21話 迎え
新設孤児院の準備と並行して講習のカリキュラム作りを初めて数日が経過。
どうやら朝から体調が悪いらしい。私はベッドから立ち上がろうとしてすぐにうずくまった。
頭が痛いのは寝不足からだとして、吐き気がするのはなんでだろう。足の裏に伝わる床の温度がやけに冷たく感じるのは自分の体温が高いからだろうか。
休みたい……そんな思考が一瞬よぎったが、速攻で払いのける。
「……自分で、やるって言ったんだろ。桜子」
私は、手早く身支度を済ませると朝食を取ってから出かけた。クロにも声を掛けたのだが、彼はまた書斎に閉じこもってしまっている。栄養は……と心配になったのだが、魔力は泉で取り込んだ分があるし、食事も自分で取れる量が増えたので、私からの供給は朝と夜で十分だと言われてしまった。少し寂しい。
***
今日は、運び入れる家具や収納などの配置を検討する日で、サーシュとマルウィンと共に新設の孤児院までやってきた。
外装は古びた屋敷と言う表現が近い。その裏に併設されているのは新築のシンプルな白壁の建物で、そこが子ども達の寝泊まりするスペースになっている。屋敷とその建物は渡り廊下で行き来が出来るらしい。孤児院の中は土足厳禁なので、玄関で靴を揃えてから足を踏み入れる。
「広いですね……」
「でっしょー? 天井は少しぶち抜いて解放感を出してみたんだー」
狐の獣人サーシュが満足気に腕を組みながら頷いている。
古びた印象の外装とは違い、中は真新しい壁紙と、外からの光がたくさん取り込まれていて明るい雰囲気に包まれている。
「部屋もたくさんあるみたいですし……あ、ここ、机が……」
私は一つの部屋の前で足を止める。そこには使い込まれたテーブルと椅子がたくさん並んでいた。
「廃棄に出てたのを貰って来たんだよ。あって困るものじゃないからいいかなってね」
「……ここなら、少し勉強も教えられるかもしれないですね」
そう言うと、マルウィンが「勉強ですか?」と少し驚きながらこちらを振り向いた。貴族の力がかなり弱くなっているこの国であっても、カッサや周辺諸国と同じ様に勉学の機会を得ているのは貴族の子どもや金持ちの子どもくらいである。ましてや孤児院の子どもが勉強を習うと言うのは聞いた事がないのだろう。
ニンゲンで言う十歳頃を過ぎれば、ほとんどの孤児院の子ども達は奉公の為に出なくてはならないような環境だからだ。
「文字と歴史、簡単な算術くらいはやってもいいと思うんだよね。外に出た時にも必要になるし……文字は特に」
「そうですね……読み書きが出来ない方を狙った不当契約の問題もありますから……」
そう。この世界では契約書が己の命運を左右する。少し練習すれば名前くらいは書ける様になるだろうが、小難しい契約書の文章を理解するにはある程度の教養は必要だろう。言いくるめられてサインをしたら、自分を売る為の書類だった……なんて、笑えない話だ。
「出来れば外部から先生を呼びたいけど……カンマニさんは反対するかなぁ」
私の独り言にマルウィンもサーシュも苦笑いで応えた。あの眼鏡の奥の瞳がギランと光ると、大体反対意見がマシンガンの弾の様に飛んでくるのだ。いい加減もう慣れたが。
それから私達三人は建物の中をぐるぐると回りながら、意見を出し合って家具などの配置を決めていった。また、赤ん坊や低年齢の子どもの部屋にはベビーゲートの様な物も取り付けて欲しいとサーシュに要望する。
私達の意見をまとめたものをペルフェに提出し、許可が下り次第サーシュが中心となって準備に入ってくれるらしい。
ちなみに備品はロゥが担当しており、そちらもかなりの量が運び込まれてきている。
「随分と形になってきましたね」
まだ古びたテーブルくらいしか並んでいない食堂でマルウィンの放った言葉に、私は「そうだね」と返した。
食堂については、百人一斉に食事は難しいので、年齢別に分けるか別室も使うべきか少し悩みどころだ。
ちなみに孤児院の食事担当は別に雇う事になっている。勿論カンマニは反発したのだが、百人分の食事を作ったり片づけたりする暇があると思うのかと私が徹底抗議した結果なんとか通って良かった。本当は掃除や洗濯にも人を雇いたかったのだが、そちらは子どもに手伝って貰いながらやってと言われてしまって残念だ。
「色々決めるところまでが大変だからねー。後は手と体を動かすだけだし楽勝楽勝」
「サーシュさんはここが開所してしまうと、一緒にお仕事出来なくなっちゃうのが寂しいですね……」
「マルちゃんは可愛い事言ってくれるじゃん。ま、でもそれが仕事だし、ここが成功すればシスター・ペルフェに他の孤児院の修繕工事の仕事を回して貰えるみたいだから、頑張らないとねぇ」
サーシュは若いながらに工務店の経営をしているらしいので、国に関わる人から継続して仕事が貰える状況は有難いのだろう。
そして、この食堂で家具の配置検討は終わりだ。気が付けば丸一日かかってしまっていたらしい。外を見ると少し空が赤くなってきている。
