ありふれた日常から
「どういうことだ?」
ハードカバーの本をパタンと音をたてて閉じるなり、剛士が声をあげる。
彼は今、我が家のリビングで借りて帰るはずだったジョニーシリーズの最新刊を、どうしても待ちきれずにその場で読破したところだ。
渋い顔で、まだ帯もついたままの真新しい本の装丁を見つめる剛士。
不覚にも犯人に裏をかかれて二人目の犠牲者が出てしまったときの名探偵みたいなシリアスさだ。
「何が?」
架純ちゃんが、僕に対しては発したことのない冷えたトーンで訊ねる。
最初からそうだったけれど、恋愛疑惑の件あたりから更に、架純ちゃんの剛士へむけての対応は塩分が高めだ。たぶん海水よりも塩が濃いんじゃないだろうか。そんな塩対応。
仲良くなるにつれて、早優奈ちゃんとは「早優奈」「剛士」と気安く呼び捨てあうようになっていて、それはそれでどうなんだという気もするわけだけれど、架純ちゃんは未だに「星野姉」という呼称を継続させることを望み、彼女からは「陽狩君」と呼び続けることで一定以上の距離感を保っている。
嫌っているわけではないみたいなんだけれど、心の壁A◯フィールドを分厚く展開中なのだ。
架純ちゃんはツンデレのツンだけを剛士に、デレだけをなぜか僕にむけてきている感じがする。
剛士はどうだか知らないが、僕は両方がほしいのだが。
ヤンはさすがに所望しない意向なれども、ツンのほうはお寿司にワサビを効かせる程度には欲しいのが本音だ。
剛士は、先週末に出たばかりの最新刊『ジョニー・リネカーと虚空への供物』をパラパラめくりながら唸っている。
本当はファンの女の子たちから複数冊の同じ本をすでにプレゼントされているんだけど、剛士には我が家で購入したジョニーを借りて読むという彼独自のこだわりがあるらしかった。
「なんで、幻真鍮仮面卿の正体が、未来からきた大人のジョニーなんだ?」
本編中で明らかにされた、謎の仮面キャラの正体が納得できないらしい。
これまでの話で、ジョニーの邪魔をしたかと思えば、ピンチを救ってみせたりと行動に謎の多かった正体不明の人物が、実は他ならぬジョニー自身だったという事実が明らかになったんだけど。
「何か文句でもあるの?」
私は、作品と作者の味方よ、と言わんばかりの架純ちゃん。
「いやなんつーか、ただ何でそうなのかが、さっぱりわからないんだ」
「何がわからないのよ」
「う~ん、あまりにも意外っていうのか、いきなり過ぎて、ちょっと整理がつかないんだ。とりあえず心を、心と気持ちを整えないとな……」
胸に手を置いて、精神を整え始める剛士。
サッカー選手にメンタルのコントロールは大事なことだ。
心は常に整えておきたいものだ。
「いきなりって……オリハル兄さんの正体に繋がる伏線は既刊のなかでも小出しにだけど、何度も出てきていたでしょ」
「……そうか? ん……兄さんってなんだよそれ」
オリハル兄さんというのは、ジョニラーのあいだで幻真鍮仮面の正体はおそらくジョニーの生き別れの兄であるジェシーだろうというネット界隈を中心とした噂とともにつけられた渾名だ。
今回の新刊で、そんな予想は外れたことになる。
作者が「ほら、やっぱりな~」って言われるのが嫌でわざと外してきたって噂もあるけれど。
確かにミスリードさせられたというよりは、なんだか取って付けた真相のような感は否めない。
第二巻の終盤で思わせぶりに滝壺に落下して姿を消したジェシーは何だったのだろうか。
そして、何故に第三巻の序盤から幻真鍮仮面卿は唐突に登場したのだろうか。
僕としても、ほぼジェシーで確定だろうと思っていたのを裏切られたわけなので、剛士もそのあたりが腑に落ちないのかと思ったが、どうやらそうでもないらしい。
何の予想もない白紙状態だったみたいだ。
架純ちゃんは、その辺りについて巷で言われていたことを剛士に語って聞かせた。
「みんな、そう思っていたのか……全然、気付かなかった」
「あんた一体、何を読んでたのよ」
「そう言っても、わからないもんはわからないぜ」
カッコ悪い感じのことを、なぜかカッコ良い感じで口にする剛士。
見た目だけは決まっているぜ。
「もう……例えば、リネカー一族にしか使えないはずの『まだらのワンド』をオリハル兄さんが使ったときに、少なくとも正体はジョニーの家族か親戚に違いないってわかったでしょ?」
「──ああ、あれは、そういう意味だったのか!」
本気で驚いた様子の剛士を、架純ちゃんは飽きれ顔で見ている。
まあ、架純ちゃんとは違って剛士はジョニーシリーズくらいでしか文字を読まない男なんだから、作中に散りばめられた謎のヒントや伏線、フラグに無頓着なのも致し方無いというところじゃないだろうか。
この分だと、今回の話でベリーハウゼン師匠というキャラにあからさまな死亡フラグが立ってしまっていることにも気づいていないかもしれない。
師匠は『虚空への供物』のエピローグで、ジョニーたち弟子にむけて、今いる仲間たちで集まって写真を撮っておくことを提案したんだ。しかも、わりと唐突に。
こういうことをやりたがり始めるキャラは危ない。
しかもジョニーに「この魔法学校は、好きか?」などと質問してしまう始末だ。
それに「はい、もちろんですよ!」と応えるジョニー。
