3話 ミルクを求めて②
ガタゴトと馬車が揺れる。たまに大きく揺れる事があるため、私は大方の時間クロを抱っこし続けていた。
「籠に入れてたらいけないのか」
「こんな小さな赤ちゃんだもの……十数時間も揺られっぱなしはやっぱり心配だよ」
“揺さぶられっこ症候群”は、赤ん坊が激しく揺さぶられ、脳内出血などを起こして様々な障害を起こす事だ。ただ車に乗っていたり、あやすために揺らす程度なら心配無いと言われているが、この様に悪条件の中揺さぶられ続ける事がどのように作用するかは分からない。
「まぁ、好きにしろよ」
「うん……」
「サクラさん、俺代わりますよ。籠ごとじゃないと”反射”されちゃいますけどね」
「ありがとう」
村を出てからすでに6時間。ドンが言っていた”馬の足を速める薬”が効いているのか、かなりのスピードで進んでいた。それでも休憩は必要なため、水辺で休憩は挟んでいく。
「この辺りは水に困らないからよかったな。冷えるのが難点だが」
「本当ね……段々寒くなってきた。ドン、上着取ろうか」
「おう、サンキュな」
ずっと馬を操り続けているドンにコートを取り出して渡す。息が白くなってきた。
私も自分の荷物からブランケットを取り出して肩にかける。クロにも同じように暖かそうな布を一枚足して包んだ。
「アルクは寒くないの?」
「俺は毛皮があるんでさほど寒くないっす。なんならこっちの気候の方が過ごしやすいくらいで」
「そっかー。私は寒いの苦手だからちょっと羨ましいかも。ねぇちょっとそっち行ってもいい?」
「えっ?あ、は、はい。どうぞ……」
アルクに寄り添うように座ると、彼の灰色のたっぷりとした毛がほんわかと温かく、まるで取り込んだばかりの毛布を抱いている様な気分になった。
夜眠るときは、アルクにクロと添い寝して貰えれば、暖が取れていいかもしれない――と、一瞬名案の様に思ったが、すぐに“反射”の事を思い出す。残念だ。
まだあと数時間は移動すると思うが、夜は布団で眠れるのだろうか。野宿なのだとしたら、クロが冷えてしまわないか心配だ……そんな事を考えていると、
「あ、あの……サクラさん……その、すみませんが……」
額に汗をかきながら顔を火照らせているアルクが、俯きながら私に声をかける。
私は慌てて彼から身を引いた。
「ごめんアルク、暑かった?」
寒い所が得意だって言っていたが、くっついただけでこんなに暑くなるものなのか? と私は首を傾げた。
「い、いえ……そういうわけじゃ……」
「……何やってんだお前ら」
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それから休憩を挟みつつも進む事五時間。
山間部に入り悪路を行きながら、私達は古びた山小屋に辿り着いた。
「今日はここで休むぞ」
「ドン、お疲れ様。馬さん達もね」
「あー、交代がいないとちっとばかし疲れるな。お前らも練習してくれよ」
「俺にもやれますかね」
「慣れれば簡単だろ、村に戻ったら教えてやるよ」
「あざす」
馬達を馬小屋に移動し、餌と水を与える。それから小屋の中に入った。
小さめの暖炉、寝袋がいくつかとランタンが置いてあるだけで備えとしては質素なものだった。それでも足を伸ばせるだけありがたい。
「ねぇ、ドン。ここって?」
「遠出の時に間借りさせてもらってる拠点の一つだよ。たまにしか来ないから食料とかは無いけどな。雨風凌げるだけいいだろ」
ちなみに、小屋の周りには簡単な仕掛けがしてあって、誰かが自分達の次に使用していれば入る前に気付けるらしい。うっかりここの住人や間借りしている誰かと鉢合わせしない為の工夫だ。
アルクが暖炉に火を点ける。持参したポットを自在鉤に掛けて湯を沸かし、カップに入れ配ってくれた。
「ありがとう。次使ってもいい?」
「どぞっす」
私は先ほどのポットに水と洗った麦を入れ、煮込む。沸騰したらポットを吊るした自在鉤を調整して火から少し遠ざけ。談笑しながら待つこと三十分ほどで、麦粥の完成だ。
しばらく蒸したらその上澄みをスプーンですくい、器によそう。
「クロ、まんまが出来たよ。いただきます」
粥がかなり冷めた事を確認し、抱きかかえたクロの口元へそっと運んでいく。まだ眠ってはいるが、小さな口を開けてスプーンを受け入れてくれる。何度も口から零しそうになりながらも、なんとか飲み込んだ。一回に飲める量が少ないため、少しずつ根気よく口に運んでいく。
「眠ってても口を開けるもんなんだな」
「“吸啜反射”って言ってね、生まれつき備わっている“原始反射”の一つなんだけど……ほら、こうやって指なんかでも口元に持っていくと、お乳を飲もうとして口を開けて吸うような仕草をするでしょ? これは本人の意思とは無関係に起こるものなのよ」
「へー、面白いな」
時間をかけながら30cc程飲ませたが、クロは急に嚥下をしなくなり口から粥がたらたらと流れ始めた。もう少し飲んで欲しかったが、無理に飲ませて吐かれてはもっと困る。
「じゃぁ、ご馳走様ね」
クロの首の後ろをしっかりと支え、縦抱きにして排気をさせようと背中を軽く叩いた。眠っているのもあってか全然出る気配が無い。
「明日の昼過ぎには乳が貰えると思うんだが」
