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笑顔

 

 それから数日が経過した。


 というより、経過してしまった。


 皆川さんから、僕に対するアクションは何もない。

 ただ、時折、教室で遠くから気まずそうにチラチラと僕を見たりするだけだ。


 何だそれ……。


 すごく気になる。

 何か、思ったとおりにいかなかったことだけは想像がつくけど。


 森川さん自身はいたって平然として、以前と変わらない。

 特別、僕を避けるわけでもなく、かといって必要以上に接近することもない。

 普通の距離感のクラスメイトという感じだ。


 まるで何もなかったかのように。


 本当に、お付き合いをさせてもらうとしたら、どうしようとか、前世の人格が前に出てきて、仮にも彼氏になったなら、伊達でもいいから眼鏡を着用してもらおうとか主張するので、僕の前でだけは秘密の眼鏡キャラを見せてくれる森川さんとか、そんなことを妄想してしまっていただけに拍子抜けだった。


 あの調子だった皆川さんが、何も言ってこないのは意外を通り越して異常だ。

 どうやら、こちらから訊ねないといけないみたいだ。


 そんなわけで、僕は、この間の逆パターンを行使し、朝の玄関口で皆川さんを迎え撃った。


「た、鷹月か……」


 僕を見た皆川さんは、一瞬、ひるんだ顔をしたものの、すぐに観念して何かに立ち向かうような精悍な顔つきに変わった。


「皆川さん」

「話は分かってる。行こう……」


 僕たちは、前と同じ、渡り廊下の下に向かう。


「ごめんな、鷹月。実は、由希から、これ以上、鷹月に迷惑を掛けないでくれと釘を刺されててさ」

「そうなの? 僕としては、あの後、何もないから、何が何だかさっぱり……」

「だよな。でも、今、アタシと話をしてるのは由希には秘密だからな。あいつ怒らせると怖いんだよ」


 そう言って、皆川さんは校舎の方を落ち着かない様子で伺う。

 こんなふうに誰かを怖れる皆川さんなんて初めて見る。

 そうさせてしまう、森川さんって一体……。

 これまでのところ、僕の目からは温厚な人物にしか写ってこなかったし、クラスでの委員長ぶりも、たまに雰囲気がだらけすぎていたら引き締めはするものの、なかなか穏健な仕事ぶりなのだけど。


 気安い友達だからこそ、見せる一面があるということだろう。


「それで、何がどうなっていて、僕はどうしたらいいの?」


 僕は、皆川さんに話を促す。


「そ、そうだな」

「うん」

「結論から言うと、だな」

「うん」

「鷹月は、今までのままの鷹月でいてればいいってことかな」

「う……ん?」


 よく分からないが、確かに、森川さんは何もなかった(てい)で振るまってはいる。

 本人としては、もう全部を忘れてほしいということなんだろうか。


「アタシも、今度ばかりは、由希のしたいことが分かんなくてさ」


 皆川さんは、前に僕と話した後、森川さんのところにまっすぐ向かったのだという。


 吉報を届けるつもりだったのだ。


 しかし、鷹月孝一が森川由希との交際を、おおむね承諾した件について報告したところ、自分のために行動を起こしてくれたことには感謝はしたものの、別に交際を望んでいるわけではないと説明されたのだという。


「鷹月君のことは、好きよ。一度は手紙で気持ちを伝えようともしたわ。でも、そういうことじゃないのよ」


 森川由希は、そのように皆川さんに、困り顔で微笑みながら言ったらしい。


「アタシにはわからないよ。好きなんだったら、一緒に遊んだりとか、したらいいじゃんか。だろ?」

「まあ、普通はそうだね」

「でも、由希からしたら、ちがうみたいでさあ。逆に『鷹月くんに迷惑になるから、もうやめて~』とか言うから、なかなか、鷹月にも話ができないし」

「はあ」

「とりあえず、由希はお前のこと好きみたいだ」

「それは、そう、なんだ」

「でも、デートとかは別にしたくないんだと。あれか、あれだな、ファンみたいなもんってことか?」

「いや、僕に聞かれても……」

「まあそういうことだから、何て言うか、アタシにはお手上げなわけだ。鷹月も、あんまり気にせずに普通にしてればいいと思うよ」


 そう言い切ると、皆川さんは、なにやらコソコソしながらその場を去っていった。

 体が大きいせいで、ちっとも忍べている感がなかったけれど。

 そんなに、森川さんを怒らせると怖いのだろうか。


 うーん。


 好きだけど、そういうことじゃないのよ、か。


 どういうことだろうか?




