1話 自己
新設孤児院開所からあっという間に半月が経った。仕事は順調に進んでおり、講習の方は上からの許可取れて準備も概ね整っている。一、二週間後には開始できそうだ。
小鳥のさえずりと、薄く漏れ出す朝日、調理場でミィノが作ってくれているであろう朝食の香り。なんと贅沢な起床だろうか。しかも今日は休日である。
「マーマー! 遊びに行こうよー!!」
「お腹すいたー!!」
「……」
「まぁまー、まんまー」
――全てこの大合唱が台無しにしている気もするが。
オルレリとカントがベッド横で踊りながら騒いでおり、一歩下がったエルがこくこくと頷いている。キルンは姉と兄の真似をしているらしく、ぽすぽすと布団を叩く小さな手が愛らしい。
私は顔をしかめつつ体を起こした。モーニングコールにしてはあまりに品が無さすぎる気もする。
「……おはよ、皆は朝から元気だね……」
「おはよーママ―!」
体を起こし、あくびを噛み殺しながらそう言うと、オルレリが私の手を引いて部屋の外に出ようとするので慌てて踏み止まった。
「下行こうよー! アル兄はもう食べてたよ!」
「待ってオルレリ、私まだ着替えも何も……これじゃちょっと出られないよ……」
「ええ~……」
「オルレリ、いっしょにまっていようよ」
「うーん。エルが言うならしかたないなー」
不満そうにむくれるオルレリを、エルが宥めてくれていた。私はほっとしつつ着替えを始める。寝ぐせも酷く、あらゆる方向にぴょんぴょんと飛び出していた。昨日は遅番だったので、入浴の後、ほとんど乾かす事もなく眠ってしまったのが悪かったのだろう。
寝間着を脱ぎ、ブラウスを羽織ってボタンを留め始めたその時、閉まっていると思い込んでいた部屋の扉の先から声が聞こえる。
「……お前な、ちゃんと閉めて着替えろよ」
「えっ……うわっ、なんで!?」
慌てて背後を確認先程すると、先程まで確実に閉まっていた筈の扉が全開になっていて、そこにはドンが立っていた。どうやらカントが私の着替えを待てずに一人で出て行ってしまったらしい。
私は手早くボタンを全部留めて手櫛でなんとか髪を纏めようとする。スカートはすでに身につけていたので助かった。
「カントってばつまみ食いするつもりだ! 私も行くー!!」
オルレリがカントに続いて部屋を飛び出て行こうとしたが、ドンに軽々と止められる。彼女はバタバタと手足を動かして脱出を試みようとしているが、どうにも抜け出すことは無理だなと悟ったらしい。ぷくりと可愛く頬を膨らませた。
「ぜーんぶ食べられちゃうよー!」
「そりゃぁ凄い胃袋だ。カントはいつから怪獣になったんだ?」
「むー」
「怒んなよオルレリ、ほら飯食いに行こうぜ。サクラはエルとキルン連れてとっとと降りて来い。……ボタン、掛け間違ってるから直してからな」
「げっ……」
ドンが部屋の扉を閉めていってくれたので、私は手早くもう一度ボタンを留めた。エルが「ママ、お顔がまっ赤だよ」と教えてくれたので、羞恥心を誤魔化すように彼女の頭を撫でまわした。
私はエルとキルンと共に食堂へと向かった。ドンとオルレリとカントはミィノと共に食事の準備中だが、ロンドやアルク、デニスはじめ元ネフカロン地区の住民はすでに食事を終えたらしい。
食堂から出て行こうとしたデニスに、私は背後から声を掛けた。先月から体調を崩しているマザー・ネフカロンの具合を聞く為だった。
「……正直、あまり良い状況とは言えません。これまでずっと我慢しておられたところが一気に悪くなってしまった様です……。医者の話だと、持って一年。いつ悪化して命の危機に陥るかも分からない状況だそうです」
彼は俯き加減で苦々しくそう口にした。尻尾は垂れ下がり、地面に接してしまっている。私が何と返答したものかと思案していると、
「あっでも、全く話せないと言う訳ではありませんから、少人数でしたらお見舞いにも行ってあげて下さい! たまにパナエス先生も来てくれて、体に良いと言うお茶を置いて行って下さるんですよ」
デニスは無理に笑顔を作ってその場を後にした。私は「ええ、ご気分の良い時に伺いますね」と彼を見送った。デニスはこれからまたパナエスの屋敷へ出勤なのだろう。
私がようやく食堂に足を踏み入れようとした時に、廊下の向こう側からイオーラが目を擦りながらやってきた。美しい銀髪がもつれるように、立派な寝癖が付いてしまっている。
