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登場! 仮面ドクタージーク!

 


 階段を昇る途中、ピアノの音が止んだ。


 えっ、もう終わっちゃったの?

 くっ……フルコーラスじゃなくて、TV版カットなんだ……


 私は、小さな身体と手足を恨めしく思いながらも踊り場を折り返し上階を目指す。

 悩ましいことに音楽室は階段を上がってから、また遠い。


 何人かの子供たちと廊下ですれ違いながら、音楽室の前に立つ。

 一度、息を飲んでから、私は横開きの扉に手を掛けた。


「えっ……?」


 開かない。

 鍵が掛かっていた。


 室内は消灯されているし、人の気配もない。

 念のためにノックして声を掛けてみるが反応なし。


「いない……」


 どうやら遅かったらしい。

 この世界では存在しないはずの曲を奏でていた演奏者はもうここを去ってしまった後のようだった。


 私は、廊下の反対側に歩み寄り、窓から眼下の風景を眺める。


 下校していくたくさんのランドセルを背負った子供たち。

 このなかに、あの曲を知る者が混じっているのだろうか。


「いったい誰が……?」


 私の呟いた疑問に応える声はない。

 いつの間にか、校舎内には人気(ひとけ)がなくなっていた。


 私は考える。


 あのアニソンを知っている人がいる。

 ということは、アニメ番組としての『僕タク』を知っている人がいるってことになる。


 この世界にないものを知る人物。

 それはつまり私と同じ世界からやってきた誰かが、この学校にいるってことにならないだろうか。


 さっきは急いでいてよくチェックしていなかったことが悔やまれる。

 階段から廊下にかけて、すれ違った何人かの中にいた誰かが演奏者だったのだと思う。


 学校関係者以外がいれば目立ったはず。

 だからやっぱり、この学校に普段からいる誰かには違いない。

 児童が、教師か。そのどちらかだ。


 教師の姿は廊下で見なかったはずだから、おそらくは児童の誰か。


「誰、なんだろう?」


 考えはする。

 だけれど、情報が少な過ぎる。

 今の段階で断定することは無理だ。


 それに転生者がいてピアノを弾いていたと決まったわけではない。

 ただの推測でしかない。

 聞いただけで、見たわけではないのだ。


 もしかすると、心霊現象的なことの可能性だって否定できない。

 学校の七不思議とか、そっち系の現象かもしれないじゃないか。


 そう思ってみると、人気のない校舎が少し肌寒く感じた。


「──帰ろう」


 私は独り言を宣言して、その場を去った。




 休日の朝を私は早くから起きる。


 くたびれ果てて寝尽くした前世の休みの午前中を思うと信じられない生活ペースだけど、佐倉香緒里の習慣が身体に染み付いている。

 家の人に不審に思われるのも嫌だから、香緒里がやってきた生活をなるべく乱さないようにしているのだ。


 前世と違って、そんなに疲れているわけでもないし。


 朝食を終えると、温室に向かいお花に水をあげる。

 庭師の人が育てている草木とは別に、私専用のガーデニングゾーンみたいなのが与えられていた。

 それが終わると、白い大型犬のシャペラルエタンダール(名前長い)にも、餌をあげる。


 たぶんシャペラルエタンダールの1食の食費だけで私の前世の……いや、もうそういうことは考えないようにしよう。

 無意味に前の人生を貶めている気がしてきた。


「瀬葉須さん」

「はい、お嬢様」


 瀬葉須さんは確か運転手のはずなのだが、常に傍らで控えている感じとかは完全に執事だと思う。


「矢吹くんは?」

「もうトレーニングをなさっておいでです」

「そう。では会いに行きます」


 私は、無駄に広い屋敷を歩いてトレーニング室へ移動する。


 本館の二階にあるトレーニング室は、数十年間使われていなかったダンスホールを改装したものだ。

 シャンデリアが釣り下がった、和洋折衷、文明開化!みたいな感じだった広間は今ではちょっとお洒落なスポーツジム感のある空間に変えられてしまっている。


 それもこれも前世を思い出す前の私が、父親に「矢吹くんは世界一のサッカー選手になるから結婚するっ!」って言い出したがためだ。


 そうしたらしばらく矢吹少年について調査と検証がなされることになった。

