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むさしのの  作者: 碧乃 萌蓮
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変わらない私

駅前からサイケデリックな色彩の雑多な商店街を抜け、急な細い段が重なる階段を下ると、目に入る向こう岸の見えない橋。


暗がりの中でタイムスリップした錯覚にふらつく。


竹林の香り、高い木々の騒めき、舗装されていない凸凹の地面。


嫉妬の女神の公園は小中高大、すべての学生生活で縁がある。特に思い入れがあるわけではないが、自然と思い出すことは多い。


塾の帰り道、遊びついでの寄り道、初デート、初恋の人との逢瀬、学校行事の打ち上げ、家族と記憶も朧な頃に来ていたこともあったらしい。


回想にふけりながら池に向かって煙草を吸っていると、後ろから顔を覆うように手が伸びてきて、没収された。


指先だけでも神に愛された意匠だとわかる。うっとりと見つめた目の端で抗議すると、口の端を上げて吸っているではないか。なるほどね。非難ではなく、挑発だったのだ。


子供の挑発に乗る私ではない。視線を景色に戻し、回想を再開しようとする。


ただでさえ暗い視界が一瞬闇に包まれ、すぐに視界が開ける。手が視界を覆っていたと気づくのに、煙草のフィルターが口元に触れるまで気づかなかった。


手ずから煙草を吸わせて、彼はまたその煙草を吸う。そんな繰り返しにくらくらする。


さっき会ったばかりの彼は自称19歳。私は法律ではないから咎めないけども、最近の若者はどうなっているのだ、くらいの考えはよぎる。


とはいえ10年前に遡れば、自分も彼と同じようなものだった。知らない人と会ったばかりで仲良くしていた。大人に人一倍憧れて、大人よりも大人ぶった態度を取っていた。恥ずかしいね、今思えば。


そんな子どもに心を掻き乱される私ではない。細長い綺麗な指に顔を覆われても、煙草を吸わせてくれる弾力のある指に唇が触れても、私が咥えたフィルターを直ぐに真っ赤な口で挟んでも、少しも動じない。


なぜか隣りに座らずに、斜め後ろで長い脚を見せつける様に立っているのは警戒か、それとも自己主張なのか。


上から注ぐ目線は艶やかで、幼さを感じさせない。一回りではないにしろ、年齢差にたじろぐ風でもなく、場慣れしている風でさえある。


娼年でもしていたのかしら。あまりにお似合いだ。気丈さと造形美、余裕と尊大さ。


「マヒロ」


私の性格を反映したような男らしい名前を、揶揄うでもなく、躊躇うでもなく、真っ直ぐに楽しげに口にする。


呼びかけではないとわかるほどハッキリと、名前を一度呼ぶだけで、親密さを深めたいことを伝えてくる。


私はこの子の名前を呼ばない。それは私の意思表示だ。伝わるかは問わない身勝手なものだけれど。


「マヒロ、どういう字」


嬉しそうに続ける少年。


「昼の真ん中」


空の高い晴天を描きながら、簡潔に伝える。


「ふふ、似合わな。ひーちゃんはマヨナカでしょ」


「どこがだし」


自分でも似合わないと思うが、少年の無邪気な笑顔が眩しくて、零れた破顔を隠すために無理やり顔を顰めた。


「ふふ、ごめん。美人さんだから。機嫌直して。ね?」


急に褒められたら、嬉しくてまた笑ってしまう。すぐに機嫌を直すのも悔しくて、覗き込む顔を手で避けながら俯いて表情を隠す。


「どうせマヨナカですよ」


それと急にひーちゃんなんて、距離を詰めるのが早すぎる。と心の中で不平を呟いた。どちらでも構わないのだけれど、仕事が早い。


「ごめんて」


表情を隠す手も覗き込んだ顔を避ける手も、後ろから掴まれて動けなくなる。「離して」と伝えるために上げた顔を優しく唇で止められる。


驚きに気づくより早く何度も重ねられるふわりとした心地よさに、気づけば身を委ねてしまう。


鍛え抜かれた手口……。そんなことを思いながらも、嫌悪より尊敬の念が湧く。そして己の運の良さへの感謝。最低な大人になってしまった。


教師ではない、どころかまだ学ぶ身分の私にとっては、幼い彼を常識に導く責任は無いのではないか。そんな言い訳を頭の中で反芻しながら、彼の出方を伺う。目的は何なのだろう。私から得られる物は何も無いと思うけれど。


「許してくれる?」


キスのことなのか、身体のことなのか、と考えた後に直前の会話を思い出す。


「なんで」


どうして揶揄われたのをキスで許さないといけないのだろう。それほどまでに、彼の目に私は悲しいモンスターに映っているのだろうか。


同時に何も与えるつもりもないのに幸運だけ甘受しようとしている自分に浅ましさも覚える。


「足りないの?」


君の唇は免罪符なのか。


言葉とは裏腹に求めるような態度に満足する。簡単な大人。過去の自分が心から軽蔑して見下していた子どもの成れの果て。


部屋に戻ると彼の友人が眠っていた。

彼もまた数日前に出会った少年だ。


起こさないように狭いバスルームでもつれ合った後に、寝息に追い出されて公園に戻る。


人目も時間も曖昧に夏の熱さに浮かれていると、聞き慣れた振動音で現実に引き戻される。


「走って」


彼の友人からの着信だと短く伝えると、広すぎる歩幅を大胆に活用して駆け出す。


「ひーちゃん、遅。先行くよ」


繋いだ手を絡めるように解いて、揶揄いの音を残して背中が遠くなる。視界のコンビニに滑り込んですぐ声が聞こえる。


「あー、ごめん。起きたんだ。うん。え?そんな時間たってないでしょ?うん。さっき。コンビニ!何かいる?そう。わかった。直ぐ帰る」


電話を切るや、はしゃぎながら内容を伝えてくれる。


「何も要らないから直ぐ帰ってきてって。彼女か」


「ほんと仲良いね」


「そう!ひーちゃんよりらぶらぶ!」


私と比べられてもわからん。もはや誰と誰の話かも曖昧だが、掘り下げても良いことは無さそうなの適当に相槌を打つ。


「仲良きことは素晴らしきかな」


そういえば先の少年も「こっちに来てからこんなに仲良くなった初めての友達」と言っていた。どこで会ったか知らないが、知る必要はない。もう会うこともないだろうから。


とはいえ、きっと女性を喜ばせる仕事だろう。全身ブランド物だから。まぁ、どんな出会いであれ、信頼できる友人がいるのは素晴らしいことだ。願わくばその関係に私が傷をつけませんことを。


祈る必要も無さそうだけれど。きっと彼らにとって私は、舞い落ちる一枚の枯葉。いや、せめて花弁であってくれ。淡く果敢無いひとひらの。

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