「ちょっと早いけど、直帰でいいって言われてるし今日は帰ろっか。俺が鍵閉めてくよ。俺は明日もここに来るからさ」
「そうですね、ありがとうございます。……じゃぁマルウィン、一緒に……」
「あっ、今日はちょっと……シスター・ペルフェに呼び出されていまして……遅くなると思うので、そのままあちらに泊まります」
「そっか、分かった。じゃぁまた明日」
マルウィンがしばらく私が住んでいる屋敷に宿泊していたので、たまにはペルフェもゆっくり話したいのかもしれない。子どもと上手く関われないとの悩みだったが最近はうちの子ども達とよく遊んでくれているし、そろそろペルフェの屋敷に戻っても大丈夫だろう。
私は二人と別れて帰路についた。
赤く色づく街並みを歩いていると、段々足取りが重たくなってくる。
仕事中はあまり自分の体調と向き合う暇がなかったが、マルウィンとサーシュと離れた事で、随分と気が抜けてしまったらしい。
「……はぁ」
住宅街に入る。新設の孤児院と、住まわせて貰っている屋敷はさほど離れてはいないのだが、今日は随分と遠くに感じる。
頭が痛い。息が上がる。気持ち悪い。――結局、アンルニルと同じで疲労だろうか。休め休めと言っておいて恥ずかしい限りだ。屋敷に帰ったら、今夜はなりふり構わず眠ろうと私は心に決めた。
しかし、どうにも足が動かなくなってきてしまった。
私は知らないお宅の塀に少し体を預けて休む事にした。先ほどまで夕方だと思ったのに、いつの間にかすっかり暗くなってしまっている。そんな長い時間フラフラとしていたのか。
早く戻らなければ、今日は早く帰ると伝えていたので皆が心配するかもしれない。
急いで帰ろう……そう思うのと裏腹に、預けていた背中は重力に逆らえずにずるずると地面へと落ちていき、私はとうとう地面に座り込んだ。
ぽたぽたと流れ落ちる汗が地面へと吸い込まれていく。
――ああ、どうしよう。動けないかもしれない。
情けなさと頭痛から涙が零れそうになるのを堪えながら、私は夜空を仰いだ。
「……なんでお前って、目を離すとこうなるんだ?」
見上げた先にあったのは眩く光る月ではなく、金色の髪だった。
彼は眉を寄せた表情でその場に腰を下ろし視線を私と合わせようとする。私はこんな惨めな姿を彼に見られる事が耐えがたく、その視線を逸らそうとぐっと俯いた。
「……分かんない」
「わざとなのか?」
「……違う」
「こっち見ろ」
「やだ」
「なんで」
「……」
「おい」
「……こっちに来るなら、前もって言っておいてくれればいいのに!!」
そう全力で叫ぶと、私は自分自身の声量のせいで悪化した頭痛に「うあぁ」と悶え苦しんだ。しかしだってそうだろう。最近は二人で話す機会は無かったが、イオーラ相手には通信機でやりとりしていたのだ。『そろそろ合流するかも』くらい伝えていてくれても良いものを。
すると彼は自身の後頭部を軽く掻きながら「急に決まったんだよ」と言うと、ゆっくり私に背を向ける。恐らく、『乗れ』と……そういう事なのだろう。
迎えに来て貰った上に負担までかけるのかと、私が渋っていると、
「乗らねぇなら抱えて行くぞ」
と彼が言ってきたので、仕方無くその背中に頼る事にした。彼におんぶをされるのはこれで二度目だ。
「……いつ、ついたの」
「昼間。お前は仕事だって聞いたからな、荷物整理してたんだよ。チビ達も興奮してたしな」
「そ、っか……」
「おい。お前、結構熱あるな。ったく……しばらく仕事休めよ」
「でも……」
私が休んでは他の人達に迷惑がかかるだろう。そう返そうとしたが、くらりと視界が揺れて私は彼の肩に頭を預ける事になった。
――どちらにせよ、こんな状態で行けば迷惑に違いない。どうやら休むしかないらしい。そう思うと、悔しさからだろうか先程は堪えられた筈の涙がじわりと滲みだして、彼の肩を濡らしてしまう。
それを感じたのか、彼が少し動揺したように歩みを止めた。
「……あー、なんだ。まぁ、誰にでもあるだろ体調が悪い時くらい」
「うん……」
勿論分かってはいる。自分だって反対の立場ならば休めと言う。だがそれでも、飲み込めない事はある。
彼も私がそう思っている事が分かっているのだろう。「そういうもんだよ、仕方ねーよ」と笑った。
「……だから気にすんな。……ただ、俺のいない時に怪我してきたり、落ちたり、倒れたりされると、……やっぱり肝が冷えるんだよ。職場の奴は、『体調悪かったのか』くらいにしか思わなくてもな、俺達は違う。お前が大切だから、無茶はしないで欲しい。少しは自分に気を遣え。わかったか? ――サクラ」
久方ぶりに直接呼ばれた自分の名に、ぎゅっと胸が締め付けられる。締め詰められて締め付けられて、息が出来ない程に。頭を支配するのは、一つの想いだった。この一か月間、一度も揺らがなかったその想い。
「おい、どうした? 大丈夫か?」
涙に濡れた顔を上げた私は、熱で朦朧とし始めた意識がこの口を制御する暇も無いうちに、つい、零す。
「――好き。……好きだよ、ドン」