 スポーツの世界では有名な研究機関とかが何かしらの高度な科学的手段で矢吹くんのことを調べたのだ。

 そうして、育て方次第ではサッカー世界一も不可能じゃないかもと結論が出された。


 佐倉家、というか香緒里の父親は彼の将来に投資をすることに決め、自宅内に矢吹くん専用のトレーニング施設が用意されたのである。


 ショッピング系のテレビ番組でマッチョのアメリカ人が腹筋と戯れているような器具とは訳の違うレベルの器具類が幾つも設置してある。

 よく分からないけど、たしか濃~い酸素をどうにかするカプセルみたいなやつまで置いてある。


 当の矢吹くん本人は今現在どうしているかというと、改造手術?みたいなマシンに身体を固定されていた。

 頭がすっぽり入る機械を被らされていて、ときどき「うっ!」とか「そこっ!」とか叫んでいる。


「おいででしたか、お嬢様」


 マシンの傍らにいた長身の人物が私に気づきこちらを向く。

 ジークフリード・F・クロフツブルク。

 父が矢吹くんのために招致したスポーツドクターだ。


 シミひとつない白衣に何故か深紅のストールを巻いた珍しい服装。

 しかし、何よりも目を引くのは顔の上半分を覆う金属製のマスクだった。

 口角は微笑んでいるかのように上がっているものの、眼が隠されているせいで本当の感情は全くうかがい知ることができない。


「おはようございます。ドクタージーク」

「ええ、おはようございます」


 仮面のスポーツドクター。

 多くのことが謎に包まれている人物だが、父が溺愛する娘のために選び出した人なのだから、すごい人なのだろう。


「どうですか、矢吹くんは」

「素晴らしいポテンシャル、とでも言っておきましょうか」

「……これは何をしているところなんですか?」


 仮面のことは聞かない方がいいと思ったので、もうひとつの気になっていたことを質問してみた。

 はた目には人体実験にしか見えない。


「人間の予測能力を高めるための装置ですよ。第六感を鍛える。実態はビデオゲームみたいなものですが」

「はあ……」

「成長期の肉体に過度なトレーニングは禁物ですからね。こういったイメージトレーニングがメインになります。しかし、隼は卓越しています。最早、エスパーといって差し支えない」

「エスパー……ですか」


 仮面の奥の瞳が光ったように見えた。


「おや、エスパーをご存じで?」

「……ま、マンガで読んだことがあります」

「ほう」


 マシンに備え付けられたディスプレイ内では信じられない早さでひとりの人物が次から次に襲いかかってくる危険から身を守っていた。

 ときには上半身を大きく反らして弾丸を避けたりしている。

 あ、これ、何かの映画で見たやつだ。


「かつて、ギデオン・ラスニコレフの提唱したネオアスリート思想は、彼の研究の後を継いだガビル博士の忌まわしきドーピングスキャンダルのために、スポーツの世界から締め出され異端視されました」


 仮面の人がなんだか難しげな話を一方的に始めた。

 矢吹くんのトレーニングのあいだ時間を繋ごうと気をつかってくれている気もするが、小学生相手にする話題ではない。

 思想? 異端視?


「だが人類の新たな扉を開くギデオンの理想は、志ある者たちのあいだで細々とではありますが受け継がれてきました」

「……」

「真摯に進化の過程を探ろうとする研究者がいる一方で、ある者は、とある超大国からの持ちかけに軍事利用のためでしかないと知りながらも莫大な資金に目を眩ませ魂を売り渡しもした。これは不幸なことです」


 ……もしかして、相槌を打つところ?

 残念でしたねーとか言った方がいいのだろうか。

 いや、どうだろう。

 やっぱりここはスルーしていいよね……


「しかし、私は隼に出会いました。この少年こそ、人の可能性を拓き、次のステージに引き上げる真のネオアスリートなのかもしれない」

「……」

「私は感謝しているのです。このチャンスを与えてくれた、貴女と貴女のお父上にね」

「……あ、はい」


 なんか複雑っぽい話は、私にありがとうって伝えるための前振りだったようだ。


 それとも、この人は勘が良すぎて私が転生してるってことに気づいたのかもしれない。

 それでわざと小学生には理解不能な小難しい話をしてみて反応を確めたのかも。

 どっちにしてもポカーンだったけどね。


 それにしても、この人は矢吹くんをどこに連れていこうっていうつもりなんだろうか。

 真のネオアスリート?

