8話 カウントダウン③
「うわっ、でっか……」
「イオーラ、第一声がそれって……」
「仕方ないでしょアルク! ホントに……だって、昨日までさ、ほら……」
「そうだけど……いつもの事だろ?」
水浸しのクロの部屋を掃除し、とりあえずドンの使っていない服を身につけたクロと共に少し早く朝食の場に姿を現すと、すでにドンとアルク、イオーラが集まっていた。クロの目覚めが気になって、少し早めに起きて来たのだろう。ロンドは朝があまり強くないので、まだ眠っているらしい。
予想してはいたのだろうが、クロの完全な姿にイオーラは動揺を隠せないでいる。前段階と同じく仲良く過ごす……と言うのは、少々難しい話かもしれない。実際、五歳程の姿の時はオルレリ達とよく遊んでいたクロも、その次の段階では少し距離を置いていた。
「兄上、姉上……これからもよろしく頼む」
「声も益々低くなってんじゃん!」
「ちゃんと返事しろよイオーラ! あ、ああ……こちらこそよろしく……クロ、さん?」
クロが控えめに手を出すと、アルクはそれを握り返した。しかしクロはアルクの態度に対して愛嬌の良い笑顔を見せた。
「これまでと同じにしてくれ、兄上」
「え、ええ~? 難しい事言うなぁ……」
「いいんじゃない? だってクロ、エル達の事だって『姉上』って呼んでるじゃないの」
「そうだけどさ……。うーん、クロがいいなら……いいか」
可愛らしい会話を展開させている横をのんびりと通り、私はミィノの朝食の準備を手伝いに行く。彼女も、興味深そうに紺色の羽を揺らしながらクロの事を見ていた。
「ミィノ、このお皿運んじゃっていい?」
「あっ、申し訳ございませんサクラ様っ! ただいま準備を……」
「これくらい気にしないで。それに、ゴードル王子に伝えるなら、よく見ておかないと……ね?」
「はぁうっ! あ、あの……その……」
図星だったらしいミィノは、顔を真っ赤にさせて両手をバタバタと動かしている。火が付いた鍋などはないらしいので、火傷の心配は無い。
この屋敷でゴードル王子と繋がっている可能性があるのは彼女だけなのに、ミィノ自身はまさか私達に知られているとは思っていなかったかのような態度だった。素直と言うより、少し天然さんなのかもしれない。
「ミィノはケリクツトに帰りたいとか思う事は無い?」
「う……えと、私は、ここの生活も気に入っていますから……」
「そっか。でも無理はしないでね。たまには休暇を取っていいんだよ」
勿論、彼女の上司が許せばの話だ。しかしもうすぐクロはこの屋敷から離れる事になるので、休暇の申請はしやすいだろう。クロの行く先にまたゴードル王子の配下の誰かが向かうのか、まさかミィノが追いかけるのか……いや、ミィノが行くのは無いだろうな。旅をさせるには彼女は危なっかし過ぎる。だからクロがここを離れたら、ミィノもしばらくケリクツトに顔を出して、文字通り羽を伸ばして来てほしい。
私は受け取った皿を食卓に並べ、料理を運ぶ。ミィノは紅茶の準備を始めたようだ。
するとドンが居間の方からこちらにやってきた。
「サクラ、クロの事なんだが……やはり、お前の仮説通りみたいだな」
「……うん。一段とおっとりしたと言うか、落ち着いちゃった感じ……本人も“勇者”に興味すら無いみたいだし、一時的な変化じゃなく、やっぱり何か原因があってどこかで大きく変わる機会があったと見た方がいいみたいだね」
「おっとり、なぁ」
ドンは、腕を組んで背を柱に預けた。悩ましそうな表情で、未だじゃれついているクロ、アルク、イオーラの三人を見ている。
彼の苦悩は分からなくは無い。仲間達とケリクツトで分かれたのも、そもそも村で『不滅の灯』が離散したのも、“魔王”との契約とそれによる作戦の立案によるものだった。クロの成長は喜ばしいが、今の彼と共に当初の作戦が遂行出来るのかは怪しいと考えているのかもしれない。
「もう少し見てみないと分かんないよ、ね?」
「ああ……」
ドンはしばらく黙っていたが、手早く朝食を終えると「少し出かけてくる」と言って外へ行ってしまった。クロの事で背負いこまなければ良いのだが、と少し心配になる。
私はと言えば、今日は非番だ。クロの洋服を用意していなかったので買いに行かねばならないのだ。「買い物に行こうかな」と朝食の席で口にすると、起きて来た三つ子とアルクとイオーラも同行したいと言い始めたので、私は少し悩んだが全員で出かける事に決めた。
「私、クロと手繋ぐ!」
屋敷の門の前で出かける準備を整えていると、昨日はあれだけ泣いていたオルレリが嬉しそうにクロの腰に抱き着いた。朝は彼の変容にさすがに驚いていた様子だったが、彼女達もクロの石化と成長を目の当たりにするのも四回目だったのですぐに慣れたらしい。
「母上、我も行くのか……?」
「だってクロの服を買いに行くんだよ? サイズとか好みとか教えて貰わないと……作ってもいいけど、それにしたって布選びもあるし」
「むぅ……仕方ないな。オルレリ姉上、よろしく頼む」
大人の姿に成長しても三つ子やキルンに対して『姉上、兄上』と呼ぶクロがツボに入ったらしく、オルレリはけらけらと笑い転げた。クロが隣で「これでは出かけられぬな?」と笑顔で聞くと、オルレリはハッとした顔で立ち直り彼の手を握った。
