そっちじゃないよ
数日後の昼休み。
僕は運悪く、六年生の噂好きな女子グループに捕まって、剛士と架純ちゃんと僕との三角関係の真相について、あることないことを根掘り葉掘り聞き出されたあとで、ようやく教室に戻ってきた。
ただ仲良くしているだけで、僕ら三人には何もないのだが。
剛士と架純ちゃんは学校のなかでも目立つ存在だし、同級生の男子と女子が同じ屋根の下に暮らしているというマンガ的なシチュエーションが妄想の題材になりやすいのはわからなくもないけど。
お姉さま方には、なるべく正確に事実のみを語ってきたのだが、それだと面白くはないだろうから、勝手にストーリーとして刺激の強い要素が色々付け足されたりして、学校中にはあらためて別の噂話が流布されてしまうんじゃないだろうか。
わざと誤解して、それを面白がっている人たちはともかく、たまにありそうもない噂をまるごと信じてしまう人もいるから、ほどほどにしてもらいたいのだが。
矢吹とかね。
「鷹月君って、婚約者と同じ家に住んでるって聞いたけどほんとなの?」
「婚約者は実は双子の姉妹で、大人になるまでにどちらかを選ばないといけないって、そうなの?」
「陽狩君と彼女がお付き合いできるように、婚約破棄したって聞いたよ! びっくりした!」
真顔で言ってこられた日には、僕のほうがびっくりした。
小学生が婚約破棄って、どんな世界の話なんだろう。
噂の発信源にはどうやら創造力たくましい女子がいるような気はするけど、もしかしてそういう要素のある話とかが女子のあいだでは流行っているのだろうか?
信じる矢吹もどうかという思いはあるけど、でも矢吹には、そんなピュアな少年の心を、いつまでも失わないでいてほしいな。
教室に戻ってみるとそこには、別のクラスのはずの木津根がいた。
しかも話をしている相手は森川さんだ。
知り合いだったとは知らなかった。
ふたりは親しげに談笑している。
なんだか楽しそうに盛り上がっている感じ?
その様子を見て僕は、気持ちがざわつくのを止められなかった。
森川さんが、誰にも等しく優しい笑顔で話しかけるのはいつものことではある。
でも今、木津根にむけられている彼女の笑顔は、普段とは違う種類のものに見えたんだ。
微妙な違いなんだけど、間違ってはいないと思う。
そんなに木津根との会話は楽しいのだろうか。
お勉強ができる同士で共感するところがあるのかもしれない。
僕は、胸のうちに沸き上がってくる不愉快さを強引に押し込めた。
森川さんが誰といて楽しいかなんて、彼女の自由じゃないか。
それこそ僕の婚約者でも何でもない、ただのクラスメイトなのだから、交友関係に口を出したりする権利なんてないよね。
でも、距離感が近すぎるから、あと五十センチは離れたほうがいいと思うなあ。
「あら、鷹月君」
「お、戻ったか、鷹月孝一」
二人が僕に気づく。
「待っていたぞ」
「何の用かな、木津根孝高」
フルネームにはフルネームで返事をするのが礼儀だろう。
スッと、木津根は僕に歩みより、おもむろに懐から記録用ディスクを取り出すと僕に差し出した。
「借りていたディスクを返しに来たんだ」
寮さんが選んでくれた試合映像が入ったディスクを渡してから、ちょうど二日になる。
観てくれたなら、思っていたより行動が早かった。
「なかなかどうして楽しませてもらった。まさか薦められて生まれて初めて最初から最後まで観たサッカーの試合が、得点が一度も決まらずに引き分けに終わる試合だとは思わなかったぞ。意外性があってよかったが」
木津根は、皮肉というわけでもなく喜んでいるみたいだ。
寮さんに、なるべくならディフェンダーが活躍する試合をと注文したところ出てきたのが、結果としてはスコアレスドローに終わる内容だったのだ。
その部分については、どうだろうかとも思ったんだけど、実際に僕も中身をチェックしたところ試合の攻防としては本気で素晴らしい名試合だった。
個人技とパワーで押しまくるアフリカ大陸の某国代表と、組織力で対抗するヨーロッパでは古豪と呼ばれることもある中堅くらいの実力をもつ国の代表チームとの一戦。
特に、ヨーロッパのチームでデイフェンスラインの中央を守っている選手の読みの鋭さが際立っていた。
