人を押してはいけません
「というわけで、解散~」
軽いミーティングのあと、監督の宣言でチームは現地解散となった。
散り散りになる仲間たち。
迎えにきた親と一緒に帰る者もいれば、しばらくその場に残る者、ツインテールの女の子といちゃつく者まで、チームメイトたちは思い思いに別れていく。
春間サッカークラブとの一戦目をドローゲームで終えたことで、僕ら観覧野第二小は単独首位をキープしたまま地域リーグ戦を折り返すことになる。
強豪チームと目されていた相手を、わりといいところまで追いつめての引き分けなので雰囲気は悪くない。
「最後に、俺のマキシマム・エクセレント・シュートが決まってればなあ!」
「たしかにあれは惜しかった」
声が大きいせいで、前野先輩の会話が遠ざかりながらも聞こえてきた。
先輩がこぼれ球に詰めようと放ったあれは、マーベラス・アルティメット・シュートではなくて、マキシマム・エクセレント・シュートのほうだったのか。
あとになったから言えることだけど、あの場面では、エレガント・バニシング・シュートを使っておいたほうが良かったと思う。
前野先輩は七つのシュートを使い分けるフォワードなのだ。本人がそう主張している。
「見てろよ、今度は得点してやるからな!」
自分が得点することに貪欲な先輩は、なんだかんだで頼もしい存在だ。
チームを明るくしてくれるムードメーカーでもある。
今度こそは勝ってやるっていう気分は、たぶんチーム全体の総意を代弁してもいるだろう。
僕としても実際に対戦してみて、これが絶対に勝てるわけがない歴然としたちからの差を見せつけられての敗戦になっていたなら今頃は愕然としていただろうから、今日の結果には少しほっとしている。
大丈夫。
なんとかなる。
僕らが今の勢いで強くなれば、きっと勝てる。
そう信じることができるから。
でもまあ、少年マンガ的な視点で考えれば、もしかすると絶望的な負けを喫するほうが展開的には、それらしかった気もする。
倒さねばならない強大な敵を前に、一度は負けてしまう主人公。
場合によっては大切な仲間を失ってしまうのかもしれない。
あるいは苦戦のすえに倒したばかりの前回の敵キャラが、新しい敵の手によって軽い感じでイチコロにされてしまってして「あいつ、やべえ」ってなるのかもしれない。
最強をこえる、更なる最強の敵の出現にすべての終わりを予感させてしまう展開だ。
だが、少年マンガの主人公はくじけない。
そこからまた自らを鍛え上げるのだ。修行だ。新技だ。
今までの師匠の、さらに師匠とかが新登場したりもすることだろう。
そうやって苦心のすえに、これまでよりももっと強くなって強敵を倒す。
そしたらまた次のもっともっと最強の敵が出てきてしまったりするんだろうけど、それなら負けじと強くなって最強を更新していくのみだ。
僕の知る少年マンガの王道はそんな感じだ。
そういえば『僕と女神のタクティクス』でも、観覧ノ坂イレブンが木っ端微塵に敗戦する試合が描かれている。
県予選を突破し、チームが「なんか俺たち、強くね?」とちょっと浮かれているなかで組まれた練習試合でまさかのボロ負けをするんだった。
相手は、これから戦うことになる選手権で優勝候補と目されている高校最強クラスのチームだ。
観覧ノ坂はそんな敵を前に、さっぱりいいところなく負けてしまう。
まさに手も足もでない試合内容。サッカーで手を出したら反則だけど。
これがプロチームとかなら監督の更迭とかもありえたくらいのショッキングな事態だった。
これが全国との差かと思い知らされた矢吹たち。
でも実はこの敗戦は、あらかじめそうなるように仕組まれていた、菱井麻衣の作戦だったりする。
それまでライバルとしてずっと意識していた獅子心・力石玲央を破ってしまったことで無意識にも抱きはじめた慢心を打ち砕き、もう一度、向上心を個々に植えつけるのが目的だ。
麻衣は、それまで同様に「勝てる」と思えるような戦術を指示しておきながら、その実、彼女に言われたままに戦った場合は選手一人一人の個人的な弱点や未熟な部分を原因にして負けることになるよう全てが計算されていた対戦なんだった。
実際、菱井麻衣の思惑どおりにことは運ぶ。
麻衣は、チームの現状を憂いていた。
彼女の作戦をたてる能力で、観覧ノ坂の仲間たちの長所を活かし短所を補う戦いかたを続けたとしても選手権でまあまあいいところまでは行けるかもしれないが、最終的に優勝を飾るのは難しいだろうと踏んでいた。
チームに、うちには菱井麻衣がいるからなんとかなるという空気が生じはじめていたのも事実だった。
自分たちが何とかしないといけないという気持ちを忘れて、彼女が何とかしてくれるという考え方が蔓延しつつあったんだ。
だから麻衣は、矢吹たちが個人で足りないものを見つけて、自分が鍛えなければならない部分、伸ばさなければならない部分を身を持って感じさせることで奮い起たせ、自らの意思で個人の能力を高めてチームに還元してくれるようにけしかけた。
もっとも、木津根と田貫のふたりにはそのあたりはバレていたみたいだけど。
ちなみに、あのときに露呈した鷹月孝一の弱点は『足の遅さ』だったか。
うーん。
そこから原作の僕は『読みの早さ』と『運動量』を改善していくんだったはずだ。
なんだかやっぱり総合的に地味キャラな気がするのは否めない。
負けたからこそ、学べることというのはある。
敗北を前に気落ちして、前に進む心を失ってしまえば人は成長しない。
だが敗北を糧として足らないことを自覚し次には勝てるように修練を積めば、負けることはより強くなるための後押しになる。
