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神は見ていた

 

 ◇




 ネームのアイデアに詰まると、外をのんびりと散歩するのが習慣になっている。

 雑然と物であふれた仕事場を出て、穏やかにふく風を浴びて街を歩くと、紡ぐべき物語の世界と人々から距離をおいて、ときには上がりすぎてしまうテンションをリセットすることができた。


 私は、漫画家だ。


 週刊の少年誌で二十年近く連載をさせてもらった後、現在はもう少し読者の年齢層が高くなる月刊誌で別の連載を続けている。


 不思議なことに半年ほど前から私には前世の記憶があって、そこでも私は漫画家を、正確には漫画原作者をしていた。

 前世で最も人気を得ることができた作品は『僕と女神のタクティクス』というタイトルのサッカーマンガである。


 しかし、あの作品がヒットしたのは作画を担当した先生の絵に負うところが大きかった。

 繊細なタッチの線で美形キャラを描かせたら業界でもトップクラスと言っていい綺麗な人物をバリエーション豊かに登場させながら、それでいてスポーツ物には書かせないアクションの描き方も一流で、筋肉の動きに不自然さはなく決めゴマの躍動感や迫力も超絶に上手いという、私の相方にしておくにはもったいないくらいの人だった。


 現在の私は、前世で求めてやまなかった絵心を手に入れていて、原作と作画を両方こなす漫画家として生活しているわけだが、どれだけ研鑽をつんだとしても、あの人の画力を越えることはかなわないと自覚している。


 そんな私だが、ある日、とんでもない事実を発見することになった。


 いつもどおり散歩をしていると、子供たちがサッカーの試合をしている横を通った。

 サッカーは前世から好きな種目でもあるわけで、何の気なしに様子を見ていると、とんでもない現象が起きているのを目の当たりにした。


 ある少年が蹴ったボールが、ありえない動きで止まったのだ。


 魔法にでもかかったようにピタリと。


「……! 陽狩……あれッ?」


 それでやっと私は理解したのだ。

 ここが前世で私が考えていた『僕タク』の世界であることを。

 ぼんやりと不思議に思っていた幾つかの事柄が、霧が晴れたかのように知覚できたのだ。


 伊足(いたり)県は御覧野(みらの)市。

 前世の日本にはない、架空のはずだった街で私は生きている。


 日本列島の本州は南側、東海地方にあたるあたりから四十八番目にあたる都道府県である伊足県を形作る半島が延びている。

 それは長靴のかたちをしているという者もいれば、いやあれはハイヒールを履いた足だ踏まれたい、という意見をもつ者もいた。

 またある者はこう言った。よく見れば、足の裏にあたるあたりがギザギザしている。だからあれはサッカーのスパイクに似ているよ、と。


 すべて私が前世で考えた舞台設定だ。


 サッカーの試合をしている子供たちから、聞いた覚えのある名がときおり耳に届く。


「矢吹ー!」

「いくよ、剛士!」


 いずれも私が生み出した作中の人物だ。

 作品での年齢設定は高校一年生だったから、今は『僕タク』からみて何年かは過去にあたることになるようだ。


 しかし、まてよ。

 矢吹といえば私の作品では主人公で、高校生になってから初めてサッカーを始めるはずなのだが。


 何やらおかしいと考えていると、ピッチを飛び出したサッカーボールが私のほうに転がってきた。


「すんませーん!」


 無駄にさわやかな印象がする少年が駆け寄ってきた。

 さっきの突然に止まるボールを蹴っていた子だ。

 私はボールを拾うと彼に渡す。


「ありがとうございます!」


 サッカーボールをわざわざ手で拾ったのは、この少年と話をしてみたかったからだ。


「君、すごいね」

「そうかな。オレよりもっとすごいやつ、いるけど」

「いやあ。蹴ったボールが止まるなんて初めて見たよ」

「ああ、あれは友達の孝一が考えたんだ。孝一、すげえんだぜ!」


 元気にボールを蹴って試合に戻る彼を眺めながら、私は混乱していた。


 今の少年は間違いなく陽狩剛士だ。

 大きくなったらさぞかしイケメンに成長することだろう。


 ボールが思い通りに止められる技、ライトニングパスは確かに彼の技だが、それを習得するのはもっと先のはずだ。

 そして開発したのは貴羽夜人であって孝一ではない。


 不可解なことが多いが、年若くとも彼らが『僕タク』のキャラであることにはかわりはない。


 私は、この事実を確認してから後、彼らの試合があるとそれを観戦するようになったのだった。

 自分が生み出したはずの人物たちが、目の前でいきいきとサッカーに励むのは、なんだか変な気分もしたが我が子を愛でているようでもあり、そこはかとなく私の気持ちを暖かくした。




 やがて数ヵ月がまたたく間に過ぎた。


 しばらくするうちに、どうやら子供たちのなかでも鷹月孝一という名の少年に、私と同じ『僕タク』に関する記憶があることが推察できた。


 おそらくそれで間違いない。


 記憶をもとに彼はライトニングパスを使い始め、同じ学校に通っていた矢吹隼や木津根良孝をサッカークラブに所属させたのだとしたら、本来の物語でたどるべきストーリーと違いが生まれていることにも納得ができる。


