3-2踏み出した一歩
ヤーナの母親はたた前だけを見て、一度も実家を振り返えらなかった。
馬車の中でオレはヤーナの母親に教師をやってくれないかと話す。
オレと女性陣三人の説得にもヤーナの母親は首を縦には振らなかった。
「何か他にやってみたい仕事があるのでしょうか?」
「いえ、そうではなくて……ただ、自信がないのです。私よりも教師に向いた方がいらっしゃるのではないでしょうか?」
「まだ誰にも話してないのですが、将来的に教師を最低四人は確保しようと思っています。読み書きに二人と計算に二人です。理由は人によって覚えるスピードが違うからです。それと、できれば真っ当な人間になってもらいたいので、読み書き計算以外に神父さんのお話が聞ける時間も作りたいと思います。元々は子供が昼間に一人にならないための学校なのです。どうしても学問が嫌いな子には孤児院の農園もあります。子供が心配で仕事のできない人もいるでしょう。子供が学校に行けばある程度は安心して働けます。あくまで理想ですが」
ヤーナの母親は少し考えてからゆっくりと頷いた。
「では、来週から孤児院で試してみてもいいですか?」
「はい、よろしくお願いします」
オレは正直に学校の現状を話してヤーナの母親に助言を求めた。
「そういえば、私は名乗っていなかったわね。マレインよ」
「レインです。よろしくお願いします。マレイン先生」
先生と呼んだ時のマレインは何となく嬉しそうに笑った。
「お母さん、楽しそう。住む部屋は今月一杯まで家賃を払ってある」
「そうね。セディラの土地を売ったお金はまだ残っているけど……あなたはどのくらいあるの?」
「大金貨で七十枚くらい」
「ヤーナ、悪い事をしたわけじゃないのよね?」
マレインは目を細めてヤーナを見据えた。
「大丈夫。ちゃんと私が稼いだお金。大金貨五十枚は国王からの報酬。午後から商業ギルドの会員になってお金を受け取る」
ヤーナは胸を張って答え、ミルヴァは隣で頷く。
ミルヴァとヤーナの馴染みの店で昼食を取り、マレインをヤーナの部屋に送った。
ミルヴァは部屋から大きな鞄を持って来たのでオレの魔術コンテナに入れる。
カミル神父の家に行くのが不安なのか、ミルヴァは何となく少し元気がない。
「安心して大丈夫だ。カミル神父の家の人たちに差別する人はいないから」
「ありがとう。一年位ここに住んでいたから何となく寂しいなって思っただけだよ。これからよろしくね。レイン」
ミルヴァは周りの目を気にしながらオレにハグしてすぐに離れた。
冒険者ギルドに立ち寄り、ユリウスから国王発行の書類を受け取った。
カウンター越しにエレーナはコンラッドと笑いながら話し、手紙らしき物を受け取る。
ミルヴァとヤーナはコンラッドに感謝を伝えた。
「何かあったの?」
「お父さんが前に話した魔術のヘルヴィ先生と結婚前提で付き合っているそうよ。それと、家にイネス姉さんからの手紙がドアの隙間に挟んであったみたい」
エレーナは手紙をチラッと見せた。
商業ギルドでオレたち四人は二階の商談室と呼ばれる部屋に招かれる。
王都便の責任者は商業ギルドの支部長補佐の肩書を持ち、もう一人の支部長補佐と交替で王都便の責任者をしているそうだ。
何だ、毎回じゃなかったのね。
オレとエレーナは商業ギルドのカードを提出すると、驚いた事にミルヴァもカードを提出した。
「ヤーナ様には商業ギルドの会員になっていただきますので、こちらの金額は全て預けるという形で構いませんね? レイン様、エレーナ様、ミルヴァ様は全額お預けでよろしいですか? もちろん、レイン様の馬の売却金、エレーナ様とミルヴァ様には一角獣の売却金も一緒に入金します。それと、王都便で一緒だったのに名乗らず申し訳ありませんでした。私はジェネジオと申します」
ジェネジオと名乗った支部長補佐は一人一人に確認する。
ジェネジオはミルヴァには残高の紙を、ヤーナに商業ギルドのカードと一緒に残高の紙も手渡す。