「おはよう、イオーラ」
「……うん、おはよ」
「眠そうだね」
「だって昨晩は……クロが……」
「クロが?」
「……あ」
寝ぼけたままのイオーラが、夜更かしの理由にクロの名前を出したので、私は彼女に問い詰めるように一歩前へ近づいた。クロは夜な夜なお菓子欲しさにイオーラやアルクの部屋に忍びこむ事があるのだ。もしも今回もそうならばお説教をしなくてはならない。
しかしイオーラの態度を見ていると、クロが一方的に何か……と言いたい様には見えなかった。バツが悪そうに顔を少し俯かせ、その視線は私の腹付近で揺れている。その辺りはあまり見ないで欲しいのだが……。
「……何かあった?」
「! あ、あの……えーと……それが、その……」
食堂にはまだ入らず壁の影へと体を隠したままの彼女は、ちらちらとドンの姿を確認しているようだった。彼は子ども達の分のゆで卵を剥いている最中で、イオーラが来た事にはまだ気づいていないらしい。
私は首元を人差し指で少し掻きながら、「……ドンには内緒なの?」と聞いた。
「絶対に……叱られる……」
「なんで叱られるような事しちゃうかなぁ……」
「だってクロが煽ってくるんだもん……。お願いサクラ、黙ってて!」
「いやぁ、黙ってるかどうかは内容によるけど……それで、どうしたの?」
イオーラは両手を私の右耳に添えると、小さな声で言った。
「地下室にクロと二人で忍び込んだの……それで、寝るのが遅く……」
「イオーラ……」
彼女が白状した内容に、私は繋がりそうな程に眉間を寄せる。確かあの場所はまだ立ち入り禁止にしていた筈だ。
「そ、それで……クロが前から気になっていた古い時計があるんだけど、あれの暗号をクロが解いたのよ。そしたら地下室の奥に新しい本棚が現れたの……!」
「それはやっぱり報告した方が……」
「えぇ……」
彼女は『どうしよう』と言いたげに、口元に当てながら青色の瞳を潤ませた。
……全く、そんな姿を見てしまえば、突き放す事は出来ないではないか。私は鼻から大きく息を吐き出してイオーラの肩を軽く叩く。
「まぁ……、片方だけ叱るってのもおかしな話よね。私がクロにも話を聞いてくるから、イオーラは朝ごはん食べてて。フォローはしてあげるから、ちゃんと二人でドンに報告しなさいね」
「うん……」
すっかり小さくなってしまった彼女は、とぼとぼと食堂に入っていった。私はドンに、「ちょっとクロを見てくるね」と声を掛けてからその場を離れた。
集中し始めると周囲に目もくれなくなってしまうクロに宛がわれているのは、一人用の子ども部屋だ。他の子ども達は相部屋なので随分と良い待遇である。アルクやイオーラもそろそろ一人部屋が欲しいかもしれない。
しかし、彼は自分の部屋にはいない様だった。恐らくまだ地下室に入り浸っているのだろう。
子ども部屋や寝室が並ぶ二階から一階に戻り、廊下突き当りの階段を降りた半地下の扉から中に入る。なるほど確かに、普段は二重に施錠されている扉が今日は薄く開いていた。
「……クロ?」
今度こそ、と思い彼の名前を呼ぶ。しかし、またしても返事がない。
不気味に思いながらも私はそのまま進んで行く事にした。いくつかある天窓の覆いが外されているらしく、見渡せる程度には明るい。少し前までは掃除が行き届いておらず、埃の積み上がった酷い環境だった地下室だが、大人達が総出で少しずつ片づけていった事もあって今では多少なり快適に過ごせる空間になっている。
とは言え、染みついた黴臭さはなかなか取れそうに無いので、長時間居座るのは鼻炎の元の様な気がする。
「あぁ……母上。すまない、探させてしまったか」
“低い”声が私を呼んだ。
闇を思わせる烏色の長い髪に、怪しく光る紅い瞳。青い血管すら浮き出そうなほどの白い肌と、すらりと伸びた四肢に、すぐに折れてしまいそうな細い指先。その手は音が聞こえない程集中して読んでいたのであろうその本を静かに閉じた。
つい一週間ほど前に新しい成長段階へと入った彼は、今では14、15歳程の少年の姿でそこに佇んでいた。アルクよりはまだ少し幼いが、とうとうイオーラより体が大きくなっていた。何より私が驚いたのは、声変わりが済んでいた事だったが。