何度も繰り返されるインターセプトに、アフリカのチームは何度もチャンスを潰されていた。
彼が不在なら、三点か四点は入っても不思議ではない試合だ。
木津根も、狙い通りにあの選手が気に入ったみたいだ。
「あの守りの選手はそうとう頭がいいな」
「そうだね。相手の動きを先読みするのが、すごく上手い」
「パワーとスピードに、知性と勇気で抗うとはなかなかのものだ」
アスリートとして身体能力に優れた者だけが活躍できるとは限らないのがサッカーだ。
チームに貢献できる個性をもった選手なら、誰だって戦いの結果を左右することができる。
同級生のなかでも一際小柄で、すばしっこい以外は特別運動ができるわけでもない矢吹が良い例だろう。
「サッカーを楽しんでもらえてよかったよ」
「うむ。試しに、たまたま生中継していた国内リーグの試合を昨日観たんだが、まあ凡戦という印象だったがそれも楽しめた」
「そうなんだ」
「他にも観るに値する試合のディスクがあったら、また貸してくれると嬉しいな」
木津根の希望は、僕にしてみれば願ったり叶ったりというやつだ。
彼には、このままサッカーにのめり込んでもらって、近いうちにチームの一員として迎えたいところである。
「いいよ。またとっておきのやつを持ってくるよ」
僕が快諾すると、木津根は満足げに教室を去っていった。
また寮さんにメールを送ることにしよう。
彼がいなくなると、今度は瞳を輝かせながら森川さんが話しかけてきた。
接近する森川さん。
木津根よりも、僕の場合のほうが距離が詰まっている気がする。
たぶん二センチくらいは。
勝ったな。
僕はひそかに脳内でガッツポーズをした。
「鷹月君、すごいわ!」
「えっ、なにが?」
「木津根君が、他の人に興味をもつなんて最近では滅多にないことだもの」
森川さんによると、木津根孝高は皆川さんもそうだったように同じ幼稚園からの顔馴染みなのだという。
年を重ねるにつれて、同級生とは話が合わなくなる一方の木津根は、特に孤立したりはしていないものの、どこか浮いた感じの存在として扱われていて、親しい友達がいるわけでもなく森川さんとしては少し心配していたそうだ。
「彼って、ちょっと言い方に棘があったりして誤解されがちなんだけど、根は良い子だから仲良くしてあげてね」
「うん。わかったよ」
「木津根君が、鷹月君のことをどんな人だって聞いてきたから、私、鷹月君のいいところをたくさん教えておいたから」
笑顔でそう言い切る、森川さん。
そのタイミングで昼休みが終わったので聞き出せなかったが、森川さんが思っている僕のいいところについて、なるべくなら具体的に教えてもらいたいものだった。
その後、木津根は寮さんセレクトのサッカー名試合集を堪能し、更にサッカーにハマっていった。
やがて自らもサッカー中継を次々と観戦し、国内リーグについてはどんどん詳しくなっていった。
もともと記憶力は抜群にいい木津根だ。
半月後には、国内のプロ選手については全て頭に入ったと豪語してきた。
試しに、剛士と僕とで、チーム名と背番号だけで選手名を当てるクイズを選手名鑑を片手に出してみたんだけど、これが完全に全問正解だった。
選手名鑑より、木津根のほうが各選手のプロフィールに詳しいくらいだった。
日本国内を網羅した今では、ヨーロッパの主要リーグの情報を収集し始めているらしい。
とりあえず、イングランドとドイツはあらかた覚えたそうだ。
木津根はたぶん、鉄オタとかミリオタになってもすごいんだろうなと思う。
世の中には実用性の乏しい情報にこそ情熱と執念を燃やすタイプの人種がいるものだ。
こうして僕の導きをきっかけにして、短期間のうちにもハイレベルな知識量を誇るサッカーマニア小学生が、僕の身近に誕生したのである。
「サッカーがこんなに奥の深いジャンルだったとはな!」
木津根がサッカーを好きになってくれて良かった。
僕の予想を遥かに越えるレベルで、彼はサッカーの世界に深入りしてくれた。
だけどこれは、僕が望んだ状態とは激しく方向性が違う。
木津根にはサッカーを、知るだけじゃなくて、やってもらいたいんだけどなあ。