エルはアルクと、カントはイオーラと、キルンは私と手を繋ぐ。このメンバーで外出するのは久しぶりな気がする。私達は留守番をすると言うロンドに手を振って、買い物に繰り出した。
――――が。
「あの二人ッ! 一体全体どこへ行ったのよ!!」
「イオーラ、落ち着きなって」
市場に着いてからそう時間が経たないうちに、クロとオルレリの二人が忽然と姿を消してしまった。ちょろちょろと動き回るオルレリと、まだ最終的な性格が掴めていないクロを一緒にさせたのは間違いだったかもしれないと後悔したが、そんな事を考えていても仕方が無い。
心配を隠しきれないイオーラがアルクに当たっているが、そこまで慌てる必要は無い筈だ。
「大丈夫だよ。二人には“召喚許可申請書”を書いて貰っているから、いつでも呼び出せる。ただここだとちょっと目立つから、人気のない所に移動しよう」
「あーもぅ、面倒ね!」
そう悪態を吐くイオーラだったが、そわそわして落ち着かないのだろう。先行して路地裏を指しながら、「こっちには誰もいないわよ!」と大声で教えてくれる。
しかし、移動して早速魔法の準備をしていると、
「あー! こんな所にいたんだ! 探したよ~」
と、困った様に笑ったオルレリと手を繋いだままのクロが合流して私はずっこけそうになった。なんとまぁ落ち着きのない事だろう。
「それはこっちのセリフだよ……ちゃんと前の人に付いて行くっていつもお約束しているでしょ」
と言ってみたものの、この二人をペアにしてしまった事についての責任は私にあるので反省せざるを得ず、そこまで叱れなかった。
オルレリは「ごめんなさーい」といつもの様に愛想よく謝罪を済ませると、私の目の前に一つの袋を差し出した。受け取って見てみると、中には茶葉が入っている事が分かる。彼女には少しだけお小遣いを渡していたので、自分で購入したらしい。
「これ買ってたの」
「お茶だよね?」
「そう! 甘い匂いのするお茶だって! あのね、ママ……リーダーと、クロと、アル兄と、ロンドお姉ちゃんの『いってらっしゃい会』をやりたいの……だめ? このお茶は、その時に私が淹れてあげるの」
オルレリの小さな手が私の耳元に当てられて、彼女は内緒話だというように小声でそれを伝えてきた。どうやら、オルレリとエルとカントの三人で朝のうちに思いついたらしい。
「へぇ……いいね、やろっか」
「えへへ。でもまだ内緒だよ? イオ姉には言ってもいいけど!」
「分かった。じゃぁ頑張って準備しないとね」
「うん!」
私の了承が得られた事が嬉しかったのだろう、オルレリはぴょんぴょんと跳ねながらエルとカントにもその事を伝えに行った。勿論、内緒話で。
オルレリと入れ替わりで、イオーラに文句を言われたらしいクロが長身を少し丸めて私の元へと近寄ってくる。
「すまない……つい、一緒に茶葉の雑学を聞き入ってしまって。……しかし、気配を察知する能力の精度がかなり上がっておるらしくてな、この人込みの中でも母上達の居場所が分かった」
「そうなの? 凄いね……」
「うむ、かなり便利な力だと思う。戦場でも役に立つだろう」
クロは早朝に自分で言った通り、自分の意思としてカッサと戦うつもりは十分にある様子だ。自分の手を見ながら満足げにしている。
「クロの“勇者”への執着はいつ弱くなったのか、分かったりする?」
私の唐突な質問に、彼は「え?」とほんの少し高い声を出した。
「なんだ母上、急に」
「……そ、そうなんだけど……なんとなく気になって」
「そうよなぁ……三段階目に入った辺りから、ふと疑問に思う事が増えた気がする。『何故戦わねばならんのか』『それが運命だからだ』と頭の中で何度も繰り返した」
「それは……」
『クロ自身の言葉だった? それとも“魔王の素体”の言葉?』と聞こうとして、私は口をつぐんだ。そんな事を言っても彼には分からないだろうし、不安を煽るだけになりそうだったからだ。
クロは私の言葉の続きを待っている様子だったが、「……やっぱりいいや!」と私が誤魔化すと、彼は静かに首を振った。
「母上の言いたい事は分かる。そして、今の我の姿を見てドンが不安に思う気持ちも」
「……ごめん」
「ツフトを出るまでに、もう少し情報を整理してみようではないか。何か発見があるやもしれぬ」
「うん……だね」
私の頷きにふわりと優しい笑い方をしたクロは、オルレリの所へ向かって行った。そしてその白くて細い手を彼女に差し出し直す。まだ買い物は始まったばかり……もう一度手を繋ぐつもりらしい。
私は、私達の様子をちらちらと確認していたアルクに近寄って話しかけた。
「ねぇアルク……クロが今朝から見せるあの笑い方って誰に似たんだろうね? あんなにニコニコ笑う子だったっけ?」
クロはこれまでにも、ウルヒムに似ていたり、ドンに似ていたり、イオーラに懐いたりと私達の影響を強く受けている部分があった。しかし私は、彼が頻繁に見せるあの笑顔に見覚えが無いのだ。
「え……サクラさん、気づいてないんっすか」
「?」
「サクラさんっすよ、あの笑い方。……本当に……そっくりですもん」
アルクの言葉に、私は思わず自分の頬を両手で触る。普段、どういう表情を作っているかなど全く意識していなかったので気が付かなかった。
「そ……そっ、か……へぇ……」
それでも、嬉しいものは嬉しいものである。
私は気が緩めばすぐににやつきそうになる口角を抑えるのに、かなり労力を要したのであった。




