4話 ネフカロン地区にて
朝。
「はぁ~?幽霊を見ただぁ?」
「うん……」
その後全く眠れなかった私は、昨晩の出来事を二人に説明する。塵となった姿が、私にとっては”幽霊”にしか見えなかったため、その様に伝えた。
話を進めていくごとに、ドンの顔が渋くなっていく。
「あのな、現だか夢だか幻だか知らんがな、危ないから勝手に外にでて知らない奴としゃべるな。何があるか分かんねぇんだぞ」
「ごめん……」
「その場から消える、見えなくする魔法はあってもおかしくない。サクラからの印象だと悪意は無さそうって事だが、そもそも敵を見た事が無い奴の意見に信憑性があるわけが無い」
「おっしゃる通りで……」
「不用心にも程がある。反省しろ」
「はい……」
ぐうの音も出ないとはこの事だ。私はクロを抱えたまま項垂れる。
アルクが隣で戸惑っている気配を感じた。
ちなみにクロは今朝も麦粥の上澄みを飲んだ。唇を見るとちゃんと潤っているし、排尿もしている。脱水の心配は今の所無さそうだ。
私達も朝ごはんを食べて準備を整えたら、洗った布おむつを馬車の荷台に掛けて出発する。空っ風で到着する頃には乾くだろう。
「昼過ぎ頃には着くはずだ」
「はい。あ、リーダー横で馬の操り方見ててもいいすか?」
「おう。ここ座れ」
相変わらずガタガタと大きく揺れる車内。私はクロを抱きかかえ、外の様子をぼんやりと見る。寒さも本格化し、遠くの山には雪が積もっている様子が見えるようになってきた。
向こうは積もっているのだろうか……もしそうなら、馬でそのまま進めるのか?
そんな事を考えながら揺られていると、次第に瞼が重くなってきてしまった。夜あまり眠れなかった事が影響しているのだろう。
「あの人……また、会えるのかな……」
昨晩の彼の事を考えながら、荷台の壁に体を預け目を瞑る。夢の国に行くまでに、そう時間はかからなかった。
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「ごめん、寝てた……」
今日はずっと謝りっぱなしだ。
あれから私は爆睡してしまったらしく、目を覚ました頃にはなんと六時間も経っていたらしい。
「なんか静かだと思ったら、クロ抱えたまま寝ててびっくりっすよ」
「面目ない……」
「いいんじゃねぇか。どうせ夜に起きたせいで寝付けなかったんだろ」
「そうなんだけどさ……ドンに悪いよ……乗せてもらっておいて寝てるとか……」
「いや、途中でアルクに教えたり一本道では練習がてらに交代したりしてたから、そこまでは。アルクはまた帰りにもやってみるか?」
「お、お願いします!」
どうやらアルクの御者っぷりはかなり様になっていたらしい。交代しても私が目を覚まさなかったのだから、しっかり馬も歩けていたのだろう。
私は情けないやら恥ずかしいやらで、二人に顔を向けられぬまま周囲を見渡した。
目指す集落は北の山間部だと言う事だったため、きっと厳しい寒さが待ち受けているに違いないと思っていたのだが、今はコートが要らない程の暖かさだ。そして仄かに硫黄の様な香りがする。
「どうやらここは温泉地帯らしいんだよなぁ。お羨ましいこって」
「お、温泉!? 私も入れるかな!」
「さてな。後で頼んでみるか」
「うんうん!」
こちらの世界に来てから、入浴は最も辛い事の一つだった。熱した石を水に投入してお湯にし、それを使ってタライの上で体と髪を洗うしか無かったのだ。それでも毎日入れる事を有難く思わねばならないのだが……。
「ふぁ……」
まだ寝足りないのか、あくびが止まらない。そして荷台で寝てしまったせいか倦怠感もある。
「おい、気合入れろよ。今からここのボスに会うんだからな」
