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第1話 異世界の氾濫

 とあるスイートルームの一室。

 そこで俺は椅子に縛られていた。

 手足を縄で固定されて、厳つい男達に囲まれている。

 これが美女ばかりなら喜んだものだが、現実はあまりにも非情であった。


(ったく、涙が出そうだ)


 そもそも、なぜ俺がこのような状況に陥っているのか。

 発端は一週間ほど前まで遡る。

 とある仕事でトラブルが発生し、関係者だった俺は夜道で拉致されたのだ。


 いつもなら片手間に撃退できたろうが、あの日の夜は泥酔していた。

 飲みすぎは駄目だと常日頃から反省している。

 痛い目を見るたびに、もう飲まないと誓っているものの、実際はこのザマだ。


 誓いすぎてそろそろ飽きてきた。

 今度は誓わなくていいだろう。

 効果がないのは薄々気付いている。

 我ながら欲望に忠実なのだ。

 特に酒と金と女に対する欲は、死んでも治らない悪癖だと思う。


 反省とも言えない思考に浸っていると、尋問係である男が腕を振り上げた。

 直後、頬に拳が叩き込まれて怒声を浴びせられる。


「いい加減、吐きやがれッ!」


 続けて腹に蹴りが炸裂し、また顔を殴られる。

 口内に血の味が滲んできた。

 血を吐き捨てた俺は、肩を震わせて笑う。


「……ハハ」


「何を笑ってやがる!」


「そりゃ滑稽だからさ。今のパンチは本気かい? いいジムを紹介するから鍛えた方がいいぜ」


 挑発を受けた尋問係が、顔が真っ赤にする。

 俺の胸倉を掴むと、殺気を剥き出しにして拳を振りかぶった。


「こ、この野郎っ!」


「止めろ。私が話す」


 尋問係を制する声がした。

 部屋の奥から初老の男が歩いてくる。

 ワインレッドのシャツにグレーのスーツ、洒落たサングラスという出で立ちだ。

 手に葉巻を持っており、全身から余裕が窺える。


 この男の素性は知っている。

 どこかの大企業の社長で、裏では非合法なビジネスに手を染める犯罪組織のボスだ。

 直接的に関わる機会がなかったが、まさか初対面がこんなシチュエーションだとは。

 少なくとも嬉しい出会いではなかった。


 周囲の男達は、脇へ退いて頭を下げる。

 怒り心頭だった尋問係も大人しく従った。

 社長は俺の前で足を止めた。

 サングラスの奥で軽薄な双眸が光る。


「トニー・ヴァーナー」


「何だい、サングラス坊や」


 名前を呼ばれた俺は顔を上げて応じる。

 こちらの返しには触れず、社長は落ち着いた声音で質問をしてきた。


「チップをどこに隠した」


「悪いが過去を振り返らない主義でね。すっかり忘れちまった」


 俺は肩をすくめて答える。

 にわかに部下の男達の殺気が膨らんだ。

 面白いほどに短気な連中が揃っている。


 一方で社長は特に反応しない。

 この辺りはさすがと言う他なかった。

 彼は淡々と要求を重ねる。


「貴様は優秀な傭兵だ。チップの在り処を話せば、専属で雇ってもいい」


「コンプライアンスは遵守すると決めているんだ。何をされようと、雇い主は裏切らないぜ」


 俺が断言すると、社長は呆れ笑いを見せた。

 そして軽蔑の念を隠さずに反論する。


「よく言えたものだな。半年前の仕事を知っているぞ。貴様は護衛契約を結んだ富豪を殺している」


「時給換算で五十万ドルの仕事だったんだ。そりゃ乗るさ。近頃は何かと不景気だからな」


 俺は平然とぼやく。


 社長の指摘は事実だ。

 護衛対象の富豪が個人的に気に入らなかったので殺した。

 契約が終了したら暗殺するつもりだったところ、ライバル組織から依頼がかかったのだ。

 ちょうどよかったし、報酬も高額だったので受けた次第である。


 結果的に裏切ったことになるが、あの仕事は例外みたいなものだ。

 同じような事態は年に数回程度起きているも、無視できるくらいの頻度だろう。

 巷では裏切りの代名詞として俺の名が使われることがあるらしいが、そろそろ抗議したいと考えている。


 天井を仰いだ俺は、首を回して男達を見やる。


「それより腹が減ったな。ルームサービスを頼んでくれよ。ピザとコーラが食べたいんだ。ああ、ついでに映画も観れると最高なんだが」


 ここは世界一の超高層ビル、アースタワーだ。

 それも最上階付近のフロアであり、各種サービスは一級品と言えよう。

