8話 口論
私達はネフカロン地区にすぐ戻り、石板の件を報告した。
ネフカロン地区の他の住人も石板を確認しに行きたいと言うので、デニスは案内をしに行き、マザーへの詳細の報告をマリオとアルクが行っている。
会議は一時中断となったが、すでにほとんど話はまとまったらしい。ドンが休憩がてらに一度、私と話をしに外へ出て来た。
「サクラの国と同じ言語って事は、以前に召喚された奴が残していったんだな。そしてそいつはソマランへ向かったと」
「ソマランってどこ?」
「ソマランは、昨日話した多種族連合国のうちの一国だ。確かドワーフ達が多く住んでいるのもソマランだったはずだぞ」
「じゃぁ、通信機を教えたのはその人? でも、石板の汚れ方を見るとかなり前の様な……」
「通信機の開発に時間がかかり過ぎたのかもしれないな。なんにせよ、一度行ってみる必要があるだろう。情報サンキュな」
ドンはうっすらと笑みを浮かべつつ、思案する様に口に軽く手を置いている。
「ただ、残ってる奴らの様子も気になるし、村には一度帰らないといけないな。協定も詰まってきたし明日の早朝にここを出よう。何事も無ければ明後日の昼間には着く」
またあの長い道のりを移動するのは大変だが、孤児院の子ども達に会えると思うと心が弾んだ。
しかし帰る前に一度、ドンにはハッキリと言っておかなければならない事があるのだ。私は深呼吸をして心を落ち着ける。クロを抱える腕に力が入った。
「ドン、あのね……先に言っておくけど……もしも、クロ――魔王が、カッサに対して戦争を起こしたくないって主張した場合、私は――『不滅の灯』を手伝わない」
「……なんだと?」
「わ、私とドンの契約内容は、“孤児院の運営”であって、“戦争への協力”じゃない。孤児院の子ども達に関係する事だったら付き合うし、あの村に身を置いている以上は全てに無関係でいる事はできないけど、都合良く全部聞き入れるとは思わないで。……そう言う権利は私にだってあるよね」
私の反発を予想していなかったのだろう、ドンは目を丸くしている。そして次第に口角を上げて、この赤ん坊とどっちが本物の魔王だよと思わずにはいられない程のあくどい表情を見せた。
「クックック……言う様になったなぁ。確かにそういう契約だったよなぁ? じゃぁどぉすんだよ、俺がクロを奪って、無理やり前線に引っ立てるってなったらよぉ」
「……に」
「逃げるしかないよなぁ? だがクロはお前がいないと育たない。そんなクロをお前は置いて行かない。赤ん坊とチビ達抱えて逃げるのは大変だぞ。アルクとイオーラは自分に付いてくるって思ってるか? どうだろうなぁ、あいつらだってカッサには十分すぎる程恨みがあるんだ。チビ達だって大人しく出て行くとは限らねぇぞ? 表面上平気そうなフリはしてるがな、全員親を殺されてるんだ。もしもあいつらが付いて行かねぇなら……サクラは孤児院の運営を放棄した事になる。その先は……まさか忘れてねぇよなぁ?」
――もしそうなれば、契約違反。一億円の違約金、もしくは相当の“寿命”を払う事になる。
じっとりと嫌な汗が背中を伝っていくのが分かる。
ドンとは普段軽口を叩いて、冗談だって言いあう仲だが、私だってそこまで甘く見ているわけじゃない。彼は、“やる”となったら“やる”。間違いなく。
「……っ」
やけに鼓動が大きく感じる。汗が止まらない。恐怖から、ドンの顔が見られず俯く事しか出来ない。
そんな私に対して、ドンは「フン」と鼻を鳴らすと、私の頭をぽんと軽く叩いてきた。
「悪い、やり過ぎたな」
「……ドン」
「……ただ……分かるよな? 今が最大のチャンスなんだって事は。それを邪魔するって言うんなら、俺は、お前にだって何するかわかんねぇぞ」