「……イオーラに頼んでここに忍び込んだって?」
「姉上は、鍵を拝借していた我を止める為に付いて来ただけだ。叱らないであげて欲しい」
真っ直ぐに私を見つめて発された言葉に嘘は無さそうだった。イオーラの事だから、鍵を持ち出すクロを放置は出来ず、『駄目よ、ちゃんとリーダーに許可を取って!』とか言いながら付いて行って、最終的にはクロに言いくるめられたのだろう。あの子は気は強いが、案外手のひらの上で転がされやすいタイプだ。
「分かった……ドンには私から説明する。それで、隠し棚が見つかったって聞いたけど」
「ああ。この屋敷の前の持ち主が残した仕掛けなのか……それとも、ゴードル王子が用意した物かは分からないが……そこの壁掛け時計にはめ込まれている正方形のブロックを正しい模様になるようにはめ込み直せば、ここの回転式の棚の鍵が外れる仕組みだったらしい」
クロが指さしながら口を動かした先には、私も何度が目にした事がある謎の幾何学模様が刻まれた時計がある。ブロックが外せるらしいとイオーラから聞いていたが、よく解けたものだ。今出来上がりを見ても、結局この模様が何を意味しているのかさっぱり分からない。
「えっと……その本棚の中に気になる本はあった?」
「うむ……基本的には歴史書が仕舞われていた。そして、その中には我……つまり、魔王の事も触れられているものもある。これは、ゴードル王子の研究を裏付ける証拠になりうるかもしれん。……もしくは、この本を読んだからこそ、“魔王システム”などと呼び始めたのかもしれんが」
「ゴードル王子が個人で隠し持ってた屋敷だもんね、ここ。自分で時計のパズルを解いて読んだか、元々の王子のコレクションを意図的に隠していたか……まぁ、あの人のやる事だし」
大雑把なのか胡散臭いのかよく分からない彼の意図は予想し辛い。今もきっと誰か――恐らくミィノ――から私達の動向に関する情報を得ているのだろう。何か更なる研究への足掛かりになる様な事はあっただろうか。
「……それにしても、」
クロは小さな呟きと共に、丁寧に収納されている本の背表紙を撫でた。
「読んでも読んでも、分からないことばかりが増えてゆく……我は、どこから来て……何故、勇者と戦わねばならぬのか……。文献を当たれば多少なり答えは出るかと思っておったのだが、なかなか見つからないものだ」
その声は、あまりに小さかった。
「クロ……」
「フ……母上、『今更何を』と思われる事を承知で口にするが……日に日に、勇者と戦う事に消極的になっていく自分がおるのだ。無論、戦うべき相手は勇者だけでは無いし、我も今となっては打倒カッサに疑問は無いから協力はする……しかし、我は勇者を目の前にして、戦う気力が湧いてくるだろうか……」
それは、……当たり前の事だ。勇者の姿を見た事も無い、以前の魔王だった時の記憶も無いから恨みも無い、そんな奴を『自分は魔王で、勇者は敵だから倒そう』なんて、思えた事がおかしかったのだ……、と口にしようとしたが止めておいた。
随分と成長した筈なのに、その姿は五歳程の姿だった頃よりも小さく見えた。段階を進むごとに、クロは己の在り方に苦悩している様に見える。足場がグラついて、不安で仕方無いのだろう。それを埋める様に、彼は本に没頭しているのだ。
「……自分が何なのか、分からなくて怖い?」
「怖い……か。そう、かもしれない……」
ささくれ一つ見当たらないキメの整った白い指先が、一冊の本を抜き取ろうとして何度も滑らせてしまっているのが目に入った。私はそっとその本を抜き取って、クロに手渡す。
「自分の事を知りたいのなら協力するよ。私に出来る事は限られているだろうけど」
「母上にそう言って貰えるのならば心強い……。ただ、この事はドンにはまだ秘密にしておいて貰っても良いだろうか……? 要らぬ悩みを増やしたくは無いのでな」
「そう……? なら、とりあえずは、ね。時期を見て、話をするか考えよう。それで良い?」
「うむ」
クロは本をしっかりと受け取って、自分の胸元に抱え込んだ。
それにしても、姉弟揃って『ドンには秘密』か。意味するところは違うのだが、なんとも言えない共通点に私は一人でこっそりと笑った。
5章スタートしました!
あと残り2章です。今後ともよろしくお願い致します!




