3-1目に見えぬ傷
三章のスタートです。
朝寝坊したオレとエレーナをベルタは笑みを浮かべたまま叩き起こした。
朝食後にレンゾにまた魔ウサギ三匹の解体を頼む。
一匹は夕食に使って欲しいと話すと、九時までに終わらせると張り切っていた。
「昨夜話すのを忘れてしまったのですが、今週から孤児院で試験的に朝八時から夕方五時まで信者の子供たちを預かっております。まだ数名ですが騎兵に撥ねられたルチアも預かっております。ただ、ルチアはシスターになりたいと言うのですが、読み書きと計算ができなければシスターの仕事は務まらないと話したところ……昨日ルチアは孤児院に住みたいと言い出しまして、両親に酷く怒られていました。ちょっと両親に問題があるのかも知れません」
「そうですか。では、この後ルチアと話をしてみます」
「それと、昨夜は兄ユリウスが同席していたので言い出せなかったのですが……ヴィーラント家の現在の次期当主が少量の毒を飲んでしまいまして、昨日私が治療を行ったのですが二度解毒魔術を掛けても治りませ……」
「ヴィーラント家の屋敷は何処ですか? 今すぐ行きます!」
オレはカミル神父の言葉を遮って立ち上がった。
「レイン、私の家の近くよ。すぐに向かいましょう」
「私は屋敷に行って馬車の用意をお願いしてきます」
エレーナも立ち上がると、驚くカミル神父の横で食事をしていたベルタがスープを一気に飲み干して玄関へと向かった。
調理場に魔ウサギを置いてから玄関へと向かう。
屋敷の前でユリウスが乗り込んだ馬車の後方に見える厩舎から、もう一台の馬車が動き出した。
オレとエレーナは出勤するユリウスを見送り、目の前に停まった馬車に急いで乗り込む。
何故か目の前に停まった馬車には、武装した御者と大盾を持った護衛らしき男性が御者席に座っていた。
「レイン様、ヴィーラント家に馬車で直接乗り込むのは少々危険だと言わざるを得ません。ヴィーラント家には血の気の多い家臣が多いと聞きます」
三十代前半の御者は腰に片手剣を下げたまま御者席から降りる。
「それならば門の手前で私たちを降ろしてください。無益な戦闘は避けたいので、もし身の危険を感じたら戦わずに逃げてください」
「畏まりました。お気遣いありがとうございます」
御者は一礼して馬車のドアを閉めた。
人の言う事は聞くものだ、とオレとエレーナは身をもって体験している。
若い門番はオレが名前を名乗るといきなり剣を抜き、もう一人の門番は激しく何度も鐘を鳴らしてから槍を構えた。
「オレはカミル神父の代わりに治療しに来ただけだ。治療の邪魔をする気か!」
「信じられるか! 貴様のせいでカールハインツ様や執事まで……許せん!」
「カールや執事がどんな事をしたかも知らずに言っているのであれば見逃すが、知っていて言ったのであればヴィーラント家はオレの敵となる。とりあえずヴィーラント家の誰かを呼んでくれ。次期当主を救う気があるのか、と」
若い門番は剣を抜いたもののオレの言葉にためらいを見せた。
槍を持った門番はオレとエレーナに本気の突きを放つ。
オレに向けて槍を突き出すのは分かるが、【障壁】に阻まれたと分かるとすぐにエレーナに向けて突きを放った。
オレはエレーナの右手を左手で握ったまま、【障壁】を一部解除して魔術鞄に入れておいたダガーを右手で抜き、槍を持った門番の右肩を狙って全力で投げ付ける。
「うっ……」
槍を落とした門番は悲鳴を上げる事もできずに立ち尽くす。
「早くヴィーラント家の者を呼べ!」
剣を持った門番はオレの声は届かないらしく両膝を突いてしまった。
屋敷の玄関に着くまでに弓矢を二本放たれる。
弓矢を放ったのは、身なりはいいが険のある五十近いババアだった。
「カミル神父に次期当主が毒に侵されていると聞き治療に参りました! 手荒い歓迎を受けて少々気が立っております。次に我々を攻撃した者には容赦しませんのでご了承ください!」
オレはできる限り大きな声で叫ぶように話して玄関のドアを開けた。
玄関のホールには剣を構えた者が三人、槍を構えた者が一人、階段の上には弓矢を放ったババアは再び弓を構え、クロスボウを構えた使用人とメイドがいる。
「先程も申した通り、カミル神父の代わりに治療に参りました! 次期当主は毒に侵されて亡くなった方がいい、というのなら私は帰ります。貴族だからどんな悪事をしても許されると思っているのなら、ドランの弟子であり、エノスの魔術士であるこのレインがヴィーラント家に引導を渡します」
「お前たち騙されるんじゃないよ!」
ババアは弓を構えたまま怒鳴り声を上げた。
