交代
僕が脱げたスパイクを拾いながら駆け寄ると、剛士がスッと自然な感じで足を出してきたので、拾ったものを履かせてやった。
召し使いか。
「サンキュ」
「どう? 立てる」
「……やめとこう。肩を貸してくれるか」
僕は頷きながら、先にベンチに向かって交代の合図を送る。
すでに立ち上がってライン際で心配そうな顔をしていた監督は合図に少し飛び上がると、急いで矢吹を呼びに走る。
「つかまって」
「おう」
剛士は僕の肩に腕をまわしながらも、こちらに揃って悲壮感すら漂う表情を向けている女の子たちに向けて「大丈夫だから」のサインを送る。
すると一瞬で染み渡ったかのような安堵の空気が浸透した。
ファンへの気遣いを忘れないのは、アイドルの重要な資質だ。
剛士を立ち上がらせると、ゆっくりと負荷の少ない歩幅で進んだ。
黒木たちは無言だが、複雑な感情の入り雑じった表情でこちらを見ている。
原材料は、悔しさ、申し訳なさ、危険が無くなる安心感、自分への憤り、行き場のなくなった競争心からくる物足りなさ、尊敬と敬意、次は勝ちたいという闘志などだろうか。
あいつらは今日のことを、剛士のことを忘れることはないだろう。
剛士は敵からもモテるというところだろうか。
「本当は、あんまり痛くないんだろ」
「わかるか」
僕らはお互いにしか聞こえない音量で話す。
「わかるよ」
「痛いよりも疲れたほうがダメージでかいな。でもこれで、突然で予定外の交代に見えるだろ」
「──矢吹への警戒が緩くなる?」
「そういうこと」
剛士はニヒルに笑う。
小学生で、ニヒルってどういうことだろうね。
そのうち、シニカルとかダンディも出しちゃうんじゃないだろうか。
ダンディ小学生は、もはやギャグキャラの域に入ると思うな。
交代ゾーンでは、監督が矢吹の肩を叩きながら、何かしきりにアドバイスをしている。主に精神面で。
でも、気のせいじゃなく監督が肩を叩くごとに、矢吹が小さくなっていくように見える。
打出の小槌の逆バージョンみたいだ。
これは緊張をほぐしてやるところからスタートしてやらないといけないだろう。
どう考えても、本来の実力を発揮できるメンタルの状態にはほど遠い。
「ふっ」
となりの剛士が、そんな矢吹の様子に思わず笑いをもらす。
近寄ると、矢吹は全身がバイブレーションしているのがわかった。
ラインに並ぶ、僕ら三人。
「矢吹」
剛士は左手を上げてハイタッチの位置で構えた。
「……陽狩君」
その手の意味を理解するまでに間があり、わかった後も、おずおずとした動作で矢吹は剛士と手を合わせる。
剛士は、その手をグッと握ると腕力を使って体ごと矢吹を引き寄せた。
「えっ」
つまずき気味に接近した矢吹の耳元で、剛士が短く何かを囁く。
内容は僕にも聞き取れなかった。
握った手をほどくと、剛士はその手で軽く矢吹の背中を押した。
背番号のあたり。矢吹に生まれてはじめて与えられた背番号23番の数字の。
矢吹の震えが止まっていた。
彼は剛士に押されて片足をフィールドに踏み入れている。
その顔は、その片足を見ているようだった。
僕は、監督に剛士を預けて戻ろうとして、それを目撃した。
うつむき加減だった矢吹隼の顔が、静かに上げられたとき、それが臆病で内気な少年のそれではなく、本気を出した主人公のそれに変わっていることを。
そして、原作主人公は今度は自分の意思で、もう一歩を踏み入れた。
矢吹隼が公式戦で初出場した瞬間だった。
まったく、魔法使いはどんな魔法を使ったんだろうか。
これでどうやら矢吹の緊張を解消するところからしないといけなかった手間が省けたらしい。
「行こう、矢吹!」
「──うん!」




