7話 ツフト共和国
「思ったより近いもんだね」
私は馬車から荷物を降ろしつつ、目の前の屋敷を見上げた。どこかの貴族が使っていたと紹介されたその屋敷は、蔦や草が多少伸びてしまってはいるものの、庭も建物もかなり広々としていて、大所帯で過ごすのに困る事は無さそうだった。
――私は今、クロとアルクを引き連れて、ソマラン王国の隣にあるツフト共和国に来ている。
ソマラン国王とタヅ姫と契約を交わした後、別室で休んでいたロンドを起こして私とドンは三時間ほど眠った。
ドンがソマラン王国に滞在して国防の管理の手伝いをする事になったと他のメンバーに伝えると、案の定勝手に決めた事に対してイオーラが怒り狂ったので全員で彼女を宥めつつ、今後一ヶ月について話し合いが行われた。
まず必要な事は、ゴードル王子がツフト共和国に用意してくれた屋敷に、ネフカロン地区の住人――特に、マザー・ネフカロンを召喚する事である。実は、ネフカロン地区は昨晩訪れたソマラン王国とカッサ王国の向かい合う砦からあまり離れていない場所にあるらしい。ネフカロン地区に繋がる道は入り組んでいて、かなり見つけ辛い場所にあるのだが、タヅ姫が脱獄した事で山沿いを念入りに捜索されれば、発見は時間の問題だろう。
一旦マザーをソマラン王城へ召喚、後程私がツフト共和国の屋敷に移動して再度召喚と言う二度手間を行っても良かったのだが、早めに屋敷の方も見ておきたいと言うことで、早速私がツフト共和国へ出かける事になったのだ。
「サクラさん、これかなり掃除しなきゃダメっすね」
「やっぱり? まぁ、ネフカロン地区からマザーのお手伝いさんも呼ぶから、手分けしてやるかなぁ」
取り付けたままのカーテンが破れてしまっているし、温かみのあるクリーム色の外壁もかなり傷んでしまっている。これではまるでお化け屋敷だ。アルクは大して多くない荷物を運び入れた後、屋敷中の窓を開放して回ってくれている。
「……申し訳ございません」
ゴードル王子の配下だろうと推測される、紺色の羽と同じ色のショートの髪を持つ鳥人の少女が顔を赤らめて頭を下げた。どうやらここの管理や手伝いを一任されたらしいのだが、この子だって二、三日前に命じられたばかりだろうし、一人でこの規模の片づけは無理だ。
「か、顔を上げて……? え、えと……」
「ミィノと……申します」
「じゃぁミィノ。ごめんね、急にこんな仕事をさせちゃって。ゴードル王子からはなんて?」
「皆さまのお手伝いと、身の回りのお世話を、と……」
「そっか。……なら、今からどんどん人が増えるし、すぐに食事の用意も必要になってくるの。水回りから片づけちゃって貰っていい?」
「わ、わかりました」
ミィノが駆け足で屋敷の中に向かって行くのを見送り、私は早速自分の仕事に取り掛かる事にした。庭のベンチが安全であるかを確かめた上で、まずはマザー・ネフカロンをここに召喚する。
大した時間はかからない。牛の頭と巨体を持つ老女が私の目の前に現れた。
「……なるほど……これは、シュー……便利よの……」
「お待たせしてしまって申し訳ありません、マザー」
「魔王の卵の母君……今日は、若頭は一緒では……ないのかえ?」
「ドンはソマラン王国にしばらく滞在する事になりました。なので、その代わりは私が勤めます」
「ほほ。あやつの代わり? それはそれは……シュー……」
マザーは固いベンチに腰掛けながら微笑んでいる。「約束を果たすのが遅い!」と怒鳴られるかもしれないと覚悟していたのだが、そんな事は無かった。
私は続けて、マザーの身の回りを手伝う予定であった獣人達を出来る限り呼び出す事にした。彼らにマザーの部屋を早く整えて貰う必要がある。いつまでもベンチの上に座らせておくわけにはいかないし、埃っぽい屋敷の中など論外だ。
このツフト共和国とネフカロン地区では距離がある為、残りの魔力と相談しながら召喚しなくてはならない。調子に乗って呼び、自分が使い物にならない様では困る。
「お久しぶりです、皆様」
ネフカロン地区で案内役をしてくれた、猫の獣人であるデニスは深々と頭を下げた。
結果としてこちらに呼べたのは、マザーと六人の獣人だった。魔力切れにより少し頭痛が出て来たので、ここで打ち切りだ。残りの人達は本日中にネフカロン地区を発ち、ソマラン王国へと向かう手はずになっている。
「すみません、お待たせしちゃって」
「本当ですよ……もう、どうなる事かと冷や冷やしました……」
「で、ですよね」
「ですが、こうやって無事にマザーをカッサ王国から出す事が出来たのですから、皆様には感謝しかありません……今後は、契約通りに」
「ええ……」
「それで……その」
デニスは怯えた様にキョロキョロと周囲を見回し始めたので、「ドンはソマラン王国です」と短く伝える。彼はその言葉にぱっと顔を明るくした後、すぐに自分で顔を隠した。
「す、すみませんっ」
