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守るべきもの

 

「は、離せ──」

「そんなものではないだろう?」


 雨が打ち付けるなか、木津根が発した声は頬を叩く水滴よりも冷たくて鋭いものに聞こえた。


 本来ならすぐさま周りが止めに入るべきところなのだが、なぜだか両チームの選手の誰もが、審判のお兄さんまで含めて事態を見守るかたちになり動き出す者はなかった。

 木津根の声が怒りをにじませながらも落ち着いていて、どこか(さと)すような響きが混じっていたからかもしれない。


「なんだと……」

「僕の知る春間の4番は、そんなものではないはずだ」


 ユニフォームを掴んだ木津根の手に一層の力が込められ、引き寄せられたことで白鳥琉生と顔どうしが近づく。

 木津根の目力の強さに気圧されるように、白鳥は顔を背けた。


 二人の身長差を思うと白鳥のほうが頭ひとつ分は高いわけで、それが木津根になすがままに拘束されている様は、いかに白鳥のメンタルが弱りきっているかを物語っている。


「ここ数ヶ月、この試合に勝つために僕たちは可能な限りの準備を積み上げ怠らなかった。すべては全力を注ぎ込まなければ勝てない相手だと評価していたからこそだ」


 木津根は抑制の聞いた声音で、白鳥琉生に言葉を投げ掛ける。


「特に、守りの要である春間の4番をいかに攻略するかは最大の焦点でもあった。それは君が、称賛に値する優れた技能を持つディフェンダーだからだ。僕がこれまでに目の当たりにしたなかでも無二の実力の持ち主であり、僕自身にとっても彼ならば模範となりうると認められるほどの好敵手……」

「……」

「それが何だ、この体たらくは!」

「ぐっ……!」


 白鳥は返す言葉もない。

 サッカーでは臨機応変に対応できる柔軟性をもつ有能な選手のはずの彼だが、まさか同じ小学生で年下で、しかも対戦相手に「体たらく」などという言葉を使われて叱責されようとは夢にも思わなかっただろう。


 かすれた声で「だって真理が……」と、呟くのが精一杯だ。


「妹がいない? それが何だ!」

「──な、真理を馬鹿にするのか!」

「馬鹿になどするものか。あれは偵察と分析に長ける良い人材だ。戦術眼があり、個人の特徴をよく捉える」

「そ、そうだろう。そうだぞ、すごいんだぞ、真理は」


 真理を誉められてちょっと嬉しそうにする白鳥。

 襟首を掴まれたまま喜んだ顔をしてしまうのはどうだろうか。

 なまじ顔の造形が男前なだけに残念さが際立つ。


「だが選手ではないだろう」

「……そうだけど」

「戦うのはピッチに立つ者だけだ。いないことで、何も君が無能になることはないはずだ」

「た、他人にはわからないんだ! 真理がいることが、僕にとってどんなに──」

「ここにいなければ、彼女は君を応援していないのか!」


 木津根が掴んでいたユニフォームを手放す。

 よろけながらも、白鳥はなんとか立つ。


「そんなことはないはずだ。本当に信じられる絆が結ばれている人物なのであれば、たとえどんなに離れたところに居たとしても、会えなくても、この世界のどこかにいるなら活躍することを心から願っていてくれる……そうではないのか?」


