覚醒しはじめる主人公~その2
矢吹がサッカーをはじめてから、もうすでに原作で描かれた期間を長さだけならば越えていることになる。
たったの一年でサッカー未経験から選手権で全国優勝の立役者となり、ついには欧州のトップリーグで戦うために海外へと渡っていった矢吹。
それを考慮すると、他人とは比較にならないペースで成長しているとはいえ、当人比としては少し物足りないという感も否めない。
もちろん、小学生と高校生っていう差はある。
トレーニング面では体に厳しく重すぎるような負担をかけるようなことはしないほうがいいだろうから、一概に矢吹の成長ペースが遅いとは決めきれない。
なによりも大人になったときのサッカー選手としての到達点は、原作矢吹より遥か高みにはあるはずだ。
僕の、矢吹隼育成計画はおおむね順調なのではないだろうか。
今のうちは、徹底的に相手選手との接触から逃げてのパフォーマンスを伸ばすことに片寄っているのもいいと思う。
ボレーシュートを極めようとしているのも、ディフェンスが体をぶつけてくるよりも早く、フィニッシュまでもっていく技を磨くためだ。
試合で必ず二、三度は吹き飛ばされている矢吹。
タックルを受けては「わー」とか「みゃー」とか、小動物のような鳴き声をあげて飛んでいる。
はた目にも、けっこうな飛距離を。
受け身をとるのだけは巧くなってきているが、いつかは原作のように肉体を鍛えて小さな体でも簡単には倒されたり押しのけられたりしない屈強さを身に付けてもらうことになるだろう。
そういえば原作での矢吹は、弱点であるフィジカル面を強化するために菱井麻衣の薦めで、御覧野市からわりと近いところにある樫野山に住む武術の達人に師事するんだったか。
あのへんのくだりは、いかにもマンガの修行エピソードだったな。
山奥に単身で向かい、慣れない登山で迷ったりなんかをしながらも、ついに目的の老人に出会った矢吹。
「高校サッカーじゃと?」
「はい。それで、どうしても僕は体を鍛えないといけないんです!」
「……ふむ。おぬし、無闇にきれいな目をしているな」
「えっ?」
「よかろう。修行をさせてやってもいい。じゃが、条件がある」
毅然とした態度で、腕を前に組ながら言い放つ老人。
矢吹は緊張感に思わず一度、唾を飲む。
「……条件、ですか?」
矢吹の頭を、どんな困難な条件が突きつけられるのだろうという懸念が渦巻く。
今は自分を磨くために、少しの時間も無駄にはできないというのに。
「うむ。少年よ、高校サッカーと言ったが、おぬしの高校とは……共学かな?」
「え? あ、はい。そうですけど」
「ならばここに、女子高校生をつれてまいれ! 山でひとりさびしく暮らすワシのもとに現役バリバリのリアルJKをじゃ!」
「ジェ……JK!」
「そう! ワシはただJKと、お話がしてみたいだけなのじゃ! 条件というか、なんかむしろお願いします!」
電話が繋がるところまで下山すると、心当たりのある女子に連絡をとった矢吹。
菱井麻衣には断られたが、佐倉さんとその友達二人を呼び出すことに成功し、見事に条件をクリアするのだった。
そうして矢吹は、一見すると意味不明でふざけた修行に思えるいくつかの鍛練を言われるがままにこなす。
やがて、高校選手権が始まる直前にあたる冬休み前半という、わずか数日のうちに肉体改造を成功させ、強靭な体幹と押されてもぶれない重心を維持できる下半身の強さ、素敵にくっきり分かたれた見事なシックスパックとを手に入れたのだった。
憧れのシックスパック。
腹部に刻まれた陰影は鍛えたボディーに与えられる勲章だ。
僕も、肩とか胸まわりまではムッキムキになりたくはないが腹筋だけはばっちり割れた感じにはなっておきたい。
たしか、あのエロジジイは何十年も樫野山で生活している設定だったはずだから、もうすでに行けば会えることになるか。
僕も、フィジカルに物足りなさを感じてマッスルにコミットしたくなったら教えを請いにいくのもありかもしれない。
だが矢吹がそうであるように、僕もまだそのときではない。
山住まいの謎のエロジジイの他で、もう師と呼ぶべき人物を得ているからだ。
彼から学んだ教えを自分のものにするために、この一年をかけて経験を積んできた。
菱井寮さんからの教えを。
試合を変える運命の分岐点をつくり出す。
はじまりから終わりまでを観測し、天から俯瞰するようにボールの動きを眺め、地に立つすべての選手の能力とコンディションを把握し、人の心を読むように判断と行動を予測してときには思考そのものをコントロールする。
すべてを支配する選手。
それが彼の教え。
結果として下位互換くらいの技能に落ち着いたとしても、それは凄いことだ。
だから僕は実践するために、寮さんの教えどおりひとつひとつの試合を観察してきた。
試合に参加した一選手として、ただその場で最善を尽くして終わるのではなく、ひとりひとりの選手がどう動いたのか、試合結果を導いたのはどの行動だったのかを分析するようにしてきた。
やがて同じチームと当たることになる地域リーグの二巡目がはじまり、僕は以前よりも試合が『読める』ようになっていることを実感していた。
相手選手に単純なパターンで動く者がいれば、それをついてチームの組織を乱すことができた。
全体を通した要所で、失点をしないために我慢するところと得点するために押し込むべきところが掴めるようになった。
考えてみれば前世の記憶があって大人の思考ができる人間が、子供のサッカーに参加しているのだから、他の選手の思考を読みとって利用するのも、まったくはできないような話ではない。
ちょっと反則っぽいよなとも思うけど、とはいえ僕は試合に参加している何人もの選手のうちの一名にしかすぎない。
結局は僕ひとりがどれだけ流れを読むことができたとしても、剛士や矢吹、大上先輩や木津根のちからを借りないと勝つことはできないんだ。
特に、体は心と違って剛士たちと同じ子供でしかない。
西のように、すべての試合には出場できない仲間もいる以上、僕は僕にできることを最大限にまでやるつもりだし、相手のチームに悪いから手を抜こうという気はなかった。
子供だとしても、試合ではサッカーを遊びだと思って戦っている選手はひとりもいない。
みんな真剣だし、勝つためにできることを全力でやっている。
そんななかで僕だけが転生者だからといってちからを尽くさないのは、かえって失礼だし侮辱にあたるかもしれないと思う。
だからズルくても味方のためにできることは、なるべくすべてやるつもりだ。
それに対戦相手にも、指導者という『大人の思考』をする人物が存在している。
これがある意味、僕の知能が戦う対象そのものともいえた。
確実に強いとみられはじめている僕らのチームには、指導者があらかじめ、しっかりした作戦をたてて挑んでくるようになっている。
そのときが手腕を発揮して見せる場面だ。
作戦の穴を見つける。
もし穴がなければ、試合の時間内に仲間を動かして敵の組織を誘導し穴をつくり出す。
うまくいったときの達成感は本物だった。
偶然の産物ではなく、読み勝ってのチェックメイトの感覚に近い。
そしてそれ以上だ。
この快感を知ったからには、もうこの道を行けるところまで進むことになる。
もう後には引けない。
対戦するのが大人に近づくにつれて考えることも複雑になるだろうから、次第に難しくなるかもしれない。
だとしても僕はそれ以上の思考で戦いのすべてを読み抜き、チームを勝利に導けるようになるべく成長するだけのことだ。
いつか菱井寮さんの教えをかたちにして、試合を支配する黒幕として君臨するために。