原作の観覧ノ坂は、そのときの敗戦を教訓として選手権本大会に向けて一人一人がレベルを上げたことでチーム力を伸ばし、のちに数々のピンチもくぐり抜け、一度は敗北した優勝候補チームをも撃破してついには優勝を成し遂げる。
そう考えてみれば、今の僕らにしても超強い相手に負けちゃったりしたほうが将来的には成長できるのかもしれないな。
だからと言って、春間との二度目の対戦に勝つためには、一度目を負けておいたほうが良かったというわけでもないけど。
「鷹月孝一!」
背後から、女の子の声でフルネームを呼ばれて、僕は振り返る。
剛士が、試合後のファンサービスに忙しいのでのんびり待とうかとしていたところだった。
白鳥真理がひとり、僕に向かってズカズカと歩いてくる。
兄のチームは僕らとは違って長めに話をしているみたいだ。まだかっちりと円陣を組んだままでいる。
帰路につきはじめた観覧野第二小の面々をかき分けるようにしながら、真理はピシリと人差し指を立ててくる。
「今日のところは引き分けで許してあげる! でもね、次はこうはいかないんだか──らぁっ?」
何もないところで、つまずいて倒れ込んできた。
安定のドジっ子ぶりだ。
なんとなく予想はできていたので、余裕をもって対処できる。
「はいはい……」
僕は、真理を受け止める。
一度目と違って試合後で体は疲労で重たくはあったが、なんとか支えることができた。
これで二度目だが、二度あることは何とやらなので、これで最後という気がしない。
「鷹月~!」
真理のバランスを立てなおして自立させようとしている僕の背後から声がまた別の声がかかる。
「今日は惜しかったな~! 応援に来てやったぞ~」
皆川さんだと気づく。
「喜べ~。我らが幼馴染、木津根孝高くんのデビュー戦を応援してあげようということにして由希を連れてくることに、アタシは成功した!」
自身の功績を誇らしげに語りながら接近する、皆川さん。
僕と森川さんの関係を、本人たちのペースを無視してまでも急激な勢いで引き寄せようと画策している彼女は、これまで僕らの試合を応援するのに森川さんを度々誘ってはいたのだが、そのつど断られ続けてきたのだった。
「私なんかが行っても役にはたたないわ」
そう言って、本当は行きたいはずなのに来ようとはしないのだと僕に語っていた、皆川さん。
「鷹月もさ、由希に応援に来てほしいだろ?」
ニヤニヤしながら訊いてくる皆川さんに、少し困ったのを覚えている。
「うーん。来てくれたら嬉しいけど」
「じゃあ、言ってやれよー。来てくれよな、って」
「いや、悪いよ……。たしかに森川さんは優しいから、来て欲しがったら来てくれるに違いないだろうけど。無理してまでは、なんだか迷惑だろうし。それに、行きたがってるっていうのは皆川さんが勝手に思ってることでしょ?」
「由希は、本当は、行きたい。アタシにはわかる」
キッパリと断言する皆川さん。
「そうだとして、来てくれたなら嬉しいけど。森川さんがサッカーの試合を観ても、面白いとは限らないしさ……僕からは言えないよ」
「あーもう、あんたらはいつも……! あーもう! あーもう!」
そんなやりとりもあって、皆川さんは何かとサッカー観戦に森川さんを連れ出そうとしていたのだが、ついに今日の試合で木津根の存在を利用することでそれに成功したらしい。
「ははは! 感謝しろよ~鷹月って、おま……何やってんだ?」
だが今はタイミングが悪い。
ちょうど背中から見ていたせいなのだろう、まわりにチームメイトたちの姿もまだ多いなかで、僕が白鳥真理を抱きしめているかのような体勢でいることには気づくのが遅かったみたいだ。
恐る恐る、振り返る僕。
驚愕するボーイッシュガール皆川さんのとなりに「まあ」といった感じで衝撃を受けている様子の森川さんがいた。
「た、鷹月……こ……これは一体……」
あたふたする、皆川さん。
「いや、これは……」
なかなか間の悪い感じになってしまったが、ここは焦ってはいけない。
冷静であるべきだ。
僕は特に悪いことをしているわけではないんだ。
落ち着いて説明をすれば、わかってもらえるはずだ。
そう自分に言い聞かせて僕は、とりあえず真理を引きはなそうとした。
「ぬふふ……」
だがここで何故か真理が、よりしっかりと僕に腕をまわして抱きついてきた。
「なっ」
「ふふふ……」
よく見ると真理はすごく悪い顔をしている。
この状況は、僕のメンタルと人間関係にダメージを与えるチャンスだと踏んだのだろうか。
踏んだのだろう。
たしかにこれは何か困った感じだ。
どうしたものか。
困ったまま、森川さんに目を向けると、彼女は驚いて動揺しながらも、少し苦笑いしているような何とも形容しがたい顔をしていた。
目が潤んでいるように見えて、チクリと胸が痛む。
「ど……ど……どうした……ら」
オロオロするばかりの皆川さん。
やがて、これまでにないテンパり具合をしていた皆川さんのメンタルが沸点をこえて破綻した。
「ピギャー!」
意味不明な奇声を発した皆川さん。
こともあろうか、おそらくもてる全力を発揮したのだろう、となりにいた森川さんを僕にむけて凄いちからで吹っ飛ばすように押し出した。
「きゃっ──?」
突進させられて迫る森川さんに、僕はまったく柔軟な対応ができない。
真理のせいで自由が効かなすぎる。
「うわぁ!」と、僕。
「ええ~?」と、白鳥真理。
「きゃー!」とは、森川さん。
僕ら三人は、僕と森川さんが下手に人を庇おうとするのも裏目に出て、もつれ合いながら地面に倒れたのだった。




