第二区 落とし物
夏にのんびり作っていたら思ったよりも長くなりました。
なんとか三日坊主にならずホッとしている自分がいるので良かったら褒めて下さい。
では第二区、始まります。
午後5時30分 夕暮れ時
かねてより読んでいた本が読み終わる。
人よりも、鋭く、人ではないからこそ書けた独自の視点、意見。
そして、理想的であると言われた現在の社会に対する「動物側」からの批判、風刺。
――この社会になってから、権利は完全に保証されるようになった。
それはこの本が誰からも批判されることなく一つの意見として受け入れられていることからも分かる。
別にこの本を出版したからと言って、著者が批判されるわけでも、本が出荷停止になるわけでもない。
しかし、この社会が完璧であると広く認識されたこの世界では、このような世論の逆をいく本はあまり売れないだろう――
この世界にこの本を生み出した覚悟、その決断に、私は人間としての在り方を問われた気がした。
どこのどんな動物が書いたかも知れぬそれは、結果として私に大きく影響を与えることになった。
この本を読んでから、日常が遠くなったような感覚が何度も起こる。
私は人間だ、しかしそれを証明してくれる「人間」はいない。
少しずつ、やり場のない思いに包まれていく。
カラン♪コロン♪
不意に音のするその方向に顔を向ける。
「…いらっしゃい。」
常連のヤギかと思ったが、見ない顔だ。
見た目からして、恐らくライオンだろう。
「おや、閉めるとこでしたかな?」
浮かない表情か、声色を悟られたか、やや困った表情で見つめてくる。
「いえ、まだやっていますよ、さあさ、お座りください。」
「それはよかった、なにぶん、ここらは初めて来るもんでね。」
「ご注文は何になさいますか。」
「そうだなあ、ウィンナーあるかい?肉の方の。」
「ありますよ。」
「じゃあそれ入れる方のウィンナーコーヒーで。」
「…かしこまりました。」
たてがみを自慢気に揺らし、珍妙な注文をする彼の注文になるべく平静を装い、準備する。
コーヒーを淹れ、とりあえず今日の夕飯の予定だったウィンナーを一つ炙り、静かに浮かべる。
私の記憶には存在しないそのコーヒーを、柔和な表情で待っている彼に差し出す。
「お待たせしました。」
「どうも、いやーまさか本当に飲めるとはね。
僕の住んでる場所じゃ中々飲めないからねえ。」
「お客さん、どちらから来られたんですか?」
「セントラルからですよ。ほら、旧東京の。」
「それはまた、遠いところから、
こんな辺境の地に一体何の用で。」
「あー、いや、仕事でね、ちょっとした出張みたいなものさ。」
そう言って、目の前の百獣の王はカップの中身を豪快に飲み干す。
「プハーッ、いいねえ。ウィンナーの肉汁とコーヒーの程よい苦味。
なかなか理解されないけどね、いいんだよ。」
「お気に召されたようであれば何よりです。」
「そんなかしこまんなくていいんだ、もっと気楽にしてくれ。」
「いえ、貴重なお客さんですのでそういうわけにも。」
「へえ、貴重な、お客さん、ねえ。
この味、レパートリーならもっと賑わった場所でやれば客入りもいいだろうに。
なんでまた、こんな町外れなんかで喫茶店を?」
「喫茶店を営むのは昔からの夢です。
場所は、静かでのんびりしてますから。」
「うーん、その割には少し騒がしいねえ。」
運悪く、最近のこの時間帯はこの世界の秩序に反対する人間の活動する時間だった。
誰に訴えかけているのか、路上で人間のアピールをし、通りがかる者に協力を要請している。
「…確かに、最近は少し騒々しいですね。」
「ふうん。マスターさんは参加しないのかい?あれ。」
「私は、今の生活で満足していますから。」
「へえ、その割には寂しそうな顔してるけどなあ。」
「…気のせいですよ、きっと。」
「そうかい…おかわり、してもいいか?」
「ええ、すぐに。」
先程同じ手つきでウィンナーコーヒーを用意し「どうぞ」と差し出す。
しかし、会話はすることなく、目の前の彼が飲み干すまで、沈黙は続いた。
やがて彼はコーヒーを飲み干し、口を開く。
「あー、マスター。そういえば俺が来たときに読んでいた本、あっただろう?差し支えなければ俺に見せてくれないか。」
「本、ですか、別に構いませんが。」
本を棚から出し、渡す。
「ほう、これが。」
「しかし、どうしてまた私の本なんか…」
「いやその本に見覚えがあってね、もしやと思ってね。」
「はあ、そうでしたか。
それでどうなんです?」
「ああ、知っている本だったとも。
なかなかに面白い本だろう?」
「ええ、まあ。」
「ところで、この本を手に取った理由って覚えてるかい?良ければ聞かせてほしいんだ。」
「理由…ですか。」
――あの風変わりな本を選んだ理由。私は少なからずこの社会に不安や違和感を抱いていた。
本当に些細な不安だ、だが、その不安を解消するものが欲しかった。
そんな時、たまたま本屋で目に入り、購入した。
