12話 情報
調べたい事、考えたい事はたくさんあるのにも関わらず、全く進まない自分に苛立つ――そんな晩夏。それもこれも、仕事がひたすらに忙しい事が原因だった。
先月から始まった孤児院職員向けの講座。受けてくれているシスター達は意欲のある人が多く、私も月案や日案の書き方、子ども達の発達の流れなどを担当して教えているが、飛んでくる質問によって私自身考えさせられる事も多い。そもそもこんな若輩者が講座だなんておこがましいと自分でも思うのだが、この辺りはもはや言っても仕方が無い。
この講座と普段の孤児院勤務の両立はなかなか骨が折れるのだが、加えてシスター・ペルフェに幾度も呼び出しを食らうのが多忙の原因の一つになっていた。先日のスラム解体の手伝いの件、私はしっかり断ったはずなのだが『ちょっとくらい助言してくれてもいいでしょ?』と、事あるごとに屋敷に招かれていた。そもそも、スラムについては別の人が担当しているので、今更口を挟める事では無い。それでも何故ペルフェが私を呼ぶのかと言うと、つまりは体の良い“愚痴聞き係”として、なのである。
更にそれに加え……もう一つ私を困惑させるものが出来た。
「もうこんな時間だ。帰らなきゃ……」
本日は遅番だ。時刻は夜の九時。孤児院の子ども達が眠りについてから、夜勤のシスター達に引き継ぎをしてから、帰宅する。先日から日替わりで子連れ出勤をしているのだが、遅番の日だけは連れて来る訳にもいかないので今日は一人寂しく帰り道を歩く必要がある。
「お疲れさまでしたー」
そう声を掛けてから孤児院を出る。ツフト共和国の首都ニラグルの主要な町では、街灯が多く見かけられる。街灯の上部に取り付けられているガラスの中に灯されているのは、炎では無く日中の太陽光を蓄光して夜になると光り始める石だそうだ。その仄かな灯りに照らされて、私の帰路を遮るように、ここ数日嫌でも見慣れてしまった一つの影があった。
「こんばんは」
「……どうも」
ふわふわとした白い毛に、大きな角が二本。羊の獣人の男性で、名前をノアスミル。背はさほど高くはないと思うのだが、全体的に細身の印象を受ける。目は大きく鼻筋も通っており、美しい顔立ちだと……思うのだが、正直私にすれば顔も見たく無いと思っている相手なので彼の顔面が良い事のメリットは特に無い。
「ねぇねぇサクラさんっ。今日こそお話を聞かせて下さいよ」
「……お断りします、お帰り下さい」
「まぁ、そこをなんとか」
私はここ数日、退勤後にこの男に付きまとわれている。子ども達がいる時は少し遠慮するらしいのだが、今夜の様に一人でいるとどこからか現れてしつこく寄ってくるのだ。
断じて男女としてのアプローチ等では無い。ノアスミルの職業は、記者だ。どうやら突然この国にやってきて孤児院の事やスラムの事に口を出し、政治家であるパナエス、孤児院の統括者であるペルフェと繋がっている私の事を不審に思い調べているらしい。
「仕事の取材でしたら、シスター・ペルフェを通して下さい……と、言ってありますよね?」
「ははっ、あの人が許可出すわけ無いじゃないですか」
「……じゃぁ私も何も話せませんね」
「別に、なんでもかんでも話してくれと言ってるんじゃないでしょ? どうして孤児院の管理者にまでこんな短期間で上り詰めて、シスター長に信頼されるようになったのか……その辺りの話をまとめたいだけなんですって。今後孤児院で働きたいと思っている人の為に! 特に怪しい雑誌じゃないでしょ? うち」
確かに、先日彼の勤めている会社から出版されている雑誌に目を通したのだが、地に足の着いた……と言うか、真面目な職業雑誌と言った風体だった。しかし、この男が担当しているコラムのページは、少し下世話な内容だったと記憶している。週刊誌かと言いたくなるような執拗な取材をしたのではと勘繰られて、私はこの男に何も話すまいと心に決めていた。
「はぁ~、つれないなぁ。僕みたいな美男と、ちょっとお食事でもしながら楽しくお話しませんか? ってだけなのに」
「生憎、興味が持てませんので」
「……そうですね、サクラさんは僕みたいな線の細いタイプより、もっと腕っぷしの強そうな男性がお好きですもんね?」
「……」
そして、何故だかドンの事まで把握済みなのだ。
と言うか、恐らくその上で彼が最近この国にいない事も掴んでいる。もしかしたら、アルクの事も。今現在私の周りに、ノアスミルが返り討ちに合いそうな男達がいない事で、執拗な取材を始めてきたに違いない。
全くもって、鬱陶しい事この上無い。