ミルヴァには以前エレーナに渡した金額と一緒の大金貨五百枚、ヤーナにはお礼と将来職人になった際の運転資金も兼ねて大金貨百枚、オレの預金からジェネジオに頼んで振り込みしてもらっていた。
「ミルヴァには以前エレーナに渡した金額と同じ金額を振り込んだ。オレにもしもの事が遭った時に使って欲しい。ヤーナにはお礼と将来ヤーナが自分の店を持つための資金」
ミルヴァとヤーナは放心状態のままゆっくりと頷いた。
オレはジェネジオに教会近くで売りに出ている建物や土地の調査を依頼する。
ジェネジオは学校の件だと思っていたようだったので、オレの家と教会や学校関係者のための住居だと説明すると、真剣な表情で月曜日までに調べると言って商談室を出て行く。
「これからジロドゥー姉妹の工房に行ってミルヴァの装備を新調しようと思う」
「本当に私も行って大丈夫?」
ヤーナは放心状態から立ち直ったらしく、少し不安そうな表情だった。
「問題ないよ。それよりミルヴァ、大丈夫か?」
ミルヴァは力なく頷いて立ち上がった。
馬車で近くまで行き、歩いて裏通りにあるジロドゥー姉妹の工房を訪問する。
ミルヴァの装備を新調したいと話すと、ジロドゥー姉妹は真剣な眼差しでミルヴァの全身を眺めた。
ジロドゥー姉妹はミルヴァの要望を聞きながら他の職人たちも交えて話し合う。
ヤーナはやはり気になるらしく、ジロドゥー姉妹や他の職人たちの話に耳を傾けている。
「スカウトがメインだと派手な色はダメだよね。動き易さを重視したいけど、今の在庫品じゃ満足してもらえない。いつまでに作ればいい?」
「急ぎではないので大丈夫ですよ」
「数日でできるけど……多分、満足してもらえないんじゃないかと思う。リンデールのお客さんはみんな魔術士だから今までの経験で何とかなるけどね。お姉さん、数日でいいから実験台になってくれないかな?」
ジロドゥー姉妹はミルヴァの両手を掴んでお願いしている。
「ヤーナ、代わりにやってみれば? 戦闘スタイルは同じだし、ついでに弟子入りしちゃえば?」
オレの一言にガップリと喰い付いたジロドゥー姉妹は、ヤーナがドン引きするほど近寄る。
「防具作りとかに興味あるの? ここで一緒に働かない? いっその事、今日から働かない? ちょうど新しい可愛いタイプの戦闘服を考え中なの。新しくできた服を貴女が試してダメ出ししてくれると、私たちはもっといい物が作れると思うの」
ジロドゥー姉妹の強烈な誘いにヤーナはオロオロしながら頷いた。
「そういえば、首長竜の外皮って防具に使えるの?」
「え! 持っているの? 売って? いくらなら売ってくれる?」
今度はオレにジロドゥー姉妹の強烈なアタックが始まってしまう。
ジロドゥー姉妹に二メートル四方の首長竜の外皮を二枚渡す。
首長竜の外皮を使ってエレーナの防具の改良とミルヴァの防具の新調を頼み、残りの外皮はジロドゥー姉妹にプレゼントした。
オレに抱き付いて喜ぶジロドゥー姉妹をエレーナとミルヴァがやんわりと引き剥がし、ヤーナと他の職人たちはただ笑っていた。
ジロドゥー姉妹が言うに外皮の一枚分は使わなくて済むようだ。
ヤーナは明日からジロドゥー姉妹の工房で働く事になる。
嬉しそうに今後の話をするヤーナとジロドゥー姉妹を見ていると、お互いいい関係で仕事ができそうに思えた。
ミルヴァの戦闘服を最優先で作るため、一週間ほど時間が欲しいらしく受け取りは再来週の月曜日に決まった。
ヤーナを部屋の近くまで馬車で送り、オレたち三人はカミル神父の家に向かう。
カミル神父の家の使用人たちにミルヴァを紹介してから、ベルタの案内でミルヴァを部屋に案内する。
ベルタの配慮なのか、カミル神父の配慮なのか、分からないがミルヴァの部屋はオレとエレーナの部屋の隣だった。
ミルヴァの部屋でオレは教会で会ったルチアの話をエレーナとミルヴァに話す。
エレーナとミルヴァは怒ってはいたが、よくある話だと悲しそうな表情で教えてくれた。
エレーナの住んでいた集合住宅の近くでは親の暴力で幼い男の子が死亡し、ミルヴァの住んでいた開拓村では酒に酔った父親が暴れ、騒ぎを聞き付けた王国軍の兵士に斬られた。