頭に置かれていた手が滑り降り、私の頬に添えられる。逃げられないと、本能的に感じた。ドンは謝罪こそ口にしてはいたが、本心ではここで私にクロの処置を確約させたいのだろう。
どうすればいい、どう答えればいい? 自分の身の可愛さに頷くか、勇気を持って突っぱねるか。
私が回らない頭で考えあぐねていると、抱いていたクロの身体が唐突に赤い光を発し始めた。
「なっ」
「クロ……!?」
光はどんどん大きくなり、目を開けていられない程の強さになった。思わず私とドンは目を庇う。
光の強さがピークを迎え、段々と弱まっていくのを感じ、恐る恐る目を開けると、目現れたのは、二日前の夜に出会った長い黒髪の青年だった。
「あなたは……」
「……なるほどな、魔王陛下のお出ましってわけだ」
青年は虚ろな目で私達を眺めてから、自分の手足を確認する。そして「ハァ……」と大きなため息をついた。
「しまった……まだ十分にエネルギーが溜まっていないと言うのに、実体化してしまった……」
「く、クロ……?」
「その名に異論が無いと言えば嘘になるのだが……君が付けた仮の名はそうだな。サクラコ、そして……ドンとやら」
青年の姿になったクロは、私達に向き直る。頭痛でもするのだろうか、こめかみ部分を押さえて顔をしかめた。
ドンはそんな彼の前で膝をつき礼儀を示した。
「お目にかかれて光栄です。陛下」
「……全く、都合の良い口だな。先ほどお前がサクラコに言った事も忘れたか。我を無理矢理引っ立てると言っていたが……?」
「お聞き及びでございましたか」
「その鬱陶しい口調は止めて貰おう、寒気がする。……我はお前に一言あって出てきたのだ」
クロはドンに立つように指示し、目線を合わせる。
私から見ると、クロの顔色は非常に悪い。二日前と違って昼間だから尚更そう感じた。
「よいか。我が復活した暁にやる事は決まっておる。“勇者”がいる陣営と敵対する事だ。……しかし、普段なら我の心を支配するはずのこの世に対する憎しみが、さっぱり湧き上がって来ん。恐らく、エネルギーの供給源となる母体が影響しているのだろう」
「……なるほどな。サクラは異世界人だ。ろくに村から出たことも無かったし、この世界に対する恨みや憎しみは抱いていないだろう。それが魔王を育てる上での欠点になるとはな」
「……そう。確かに世界を憎いとは、今のところ思っていない……だが」
クロは、ずいっと顔をドンに近づけ、言葉を続ける。
その声音はあまりに静かで、夜の海を思わせた。
「勇者は殺す。今度こそ。そうでなくてはこの輪廻が終わらないからな」
「……勇者はもう存在しているのか、この大陸に」
「ああ……嫌と言う程感じている。我が教会で一度目覚めた時は、かなり遠くにいたようだが。そして今は……恐らく、カッサの王都にいる。間違いなく、あちら側に付いているだろう」
「! そうか…」
「勇者を殺す手伝いをすると約束するのなら、ドン。お前に、我の威光を貸してやろう。我の名の元に仲間を集め、魔族を名乗るがいい。そして……我が復活したその時には……分かっておるな?」
二人の話に入る事は出来ず、私はその場に呆然と立ち尽くしていた。
ドンは片足を後ろに下げ、クロに対しうやうやしく頭を下げる。
「勿論。全力を尽くして勇者を始末致します……ところで」
「だからその口調は止めよ……わかっておるわ。契約書だろう。この世界ではこれが無ければ何も始まらぬ」
クロが何もない空中を指でなぞると、紙とペンが現れる。その場でサラサラと文字を書き、血印を押した。書き終えると人差し指でその紙を突く。契約書はドンの手の中に泳いでいき、彼もそれに目を通した。
「確認した」
ドンもその紙に血印を押す。原本はドンが、そしてその場で取ったコピーを代理で私が持つ事になった。