彼の軽口を切って投げ切って投げしているうちに、屋敷に到着した。この男がいて一つだけ良かったと思える事は、夜道の恐怖を薄れさせてくれる事だ。以前は危険だからと誰かしらが迎えに来てくれていたので、一人で歩くのは少し心細かったのも事実だった。
「では、さようなら。お疲れ様でした」
私が一礼をして屋敷の門の鍵を内側から掛け様とすると、ノアスミルはガシャンと音を立てながら鉄製の門を勢いよく握った。
その衝撃に私が体をびくつかせていると、彼は一見人の良さそうな笑顔でこちらを見ていた。
「そうやってちゃんと挨拶してくれるの、実は嬉しいんです。僕みたいなしつこい奴に律義に返答してくれる人って少ないですし」
「……そうですか」
しつこいと自覚はしていた様である。
「ですから、そんなサクラさんに僕から一つ情報を差し上げましょう」
「……私は何も話さないですよ?」
「はははっ。話してくれても一向に構わないんですけどね? ……実は、順風に見えているスラム閉鎖の件ですが……裏で怪しい金の動きが見られます。もしかすると、スラム閉鎖の計画は頓挫の危機かもしれません」
「えっ……」
彼の言葉に、私は衝撃で目を見開いた。シスター・ペルフェが襲撃されてから一ヶ月が経過し、閉鎖までも残り一ヶ月ほど。ルーオ達を筆頭に住んでいた子ども達の説得も進められているし、ペルフェ自身も『住人と友好な関係を築けてきた』と語っていた――なのに。
ノアスミルの黒い瞳と白い毛のコントラストが、この話の正否の判断を混乱させてくる。この情報は、白か……黒か?
「信じるか信じないかは、サクラさん自身ですよ。それでですね、僕はこれからそっちの取材に掛かり切りになると思うので、もしかしたらしばらく会えないかもしれません」
「……あぁ、そうなんだ」
「そこにはあまり興味が無かった……って感じの顔ですね。折角タダで教えてあげたのになぁ」
彼に付き纏われる回数が減る事に関しては、申し訳ないが私にとっては嬉しい報告でしか無い。それに、今はまずスラムの話だ。ノアスミルの情報が間違っていようが正しかろうが、とにかくシスター・ペルフェに報告すべきだろう。
「情報は感謝してます……ありがとう。もしも今の話が真実なら……スラムの取材は危険でしょうし、気を付けて下さい」
「……真実ですよ。それじゃ、これで失礼しますね」
ノアスミルは鉄柵から手を離し、片手を振りながら来た道を帰っていく。それにしても、これからスラムの取材になると言うのに私の所に来たのか。しかも聞かれてもいない情報まで落として。……彼は、一体何がしたいのか。しかし礼儀だけは通さなくてはならないだろう。私は彼の背中に声を掛けた。
「ノアスミルさん。……おやすみなさい」
「ははっ。おやすみなさい!」
小さく会釈をして笑い遠ざかっていく彼の姿に、私は胸騒ぎの様なものを感じた。
私は屋敷に一旦入ると、子ども達を寝かしつけ終えたイオーラに事の説明をする。重い荷物だけを置き、もう一度出かけてくると告げた私の服を彼女は強く握った。
「ばっ……こんな時間から一人で出かけるとか!」
「でも、シスター・ペルフェに伝えないと……」
「……じゃぁ私も一緒に行く。ミィノにチビ達の事は頼んでおくから……ちょっと待ってなさいよ!」
「え……だけど」
「“だけど”じゃないッ!!」
「わ、分かった……じゃぁ、お願いするよ……」
納得してくれたらしいイオーラは、「フンッ」と大きく息を漏らしてから準備を始めた。
待っている間、彼女が消えて行った屋敷の部屋の奥から、「あっ! デニスさん暇そうだから一緒に来てよ!」とまた一段と失礼な事を言う声がして、しばらくしてから意気揚々としたイオーラと、混乱した様子のデニスが玄関までやってきた。
「デニスさん……すみません。お時間大丈夫でしたら、付いてきて貰えると嬉しいです」
「わ、分かりました……」
くたびれたシャツとスラックスを見ると、彼も今さっき仕事から帰ってきたばかりだったのだろう。面倒事に巻き込んで面目ないが、人が増えれば心強い。
出来るだけ早く、先ほどの話をペルフェに伝えなくては。別れ際のノアスミルの様子からは、彼が嘘を言っているとは思えなかった。そもそも、彼が私にそんな嘘を吐く理由が無いのだ。嘘だと分かった瞬間に益々私に嫌われて、欲しい情報が得られなくなるだけなのだから。彼がそんな真似をするとは考えにくい。
「急ぎましょう……!」
『ノアスミルは本当の事を言っている』と仮定した場合……きっと、シスター・ペルフェがまたしても危ない目に合うだろう。