 何やら実感のこもった問いかけだと、僕は思った。

 木津根には、もしかしたらそんな相手がどこかにいるのかもしれない。


「こ、ここにいなくても……」

「そうだ。君の妹は、目の前にいるときに限ってしか君を応援しないような、浅はかで視野の狭い女の子だったのか?」

「ちがう」


 激しめに否定するために強く左右に振られた白鳥の頭から、髪に含まれていた雨の水滴が飛んだ。


 白鳥真理という女の子は、僕が知るなかでもあらゆる場面での行動が兄の琉生がサッカーで試合に勝つためにできることに繋がっているような、そんな兄思いの妹だ。


「ならば彼女は常に君とともにある。いつもどこかで応援してくれていると信じられるならば、その心は一緒にある」

「心が──一緒に?」


 大きく目を見開く白鳥。

 木津根の言葉は、どうやら彼に響いているようだ。


 数秒の沈黙を、雨音が静かな間奏のように間を繋ぐ。


「──真理、そこにいたのか!」


 やがて白鳥は、何もない空間に向かって語りかけ始めた。

 眩しそうに笑みを浮かべる様子には、どう見ても悪ふざけをしている可能性を残しておける余地はない。


「──そうだよね──真理はいつでも──ごめんよ真理」


 そこに誰もいないにも関わらず、彼は会話を続ける。

 妹の姿が見えているのだろう。


 漫画かアニメであれば、演出的に半透明の真理が出てきたりするところだろうが、あいにく僕の視点からは何も見えない。

 ただ白鳥がひとりでブツブツ言っているだけだ。


 彼の見ている真理は彼にしか目視できないのだろう。

 近くにいる木津根も微妙な顔をしているし、春間の選手たちに至っては大半がドン引きしている感じだ。

 ただ田貫だけが滅茶苦茶笑いそうになっているのを口許をおさえてヒクヒクしながら我慢している。


 確かに客観的に見せられると、なんか怖い感じがする。


「うん──真理、いやいいんだ────ふふふ、大丈夫さ──うん──あ、昨日のカレーの残り?────でも────いや、あれは」


 普通に幻を相手にして、家族の会話をしてしまっている。


「──え、カスピ海?──いや、黒海のほうじゃないかな──」


 何の話題だろうか。


「うん──飼うなら犬より猫だよ────いくら真理でも、そこは譲れないな──」


 ……そこは本人(ほんもの)と話したほうがいいと思う。

 とりあえず琉生が猫派なのは理解できた。


 なるほど他者には映らない幻影と会話をしているというのは、はたから見ているとあんな感じなのか。

 僕も日頃から森川さんの幻影を生成してお話をしがちだから、これからはなるべく念話(テレパシィ)でコミュニケーションをとるように心がけたほうがいいだろうな。


 さすがは木津根が模範となりうるって評価するほどの男、白鳥だ。

 サッカー以外でも参考になる事例を実践して教えてくれる。


「──ああ──そうだね、もう大丈夫だ──」


 爽やかな笑顔で力強く無の空間に頷くと、白鳥は木津根に向きなおった。


「どうやらまともに試合をする気になったようだな」

「ふっ……そうだな、確かにさっきまではどうかしていた。真理はこのとおり、ここにいるのに」


 白鳥はそう言って何もない空間を撫でる。

 どうかしているのはさっきも今も変わらない。

 しかし、その目には力が宿り、迷いなく戦いに挑む者だけが持ちうる闘志のオーラに似たものが、その立ち姿には帯びて見えた。


 試合開始時の白鳥とは、まさに別人だ。別人28号だ。


「君にも、君のチームにも失礼をしてしまったな。たしかに僕は真理がいないと思ってヘロヘロになってしまっていた。でも、ここから実力を出しきって君らを破ることで謝らせてもらうかな」

「ふん……戯れ言をいう。勝つのは僕たちだ。ただ腑抜けた奴に勝っても価値がないだけのことだ」

「まあ、木津根の言うとおりだな……」


 剛士が、ふたりの会話に加わる。


「本気の春間に勝つ。じゃないと、面白くないぜ」

「ったく、よけーなことしやがって……」


 前線の選手であり、近くにいた前野先輩が口を挟んだ。


「わざわざ敵を強くしてどーすんだよ」


 愚痴を言う先輩だが、本気で怒っているようでもない。

 あきれている感じだけれど、木津根の気持ちが理解できないこともないといったところだろうか。


「まー俺がゴールを決めて勝つわけだから、木津根はちゃんと守ってゼロに抑えてくれりゃいいけどよ」

「ええ、お願いします、先輩。ディフェンスはお任せください。この僕がいる限り、必ず無失点に終わらせますから」

「あ……」


 チームメイトの誰かが「あちゃー」と口に出すのが聞こえた。

 木津根の無失点宣言は逆の失点フラグだからだ。


「だーっ、もう! 俺がゴールを決めればいいことだけどな! いいから、さっさと後ろに戻って、あとはなるべく失点しないでくれよ!」

「善処します」


 守備のポジションに戻るために白鳥らの場所から離れる木津根。

 そんな彼に、困り顔で審判のお兄さんがイエローカードを提示する。

 あからさまな暴力こそ振るっていないにせよ、相手チームのキャプテンに掴みかかったのは事実だから警告は仕方ない。


 試合は木津根のシュートが枠外に外れた後から開始なので、春間のゴールキックからの再開になる。


 木津根は、僕の真横を駆け足で通り過ぎるとき、僕だけに聞こえる音量で一言を発して走り抜けていった。


「鷹月、これでいいのか?」




 どうやら木津根には、僕の動揺した精神状態がバレていたらしい。


 できるだけ試合には影響を出さないようにしようと心掛けていたとはいえ、裸眼ではプールサイドの向こう側に立っている人が蚊に刺されているのが見えてしまうほどの視力が相手では見抜かれてしまって当たり前といったところか。


