兄妹
原作『僕と女神のタクティクス』に、白鳥琉生という登場人物がいる。
高校サッカー全国大会に出場する切符をかけて争われる県予選。
その準決勝で、矢吹隼ら主人公たちのチームと対戦した春間崎高校の中心選手だ。
卓越したサッカーセンスと視野の広さ、ゲームを組み立てさせれば指揮者のごとき味方への影響力を持つ、選手個人としてみるなら作中でも五本の指に入るだろう飛び抜けて優秀なサッカー選手である。
だが一方で、勝利にこだわるあまり手段を選ばない非道さ、冷酷さから、頭に『狂気の』とつく渾名で呼ばれ、恐れられていた。
負のオーラをまとう男である。
アニメ版では、紫色の炎に包まれていた。
特殊なガスバーナーでも仕込んでいたのだろうか。
綺麗な顔立ちをしていて、いかにも美形悪役キャラっていう感じだったな。
そんな白鳥のいる春間崎高校を、原作チームは死闘の末に見事打ち破るのだが、試合前から試合中を通した原作のストーリーにおいて、白鳥琉生が狂気に至るまでの過去のエピソードも平行して語られるのだった。
エピソードのはじまりは、白鳥が幼い頃、まだサッカーを始めたばかりの頃から描かれる。
たぶん四歳くらいからだと思われる頃から。
白鳥琉生には、真理という妹がいる。
二歳年下の妹は、ほとんどブラコンと表現して差し支えないくらいに琉生になついていた。
どこへ行くにも兄に付きまとって離れない子だった。
彼が、幼稚園に入るようになったときにも一緒に行くといってきかずに、泣き疲れて眠ってしまうまで離さないような、そんな子だった。
「まりねえ、おにいちゃんのさっかーをおうえんするよー」
「そうかそうか、真理はいい子だなー。お兄ちゃん、真理が応援してくらたら絶対に負けないからな!」
彼は、そんな妹との約束のために頑張った。
才能に恵まれたこともあり、彼が全力を尽くして戦えば、サッカーで敗北するところを妹に見せることはなかった。
兄は、周囲も期待するサッカー少年として育ち、妹は、そんな兄を愛情と尊敬の眼差しで見つめ応援し続けた。
しかし、ある試合での敗北をきっかけに歯車が狂い始める。
勝つときもあるば、負けるときもあるのがサッカーだ。
だが、白鳥琉生にとってはそうではなかった。
地元で負け知らずの、強いチームに所属していたことも負けることを知らない原因でもあったのだが、それは彼にとっての不幸だったのかもしれない。
敗北を味わったその日、運命の悪戯か、彼の妹は風邪で高熱を出したために応援に来ていなかった。
ただの一度ならば、偶然の一致だと思えたろう。
しかし奇妙なことに、それからというもの妹の真理が応援に来られない日に限って、彼のチームは負けるのだった。
「真理は、本物の勝利の女神なんだな」
「えへへっ。私また、お兄ちゃんの応援に行くからね」
「おう! 頼んだぜ。真理がいたら絶対に負けないもんな」
しばらくは、そんなやりとりをしながらも平穏な日々が続いた。
しかし、彼が中学一年生になっていたある日、決定的な出来事が起きる。
重要な試合に負けたのだ。
来るはずの真理が応援に来ないなかで。
「なんで来なかったんだよ」
彼は、言うつもりのなかった、そんな言葉を妹に放っていた。
責めるべきは自分の不甲斐なさだった。
スタンドにいるはずの真理の姿を追うばかりで、試合に集中しきれなかった、妹に依存するばかりの情けない自分を。
しかし、口をついて出てきた言葉は違った。
「ごめんね、お兄ちゃ──」
「なんで来なかったんだよ!」
兄妹のささやかな約束が、呪いに変わってしまった瞬間だった。
それから、妹は課せられた使命のように、兄の試合に駆けつけた。
彼も、試合に勝ってみせることで、その行為に応えようとした。
勝利のためには汚い手段をとることもいとわなくなったのは、その頃からだった。
「今日も勝ったよ。お前のおかげだ」
「お兄ちゃん。よかったね」
それでもまだ、歪んではいても兄妹は幸せだった。
お互いを大切に思う気持ちに偽りはなかったから。
しかしそれも、妹が命を失うまでのことだった。
兄が、中学二年生のとき、ある重要な試合に妹は試合会場に到着するのが遅れていた。
学校の用事が終わるのが遅かったのだ。
真理は兄との約束のために走った。
会場に近い国道を横断するとき、試合の音を耳にしながら真理は焦りを覚えて無理をしてしまった。
兄を思うあまり、判断が鈍ったのだろう。
交通量の多い道路に彼女は不用意に飛び出してしまった。
交通事故が少女の命を奪ったのだ。
告別式の日、魂の脱け殻のようになった白鳥琉生に、チームメイトは慰めの言葉をかける。
「妹さん、残念だっな」
「俺たちも悲しいよ」
チームメイトたちは、ゆっくりとした動作で向けられた、妹を失った兄の目に戦慄を覚えた。
そこには狂気の色が宿っていたから。
のちに『狂気の悲しきリベロ』と渾名される白鳥琉生が目覚めたときだったのかもしれない。
彼は微笑みを浮かべて言い放った。
「悲しい──? 何を言うんだ。いいんだよ、みんな喜んで。これからは真理が天国から僕らをずっと応援してくれるんだから。僕らはもう負けることはない。もう、二度と。そう、永遠にね────」