師匠は「うむ。ここで得た仲間を、絆を、大切にな」と言うのだった。
彼の命はもってあと一冊以内というところか。
でもまあ、剛士にはわからないなら、わからないで教えてしまうのも野暮というものだろう。
そっとしておいてやろうと思う。
彼の、物語に対する純真さは、僕のような擦れたオタクには眩しくて少し羨ましく思える。
そんな剛士は、架純ちゃんを質問攻めにしている。
「大人のジョニーは未来を変えるためにやってきたんだろ」
「そうよ」
「でも、現在のジョニーが未来のジョニーと違うことをしたら、この先の未来のジョニーと現在にいる未来のジョニーは別のジョニーにならないか」
「まあ、そうよね」
「そこがよくわからないんだよなあ」
「未来からきたジョニーは自分が消滅してしまう危険を覚悟のうえで、善き人々と魔法界を守るために世界線を変える目的で時を越えてきたのよ」
「……なんだ世界線って?」
世界線についての説明を真顔で始める小学生女子と、世界線について説明を真剣な様子で聞く小学生男子。
僕はというと、そんな二人の横で早優奈ちゃんとの協力プレイで新作ゲームを遊んでいるところだ。
最新ハードである『Ganshindo Witch』の専用ソフト『けものトゥーン2』をだ。
人類が姿を消した未来の地球上において、進化した動物たちが独自のルールでカラーボールを集める競技を遊ぶというゲーム。
遊園地や市街地などのロケーションを選び、イヌやネコなどの進化した亜人の可愛らしいキャラを動かして、どこかに隠されているチームカラーのボールを決められている陣地内に運ぶのが目的だ。
制限時間いっぱいになったときに陣地にあるボールの数が多いチームが勝ちになるってルールだ。
最初にマップ内に設置されている三個のボールを陣地に運びいれると次の三個が更にどこかに発生する。
とにかく早く、たくさんのボールを収集したチームが勝つ。
対戦型のゲームながら、殺し合いをするわけではなく世界観も可愛らしくて殺伐としていないので子供から女性まで幅広い層のユーザーが遊んでいる。
そういうゲームを、僕と早優奈ちゃんはネットで世界の誰かさんと戦っている最中なんだ。
「オーッホッホッホー!」
高笑いする早優奈ちゃん。
「わたくしのことが捕まえられますかしら~?」
彼女は最近、何かの作品の登場人物から影響を受けているようで口調が一般的な小学生の女の子ではなくなっている。
この前は武士風だったから、今のほうがたぶんマシかな、とは思う。
早優奈ちゃんの動かしているネコ系の亜人キャラは、画面内でボールを保持したまま相手チームのキャラに追いかけられている。
それもそのはず。
持っているのは相手チームが集めるべきカラーのボールだからだ。
一度に保持できるボールの数はひとつなので、こうしているあいだ早優奈ちゃんは自チームのボールを集められなくなるわけだけど、相手にしてみればボールを奪われているあいだはマップ上に新しいボールを発生させられないわけで妨害行為としての有効性はなかなか高いものだと言える。
いやらしいとも言えなくはないけれども。
「簡単には、このボールをお渡しいたしませんことよ!」
自在にキャラを操って、飛びかかってくるイヌ系の相手を避けまくる早優奈ちゃん。
リアルでもコスプレ猫耳を装着しながらのプレイでシンクロ率も高い感じだ。
猫耳で今の口調は違和感がすごいけど。
敵チームは二人がかりで躍起になって早優奈ちゃんを追い立ててきている。
二対二の対戦で二人が早優奈ちゃんに行っているということは──
「いけっ!」
僕は、チータ系の自キャラを疾走させる。
チータなだけに、走るスピードは特筆すべき特徴だ。
ゲーム内の空間を3D酔いしそうなほどの勢いで加速していく。
普段は剛士や矢吹にスピードではまったくかなわなくて悔しい思いをしていたりするので、せめてゲームくらいはスピードスター気分を味わいたかったんだ。
といっても、剛士たちが異常なだけで僕だって短距離走は平均よりもいくらか速いわけで、ものすごく走るのが遅いわけじゃないんだけど。
「いくぞ!」
「こーちゃん、やっておしまいなさいな~!」
守る者がいない敵の陣地はがら空きで、集められた五つのカラーボールが無防備に転がされている。
僕の動きに感づいた敵チームの一人がこちらに向かってはいるけれどもう遅い。
僕は、カラーボールをひとつずつ、でたらめな方向に狙って蹴りだしていった。
「それ! それ!」
昔ながらの遊びで『缶蹴り』の缶を蹴るところを、まわりの迷惑とか危険をかえりみずに思いっきりやれるようなものだ。
相手のチームにはちょっと可哀想だけれどこれも競技の一部だ。
僕は可能な限り遠くにボールを蹴飛ばした。
なかなかの快感だ。
ちゃんと自陣にボールを集めないと勝利にはならないんだけど、この華々しさから敵陣を強襲してボールを蹴飛ばすのはこのゲームの醍醐味みたいな扱いになっている。
残り時間を考えれば、僕らのチームは自陣にあるボールを少しでもいいから守り抜けばいい。
僕と早優奈ちゃんは勝利を確信した。
「こーちゃん、やりましたわねっ!」
「うん!」
僕らはハイタッチを交わす。
そんな僕らの横では、架純ちゃんが剛士に平行世界の存在の概念について熱く語っていた。