 金さえあれば何でも揃う場所である。

 それを監禁と尋問だけに使うのは、あまりにも損じゃないだろうか。

 せっかくなのだからサービスを利用してみたい。


 俺のオーダーに対して、社長は沈黙する。

 彼は数秒もしないうちに踵を返すと、部屋の外に繋がる扉へ向かった。

 サングラス越しの視線が俺を睨む。


「今のうちに余裕ぶっているといい。じきに軽口も叩けなくなるだろうからな」


「ほう、そいつは楽しみだ。クリスマスの夜みたいに期待しておくよ。靴下はこれしか無いがね」


 俺は足を上げて振ってみせる。

 無表情に一瞥した社長は、そのまはまドアを開けて退室してしまった。

 ドアはオートロックですぐに施錠される。


 社長のいなくなった室内に静寂が訪れる。

 それを破ったのは、尋問係の舌打ちだった。

 彼は俺に指を突き付けながら発言する。


「てめぇのような傭兵は大嫌いだ」


「おいおい、悲しいことを言うなよ。俺はあんたのことが好きだぜ? 床に落ちたアップルパイの次くらいだが」


 俺は半笑いで言葉を返した。

 すぐさま拳が腹にめり込み、顔面を殴られる。

 鼻の奥が熱くなり、血が垂れてきた。

 ぽつぽつと滴るそれが、膝に赤い染みを広げていく。


「元特殊部隊だか知らねぇが、無様に捕まってるじゃねぇか。所詮はその程度ってことだ」


「同僚の尻拭いは大変なんだ。後で追加報酬と休暇を請求するつもりさ」


 俺だって好きで拘束されているわけではない。

 とある組織からチップを盗んだ同僚が行方不明になり、回収担当だった俺が巻き添えになったのである。


 同僚は簡単にくたばるような男ではない。

 任務の放棄もしない性質なので、よほどの異常事態に陥っているのだろう。


 もっとも、同情の余地はなかった。

 おかげで俺もこんな目に遭っているのだ。

 次に顔を見た時は、一発くらい殴らせてもらおうと思う。


(しかし、そろそろ脱出したいな)


 もう三日も監禁されている。

 実を言うと、拘束はいつでも外せる状態だった。

 こういった事態も初めではない。

 手錠のピッキングや縄抜け程度は必修科目である。

 しばらく様子見をして、脱出計画も考案できた。

 行動に移してもいい頃だろう。


 俺は男達を見回しながら薄笑いを浮かべる。


「忠告するが、俺は絶対に喋らないからな。どんな拷問を受けてもだ。覚悟しろよ、これから残業続きの日々が――」


 発言の途中、突如として室内が揺れ始める。

 思わず黙ってしまうほどに強烈な縦揺れだ。

 振動で家具が音を鳴らし、部屋のどこかが軋んでいる。

 体勢を変えることで、椅子ごと倒れそうになるのを阻止した。


 揺れは数分ほど継続し、やがて余韻を残しながら終わった。

 俺は口笛を吹いて感心する。


「今の揺れはすごかったな。天変地異の前触れか?」


 地上二百階で揺れを感じやすい環境だが、まるで建物全体が倒壊しそうな勢いだった。

 実際は耐震設計も万全のはずなので倒壊はしないものの、それでも凄まじい揺れには違いない。

 近くで大規模な地震が発生したようだ。


 その時、男達の一人が窓を見て凍り付いていることに気付く。

 震える声を洩らしながら、男は指を差していた。


「お、おい。外に……」


 俺はその言葉に従って室外を見る。

 そして異変を目の当たりにする。


 飛行機が爆炎を上げながら墜落していた。

 隣を滑空するのは、真っ赤な鱗に覆われたトカゲの怪獣だ。

 翼を使って角度を調整しながら、飛行機に体当たりや噛み付きを繰り出している。


 その風貌は、俗に言うドラゴンだった。

 映画やゲームに出てくるモンスターが、飛行機に襲いかかっている。


 飛行機は数秒ほどで窓の範囲から消える。

 ほどなくして地上で爆発音が轟いた。

 残念ながら逃げ切れなかったようだ。


 かと思えば、今度は角の生えたクジラが登場する。

 ゆったりと浮遊するクジラは、角からビームを発射した。

 ここからだと標的が見えないが、下方の何かを焼き払っているらしい。


 そうこうしているうちに、窓が蔦で覆われ始めた。

 何らかの植物が、外壁に沿って異様なスピードで成長しているようだ。

 圧迫された窓に亀裂を走らせながらも、蔦は窓を埋めていく。

 あっという間に窓からは何も見えなくなってしまった。


(こいつは……)