「――お母様、ベルノルト兄様まで見殺しになさるつもりですか! カール兄様に毒を送ったのも、執事に罪を背負わせたのも、全てお母様ではないですか! ベルノルト兄様と私は全て知っているのです! もうお母様の言う事に耳を傾け自らを貶めるのは終わりです!」
突然二階の部屋から現れたドレスを着た十代の女性の迫力にババアはたじろいだ。
二階で始まったキャットファイトに使用人たちは成す術もなく見守っている。
「今の内に治療を! イザベラ!」
キャットファイトは十代の女性の方が優勢らしく、マウントポジションでババアを容赦なく殴っている。
オレとエレーナは虚しく抵抗を続けるババアの横を通り抜けて広い部屋に案内された。
案内してくれたイザベラと呼ばれたメイドはベッドに近寄り、そそくさと布団をまくる。
苦しそうにベッドに横たわった二十歳前後の男性の服を脱がせた。
「お願いします」
オレは丁寧な礼をしたメイドさんの隣に立ち、男性の全身に全力で六回の【解毒ヒール】を掛けた。
目を覚ました男性は状況が呑み込めずに驚いている。
イザベラと呼ばれたメイドは男性をベッドに押し倒すかのように抱き付き、嗚咽を漏らしながら泣き叫んでいる。
「……僕は死ねなかったのか……」
男性は悔しそうに涙を流している。
「――お兄様!」
鼻血を流しながらベッドに駆け寄ろうとする十代の女性の迫力に、オレとエレーナは思わず大袈裟に避けてしまった。
帰ろうとしたオレとエレーナは顔の変形した血だらけのババアが放置されている事に驚く。
喚きながら立ち上がろうとするババアに剣を収めた使用人たちが近付き、両手両足猿ぐつわの三点セットの拘束を施した。
「……この度は申し訳ございませんでした」
初老の使用人は右足を引き摺りながら近寄り頭を下げた。
「そのケガはいつ?」
オレは初老の使用人の右太もものズボンの穴と濡れたズボンを指差した。
「……何でもありません」
初老の使用人は汗を流しながら平然と答える。
「そうですか。では、拝見させていただきます」
オレは傷口に左手を触れながら【解毒ヒール】を掛けた。
「お聞きしたいのですが、イネスさんはどちらにいらっしゃいますか?」
「……セディラで仕事が見付かったと言って、先週夫婦で辞めました」
「……そうですか。ありがとうございました」
エレーナは少し悲しそうに礼を言った。
オレとエレーナはそそくさと階段を降りる。
頭を下げる使用人たちに送られて屋敷を出た。
若い門番は槍を持っていた門番の右肩に深々と刺さったダガーを抜こうとしていたが、血で滑ってしまい上手く抜けないようだ。
「次期当主の治療は終わった。オレが抜くから代われ」
若い門番は慌てて離れて立ち上がり頭を下げた。
オレはハンカチで血を拭いダガーを一気に引き抜く。
ダガーを引き抜くと、かなりいい勢いで血が出始めたので仕方なく【ヒール】を掛けた。
でも、エレーナを槍で突いた事がどうしても許せなかったので、落ちていた槍で右腕を叩き折る。
「こいつはオレだけでなく、彼女も槍で突いた。そのお返しだ」
「はい」
若い門番は再び頭を下げた。
バリエンホルム家の馬車は門を出たすぐ近くで待っていた。
御者と護衛はいつでも戦える状態で馬車を降りている。
「治療は終わりました。帰りましょう」
御者と護衛はただニヤリと笑って一礼する。
カミル神父の家で解体された魔ウサギを受け取って孤児院に行くと、エレーナは子供たちに囲まれて嬉しそうにしている。
オレはシスターマーサと一緒に地下の食料保存庫に行き、魔ウサギ二匹を冷蔵庫代わりの特製木箱に入れる。
シスターマーサに毛皮三枚を渡してから、オレは少し困り気味のエレーナの救出に向かう。
教会の前では既にミルヴァとヤーナが待っていた。
廊下を真面目に掃除していたルチアはオレを見るなり嬉しそうに駆け寄る。
「レイン様、お久しぶりです」
ルチアはオレの前で器用に止まってお辞儀する。
「ルチアは元気だったかい?」
「はい!」
「少しお話したいのだけど大丈夫かな?」
「シスターニコラに聞いてきます」
ルチアはすぐに講堂へ走って行った。
ミルヴァとヤーナに事情を話して少し時間をもらう。
カミル神父に許可をもらい空いている治療室でルチアと話をすると、ルチアはいきなりオレにとんでもない事を打ち明けてくれた。
「じゃあ、ルチアがシスターになりたいのは、家に帰りたくないからなの?」
「……うん。シスターニコラが教えてくれたの」
「他の誰かに話した事はある?」
「話してない」
「ちょっとそこのベッドに寝て背中を見せてくれるかな?」
ルチアはベッドでうつ伏せになり背中を見せた。
オレはルチアの背中の傷痕を見て涙腺が崩壊してしまう。
力のないルチアに父親と義母は好き勝手暴力を振るっていたようだ。
ルチアは俯くオレの頭を何度も撫でてくれた。