「いえ……気持ちは分かりますから……」
ネフカロン地区で泣かされた事で、デニスはドンに感謝しつつも恐怖の対象になってしまっているらしい。
「それでは、我々も屋敷内の掃除をして参ります!」
「お願いします」
ネフカロン地区の住人達は張り切って屋敷内に入って行った。段々とにぎやかになってきた。私達も一カ月間はソマラン王国に滞在するが、その後はこちらに移動する。その頃にはかなり住みやすい環境になっているだろう。子ども達もここを気に入ってくれると良いのだが。
「母上」
その時、クロが私を呼ぶ声がした。彼は、マザー・ネフカロンのベンチの隣に腰かけて何かを話していたらしい。
「クロ、どうしたの?」
「マザーにお茶を運んでも良いか」
「あぁ、だったら私が……」
「いや、我がやる。ミィノに聞けば良いのだろう」
「そう? なら、お願いね」
「うむ」
小さな魔王はベンチから飛び降りると、意気揚々と屋敷の中へと向かって行った。衝動的にお手伝いがしたくなったのだろうか。
マザー・ネフカロンはそれを見てくすくすと笑っている。
「アレが魔王の卵……いや、“雛”と名乗っておったが……シュー……あの様に無邪気な子どもとは……」
「マザー・ネフカロン、お聞きしてもよろしいでしょうか?」
「なんじゃ?」
「……“魔王”とは、この世界の何なんでしょうか。なぜあんな不完全な状態でこの世に現れて、最後には“勇者”と呼ばれる人と戦うのか……その答えを見つけなくてはならなくなって……もしも、何かご存じでしたら教えて下さい」
「……」
マザー・ネフカロンはしばしの沈黙の後、重そうな足をベンチに上げようとした。同じ体勢が辛いのかと思い、私は慌てて補助に入る。触れた足からは微かに腐臭がした。彼女の病気は刻一刻と進行しているらしい。
「……あ、あの、ご存じで無ければいいんです……」
「――“魔王”は、その時代に……一番醜い生き物の姿を纏って生まれると言う……シュー……私の、想像でしかないが……この子どもは本来……カッサ王都で育つはずだったのではないだろうか……?」
「! つ、つまり……滅ぼされる運命がカッサに……」
「わからぬ。そうとは、言い切れぬ……しかし、カッサ王国に現れた“魔王”と、それを滅ぼさんとする“勇者”……シュー……もしもそれが実現出来ていれば、大陸の混乱を静めんとする“神の筋書き”と言えただろうが……実際にはそうではない……複雑に、なってしまっている」
もしも“魔王”と“勇者”が大陸の混乱を静める為に現れるものならば、確かにマザー・ネフカロンの言う通り。配置されるべきは今と逆のポジションであるべきだ。
「うーん……」
「何故その様な事を調べておるのか? だれかに……頼まれたのかえ?」
「……ええ」
「そう思い詰める事もない……お主はそのうち……ここを去る。利用されるだけ利用されてと……腹が立つかもしれぬが……戦争が終わり、元の世界に帰ったら忘れてしまうが良いのじゃ」
「そっ、そんな事は無いです! 私は……私は……っ」
マザー・ネフカロンは大きな手を私の頭に添える。見上げれば、彼女は慈愛に満ちた表情で私の事を眺めているようだった。
育ての母の皺だらけの手を思い出し、私はそっと彼女の手を握る。
「帰りたくない……そう思うのじゃな? それは、何の為か?」
「まだ、答えは出していませんが……多分、そうです。ここに、居たい……でも、居てはいけないような気がします……私はこの世界の住人じゃないから」
「それは……シュー……お主が、“やるべき事”を見出せて無いからではないか? ……それを見つけれねば、こちらに残ったとて……苦しいだけ……シュー……お主にも無理が生じてくる」
“やるべき事”……私のソレは、ドンに任された子ども達の世話をする事。彼らが一人前に成長し、自分らしく生きていけるようにする事……そう思っていたが、それだけでは足りないと言う事だろうか。
「……今のままじゃ、帰らなければ自分への違和感で苦しむ、帰ったら……それは、自分の気持ちと反対の事だから、苦しむ……どちらにしても、辛いばかりで……」
「であればやはり……シュー……お主は見つけなければならん」
「“やるべき事”を……ですか」
「そう。お主がお主である為に……。ふふ……なるべく大きいものが良いかもしれぬな? ……そなたの想い人のやろうとしている事の規模が大きいだけに……つり合いを取ると言った意味でも?」
「えっ!? あ、いえっ、その」
なんでバレているのだろう……年の功とは恐ろしい。
しかし、そうか……少し胸の中が軽くなった様な気がする。私は、マザー・ネフカロンの手を頬に当てて、感謝の言葉を紡いだ。
「……ありがとうございます。探してみます、“やるべき事”」
もしもソレが見つかって、専念する事が出来れば…………私は、胸を張って言えるだろうか。ここに残る、と。




