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ボールを追う者

 

 まばたきをする、ほんのわずかな間で怪訝な表情を作った木津根だったが、僕の意図を理解するまでに約一秒、それを実行可能か脳内で検証するのにまた約一秒を要したのちに結論を導き出した。


 つまり答えは約二秒で返ってきた。


「──4番の手前までだ。あの4番をドリブルで突破するには参考例(サンプル)が少なすぎるからな」


 周囲にいる春間の選手たちの耳には届かないよう、音量(ボリューム)を落とした声で話す木津根。


 期待していた通りの解答だ。

 剛士にも完全には攻略できなかった白鳥琉生を、現時点でドリブル自体をほとんど実戦で実践したことのない木津根に、どうにかできるとは思っていない。

 だけど、他のフィールドプレイヤーたちについては、剛士が何度もボールを持ちながら手玉に取ってみせる場面を木津根は目撃している。

 参考例(サンプル)は、もう揃っているはずだ。


「だけど、そこまで運ぶことはできるんだ」

「できる」


 自分で訊ねておいて、木津根があまりにも確信をもって即答で返すものだから少し驚く。

 すごい自信だ。


「そうだな、相手に予測のない今なら成功率は96%といったところか」

「なるほど」

「だが、運んだ先でどうさせるつもりだ? プランがあるんだろうな」

「うん。白鳥琉生を、4番をしっかり引き付けたうえで僕にパスを出してほしいんだ。最後は……僕が決める」


 木津根の口角が少しだけつり上がる。

 最近、このくらいの微笑が、他の人でいうなら満面の笑みに相当することがわかってきた。

 彼は見た目よりも、感情の起伏が激しい。


「僕がドリブルで後方から持ち込んでいけば、鷹月についたマークの注意も向くだろうな。更に、今の僕で出せるラストパスの精度でも、鷹月のトラップ技術なら多少乱暴なボールだとしても収まるか……よかろう、理にかなった作戦だ」

「うん。タイミングは木津根に任せる」


 目差しで頷きあって、僕らは内緒話を終えた。


 ポジションに戻って、木津根の作戦開始を待つ。

 これがこの試合で勝てる可能性のある最後の手にはなるだろう。




 ほとんど動けなくなっていた矢吹に代わって、西がフォワードに投入された。


「うぉっし! いくぜー!」


 元気に動きまわれる人員が入ったのは助かる。

 特に守備の面で、前線でボールを追い回してくれるのは負担を軽くしてくれる。


 西は、気合いの入ったダッシュでサッカーボールを目掛けては闘牛のように突進し、春間の選手がじっくりとパスをまわして攻撃をつくる余裕を与えない。

 ちょっと飛ばしすぎなくらいだが、残り時間を考えれば大丈夫だろう。


 そうして、西が追い詰めたことで奪えたボールが、大上先輩から剛士を経由し、僕にまわってくる。


「よし! 行くよ、西!」

「おうっ!」


 僕が出したグラウンダーのパスを、西は止め損ねた。


「しまった! うぁ……あちゃー」


 西の足に弾かれて転がったボールは、相手へのパスと化してしまう。


「ごめん!」

「いいよ、気にしないで!」


 再び、ボールの追跡者となる西。

 追尾し続けるホーミングミサイルのように、射程に捉えたボールを狙って走っていく。


 不思議と本人は気づいていないみたいだが、西は先発、途中出場にかかわらずファーストタッチをかなりの高確率で失敗するクセがある。

 たぶん気合いが空回りするのが原因だと思う。


 ビッグチャンスのときにそれが出るのを避けるために、僕はなるべく早めに西に失敗させてしまうのを習慣づけていた。

 このクセが改善されることについては、以前の試合で『とまるやつ』をトラップし損ねた時点で諦めてしまっている。

 もうそういうもんだと受け入れることにした。


 そんな西だが、僕は彼に引け目を感じている。


 本来なら高校からサッカーを始めるはずの矢吹を誘ったのは僕だ。

 そのせいで、どう考えても僕は西から試合出場の機会を奪ってしまった結果になっているからだ。


 矢吹がチームに入っていなければ、今頃、西はフォワードの正レギュラーとして毎試合を先発で出ていたに違いない。

 それを思うと申し訳ない気持ちになる。

 