 俺は連続する超常的な光景に絶句する。

 幻かと思うような出来事だが、これらは紛れもなく現実だった。


 室内に嫌な空気が漂う。

 思考を切り替えた俺は、男達に要求を投げた。


「テレビを付けてくれないか。ニュース番組が観たい」


「てめぇは黙ってろ!」


「言い争っている場合か? あんたらも気になっているだろう」


 俺が冷静に指摘すると、男達は顔を見合わせる。

 やがて一人がリモコンを手に取り、部屋に置かれたテレビの電源を付けた。


 画面に映し出されたのは、有名なニュース番組だ。

 キャスターが大慌てで速報を読み上げている。

 すぐに中継映像に移り、現場のリポーターが登場した。


 リポーターはこの建物――アースタワーのそばにいた。

 おそらく別件でそこに派遣されていたのだろう。

 テロップが無関係な事柄を表示したままだ。

 修正する余裕がないほど、番組スタッフが動転しているらしい。


 リポーターは顔面蒼白で実況を行っていた。

 彼女の示す先にはアースタワーのエントランスがある。

 逃げ惑う人々の奥から、異形の集団が現れるところだった。


 喚きながら人々を追うのは、緑色の肌をした小鬼だ。

 逃げそびれた者を棍棒で滅多打ちにしている。


 槍を持って闊歩するのは、豚の頭部を持つ人型であった。

 神経質な鳴き声を上げて、小鬼を蹴散らしながら人間を突き殺している。


 他にも多種多様なモンスターが出現していた。

 エントランス近辺は地獄絵図の様相を呈している。


 画面の端では、パトカーで駆け付けた警官が応戦していた。

 弾丸を受けたモンスターが何匹か射殺される。


 ところが、岩のような甲羅を持つ亀が弾丸を弾きながら接近すると、警官を喰い殺していった。

 他にも動きの速いモンスターが警官を強襲する。

 並んだパトカーが続々と爆発し、あっという間に全滅した。


 懸命に情報を伝えていたリポーターも、首のない鎧騎士に攻撃された。

 横薙ぎの鎌が彼女の首を刎ね飛ばす。

 画面に血飛沫が降りかかり、野太い悲鳴が上がった。

 姿が見えないがカメラマンの声だろう。


 間を置かずに画面が傾いて地面に衝突し、カメラマンの断末魔が続く。

 血みどろの手が映ったところで画面がスタジオに戻った。


 リモコンを持つ男は、そこでテレビのスイッチを切った。

 泣きそうな顔を見るに、これ以上は見たくなかったようだ。


 一気に重たくなった場の中で、俺は嘆息する。


「季節外れのエイプリルフール……いや、ハロウィンパレードか? 何にしても酷い冗談だ」


 よく分からないが異常事態らしかった。

 このアースタワーを中心にモンスターが大量発生し、人間を虐殺している。

 まるでパニック映画のような惨状だった。


 もっとも、現実逃避をしている暇はないし、呑気に捕まっている場合でもない。

 幸いにも連中は動揺している。

 俺への注意が疎かになっており、今ならば簡単に出し抜けるだろう。


 まずは情報把握が先決だ。

 詳細な状況が欲しい。

 それと武器も必要である。

 モンスターと遭遇した時のことを考えて、何らかの対抗策を確保したかった。


 今後の方針について頭を巡らせていると、部屋のドアが薄く開いた。

 男達が一斉に銃を構えて向ける。

 彼らはそこから覗いた顔を見て安堵すると、そろそろと銃を下ろす。


 顔を覗かせたのは社長だった。

 彼は顔だけを室内に入れて、じっと俺達のことを見ている。

 パニックを察知して、室内を警戒しているのだろうか。


 俺は社長に話しかける。


「やあ、外がハッピーなことになっているんだ。あんたも確認した方がいい」


「…………」


 社長はなぜか無視をする。

 次の瞬間、吐血した。

 彼は倒れながらドアを全開にする。


 その姿を目にした男達は息を呑んだ。

 顔を上げた社長は、血を垂らしながら言葉を紡ぐ。


「助けて、くれ……」


 倒れた社長の背中には、血走った目の男が圧し掛かっていた。

 その男は、真っ赤に染まった口を動かして何かを咀嚼している。

 よく見ると社長の背中は、スーツが破れて肉と骨が露出していた。


 ――どうやらヘビーなことになってきたようだ。

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― 新着の感想 ―
[良い点] これまた爆弾魔の物語みたいに、神経が図太そうな主人公ですね。 さっそくブックマーク&5pt.投入させていただきました。 [気になる点] 捕らわれの身であるにも関わらず、主人公が敵を煽り過…
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