話が終わると、しんどそうにその場にあった椅子に深く腰掛けるクロ。
「……これで良い」
「陛下は、サクラが俺に詰問されている事が気がかりで実体化されたので?」
「面白い事を聞くではないか。…それはそうだろう、我の母の様な立場の人間だ。それに我としては、『不滅の灯』に保護して貰っている方が都合が良い。お前達が敵対しても一つとして得にはならぬ。……サクラコ」
「ひゃ、は、はいっ」
突然名前を呼ばれて、私は何と返事をすれば良いのかわからず、すっとぼけた声を出してしまった。
彼は私に手招きをし、近づくように促している。
「中途半端にエネルギーを使ってしまったから、しばらくは思念体になるのも難しいだろう……負担をかけるが、あまり無理はせぬように」
「へっ」
クロはそう言うと、私の右手を取って甲に口づけをした。その際に長い髪がさらりと揺れる。
当の私は、男性にそんな事をされるのは初めてで、耳まで一気に熱くなってくる。
「ではな」
「あっ、く、クロ……っ」
クロの体はまたしても赤い光に包まれ始める。そして青年の姿になった時と同じような現象が起きたと思ったら、元の赤ん坊の姿に戻っていた。
床で眠る彼をそっと抱き上げる。
「サクラが二日前に幽霊とか言ってたのが、魔王だったって事なんだな」
「そう…みたい」
「二日前は赤ん坊は横で眠ってたんだったな。じゃあその時は思念体で現れていたわけか。俺と話したかったって言ってたから、思念体だと母役としか話せないとか、そう言う制限があるのかもな」
「なるほどね……」
私は未だドンの顔をまともに見る事が出来ず、目のやり場に困り仕方なくクロを見つめていた。なんだか鼻がツンとしてくる。
「……気が変わった」
ドンがぼそりと呟いた。
「ん……?」
「いや。うん、なんでもねぇ……て言うかなんでずっと下向いてんだ。こっち見ろ」
「う、うぇ」
見られたくなくて私は顔を逸らす。
もちろんそんな事をすれば彼はムキになると頭では分かっていたのだが。
「なんだよオイこら」
「うぶっ」
片手で顎の下を掴まれ、強制的にドンの方を向かされる。
私は慌てて顔を拭おうとしたが、クロを抱えているためそれが出来なかった。
「は? なんで泣いてんだよ」
「……うっさい!」
「クロがちいこく戻ったからか?」
「違う! 馬鹿!」
張りつめていた空気が元に戻り、ホッとしたから……などとはとても口には出来ず、とりあえず彼の手を剥がそうと体をよじらせる。
「……」
ドンがそんな私を眺めて、黙っている。この間はなんとなく分かる。多分ちょっと不機嫌なのだ、彼は。
「ん?」
急に自分の顔に影が差したため、なんだろうと思い上を見る。
気が付くと私の唇は、ドンによって塞がれていた。
それはキスでは無い。彼は私の唇ごと食すように、ガジリと大きく噛みついたのだ。
「~~~~ッ!! ばっ……痛いじゃん! な、何すんのよ!」
「はっ。別にいーだろ。キスしたわけでもね~じゃん」
「外から見てたらわかんないでしょ! しかもそういう問題でもないし! 子どもみたいな誤魔化し方するんじゃないの!!」
思わずドンに掴みかかるが、本人は耳をほじりながら明後日の方向を向いている。その時彼の肩の向こうに見えたのは、見知った二人の姿だった。
「リーダー、サクラさん……やっぱり……」
「違う! アルク、違うからっ!」
「僕たちに見えない所でやってくださいね。明日の馬車で顔を合わせ辛いです」
「マリオさんっ! 誤解です!!」
アルクが何故か半泣きで、マリオが呆れた様にゆっくりとこちらにやってくる。
カラカラと笑うドンに、私はもう先ほどの話を振る元気も無くなっていた。
クロは今までと同じように固く目を瞑り眠っている。