 状況から推察して、僕の動きに影響を与えているのは白鳥琉生のことだろうと考えたのだろう。

 たしかに間違いとも言えない。


 木津根は、単純に妹がいない白鳥がフニャついているのに苛立って行動を起こしたわけではなく、僕のことも叱咤するためにしてくれたのが真相ってことか。


 どうやら木津根に気を遣わせてしまったらしい。

 この借りを返そうと思うなら、この試合でしっかり活躍するしかない。


「くるぞ!」

「春間のやつら全体に押し上げてきやがった!」


 背後の守備陣から警戒の声が上がる。

 白鳥が復調し、後方の心配が払拭された相手チームは前がかりになって攻めの姿勢を見せはじめた。


 元々、引き分けでもオッケーな僕らとは違い、得点を奪わなければ先がなかった春間だ。

 白鳥のことさえなければ、なるべく前には出てきたいところだったはずではある。


 こちらとしても、前線のメンバーはパワーよりもスピードを重視した面々だから、後ろに引かれるよりも前に押し上げてきてもらったほうがチャンスが増えるというものだ。


 停滞していたゲームに動きが生まれる。

 木津根は、むしろこれを狙っていたのかもしれない。

 だとしたらリスクを含む作戦ではあったが。


「ぎゃー! 大上がきたー!」

「無理するな、ボールを奪われる前に下げろー!」


 大上先輩が、いつものようにボール保持者を狙う狩人のように中盤を駆け回る。

 春間は僕らのことをよく研究しているだけあって、大上先輩相手では逃げを選択してボールをバックパスしてでも繋いでいく。


「こっちだ!」

「白鳥キャプテン、お願いします!」


 ボールはディフェンスラインの真ん中にいる白鳥にまで下げられた。


「みんな、いくぞ!」


 白鳥が声を出すと、春間のチーム全体で集中力が上がるのがわかった。

 前野先輩が、白鳥の足元にあるボールを狙ってタックルを当てにいく。


「うらっ、貰ったぜ!」

「甘いな」

「あ、あら~?」


 前野先輩のタックルはたしかに入ったのだが、むしろタックルした側の先輩が吹き飛ばされたようになって、濡れた地面にのめり込んでいってしまった。

 このあたりの身体の使い方が、白鳥琉生は本当に巧みだ。


「ふっ、じゃあ、さっきのお返しといこうか!」


 そこから、白鳥のドリブルが始まった。

 木津根のまったりドリブルの逆襲とばかりに。逆襲の白鳥か。


 矢吹がボールを奪おうと立ち塞がるが、ボールに足を伸ばした瞬間に白鳥の身体がそれを阻み、前野先輩がやられたように弾き返されてしまう。


「みゃー!」


 子猫のような声を出して飛ばされた。


 そのまま、ど真ん中をドリブルで白鳥が進む。


 頼みの綱の大上先輩は右サイドに流れてしまっているので間に合わない。

 ここは僕が守備的な中盤の選手としてスペースを埋めるべき場面なのだが、マークについていた春間の選手にブロックされてしまい白鳥の侵攻を許してしまう。


「木津根!」

「任せておけ」


 白鳥の前に、木津根が立つ。


「仕返しのつもりか」

「うん。目には目を、ドリブルにはドリブルをってね!」


 ドリブルをする白鳥は止まることなく突き進む。

 地面のコンディションはよくないにもかかわらず。


 剛士とも、田貫とも違うし、木津根のともまた違う、変わったドリブルだ。


 なによりボールへのタッチ数が極端に少ない。

 軽く前に蹴り出したかと思うと、そのボールが勢いが無くなるまで並走するように走る。

 相手選手がきてもボールを身を呈してでも守るようにしてキープしながら進む。

 そんなドリブルだ。


 僕は、そんなドリブルを相手に木津根がどう対処するかを想像した。

 そして声を掛けた。


「木津根! 無闇にボールを奪おうとしちゃ駄目だ!」


 だが遅かった。


 白鳥のほうが一枚上手で、わざと木津根がボールに足を出したくなるように隙を見せて誘い込んだ。

 そこに白鳥は身体を入れてボールを守る。


「くっ! 罠か」

「ふふっ、ディフェンダーなら今のは行っちゃうだろうな!」