 でも一方では、自分が西の立場にあれば出場できないのは自分のちからのせいだとも思うはずだし、申し訳ないと思われるのはかえって気分がよくないだろう。

 だから、申し訳ないと思うことを、申し訳なく感じたりもしている。


 それでいて本人はというと自分からポジションを奪ったことになる矢吹を素直に「すげーな」と感心していて「俺も負けていられねー」と腐ることなく努力している。


 僕はそんな西の前向きな姿勢に心から感謝していて、ともに戦うチームメイトとして尊敬していた。




 やがて作戦開始のときがきた。


 僕らのチームが奪ったボールが、パスで何人かのチームメイトのもとを巡る。

 フリーでいる味方に預けることで、一度落ち着いてキープすることを目指すうちに、フィールドプレイヤーで一番後ろの中央に構えている木津根にまで下げられた。


 距離はあるけど、木津根と視線が交差した。

 はじめる気だとわかる。


 僕は音には出さず口パクで「いいよ」と木津根に合図を送る。

 彼の目には間違いなく見えているはずだ。


 田貫が、そんな木津根にプレッシャーを掛けに行く。


 田貫はパスの選択肢を狭めさせるつもりなのだろう、全力でボールを奪取する気はなさそうな軽い感じで木津根との間合いを詰める。


 普通、ディフェンダーは奪われることが即失点につながるポジションだという側面から、常にフリーの状態でパスをまわしたがるものだ。

 相手選手が接近すれば、他に余らせている味方に預けるか、それもかなわなければキーパーにバックパスを出す選択も含めてまず安全を優先する。


 田貫も、そういうもんだという考えが念頭にあるから、まさかここで木津根が自分に向かってくるとは予測していなかっただろう。

 対戦を経て木津根をある程度はまともな選手だと認めているからなおさらだ。


「……ふん」

「な、なにっ?」


 予想外のフェイントとドリブル突破に、田貫が対応しきれずつまずいて転ぶ。


 木津根がやって見せたのは田貫のフェイントのコピーだった。

 田貫(オリジナル)ほどのキレはなかったが、トリッキーな足技を木津根は完全に再現した。


 田貫を置いて、先に進む木津根。


「おいおい……何やってんだ、あいつ」


 前野先輩が、あきれた感じの声を発する。

 成功したから良かったが、仮にミスになっていたら相手に得点を決める大チャンスを献上したようなものだ。

 先輩からすれば、ツッコミのひとつも入れたくなるだろう。


 木津根がもしそこで前進することを止めていれば、今のは無意味なリスクを負っただけの後で指摘すべき反省材料に過ぎなくなる。


 だが木津根は立ち止まらない。


 少しぎこちなくも思えるドリブルで、春間の選手たちを次々に抜き去っていく。


「お、おいおい……何やってんだ、あいつ」


 前野先輩が、まったく同じ台詞を口にするが、声の調子とこもっている感情は別のものに変わっている。


「止められない?」

「なんでだ、なんでこんなドリブルからボールが奪えないんだ!」

「だ、誰か……なんとかしてくれ!」


 春間の選手たちは、最初に木津根のドリブルの犠牲者となった田貫と同じようにバランスを崩されては置き去りにされていく。


 剛士のドリブルから受けるスピード感が記憶に鮮明なこともあり、木津根のじわじわと進むドリブルは、ある意味まったりした印象がある。


 そんな、まったりドリブルでゴールに迫られる相手にしてみれば、たまったものではない。


「あ、あんなの、俺が奪ってやる!」


 ついには僕についていたマークのひとりまでが木津根に突進していった。

 だが、思いきりよく滑り込んだ渾身のスライディングタックルは難なく木津根に回避された。


「避けたのかっ?」

「ふん……」


 ついに木津根は、白鳥琉生にまで到達する。


「キャプテン!」

「頼むからそいつを止めてくれ!」


 木津根に突破された選手たちからの哀願する叫びが飛ぶ。


 それとなく白鳥を避けようとしてか、木津根がサイドに片寄っていきはじめる。

 しかしそれはむしろ白鳥を引き寄せようとしてのことだ。

 木津根は作戦どおりに事を運んでいる。


 白鳥が動き始めるのが、僕が動くべき時期(とき)でもあった。


 フリーでシュートを放てる絶好のスペースを見つけると、僕はオフサイドを意識しながらも走り出す。


「だめよ! 誰か、鷹月を!」


 白鳥真理が叫ぶのが聞こえた。


 僕は、木津根のあのプレイを前にしても意識を奪われず、僕のことを警戒し続けていた真理がフィールドに立つ選手ではなくて本当に良かったと思った。