「今はシスターニコラが治してくれたから、もう痛くないよ」
ルチアの言葉でオレは袖で涙を拭って覚悟を決めた。
「ルチア、今までよく頑張ったね。近い内に背中の傷痕はオレが綺麗に治すからもう少し待って欲しい。それと、もう一度聞くけど、本当にお父さんと会えなくなっても平気?」
「うん。もう家に帰らなくていいよね?」
「大丈夫だよ。でも、家にルチアの大切な物はないの? 服とか大切な物がないと大変だから今から取りに行こう」
オレは怒りを抑えながらルチアの手を引いて治療室を出た。
教会の休憩室でオレはカミル神父とトゥーニス神父にルチアから聞いた話をする。
トゥーニス神父は黙ったまま尋常ではない怒り方をしていた。
カミル神父も怒っていたがトゥーニス神父を見て冷静さを取り戻したように見える。
ルチアが家に荷物を取りに行く際にはシスターニコラとトゥーニス神父が同行してくれる事になった。
「ルチアの両親が迎えに来る頃には戻るようにします。では、よろしくお願いします」
カミル神父とトゥーニス神父はゆっくりと頷いた。
教会の前に停まっている幌馬車からミルヴァが身体を乗り出して手を振る。
いつの間にかミルヴァとヤーナは一日貸し切りで幌馬車を借りたようだ。
ヤーナの母親の実家は港に近い城壁外で牧畜と農業を兼業して、かなり大規模にやっているとヤーナは言う。
教会を出てから四十分ほどで着いた屋敷はかなり大きい。
周りに厩舎が三棟と平屋の長屋もあった。
数人が出迎えたがミルヴァとヤーナを見るなり露骨に顔をしかめる。
玄関のロビーで散々待たされた挙句、ヤーナの祖父は大きな魔術杖を持ってしかめ面で現れた。
「やっとお金を貯められました。借金をお返しします。今まで母を預かっていただき、ありがとうございました」
ヤーナは丁寧に話したが、祖父は怒り心頭といった表情だった。
「大金貨五十枚だ!」
「金貨五十枚だったハズ。どうして五倍になるの? 説明して」
「うるせえ! この獣人どもが!」
ヤーナの祖父は魔術杖の先端でヤーナの顔面を突こうとした。
オレは反射的にヤーナの祖父から魔術杖を奪い取り、素手で魔術杖を叩き割る。
「野蛮人どもめ! 泥棒だ! 武器を手に取れ!」
ヤーナの祖父は気が触れたのか、大声で訳の分からない事を言い始める。
息子と孫らしい三人が短剣や魔術杖を持って現れた。
「外に出て」
オレは女性陣に小声で話し、ヤーナの祖父のズボンを掴んで引き摺りながら玄関を出る。
「獣人ども、爺ちゃんを放せ!」
魔術杖を持った孫らしきバカが威力のある【水弾】を放つが、障壁に掠って軌道が逸れてしまい、高そうな柱時計を一部壊した。
「バカ野郎ーーー!」
オレに引き摺られながらヤーナの祖父は絶叫する。
オレたち四人は庭の真ん中で立ち止まり、騒ぎを聞き付けた使用人たちが集まった。
「今から魔術の実験をしますので、あの大木を見ていてください」
オレは百メートルほど離れた大木を指差し、全力で【破裂空気弾】をブッ放す。
衝撃波の後、青々とした大木は根元から倒れて葉は吹き飛んでいる。
「では次にオレの妻となるミルヴァをバカにし、親友のヤーナに嘘を吐いたジジイを懲らしめるために、屋敷に向けて火弾を放ちますので、皆さん逃げてください」
オレは冗談のつもりで言ったら、集まった人たちは蜘蛛の子を散らしたように逃げた。
農場から戻ったヤーナの母親も交えて話し合いをする。
オレ、エレーナ、ミルヴァは職人殺しの剣を腰に下げ、話し合いの行方を見守る。
往生際の悪いヤーナの祖父は自分の娘であるヤーナの母親に難癖を付けていたが、不意にエレーナがオレの名前を呼んだ事をキッカケに慌てて全面降伏する。
ヤーナの母親は借金を既に返し終わっている事が判明し、ヤーナは祖父を殺しそうな勢いで胸倉を掴んだ。
ヤーナは嘘を交えてオレたち四人が国王と会った事を話すと、祖父は涙ながらに謝る。
オレの提案で祖父が今までヤーナ親子やミルヴァ対して行った嫌がらせや嘘を紙に書かせ、追加で今後一切この三人に接触しない事とそれを破った時の罰則も紙に書かせた。
オレはヤーナの母親が荷物をまとめている間にヤーナの祖父一家を全員集める。
ミルヴァとヤーナの前に立たせて今までの非礼を詫びさせたが、オレに水弾を放った十代前半のバカだけは謝ろうとしなかい。
二度の骨折とヒールを味わったバカは大と小を漏らしながら、必死にミルヴァとヤーナに謝った。
「次はないからな。皆さんも次はありませんからね」
オレはバカに言った後に一家全員に念を押す。
大きい鞄を持って現れたヤーナの母親に一家の全員が謝罪する。
ヤーナの母親は少し戸惑っていたが、兄弟の嫁らしき人の前に立ち思い切りビンタした。