息を呑む。
まさか、その時から……?
「もう一度会えた時、すごく嬉しかった。友達になれて幸せだった。けど、このままじゃ男として見てくれないと思って、距離を置こうとしたんだ。……そのせいで誰かにとられるなんて、思いもしなかった」
後悔した顔に歪めて、苦しげに心の内を明かした。
だから冷たくしたのだと、今になって気付くなんて……。
「真咲」
熱を孕んだ声で名前を呼ばれた。
途端に心臓が締めつけられて、じわりじわり熱くなった。
こんな感覚、今までなかったのに……。
自分の変化に戸惑っていると、京介は私の手を持ち上げて、手のひらに唇を寄せた。
今までにない京介の行動に、ドキリと心臓が跳ねる。
「俺と恋人になって」
私の手を自分の頬に当てて願う。その切ない表情に、私まで切なくなった。
頬まで熱くなって……気付いた。
今まで、彼に冷たくされて悲しかった理由は、彼に嫌われたと思ったからだけじゃなかった。
京介の傍にいられなかったのがつらかった。その理由を、今になって理解した。
「……私、ガサツって言われたよ? 女の子って言うより、男友達みたいだって……」
でも、元恋人で自信がなくなった。私の全てを知った時、私から離れていくんじゃないかって。
不安から言うと、京介は少し険しい顔になる。
「真咲は誰よりも可愛い。だからあいつの言葉なんて忘れてしまえ」
ストレートな言葉に、一瞬で赤面してしまう。
口を引き結んだ私に京介は小さく笑って、両手で私の頬を包み込んだ。
「不安になるなら何度でも言ってやるし、言えなかった分まで言わせて」
京介の手のひらが、すごく熱い。目元も、ほんのり赤い。
緊張感が込み上げてきて、どうしても目が熱くなって、潤んでしまう。
そんな私に京介は、ふっと笑って「可愛い」と言った。
京介って……こんなに甘かったの? 色気もすごいし……。
耐えきれなくなって、衝動的に京介の胸に飛び込むように顔を押しつけてしまう。すると、京介の心臓が強く脈打ったのを感じた。うるさいくらい心音が聞こえる。
――私の、心臓も。
「真咲っ?」
「……あーもーっ」
もう無理。これも全部、京介のせいだ。
「だいすき」
声が震えてしまった。それでも心からの想いを伝えた。
頭を押し付けて熱を冷まそうとしていると、京介が肩を掴んで強引に剥がす。
見上げると、京介の頬が真っ赤になっていて……どちらともなく笑った。
「ふはっ! あー……可愛すぎだろ」
「京介だって……かっこよすぎ」
かっこいいし、可愛い。特に今の照れた顔が。
思わず笑ってしまうと、京介の表情が固まった。
「……かっこいい? 本気で言ってんの?」
「うん。ずっと思ってるけど、いけなかった?」
首を小さく傾げると、京介は口に手を当てて私を凝視する。
「あ゛ー……っ」
濁音がつく声で呻いた京介は、私を引っ張って抱きしめた。
「煽るなよ。我慢できないだろ」
「え? 我慢って……?」
どういう意味だろう?
不思議に思っていると、京介は少し体を離して、顔を近づけた。
京介の口が、私の口を塞ぐ。軽く食んで、吸いついて、そっと離れた。
「……ぇ? ぁ……え?」
混乱から目を白黒させる。
私の反応に、京介はきょとんとした。
「まさか……キスしたことないのか?」
「きっ……! う……うん」
元恋人にされなかったから、これがファーストキス。したといっても、手をつなぐだけだった。
息が詰まりそうになりながら頷けば、京介は「ハハッ」と笑った。
「前言撤回していいか?」
「え? ……なに?」
きょとんとすると、京介は甘く微笑んだ。
「――愛してる」
そして、二度目のキスを落とした。
私は桜が好きだ。
人によって恋の終わりもあるけど、人によっては恋の始まりもある。
山桜が咲き誇るこの日、私の本当の恋が始まった。
山桜をお題にした恋愛小説です。初めての短編で少し不安もありますが、読みやすいよう工夫できたかなぁと思っています。
ちなみに山桜には素敵な花言葉があります。――そう。この作品の題名です。