 マークについていた選手は置き去りにしたし、白鳥琉生はもうすぐに届く位置ではない。


「木津根っ!」

「そこか!」


 木津根がキラーパスと呼びたくなる強めのスルーパスを寄越してきた。

 ギリギリ、足を伸ばして僕はそれを止める。


 ややトラップは流れたが、それでもシュートを撃つにはいい位置に転がった。


 あわてて僕に対応する体勢をとる、キーパーをにらむ。


 角度と距離を計る。

 悪くない。

 ボールからゴールまでの空間にシュートコースが、見えた。


 ステップを合わせる。

 心を、いい感じに整えるために一瞬のうちにポジティブな思い出を回想しておくことも忘れない。


 整った。いける。


「決まれっ!」

「孝一!」


 シュートを撃つ、まさにそのときに、僕は剛士からの警告の声を耳にした。


「やらせないよ!」


 唐突に視界の右後ろの死角から飛び込んできた影。

 シュートをインパクトする寸前のボールを、横から伸びた足がわずかに擦った。


「!」


 横槍を入れられながらも撃ったシュートは本来の道を外れ、ゴールポストの右端に近いあたりを叩く。


 弾かれて落ちた、こぼれ球にフォワードの嗅覚をもつ前野先輩が反応して詰め込もうとはしたが、惜しくもキーパーに防がれてしまった。


 この試合で最後のチャンスが、失敗に終わった瞬間だった。


 ほんの一歩が、勝利を取りこぼす要因になってしまった。

 もう少しだけ早く、シュートを撃つステップを踏み込めていたら。

 もう少しだけ近くに、トラップしたボールを置くことができていれば。


 だけど、たらればを並べても時間はもう遡れない。


「今のは危なかったなあ」


 僕のシュートを邪魔したのは田貫だった。

 あまり感情を見せないタイプの田貫が、心底ほっとした顔をしながら肩で息をしている。


「木津根に、最初に抜かれた君がどうして……?」

「ふう……君たちが何やらコソコソと(たくら)んでいたのは見てたからね。まさか、こんな作戦(こと)だとは思わなくて最初はやられたけど……まあ、彼のドリブルがゆっくりしていたおかげで何とかすることができたよ」


 田貫は、その洞察力で僕らが何かを仕掛けてくることには気づいていたみたいだ。


 そして木津根がドリブルを始めたときに、ふたりで考えた作戦が実行されたことを知り、木津根が白鳥までを越してゴールに達することはないことも洞察したのだろう、危険な相手は僕だと狙いを絞った。

 木津根がまったりドリブルで突き進むさなか、僕の視界に入らないよう死角を全速力で大回りしながらも駆け抜け、僕がシュートを撃つ場面になんとか追い付いたということのようだ。


 今さら遅いけれど、もっとまわりを警戒していればよかった。


 伸ばした指先が、望むものに届きそうになったのに届くことなく遠ざかってしまった感覚を僕は感じた。


 そこから試合は互いに決め手を欠いたたまま、引き分けに勝ち点を分けあうかたちに終了した。




 できることなら勝ちたかった。


 それでも、勝利まで寸前のところまで近づけた引き分けだ。

 落ち込むような結果じゃない。


 何よりも、二戦目には今回よりも僕らが有利に戦える材料がもうできている。

 それはこの試合に木津根が出場したということだ。


 今回はハーフタイム中に僕だけが、木津根から見た春間の選手の情報を、特にマークについてきている相手のみについてだが聞き出して活かすことができた。

 ハーフタイムという短く限られた時間のあいだにだから仕方がない。


 だけど次の試合までには、まだ何日もの時間がある。


 木津根の目が収集した、春間の選手たちのクセや傾向、そこから考えられる弱点なんかをチーム全員で共有することもできてしまうんだ。

 これは対戦するうえで、かなりのアドバンテージになるはずだ。


 チームの皆は、木津根がドリブルで春間の選手たちを翻弄するところを見た。

 あれの一部始終を見たうえなら、木津根のもつ相手の情報を誰もが馬鹿にせず有益なものとして覚えようとしてくれるだろう。

 木津根に、あのまったりドリブルをやってもらったのは、もちろんチャンスメイクのためもあるけど、あらためて木津根の目を味方にプレゼンする意味もあった。


 すべては最後に勝つためだ。


 惜しかったシュートを、今は後悔しないことにしたい。

 そして将来に後悔しないためにも、次への準備を怠らないようにしよう。


 絶対に勝たなければならない戦いを、自信をもって挑むためにも。


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