14話 女の園⑥
三日間と言うのは考えていたよりもあっと言う間に過ぎて行った。
この残りの三日で私が最大の課題としているのは、“人員の確保”だった。
確かに、子ども達を直接世話するシスター三人と、監督役一人で一応は回る。ただ、孤児院内の雑用の量が半端では無いのだ。食事も洗濯も四十二人分。雑用だけで一日が終わるレベルだ。今回の様に誰かが体調不良で倒れたら一気にピンチに陥ってしまうし、そもそも、そうで無くともシスター達に休日と言う概念が無いのは、かなりまずい状況だと思う。
泊まり込みじゃなくてもいいから、雑用を一手に担ってくれる誰かを見つけなければならない……私が去る前に。当てならあるのだ。
私は早朝また顔を出してくれたアルクに頼み、子ども達のお昼寝の間に“ある人”を孤児院の前まで呼び出して貰った。
「お疲れ様です」
「どうも……デニスさん。どうですか? パナエス先生のお手伝いは」
「ネフカロン地区に閉じこもっていた自分には、なかなか慣れない世界ではありますが、見て覚えていくしか無いですね。……それで、私に何かご用だとか?」
今はあの屋敷からパナエスの屋敷まで毎日通っていると言うデニスが、物珍しそうに孤児院を眺めながら私に訪ねる。彼は、ネフカロン地区との連絡の窓口も担当してくれていた人物だ。この手のお願いは聞き届けて貰い易いだろう。
「この孤児院、人員がどうしても足りないんです。この……ネフカロン地区で私の“召喚許可契約書”にサインをくれた中に、料理や洗濯なんかが苦にならない様な方っています?」
私はそう言いながら、事前に書いておいて貰っていた書類の束をデニスに見せた。彼は猫耳をピッと逆立てて警戒した様な表情を作る。
「ちょ、ちょっと待って下さい! サクラさんがまた新しく呼ぶって事ですか!?」
「うん、そう」
「パナエス先生だって、あれ以上は身元の保証は出来かねるって言ってたじゃないですか……」
「そこをなんとか。デニスさんからお願いしてくれませんか?」
「え、えぇ~?」
彼の戸惑いはごもっともなのだが、私の持っている伝手で今呼べるのは元ネフカロン地区の住人くらいしかいないのだ。しかし私が呼ぶと不法入国扱いになってしまうので、パナエスに色々と世話して貰う必要がある。
多大な迷惑をかけるのは分かっているのだが、これ以上解決策は思いつかないのだ。
「分かりました、パナエス先生に確認してきます……まだ呼ばないで下さいね!」
「うん」
「絶対ですよ、絶対ですからね!」
そこまで念を押されると、無断で呼びたくなってしまうが……とりあえず彼を待つ事にした。
数十分程してから戻ってきたデニスは、「元ネフカロン地区の住民はやっぱり駄目ですって」と私に釘を刺しに来た。
「むぅ……」
「……ただ、各孤児院で働き始めた屋敷住まいの四人から一人を、こっちに移動する事は構わないって言ってました。――西の孤児院に行ったマリバルなら、そういった仕事は大好きですよ。それにあっちは人手が足りてるからやる事はあまり無いって、ぼやいていましたし」
「本当!?」
「ええ。……ですから、短気を起こして元ネフカロン地区の誰かを呼ぶのは止めて下さい。彼らはソマランで亡命して、色々手続きを踏んでからこちらに来るって算段なんですから……」
「あはは、すみません……あと、重ね重ね申し訳ないんですけど、マリバルさんに明日からこっちに通勤して貰うよう伝えて下さい」
「ま、どうせ夜は顔を合わせますからね。構いませんよ」
そう言うとデニスはパナエスの屋敷へと戻っていった。忙しいのに呼び出して、しかも往復させてしまって悪い事をしてしまった。後日何かお礼でもしないといけないかもしれない。
しかしこれで人員は確保出来た。マリバルが二日間で雑用に慣れてくれれば、一気に仕事を回しやすくなるし、シスターのうち一人が休みを取った時には監督役のアンルニルが代わりに入れば問題は無い。