木が多いため一度馬車を降り、手で馬を引いて誘導する。
森を抜けると、私の身長の三倍ほどの高さの木材で作られた門が現れる。門の横を塀がぐるりと立っており、恐らく例の集落を囲んでいるらしい。正面からでは塀の中は見えそうにない。
「何か御用ですか!」
見張り台から、獣人と思われる屈強そうな若い男達が三人現れる。
もしかしたら裏にもっと待機しているのかもしれない。
「俺達は『不滅の灯』だ。そちらのボスに話があってやってきた」
ドンは荷台から取り出した黒い旗を掲げた。旗には大きな松明と蛇が描かれている。
見張り台の男達は何やら相談する素振りを見せ、「しばらくお待ち下さい!」と叫んだ。
「入れてくれるかな……」
「心配すんな、すぐ開く。あと、一人離れてフラフラしてると、ニンゲンってだけで因縁付けられるかもしれないからな。俺かアルクの傍から離れるなよ」
「う、うん……」
ドンの言葉通り、十分程で門は開けられた。
「お待たせしました。ネフカロン地区へようこそ。馬はこちらでお預かり致します」
全身が黒い毛で覆われ、少し釣り目がち青年が私達を案内してくれる。長い尻尾と立ち耳、しなやかな身のこなしが特徴的だ。恐らく猫の獣人なのだろうと私は思った。彼は一礼し、「デニスと申します。よろしく」と爽やかに自己紹介をした。
集落の中へ足を踏み入れる。
湯気がそこらじゅうから立ち上がっており、その中を様々な獣人達が行き交っている。休憩所の様な所には足湯の様な場所もあり、若いカップルが談笑しながら楽しんでいた。まるで温泉街にでも来たかと錯覚してしまう。
「わー、素敵!」
「ありがとうございます。しかし入浴が苦手な種族も多くて、なかなか活かせていない部分もありますが…かく言う私も濡れるのがどうもダメでして……」
「そうなんですか、なんだか勿体ない……」
そんなに物欲しそうに見つめてしまっていただろうか、アルクから「仕事が終わったら入れるっすよ、きっと」とフォローされてしまった。年下に気を遣わせてしまってバツが悪い。
門から続く一本道を歩いて行くと、長い石造りの階段が目の前に現れた。
「ここを登っていった先だ」
「う……がんばろ……」
「サクラさん、クロの籠、持つっすよ」
「ありがとー……助かる」
一段登るごとに体がぐっと重くなる。確かに元々運動は得意な方では無かったが、それにしたって異常なほどの疲れだ。もしかすると、こっちの世界に来てからの疲労が一気に出てきたのかもしれない。
今日は早めに寝れるといいなぁ……と、もう言葉にも出来ず、心の中で呟く。見かねたドンとデニスが私の手を引っ張って補助をしてくれた。
「ご、ごめん、なさい……」
「お気になさらず」
「ま、しゃーねーよ」
ドンが優しい事がむしろ怖いと思うのは失礼だろうか……。
必死で長い階段を登り切り、荒い息を整えながら前を向くと、そこには石造りの屋敷があった。石の柱が何本もあり、屋根は丸みを帯びている。どこかギリシャ風の建築物を思わせる。
「こちらです。……マザー、お客様をお連れしました」
マザー、とは誰だろうかと疑問に思いながらも誘われるまま、私達は赤い絨毯に従って進む。すると、巨大な銅像の様な影がその道を塞いでいた。
否、それは銅像でも立ち塞がっているのでも無く、ドンが話したがっていた人物だった。
「……よく、来たね……遠い所を……シュ―……わざわざ……」
身長は三メートル程あるだろうその人は牛の様な頭を持ち、体はニンゲンと同じに見える。その肌は青白く変色し、所々に大きなシミの様なものや深い皺が刻まれており、随分お年を召されているようだという印象を持った。一段上がった床に座ったまま、こちらを黒い瞳で眺めている。
「マザー・ネフカロン。久しぶりだな」