「それまでは頑張ってもらわないとね…それにしても、クロってなんで起きないんだろ」
「赤ん坊ってそういうもんじゃないのか」
「生まれたての赤ちゃんは確かにほとんど寝てばっかりって子もいるみたいだけど、それでも少しは起きるよ。それにクロは生後一か月くらいなら経ってる気がするし……」
「……ニンゲンならな」
「え……」
考えてもみなかった……いや、思いつかなった視点に、ハッとする。そうだ、その可能性があるのだ。長い髪以外普通の赤ん坊にしか見えないが、中身はどうか分からない。
クロは、どこから来たのかも、親の事も、何故ずっと眠っているのかも、“反射”の魔法の事も、本当の名前も、何もかも分からない“謎の赤ちゃん”なのだ。
「ニンゲンじゃないとしたら…どういう種族だとか、心当たりあるんすか…?」
アルクがおずおずと言った感じでドンに質問する。その口ぶりだと、彼には見当もつかないのだろう。
私はやっと「けぷ」と排気をしたクロを、一枚余分に余っている寝袋に横たわらせた。
「…………いや、どうだろうな」
ドンはそう呟きながら、ナイフで黒パンを切り分け、かまどで少し温めたチーズと干し肉を乗せて簡単な夕食を用意してくれた。それを私とアルクが受け取る。
「ありがとう。わー美味しそう」
「……サクラ、クロの事頼むな」
「ん? うん。何よ今更。昨日は私が面倒見ろってあんなに言ってたじゃん……ん、うんうん、美味しい」
「それもそうか」
少し固めのパンが少しとろけたチーズと相性が良い。
見れば、アルクは受け取った姿勢のまま、こちらを向いている。
「どしたの、食べないのアルクは」
「あの……お二人は……付き合ってるんすか?」
「は?」
私はうっかりそのパンを滑り落としそうになる。危ない危ない。
「何で!? そんなわけないでしょう!」
「だ、だってとっても仲が良いんで……あと、皆噂してますよ、サクラさんはリーダーの“お気に入り”だって……」
なんじゃそりゃ。私はドンに無理やりこっちへ呼ばれて、目玉が飛び出そうな条件で契約を結ばされただけの仲だ。
「クックッ……いやーどーだろーなー」
先ほどと同じセリフを吐きながら、当の本人は口を押えて笑っている。
「否定しなさいよ否定を!」
「うっ、やっぱり……」
「違から!」
女手一つで育てた息子に、たまたま一緒にいた同僚を恋人呼ばわりされたような、そんな居た堪れない気分だ。本気でやめて欲しい。
私は必死でアルクに弁解し、なんとか納得してもらう。
全く、いい迷惑だ。
夜中。
ドンとアルクが眠っている横で、私はふと目を覚ましてしまった。
食事の後は順番に体をあたためた布で拭き、早めに休んだのだが。
「眠れない」
もう一度寝付こうとするが、足がむずむずして眠れない。一度外の空気を吸おうと、私は寝袋から出る。隣で眠っているクロがちゃんと息をしている事を確認し、布団を掛け直す。
扉を開けると冷たい風が小屋の中に入ってきた。他の人が起きてしまってはいけないと、慌てて出て扉を閉めなおす。
「起きたか……」
その時、扉の横に立っていた誰かに話しかけられた。
ドンとアルクは小屋の中でまだ眠っている。
「だ、誰っ」
月明かりに照らされたその人物は、白い肌に、紅い瞳、そして烏の濡れ羽色の長い髪を持つ美青年だった。
独特な雰囲気をまとった彼は、「月を見ていただけだ。騒がないでくれ…」と腕を組み、壁に背を持たれ掛けながら空を見上げる。敵意は無いように感じた。
「……」
私は呼吸を整え、もう一度同じ質問をする。
「あなたは誰……?近所に住んでる人?もしかしてここの主?だったら間借りさせて貰っている事を謝るわ」
「フッ……いや、我も通りすがりだ…」
「そう……あの、もし野宿をしているんだったら、中に入る? 仲間には私から説明するし。火は消したけど、外よりは暖かいと思うから」
扉を指して室内へと誘うが、彼は血色のあまり良くなさそうな唇を少し歪めて笑った。笑顔を作るのが下手そうな人だ。
「君は初対面の我に随分親切だが…もしも害をもたらす者であったらどうすのだ……?」
「……確かに。でももしそうなら、私達が眠っている間に攻撃なりしてるんじゃない? それにあなた、自分じゃ気づいていないかもしれないけど、とても体調が悪そう」
彼は自身の額に左手を当てる。覗く手首はまた一段と白く、細く……ちょっとした衝撃で枝の様に折れてしまいそうだ。
「……ふーっ……そうだな。確かにもう限界かもしれぬ…」
「ちょ、ちょっと大丈夫? すぐに人を呼んで……」
「それには及ばない、すぐに……また、休む……な、に……またす…………力が……」
「えっ、どこへ……」
彼の声は徐々に小さくなって、その姿も一瞬のうちに塵の様に消え失せてしまった。
元から何もいなかったように。冷たい風だけが私の足元をすり抜けて行く。
そして何より私が気になってしまったのは、彼の声が消えゆく瞬間。最後には吐息しか聞こえなくなってしまったが、それでも聞き慣れたその響きだけはしっかりと耳に残った。
『それではな、サクラコ……』
名乗った覚えのない私の名前を呟いた、塵となって消えてしまった彼の姿を追いたかったが、あては無い。
私はそこに立ち尽くしたまま、月を仰ぎ見る事しか出来なかった。




