舞踏
僕は、足許に置いたボールを意識しながらも、前方に集中力を注ぎ込んだ。
いつもと同じ。
公式戦の舞台でも、やることは同じだ。
僕の前には、僕のパスを待っている親友がいる。
陽狩剛士は今、自分よりも大柄な三人の選手に囲まれている。
客観的には、大人に絡まれている子供みたいに見えるだろう。
三人の相手選手は、いずれも六年生で、なおかつ体格に恵まれたディフェンダー三人組として、地域リーグ内でも有名な連中だ。
黒木、黒部、石黒のDFトリオ、通称『ブラックスリー』である。
小学生離れした身体能力を活かした守備を持ち味に、今期地域リーグでは最小失点を誇っている。
あらためて、この目で見て思うのは、この三人が同じ小学生だとは到底、納得できないということだった。
黒部なんかは、口のまわりにうっすらとではあるけど、ヒゲが生えているようにすら見える。
小学校で、留年とかは有り得ないと思うけど、本当に六年生かは怪しい気がしてならない。
とは言え、疑惑は疑惑の域を出ないわけだ。
ここは諦めて、対戦相手として受け入れて戦うしかない。
「はははっ! 左利きの14番さえ抑えれば、こっちのもんだぜ!」
「他のやつらは大したことないからな!」
「まったくだ!」
ブラックスリーは、挑発的な言葉を三人順番に放つ。
こうして対戦相手の冷静さを奪うのが作戦らしい。
なかなか板についた悪役小学生ぶりだ。
彼らの言う、14番とは勿論、剛士のことだ。
もっとレギュラーっぽい背番号は上級生から優先的に渡されているので、四年生である僕らは大きめの番号を貰っている。
ちなみに僕は、15番。
背番号でも剛士の後ろについていることになるね。
その14番、剛士は一瞬の隙をついて、ブラックスリーの守備の背後、ゴールに近いスペースを狙って走り出した。
しかし、相手は守備の専門家だ。
簡単に抜き去らせてくれるほど甘くはない。
剛士の進行方向を二人でブロックすることで、進みたい進路を完全に遮断し、ゴールへの接近を阻止した。
「見え見えだぞ!」
「その程度の動きで俺たちを出し抜こうなんて甘い!」
「甘々だな!」
嘲るブラックスリー。
だが、僕の目には、剛士の口元が笑うのが見えた。
「ふっ」
剛士は、前に掛かっていた体重を、力強いステップで逆方向に振り向ける。
前に行くと見せたのは、フェイントなのだ。
ブラックスリーの二人は、剛士が前に抜けていくことに対応して動いているために、間合いを取られてしまう。
一人はまだ、剛士に追い付いてきているが、三対一ならともかく、一対一のスピード勝負なら負けるような剛士ではない。
僕は、彼が動き出した瞬間に意図を感じていたので、あとは、欲しいと思っているタイミングでボールを渡すだけだった。
「剛士っ!」
僕が蹴りだしたボールは、見えない線で繋がっているかのように、剛士のもとに届く。
「──おし来たっ!」
剛士は、ボールを受けると、トラップの隙を狙って伸ばされた足を巧みにかわす。
ボールとともに、彼は宙に舞い上がった。
「跳んだっ?」
驚愕の声を上げてしまう、ブラックスリーの一人、石黒の目には飛び上がった剛士のシルエットが逆光を背にして輝いて見えたのだろう。
彼は、眩しそうな顔をした。
別に、そこで跳ばなくてもいいとは思う。
もっと簡単に回避する手段はいくらでもあったはずだ。
だが、剛士はこういうとき、あえて魅せる方法をチョイスするところがある。
もともと原作でも、そういうキャラ設定なんだから仕方ないんだろうか。
案の定、ここで外野から黄色い声が上がる。
剛士のファンは、同級生の枠を越えて他の学年から他校まで広がる一方だが、この試合は学校のサッカーコートではなく、市の運動公園で行われている。
したがって、応援に来ている剛士ファンも中核をなす十数名だ。
見せ場の度に巻き起こる剛士コールも、統率がとれていて乱れがない。
集まって練習とかをしているのだろう。きっと。
「ちっ! モテるからって、いい気になるなよ!」
「まだ、俺たちの守備が破られたわけではないからな!」
「そうだそうだ!」
ブラックスリーは再び剛士を囲い、黒い包囲網を形成する。
絶妙な間合いで半円を描く彼らを突破するのが難しいことは、少し離れている僕にも理解できた。
そして、喋るとき三人目は大して意味のあることを言わないのも僕は理解した。
「ボールを持って俺たちに挑むなんて馬鹿なやつだぜ!」
「飛んで火に入る夏の虫とはこのこと!」
「かかってきな!」
ほらね。
ボールを保持した剛士は、独特のリズムでドリブルを始める。
ターン、フェイント、リフティングを交ぜながら、ときにブラックスリーを誘い込んでは避け、隙をつくらせるために左右に揺さぶった。
その様子は、まるでボールをパートナーにエスコートして、優雅にしなやかに踊っているかのようでもある。
最近ではこれを、渾名の『魔法使い』から『魔法使いの舞踏』とファンの皆さんは呼んでいるらしい。
そして今、皆さんは、剛士の独壇場と化した舞台を前に、より一層、盛り上がっている。
これで更に得点まで取って、ジョニーポーズを決めたとしたら、卒倒する子まで出ちゃうんじゃないだろうか。
「おのれちょこまかと動きやがる!」
「今に目にものを見せてやるからな!」
「こしゃくな!」
苛立ちを隠せないブラックスリーが、なんだか昭和の悪役みたいになってきているように思えるのは気のせいか。
それでも、しっかり間合いを残して、剛士の動きに惑わされず、守りの組織を維持し続ける彼らはさすがだ。
この地域リーグの戦いを勝ち進んで、全国大会に向けた切符を手にしたチームだけのことはある。
一筋縄ではいかない相手だ。
対する僕らは、残念ながら今年は、もう全国にはいけないことが確定している。
それでも今年は例年より好成績だったらしい。
現時点で、勝ちと敗けの星は五分となっている。典型的な中堅チームだね。
そしてこれが、今年の地域リーグ最終戦。
つまりこの試合を勝ったか負けたかで、今年を勝ち越しで終えるのか、負け越しに終わるのが別れてしまうってことだ。
対戦相手が数枚上手なのは、わかっているけど、この試合はなんとかして勝ちたいところだ。
なにしろ、今年のチームが強かったのか弱かったのかを決めてしまう試合なんだから。
そうではあるものの、現在、前半終了までわずか。
立ち上がりの数分間のうちに、チームが落ち着く前に失点をしてしまいスコアは今、0-1だ。
この試合、勝つためには、あのブラックスリーを破って得点を決めなければならないんだ。