「……ん」
その時、私の目の前の景色が少し霞む。ソマランからの移動も含め、流石に最近少し睡眠時間が足りていない気がする。ただ、アンルニルには「休め」と言っておいてなんだが、やる事が山積み過ぎて休憩を取る事もままならない。回転が鈍くなる頭の中に、次の仕事の段取りが浮かんできてしまうのだ。
……きっと、アンルニルはずっとそんな疲労感や眠気に襲われ続けていたのだろう。誰にも頼らず、頼れず……。
「……なら、変えていかないと、だね」
私は子ども達のお昼寝の見回りをしているシスター・リリーンのところへ向かった。彼女は眠っている子ども達の横で、子ども達の棚の拭き掃除をしてくれているらしい。
「ごめんなさい、シスター……ちょっとここで休ませて貰ってもいいですか?」
「も、勿論! どこか辛いところでも……?」
「いえ、少し疲れてしまっただけですから……」
私は大人用の椅子に腰かけ、テーブルに突っ伏した。寝心地は悪い筈なのだが、連日の寝不足もあってすぐに睡魔がやってくる。
遠くなる意識の中で、リリーンが私の背中にブランケットをかけてくれた気配がした。とても……暖かい。
***
私は机に突っ伏していた短い時間の中で、夢を見ていた。……子どもの頃の夢だった。
当時、私がいた児童養護施設に一人の実習生が来た。可愛い可愛い短大生のお姉さんで、私は毎日たくさん遊んで貰った。彼女の実習中は、施設側も虐待の証拠を表に出すわけにはいかなかったのだろう、今思えば食事もまともな量が出されていた。
『お姉さん、明日も遊ぼうね』
私が抱き着きながらそう口にすると、彼女は酷く申し訳なさそうな顔をして謝罪をした。
『ごめんね、明日からお姉さんはまた学校に戻るんだ』
『や、やだぁ! 明日も遊ぶぅ』
彼女に一番懐いていた私は、ひぃひぃと声を上げて泣きだしてしまった。その実習生は私を膝の上に乗せると、頭を撫でながらあやしてくれた。恐らくは柔軟剤だと思うのだが、その時にふわりと香った優しい甘い匂いを覚えている。
『……お姉さんね、保育園の先生になるからそのお勉強をしないといけないんだぁ』
『保育園の……先生……』
『うん。私が通ってた保育園にね、大好きな先生がいて……いつも優しくて、ピアノもとっても上手だったんだ。私もいつかあの先生みたいになりたいなって思ってるの!』
そう無邪気に笑っていた彼女は……今はどうしているだろうか。今も保育士として働いているのだろうか。勿論、知る由も無いのだが……ふと思い出しては気になってしまう。
そして私はと言うと――彼女のきらきらとした顔を見て、つい……。
『わたしも』
と呟いた。
そうだ、この頃からだった。施設の弟や妹達の面倒を率先して見る様になったのは。
彼女の様になりたくて、あんな笑顔になれるような仕事ってなんだろうと興味を持って、こんな施設じゃなくて明るい日の当たる保育園で働きたいって思う様になったんだ。
いつも笑顔で、子どもを一人でも多く幸せに導けるようにって……。
***
「……さん、サクラさん……あ、起きられました? そろそろ子ども達も起床です」
「あっ……、ありが、とうございます」
私が顔を上げた時、ベッドでも数人が体を起こしてこちらを見ているようだった。無意識にテーブルに涎を垂らしていたらどうしようかと焦ったが、それは大丈夫だったらしい。
「サクラさんまで倒れないで下さいね」
リリーンが私の腰のあたりを撫でながらそう言ってくれる。私が「その為に今寝ていたの!」と元気に答えると、彼女は「なるほど」と口にしながら頷いた。
「シスター・リリーンも、少しでも辛い時にはこうやって休息も取って下さいね」
「お気遣いありがとうございます。なるべく、そう致しますね」