同時に別の兵士が母子を助けようと部屋に踏み込むと、殴り殺された母親の傍で泣きじゃくる子供を発見して保護したようだ。
「ルチアちゃんは父親と義母の両方でしょう……凄く明るい子に見えたのに……」
「前に強い子だとレインから聞いたけど、私は何とかして助けたい。強制力のある王国軍に頼んだ方がいいと思う」
ミルヴァに続いてエレーナは冷静に自分の意見を言う。
「クレメンテ大隊長も巻き込んだ方がいいな。とりあえず、ルチアを迎えに来た両親に暴力を止めるように話すついでに怒らせて、オレに暴力を振るってもらおうと思う。それをたまたま見た王国軍が両親を拘束する。そして、オレは両親をリンデール市から追い出そうと思う。上手く行かなかったら支部長に裏で手を回してもらい、リンデールに住んでいられない状況を作ってもらおう。他に何かいい案はある?」
「いっその事、両親を今日みたいに骨折とヒールの繰り返しをした方がいいんじゃないの? 義母の方は私がやる」
「だったら、両親に今夜は孤児院でパーティーがあるからお泊り、とか言って帰らせて、私たちが両親にルチアちゃんと同じ目に合わせるのもいいし、口の堅い御者を雇って、拉致した両親を第一防壁外の森に置き去りにする手もある」
エレーナに続きミルヴァの過激な意見にオレは驚いたが、できる事ならそうした方がいいに決まっている。
「とりあえず、五時半頃に両親が迎えに来るから、これから大隊本部に行こうと思う」
エレーナとミルヴァはすぐに立ち上がり、座ったままのオレの両手を引っ張った。
市内循環の幌馬車に乗り大隊本部に向かう。
クレメンテ大隊長は午後から城壁および防壁の防衛部隊の視察に出掛けたらしく、先日の副大隊長が全面的に協力してくれた。
教会近くに監視要員の兵士を二人、拘束要員に幌馬車と兵士四人を配置するという。
「例えば教会関係者が暴力を振るわれれば、私が副大隊長権限でリンデール市から強制退去命令を出せます。強制的に商業ギルドで財産を処分の後になりますので、早ければ来週の王都便、もしくは来週のセディラ船便に乗せる事も可能です」
副大隊長は自信たっぷりに話した。
副大隊長は即座に準備を整え、オレたち三人は王国軍の幌馬車で教会に向かう。
午後五時の鐘が鳴った頃に教会から少し離れた場所でオレたち三人は馬車を降りる。
教会前の通りでは大声で騒ぐ女性の声が重なり合っていた。
オレたち三人は即座に走り出し教会へ向かう。
発狂したような二十代後半の女が教会に向けて石を投げていた。
「――日常的に子供に暴力を振るう者に親の資格などない!」
「――俺の子なんだぞ! 神父は出しゃばるな!」
最初に聞こえた声はカミル神父で後の声はルチアの父親だろう。
再び石を掴んだ女の脇腹に横からミルヴァが強烈な膝蹴りを入れた。
オレは教会の入口でカミル神父に殴り掛かった男に駆け寄った瞬間、男の背中にエレーナが放ったと思われる弱めの【破裂空気弾】が直撃して男は吹っ飛んだ。
教会の入口には【障壁】を張ったトゥーニス神父とその横にルチアが立っている。
カミル神父は既に数発殴られた後だったらしく、鼻血が顎まで流れていた。
「レイン様、これでルチアは助けられましたな」
カミル神父は嬉しそうに笑い、伸ばしたオレの手を掴んで首を横に振る。
「ヒールを掛けるだけですよ」
「殴られた証拠を王国軍の兵士に見せなければなりません。それに、シスターカトリナにレイン様の無詠唱の回復魔術を見せてあげませんと」
再びカミル神父は嬉しそうに笑うと、大きく右手を挙げた。
王国軍兵士がルチアの父親と義母を縛り上げる。
地面に顔を押し付けられているルチアの父親の傍で、ルチアは無表情のまま立っていた。
「これはお母さんの分!」
ルチアは父親の頭を靴で踏み付ける。
「これは私の妹か弟の分!」
再びルチアは父親の頭を靴で踏み付けるので、オレはルチアに駆け寄り抱きかかえる。
「これはルチアの分だ!」
オレはルチアを抱きかかえながら、ギャーギャー喚くルチアの父親の口元を蹴って黙らせた。