そこに書かれた人視点ではない、この世界の当事者側からの視点で綴られた不安。
やがて私は、私ではない者の綴った、私の意見に縋るように読んでいった――
しかし、そんな正直に理由を言おうものなら、何をされるか分かったものではない。
仮にも目の前にいるのは百獣の王で、それも一見の客、わざわざ深く答えて危険を冒す必要もないだろう。
「なんとなく、本屋で見かけて興味が湧いたんですよ。」
「…なるほど、確かにこういった本は一度目に入ると気になるなあ。」
ところで、この作者、知ってるかい?」
「いや、特には。」
「そうか、この作者はな――」
ピーッ!ピーッ!ピーッ!…
ライオンの腕時計から不意にアラームが鳴り響く。
「――っと失礼、時間のようだ。こうやってアラームを付けてないと予定を忘れてしまうもんでね。お代はこれで足りるかな?」
「ええ、ではお釣りを――」
「いや、大丈夫だ、お釣りはチップとして受け取っておいてくれ。では失礼するよ。」
ライオンはそう言い残し、一方的に代金を押し付け、たてがみを慌ただしく揺らし店を出ていった。
――それにしても、不思議な客だった。
注文、会話の内容、何よりあの本への興味。どれも今までの客とは違った。
そしてアラーム。時間とはいえ、あんなにも慌てるものだろうか――
ともかく、今日はいつにもまして疲れてしまった。まだ閉店まで少し時間があるが、客はもう来ないだろうと思い、店じまいの準備をする。
店の外を掃除しようと、外へ出る。
ふと、地面へ目にやると、財布らしきものが落ちていた。
確認のため中身を確認すると、どうやら先ほどの客のライオンの物のようだ。
しかし、あの急ぎようでは今から向かっても間に合わないだろうと頭を抱える。
どうしたものか、またここへ来る保証もない。
「おや、マスターさん、今日は早めの店じまいでしたか。」
聞きなれた声のする方へ顔を向ける。常連にヤギだった。
「ええ、今日は少し疲れたもので。」
愛想笑いで返す。
「そういうときもあるからねえ。
…おや、その手に持っているものは?」
「ああ、これは先ほどいらしてたお客さんの忘れ物です。
何しろ急いで出ていったものでどうしたものかと悩んでいたのですよ。」
「よかったら僕に少し見せてくれないかい?職業柄、この町の人は良く知っているから役に立てるかもしれない。」
「ええ、そういうことでしたら。」
私から渡された財布を横に長い瞳で見つめ、調べる。
やがて目の前のヤギは険しい表情になっていく。
「…マスターさん、この財布の持ち主は本当にこの店に来たのかい?」
「え、ええ、確かに先程までウィンナーコーヒーを飲んでいましたよ。」
「ウィンナーコーヒー…」
そうつぶやくとヤギはいつもの顔つきに戻っていった。
「いやあ困ったねえ。僕はこの財布の持ち主を知っているんだけど、恐らく彼はもうこの町から離れたんじゃないかな。」
「そうですか…。」
「んー、なにかこれからの予定とか言ってなかったかい?」
「そういえば、予定は聞いていませんでしたが、確かセントラルから来たとは言っていましたよ。」
「で、あれば、彼はセントラルに帰っているのだろうね。」
「遠いですね…一体どうしたら…」
「…マスターさん、予定空いてるかい?」
「ええ、まあ個人営業ですから予定ならいくらでも空いてますが…」
「セントラルまで、届けに行こうか。」
「…本気ですか?」
「ああ、本気だとも。僕は彼を知っているが、彼は僕を知らないだろう。
だから渡すときはマスターさんに頼みたいんだ。」
「しかし、予算が…」
「ああ、そこは心配いらないよ。費用は僕が持つさ、いつもお世話になっているし、なにより僕だけ行ってしまったら食べられるかもしれないからね。」
あながち冗談とも取れない言葉に、ヤギへの危険を感じ観念する。
「はあ、ありがとうございます。」
「まあ財布を渡すだけだし、ちょっとした旅行と思ってくれて構わない。
一応旅行プランも考えておくから楽しみにしといてくれ。
じゃあ、私は諸々の準備があるので失礼するよ。」
そう言うと、ヤギは小走りで帰ってしまった。
なんてことはない、ただ落とし物を見つけただけなのだが、少々面倒くさいことになって
しまった。いや、きっと見つけていなくても店の前に落ちていたのだ、あのヤギが訪ねて来るに違いないだろう。
なんにせよ、明日からは臨時休業だ。やや気が乗らないが、ヤギの言う通り旅行と割り切り、楽しみにしながら準備をすることにした。
気が付けば日が暮れ、騒がしい反対派もどこかへ消えていた。
町には明かりが灯り、空にも少しずつ星が灯っていく。
それに伴い、私は店の灯りを消し、自室にて準備をする。
やがて一通り準備が終わるころ、何故かいつもより外行く人々の喧騒が大きく聞こえた気がした。
如何だったでしょうか。
第二区を投稿しておおよそのペースが掴めた気がしなくもないので、これからは一か月一話を目途に頑張っていこうと思います。
では冒険が始まるであろう次話をゆっくりお待ちください。