 なんかたぶん依頼しているはずの世界一のサッカー選手よりもすごいことになってはいないだろうか。

 目標を高めに設定しといたほうが結果が出やすい的なこと?


 矢吹くんは『僕タク』の主人公だ。

 高校サッカーを舞台にしたサッカーマンガでありながら、ある意味では人間を越え始めた展開をした作品だったのも事実だ。


 だから矢吹くんの潜在能力がすごいのはわかる。


 世界一の選手にだってなれる気がするし、ネオアスリートとかいう今までの普通のアスリートを超越した何かになることだってできるかもしれない。


「終わりましたよ」


 ドクタージークが告げると、矢吹くんの頭を包んだ機械からガチャリとロックが外れたらしい音がした。


 ドクターが手足の拘束を解き、ゆっくりと顔を機械から覗かせた彼を見て私は思わず息を飲んでしまった。

 凛々しくも整った顔立ちに、静寂さを感じさせる表情から、私は宗教画や仏像を連想した。


 人の話に影響され易すぎだとは思うけれど、なんだか矢吹くんが人を越えた存在になってしまったように感じられたのだ。

 例えるなら天使だろうか。

 純白の羽をもつ美しき神の使徒。

 彼という少年は、あるいは神話の存在になってしまったのか。


 だけど矢吹くんは私がいることに気づくとニッコリと笑い、次にトレーニングを見られていたことにだろうか、恥ずかしそうな顔をした。


 ああ、良かった。と私は思った。

 いつもの、変わらない彼がそこにいたから。


 ドクタージークは私たちを静かに見比べるが、どんなことを考えているのか見当もつかない。

 つかみどころのない人だ。


 仮面キャラっていうと定番の悪役だし、なんか気をつけた方がいいのかもしれない。

 そもそも顔を隠している時点で色々と胡散臭い。


「佐倉さん、よくわからないけどこれはすごいトレーニングだよ! なんだか目で見えないことまで見えてきた気がするんだ!」

「……そう。そっか、すごいね」


 無邪気に喜ぶ彼に、私は複雑な気分になりながらも同意する。


 まだ前世を知らなかった頃の無垢であった私は、とんでもないことに彼を巻き込んだのかも知れなかった。

 だけどもう走り始めた彼の運命を止めさせることは酷だろう。


 だいたいが、世界一のサッカー選手だって簡単になれるものじゃない。

 そんなことを恋人の条件に何の疑いもなくあてがっていた私が、考えてみればすごい思い上がりだ。

 子供の戯れとも言えるけど。


 とにかく、しばらく様子を見よう。


 もしもこの仮面ドクターの存在が矢吹くんを不幸にするものだとしたら、父や彼にどれだけワガママな子なんだと思われたとしても構わない。

 ドクタージークを職務から切り離してしまおう。

 私が本気でそれを主張すれば、きっと叶うはずだから。




 その晩、私は自室のPC端末を使い「ネオアスリート思想」なるワードを検索してみた。

 知っておいたほうがいいに違いない。


 調べた結果、なんとなーく件の思想というのがやりたいことがわかってきた。


 アスリートというのはつまり人間の身体を頑張って使って最大限の結果を目指す人達のことだ。

 彼らは一般的な人間よりも高い能力を発揮することを求められ、常に激しいプレッシャーに耐え、コンディションを維持し続けることを求められている。

 肉体的、精神的に追い込まれながら結果を出さなくてはいけない。


 そんな立場にある彼らのなかから、やがてかつての人類の祖先が後ろ足オンリーで歩くことを始めたり、道具を手で扱うことを見出だしたり、炎を自在に使うことを覚えたりと、それに近い新しい進化のヒントを発見する者が現れるのでないか。

 ギデオンなんとかって人はそんなことを考えたそうだ。


 つまりは「次の人類の進化ってさー、たぶんアスリートのなかから起きるんじゃね?」ってことだ。


 だからスポーツドクター的には、それを手助けしましょうと。

 それはドクタージークが言ったようにエスパーみたいな感じになるかもしれないし、バトルマンガみたく人間を越えた動きをしはじめる超人的なことかもしれない。


 ネオアスリートというのは人類が次に進化するときにいち早く進化してみせて、皆のお手本になる人のこと。


 まあ、だいたいそんな感じと察してはいたけど、ネットの辞典で調べてみたらそうだとわかった。


 ……それはまさか、矢吹くんが全人類のお手本になるってこと? ん? えっ?


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