名前
「えーいいよー。ねー、お姉ちゃん?」
「ん? うん、別にいいけど…」
架純ちゃんは、ドリルの問題に頭を悩ませながら生返事を返す。
ゲーム機も、ソフトも、彼女の所持品ということだろうか。
少なくとも去年までの鷹月家にはなかったものだ。
「こーちゃん、いいってさー」
「うん、ありがとう。ちょっと借りるよ」
ワクワクしながら、電源を入れるとゲーム機が静かに作動し始める。
さすがは最新機種だ。昔の、特に円盤を回す機種にはもっと轟音を鳴らす機体もあったというのに。
裏面が黒いCDーROMとか、懐かしいなあ。
そんなことを思いながら、コントローラを握る。
やばかった。
もう少しで涙をホロリしてしまうところだった。
ただ、コントローラを手にしただけのことで、目頭が熱くなってしまった。
前世の記憶自体は、ごく最近に甦ったばかりなのだが、それでも、鷹月孝一の約十年分の記憶が、最後にコントローラを手にしてから今までの間に、長いブランクとして横たえられていたのだ。
嗚呼、ゲーム機。
僕には、こんな風に帰ってくる場所があったのだ。
こんなに嬉しいことはない…
「こーちゃん、どうかした? やり方、わかんないんじゃない?」
「あ、ああ、大丈夫」
危ない。
美少女姉妹には、僕の脳内にオタクニートが棲息していることを気取られないようにしなくては。
スタートボタンを押す。
背後で、机に鉛筆をバチンと叩きつける音がした。
架純ちゃんだ。
「えっ、孝一くん、それやるのっ?」
架純ちゃんの顔が、青ざめたかと思うと、継いで赤色に変化していく。
リトマス試験紙なみの化学反応だ。
どの辺がアルカリ性で、何でもって酸性に反応してしまったのかは、僕には知るよしもないけれど。
「だ、ダメだった?」
「ダメじゃないけど…。あっ、そこ、そこは『ぼうけんをあたらしくはじめる』を選んで!」
「え、これ?」
「そう、そっち! そっち! そこで押して!」
すごい剣幕に押されるように、僕は新規ゲームスタートを選択した。
セーブデータはふたつ残っていて、『カスミ』と『ユキムラ』の名前で登録されていた。
まずは『カスミ』は架純ちゃんのセーブだとして、『ユキムラ』は明美さんなのか、早優奈ちゃんなのかどちらだか分からない。架純ちゃんの二週目プレイという可能性もある。
よくわからないけれど、架純ちゃんのあの態度からすると、自分のセーブデータを僕に見られて何か困ることでもあるのだろうか。
まあ、今は気にせず、久しぶりのロードラを楽しむことにしよう。
名前は普通に『コーイチ』で始めることにした。
歴史あるシリーズの安定感が素晴らしい。
開始してすぐに世界観に引き込ませてくれる。
仲間を作成するところにやってきた。
四人パーティなので、三人の仲間を作らないといけない。
名前はどうしようかな。
昔よくやったのは、色のCYMKからとって、シアン、マゼンタ、イエロの三人にしていたけど、それは前世の名前が『黒』に関係するものだったからだ。
今回は別のにしよう。
三原色でもいいけど、戦隊ヒーローっぽくなるし、三と言えば三国志で、義兄弟三人組とかでもいいだろうか。いや、その中に入ると『コーイチ』が完全に浮いてしまうか。あと、何か濃いうえにオッサン臭い連中になってしまう。
適当に、シンプルな感じのがいいか。
そんなことを考えるうちに、雪月花という言葉が頭に浮かんだので、スノウ、ルナ、フローラの三人にすることにした。
「どうして、みんな女の子なの?」
「うっ」
早優奈ちゃんの素朴な質問に応える術がない。
ナチュラルに前世のくせでハーレムパーティにしてしまった。
「ほ、ほんとだ。なんとなく選んでいたら気がつかなかったよ」
「ふうん。お姉ちゃんはね、こーちゃんのこと、仲間に入れてるんだよ」
「へー。職業は?」
「えーと、そうりょ?」
「あ、そうなんだ…」
さすがは地味キャラな鷹月孝一だ。
ゲームの中でも地味なポジションにさせられている。
それにしても、架純ちゃんが僕の名前を使ってくれているとは、なんだか嬉しいような恥ずかしいような気持ちだ。
昔、好きな女子の名前をゲームキャラに使っているやつとか居たなあ。
あれは本人にバレると相当恥ずかしいリスキーな所業だ。あまりにも黒歴史に直結するから止めといたほうがいいと思う。
それで、架純ちゃんは自分のセーブデータを僕に見られたくなかったんだな。
なんか納得した。
知ってしまった側の僕がそれなりに恥ずかしいのだから、知られてしまった側の架純ちゃんの恥ずかしさは比べ物にならないんじゃないだろうか。
ガタッと、音がして架純ちゃんが立ち上がる。
「さ、早優奈っ!」
リトマス試験紙は、高濃度の酸性を示している。
「きゃははははは!」
高笑いを残して、早優奈ちゃんは機敏な動作でリビングを逃げ出した。
その後を、遅れて姉が追っていく。
「ばーらーすーーなーー!」
「きゃはははははははははははは!」
遠くから明美さんの「家の中は走らないのー」という、怒っているにしては、のんきな声がした。
姉妹はどこかに行ってしまったものの、今はとりあえず、ロードラを満喫させてもらうことにしよう。
おなじみのザコモンスターが出てきて、久方ぶりの再会に、また泣きそうになった。
目が、おかえりと言っている。
絶対に言っている。
ふと、リビングの隅にある漫画雑誌に目が止まる。
明美さんが連載している4コマ誌もあるけれど、よく見ると、いわゆるスク○ニ系の雑誌が多い。オタクっ気ゼロの鷹月孝一視点による認識では、表紙の絵柄が繊細で綺麗な感じがしていたので、すべて少女漫画雑誌だとばかり思っていた。
前世の記憶があるせいで、認識は更新されたけれど。
今度から、少しずつ、変に思われないように段々と興味を持ち始めた演出を心掛けながら、読ましてもらうことにしよう。
あの美少女姉妹は、どうやらオタクとしても将来有望な姉妹であるらしい。