「反乱軍の……若頭……随分と変わったねぇ……前はあんなに頼りなさげだったが……」
「前に来たのは五年前だからな。それと、まだまだ“軍”なんてつけられる程立派なもんになっちゃいない。足踏みばかりで何も進まねぇよ」
マザー・ネフカロンと呼ばれた獣人――恐らく、ミノタウロス――は、ドンを知っている様子だった。彼女は、呼吸器に問題があるのだろうか、言葉を発する度に深呼吸をしていて、聞いているこちらも息苦しくなってくるほどだ。
「お恥ずかしい限りだが……私はこの通り、病気と老化で……シュー……歩くこともままならんでの……もてなす事も出来んのさ……悪いねぇ……」
「いや、悪いな急に訪ねてきて。…頼みがあって来たんだ。いいか」
「……聞くだけ……シュー……聞こうか……しかし、協力するかは……」
「分かってるさ。おい、サクラ」
私はアルクからクロを受け取り、しっかりと抱きかかえる。
そしてドンの横に並び、彼女の前で礼をすると打ち合わせ通りに言葉を紡ぐ。
「……あの……マザー・ネフカロン。どうかこの捨て子に、乳を分けて頂けないでしょうか……?」
私の言葉に、彼女の指先がぴくりと反応する。
シューシューという呼吸音が激しくなり、顔を見ずとも怒りに震えている事が理解できた。
「お前は……我が、シュー……同胞が……王都でどの様な扱いを、受けて……分かった上で……申しているのであれば……シュー……今ここで八つ裂きにして……餓えた烏共の、慰みに……」
「お怒りはごもっとも! ……ですが、この子の親はどこにいるのかも分からず、誰かに預けるにしても私以外が触れれば”反射”ではじかれてしまうのです……まだこんな幼い子、どうかお情けを賜りたく……」
「……! ……“反射”……シュー……その赤子……もっとこちらへ……」
「……はい」
私はクロを抱えたまま、マザー・ネフカロンへと近づいて行く。
もしかすると肉が腐り始めているのかもしれない、鼻に刺激臭を感じるが顔色を変えない様に歩を進めた。
彼女はクロの顔を幾秒か見つめ、「シュフー……」と大きなため息をついた。
「若頭……これをこの女に……異世界人に……育てさせると……」
「……」
「……そうか、お主は……仲間を道連れに……魔族になろうと言うのだな……」
「……と言う事は、やはりそうか。確信は無かったんだが……」
マザー・ネフカロンとドンが何を言っているのかがさっぱり分からない。
私が目を白黒させていると、マザーが背中を曲げて私と視線を合わせる。彼女の小さく黒い瞳はどこまでも深く、恐怖を感じた。
「この赤ん坊は……魔王の卵……その時代に一番…邪悪な種族の姿で……シュー……生み出されると聞く……間違いない……今は間違いなくニンゲンの姿だろうな……」
「魔王……?」
「しかし……不思議なものよな……本来魔王の卵は……もっと邪悪な思念の元に現れるはずだが……?『不滅の灯』は……そこまで大きな思念を持たんだろうに……」
「ま、待って下さい……!」
私は思わずマザー・ネフカロンの話を遮ってしまう。刺激臭で涙が出そうになるのを堪え、私は問いかけた。
「魔王って何ですか? クロは……どうなるんですか?」
マザー・ネフカロンはシューシューと呼吸をする。先ほどよりもゆっくりとした息遣いだ。彼女は小刻みに震える太い指でクロの頭をそっと撫で様ととし、案の定”反射”により弾かれる。
「シュー……魔王は、邪悪な力で魔族を統べる者……この世を終わらせる者……そして、それが叶わず……勇者に封印される定めを持つ者…」
弾かれたその手はそのまま私の顎を持ち上げる。乾燥しきった皮膚の感触が首元の薄皮に痛いくらいだった。
「そしてお前はソレの……母役に選ばれたのだ……」