さて、どうだろうか。きっとこういうのはアンルニルが率先して彼女達に「休め」と言わなければならない事なのだろうが……彼女の性格では難しいかもしれない。アンルニルが言ってくれないのなら仕方が無い、彼女達が自身で発言せねばならないだろう。言えるようになるには少し慣れが必要だ――だが、私にそこまで見届ける時間は……無い。
「それでは、洗濯物を取り込んでから夕食の準備に移りますね」
「あっ……待って下さい、サクラさん。あの、一つ聞きたいのですが……どうしてこんなに一生懸命に私達の事を助けてくれるのですか? どうせあと三日……いえ、もうほぼ二日で離れてしまう仕事場なのに……」
リリーンは私を見上げるのに、必死で首を上へ傾けている。私は一言謝罪してからその場にしゃがんだ。
そして、彼女の疑問に対する答えを探る。……案外、簡単に見つかるものだ。
「……私、多分……他の保育士……いえ、子どものお世話をする仕事に就いている人達の事みんなが好きなんだと思います。勝手に仲間意識を持ってしまっているだけかも、しれませんが」
「好き……?」
「はい。好きだから、一人で苦しまないで欲しいって思うんです……恥ずかしいですね」
私が頬を掻きながら言うと、リリーンは「……そうですか、ふふ」と、合点がいったらしい。満足そうにしながら、起きてしまった子ども達をトイレに引率しに行った。
そうだ、私は保育士の仕事が好きだし、仕事をしている自分の事も好きだ。そして、同じ職に就いている人も……そして、多少根性がねじ曲がっている程度では、基本的に憎めない。
だから、アンルニルの事も好きだし、勿論シスター達も大好きだ。
私がここを去った後も、彼女達が幸せに働けるように……あと、少し頑張ろう。
そして私は、この五日目を無事に終えた後にあと二日もフル稼働で仕事をした。
最後の方は「眠い」としか考えられなかったし、夜に子ども達が寝付いたらすぐに帰ろうと思っていたのだが、クロが最終日の夕方に「すまない母上、きっとすぐに動けなくなる」と口にし始めたので急いで私が借りている部屋に彼を投げ込んだ。この時ばかりは自分の動くスピードに驚いた。
案の定クロはその後すぐに石化を始め、今も部屋でカチカチだ。
石化したクロは重くてとても運べないので、仕事の最終日を迎えてもそれから半日はここを離れられないでいる。
外が明るくなってきた。本当ならもう帰っているべき八日目の朝だ。
「……まだ、いたの」
「シスター・アンルニル! どうですか、もうお元気ですか?」
「元気よ。あんだけ休んだんだから」
本当は夜の間に退散する筈だったので、私と遭遇するとは夢にも思わなかったのだろう。アンルニルが驚いた表情で私を視界に入れていた。
「……お疲れ様。もう、帰るんでしょ」
「い、いえ。連れて来た子どもが少し体調が悪いみたいなので、半日ほどお世話になっていようかなって」
「そう……なら私が見ましょうか」
「いっ、いえ、軽い軽い発熱でっ、夜は上がったんですが、さっき計ったら下がってましたし! そこまでされなくても大丈夫です! 今は眠っているので、起きたらすぐに帰ります!!」
「……じゃぁ、いいわ」
まさか部屋で石になってますとは口が裂けても言えない。
アンルニルは、三日目に比べると雰囲気が少し柔らかくなっている気がした。もしかすると、仕事には出ないと言いつつも私達の様子を見ていてくれたのだろうか。そして……ほんの一握り……いや、一掬いでも、彼女の心を動かしたのだろうか。
私は無言で廊下を進んで行く彼女の背中に向かって、
「お世話になりました……!」
と叫んだ。
アンルニルはその場に数秒足を止めたが、何も答えなかった。
廊下の角を曲がり見えなくなってしまったアンルニルと、そろそろ起きて仕事を開始するであろうシスター三人の今後の祈って……私の、この孤児院での一週間の勤務は、終わった。