 身体をぶつかり合わせた白鳥と木津根。

 これではフィジカルの勝負になる。

 単純なパワーの戦いになれば、木津根には白鳥に勝てる要素はない。


「これでドリブルで抜かれた借りは返させてもらった」


 白鳥に守られたボールが、木津根の間合いを抜けていく。

 木津根は弾かれるようにバランスを崩す。

 前野先輩や矢吹のように吹き飛ばされはしなかったものの、白鳥のドリブルを止めることはかなわなかった。


「んなろー!」


 キーパーの網守先輩が、飛び出す。


 だがそれですらも相手の守備を誘い出す罠だったらしく、白鳥は網守先輩が伸ばした両手からボールを守ると、がら空きになったゴールマウスに冷静にボールを流し込んだ。


「真理、やったよー!」


 白鳥琉生は、誰もいない左隣に微笑みかけながら歓喜の輪をつくろうとする春間の選手たちに向かって走る。


「なんだよ、すげーな」


 剛士が感心する声がした。

 あまり堪えていないようだ。


「あいつが無失点とか言い出した時点で、こうなる気はしてたけどな」


 前野先輩が、ややうんざりしつつも後ろ向きな気持ちではない様子で言った。


 頼もしいチームメイトたちだ。

 やり返された木津根も、すごく悔しそうではあるが戦意は挫かれていないように見える。


 試合はまだまだ前半。


 失点を先行させるかたちでゲームが動き出すことになってしまったが、この戦いがこのまま終わるとは思えない。


 こちらには剛士が、矢吹が、前野先輩がいるのだから。


「キャプテン、ナイスゴール!」

「さすがです!」


 白鳥琉生はチームメイトに囲まれ、ほぼ独力で取ったに等しいゴールを誉め称えられている。

 本人視点では真理にも誉められているのだろう。

 顔がだいぶ緩いから間違いない。


 ふと、この白鳥の変化が運命にどんな影響を与えるかを考えた。


 このままで彼が、真理本人が不在でも試合に集中できるようになったとしたなら、この先に真理がどんな試合でこなかったとしても後から責め立てるようなことはしないだろう。

 原作どおりにはならないことになる。


 木津根のおかげで、原作の白鳥はもはや存在しないも同然になったかもしれない。


 でも、結局この試合に白鳥が負けたとしたらどうなるか。

 そのあと本物の真理がいる試合では勝ち続けたとしたなら。


 やはり、勝つためには真理がいないといけないというジンクスが残されてしまうんじゃないだろうか。

 だとしたら、このままの点差で僕らは試合に負けたほうがいいのだろうか?


 人の命が掛かっている。

 それを思えば、そうなったほうがいいのかもしれない。


 でも、そこまでしないといけないだろうかという疑問もある。

 エゴかもしれない。

 でも、僕が鷹月孝一である限り、チームを勝たせたいし、負けるように仕向けないといけないのだとしたら、それは重い決断を強いらせることだ。


 真理の命を救うためには、それしか方法がないというなら受け入れることもできた。

 本当に、それしか選択の余地がないのなら。


 だけど不確かな未来を前に、相反することを囁くふたりの僕が、僕のなかにいる。


 もう運命は変わったかもしれない。

 もっと別の方法でさらに変えられるかもしれない。

 だとしたら、このままこの試合は木津根に借りを返すためにも頑張ろう。

 大事な仲間たちのために、自分にできる最高のパフォーマンスを出そうよ。


 もしも運命を変えられなかったらどうする。

 真理の死を前に、なるべくできることはやったから仕方ないよねと自分を納得させるのか?

 それで、僕はなに食わぬ顔でサッカーを続けられるのだろうか。

 今のうちに、できることはすべてやっておくべきじゃないのか。だとしたら、この試合は白鳥に勝たせるべきだ。

 人の命が掛かっているってことは、そういうことじゃないのか。


 僕は、どうしたらいいのだろうか。

 この疑問に確かな答えなどあるのだろうか────?


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