 彼らの試合を見れば見るほどに、子供とは思えない鷹月少年の気の利いた動きが目についた。

 その献身的な働きは、目の越えたサッカー通でなければ気づかないかもしれないが。

 だが意図してあのアクションができるとしたら、あれはもうただの子供ではない。


 だからこそ私には、彼がいわば『僕タク』の世界への転生者であることが確信できるのだった。




 それにしても鷹月孝一とは面白い。


 彼のことを考えると、私は必ず連載当時にあった作画アシスタントの若者たちとのやりとりを思い出す。


 あの作品を連載していた頃、住まいが近かったこともあり、作画の先生の仕事場をよく訪問していた。

 なるべく意見交換をして良いものを完成させたいというのが建前で、実は意外にも可愛くて美人だったりする先生に会いたい下心あっての行動であった。


「ここで陽狩にパス出してるのって、鷹月孝一っスよね?」

「そうだけど」


 スクリーントーンをガシガシとアートナイフで削りながら質問してきたのは、髪を明るい赤に染めた大学生のアシスタントだった。


 陽狩剛士が後ろからボールを受けている場面の前、木津根と伊立のセンターバックコンビがボールを奪ったのちに、菱井麻衣が「今度はこっちの番よ!」と檄を飛ばすコマが入ってすぐ陽狩のシーンにつながっている。

 この間の、味方ゴール前から敵ゴール前までの部分はバッサリ省略されているのだ。


「そうっスよね。他にパスできるやつ、田貫がオーバーラップして前に出てたらもういないし」

「ああ、そっか。この場面も孝一君のひとりゲームメイクなんだね」


 フリーターで声優の卵だという女の子のアシスタントが口を挟んだ。

 アニメ声が耳にくすぐったい。


「でもさ、今回の対戦相手って麻衣ちゃんがセッティングしたヨーロッパから遠征中のプロクラブじゃん。それでもひとりでパス届けちゃうんだぁ」

「そうそう。さすがは我らが鷹月孝一。見えないところで、ワールドクラス!」


 アシスタントらは、単純に鷹月孝一の有能さを誉めているようでもあり、私の原作を揶揄しているようでもあった。


 だがこうなったのには理由(わけ)がある。


 あれはまだ『僕タク』の連載が始まったばかりのことだった。

 サッカーマンガとしては肝心の試合に入った展開で人気が伸び悩んでいて、そのまま打ち切りも視野に入り始めていた頃、担当編集者からサッカーの描きかたについて注文が入ったのだ。


「先生さ、えっとここのコマから、こっちのコマまでなんだけど」

「ええ、御覧ノ坂チームがパスをまわして相手ディフェンスを崩すところですね」


 担当が指して示したのは、センターフォワードの森熊がポストプレイで受けたボールをボランチの鷹月に一旦戻しながら、両サイドバックを経由するサイドチェンジを経たのちに、オフェンシブな位置にいる陽狩がフリーでボールを貰い前を向くという一連の攻撃の流れだ。


「いらない」

「え?」


 場面の存在を否定する編集者に、思わず私はアメリカンコメディのような顔になったものだ。


「だから、いらない。ここから……ここまで」

「な、なぜゆえに!」

「まあ、たしかにサッカーっぽいよ。サッカー好きな人には受けるかもね。でもね、読者にはサッカーをあまり理解していない人も多い。だから細切れに、何人かのキャラがボールを蹴ってるだけのシーンを見せられてもイメージが沸かないし面白くないんだ」

「うーん、しかし中盤の攻防や組み立てはサッカーの醍醐味。なんとかサッカーを知らない人でも面白くなるように、頑張って書いてみま──」

「いや、いったん連載では省略してみてほしいんだ。チャンスならチャンス、ピンチならピンチの場面だけで試合を繋いでみて」


 まだ実績もなにもなかった私には逆らうことはできず、担当編集者の言われるがままに中盤を省略した試合を書くことになった。


 その結果、びっくりするくらい右肩上がりに人気が出てしまった。


 もうそれからは、ゴール前を行ったり来たりするのが『僕タク』のサッカーの描きかたになってしまった。

 更に、新キャラが加入する度に活躍させないわけにもいかず、ゴールを決める場面か、相手のゴールを防ぐ場面かで出していかないといけない。


 結果、いつのまにか中盤のゲームメイクはどうも鷹月孝一がひとりでやっているらしい状況が完成してしまったのだ。


 同じ守備的なミッドフィルダーに大上という選手がいるのだが、彼は闘犬と呼ばれた実在の選手をモデルにしていてパスを出すのは苦手な設定でもあった。


 そんなわけで、誌面には出てこないながら読者の見ていないところで鷹月孝一は大車輪の活躍をしていたのである。

 物語の終盤、設定の上ではものすごく強い相手でさえもかかわりなく。

 見ていないところでワールドクラスとは、そういう意味だ。


 こちらの世界での鷹月はまだ小学生で、対戦するのも小学生だからまだ実感はないかもしれないが、そのうちにレベルの高い相手と戦うようになれば本人も自分のポテンシャルの高さをに気づくかもしれない。


 前世での彼が、普通の一読者にすぎなかったとしたら、鷹月孝一といえばいるはずなのにあまり出てこない存在感のないキャラだったとして認識している可能性は高いのだが。




 やがて鷹月孝一が所属する御覧野第二小のチームが、強豪とされる春間サッカークラブと対戦する日がきた。


 私はこの試合を沈んだ気持ちで眺める他なかった。

 春間サッカークラブには、原作者である私が物語のなかで心を壊させた少年と、命を失わせた少女がいるのだ。


 天真爛漫といった少女を遠くから見て、私の心は痛んだ。


 だが同時に、鷹月孝一の姿に光明を見た。

 彼は原作の物語を知るゆえに、それを変えようとしていたのだ。

 私にはわかってしまった。

 奇しくも、いつもの試合よりも明らかに緊張しているようにしか思えない様子が、彼がこの試合に架けている思いの強さを説明していた。


 彼の考えている方法も、どうやら春間サッカークラブに勝つことで、例の事故をむかえる前に、あの少年と少女を支えているジンクスを破壊しようとしていることらしいと理解できた。


 私は願った。

 どうかあの兄妹の悲劇をなかったことにしてほしいと。

 私の物語を書き換えてしまってほしいと。


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