変化
できるとなると、サッカーは面白い。
前世の僕が、今の身体に入ってみて感じた、素直な感想だ。
前の身体といえば、とにかく運動神経が悪いうえに太りやすくて、スポーツなんて苦行以外の何者でもなかった。
他人が何を好き好んで、自分の体を酷使して嬉しいのやら、全く共感できなかった。
何事にも、向き不向きがあるんだろうな、とは思っていたけど。
まあ、その通りだった。
こうなってみて今、ハッキリ言える。
鷹月孝一の身体は動きやすい。
軽くて、反応がよくて、柔軟性があり、簡単には息切れしない。
アクションゲームの中でも、特別に操作性のいいやつみたいな身体だ。
このレスポンスの良さはクセになる。
そして、サッカーボールを蹴るのが上手い。
蹴ったボールが、ほとんど思い通りに飛んでいくのは快感だ。
続けていれば、もっと巧くなる予感もある。
ただの小学生が、こんなに自由自在にボールをコントロールできるもんだろうかという疑問もあるけど、そこはやっぱりサッカーマンガの世界という補正が掛かっているのかもしれない。
そんな訳で、前世の僕と、今世の僕は、一緒になってなおのことサッカーにハマっているのだ。
所属しているチームの活動がない時でも、時間があればやっているのはサッカーだ。
僕と剛士が、学校の休み時間や放課後にボールを蹴っていると、遠巻きに女子がキャーキャー言ってたりする。
ちょっとしたアイドル状態だ。
快感だ。
ほぼ剛士しか見てなくて、僕はおまけなのだと理解してはいるものの、快感だ。
前世でも女子からキャーキャー言われたことはある。
今のとは全く別の意味の、キャーだったけどね。
ある日の放課後。
チームの練習が無い日のこと。
「孝一、行こうぜ」
剛士が僕を呼ぶ。
こういう日は決まって下校時間まで剛士と自主練習だ。
クラスの男子の何人かが、剛士のまわりに集まっている。
そう言えば今日は特にクラスメイトを集めて試合をして遊ぶ約束をしていたのだだった。
こういう場合、実力的にも僕と剛士は別れてチームを組んで戦うことになる。
「剛士、今日も負けないからな」
「なにを。今日は、オレが勝つ番だ」
この間やった試合では、剛士のチームに勝った。
チーム分けで強いクラスメイトを集められたのが勝因ではあったけど。
ま、ジャンケンに勝つのも実力のうちってことだ。
「あれ、滝沢は?」
僕は、だいたいいつものメンバーの中に、足りない顔があったので聞いてみた。
「ああ、あいつは家の用事があるって言って帰った」
「そっか。一人余るなあ」
「女子の、皆川でも誘うか?」
皆川というのは、同じクラスで、唯一、女子のサッカーチームに所属している子のことだ。
「皆川さんが入ると戦力差ができるよ」
「そうなんだよな」
サッカーチームに入っている子と、入っていない子では、やっぱり実力差がある。
人数が合うようになったとしても、サッカー経験豊富なメンバーが三人になってしまうと、どうしても戦力のバランスが取りにくくなってしまうんだ。
剛士は腕を組んで悩む動作をする。
そんな剛士に合わせて、僕はあごに手を当ててみたりする。
そんな僕らの前に、僕らより身長が頭ひとつ分は高い女子が立ちはだかった。
「女子は、男子と違って今日、練習あるから」
「聞いてたのか、皆川」
「だいたい、男子の練習がないのは、女子がサッカーコートを使うからでしょ」
「そういや、そうだな」
「もう、陽狩は馬鹿なんだから…」
そう言い残して、皆川は去っていった。
剛士は、馬鹿は馬鹿でも、サッカー馬鹿なのだが。
「となると、やっぱ一人余りか」
諦めた声を出す剛士だが、僕はふと、視線を教室の奥、隅の席に泳がせる。
そこには、マイペースな動作で下校準備をする、小柄な男子がいる。
そんな僕の様子を、剛士は目ざとく見逃さない。
「どうした?」
「いや…」
剛士は、僕の視線の先にあるものを確認する。
「矢吹が、どうかしたのか」
そう。
どうかしたも何も、いるのだ。
同じクラスに、あの主人公様が。
矢吹隼は、『僕タク』の主人公だ。
高校生になるまで、サッカー未経験という設定がある。
これはかなりハッキリ言われていた設定なので、僕の記憶違いということはない。
ということは、まだ小学生である現時点で、サッカーを経験させてしまうと、『僕タク』の設定を基礎からひっくり返してしまうことになる。
たぶん『僕タク』のとおりの未来を期待するなら、しばらく矢吹隼には関わらない方が賢明なのだろう。
矢吹本人も、なんだかボーッとしていて他人には興味なさそうな雰囲気を作っているし、そっとしておいて欲しいようにも見える。
自分の世界、マイワールドの住人だ。
だけど、僕はそんな矢吹隼に、前世の自分の姿を重ねて見てしまっていた。
これが前世の僕なら、自分の世界に残しておいてやるのが優しい選択ではある。
少なくとも、あの頃の僕にサッカーは可哀想だ。
他のことで誘って欲しいものだ。
だけど、矢吹隼は違う。
マンガで読んだから知ってるんだ。
こいつには、本人には思いもよらないサッカーの才能がある。
なんたって主役だから。
もしも、原作の始まりを待たずして、サッカーを始めていれば将来どうなるのか。
そういう可能性の拡がりを想像してしまったら、何故だか、我慢ができなくなっていた。
たぶん、僕は今、サッカーが楽しくて、矢吹隼を、前世の僕に似ている彼とそれを共有したい。
そんな願望を抱いていたんだと思う。
気がついたら、僕は、彼の側に立っていた。
席に座って、教科書をランドセルに詰めていた矢吹隼は、僕に気付くと不思議そうに見上げた。
「矢吹、僕らと一緒に、サッカーやろうよ」
いきなり原作を変えてしまって、すみません。
僕は心の中で、誰ともつかない相手に向けて謝っていた──。