 そんなことがあり、何もなかったことになった。


 森川さんが、そうしてほしいという希望なら、僕の方からはもう何かをどうするということもない。

 直接、本人にことの次第を確かめるとか、そんな勇気はなかった。


 皆川さんは、ああ言っていたけれど、好きな人がいてもかならずしも近くにいたいわけではないという気持ちはわからないでもなかった。

 前世の自分に、特にそういうところがあった。


 前世では、自分が誰かを好きになったとしても、その誰かが自分を好きになってくれることはないだろうという確信があった。

 なにしろ、自分のことが好きになりようがないのに、誰かにそれを期待するなんて発想が持てるわけがない。


 自信がなかったんだ。


 森川さんが、それと同じだとは思えないけれど。


 あとは、二次元で超好きなキャラとかがいても、実際に近くにいたら、かなりウザいし迷惑千万な場合もある。

 オレ様男子とか、ヤンデレ女子とか。

 リアルにいたら、なるべく遠巻きにして、係わり合いにはなりたくない。


 それに該当するパターンだと、森川さんにとって僕はウザキャラ認定されてるってこと?


 違うと願いたいところだけど。




 いずれにしても、何もなかったことにする方向性は決定事項だ。


 とはいえ、本当に何も変化がなかったわけではない。

 僕の心理状態には明らかな変化があった。


 同じ教室に、自分のことを好きな女子がいるのである。

 気にするなというのが無理だ。


 僕は、クラスの女子の何割かから好意を寄せられている剛士とは違うのである。

 気づけば、いつの間にか森川さんを目で追っている自分がいた。


 そうしているうちに、分かったことがある。


 森川さんは、ものすごく気遣いの人だ。

 そういうタイプの人なのは、知っていたつもりではあったけど、こうして注意深く観察していると、尋常ではない気遣いで、教室のなかで起きる物事に、迅速かつ的確に、しかも丁寧に対応していることがわかった。


 なかなかできることではない。


 彼女を、委員長に迎えることができて、我がクラスは幸せなのだと思う。


 そして、森川さんはよく笑う。


 どちらかというと、真面目で固い人だというイメージを持っていたのだけど、思わぬことに、彼女はよく笑う人だったのだ。


 なぜ、彼女に笑うイメージがなかったかといえば、それは、必ず皆と一緒に笑っているからだと、僕は気づいた。

 一人だけで笑うことはないのである。


 教室を明るくすることに気を配り、皆が笑顔になったとき、彼女は笑う。

 皆が笑っていること自体が嬉しいみたいに。


 そして、そんな森川さんの笑顔は、とても可愛い。


 どうして今まで気づかなかったのだろうか。

 あんな魅力的な笑顔に。


 あと、やはり眼鏡は掛けてみてほしい。僕の前でだけで。


 見ていると意外にも天然な一面があることも判明した。

 気にしてなければ、わからなかっただろう。

 ちょっとしたギャップ萌えを喰らわされた気分だ。

 なかなかの破壊力である。


 森川さんが困っていることがあると、それとなくフォローするようにもなった。

 クラスのバカな男子が、ホームルームの進行を妨げたりするのだ。まさに小学生レベルなやつがいるのだ。


 森川さんが、優しく咎めても聞かないときには、僕が口を出した。皆川さんの言う、怖いくらい怒る森川さんというのには、お目にかかりたくはない。

 こんなとき、男子に一目置かれている鷹月孝一のポジションは役に立った。


 そんなことがあると、森川さんは僕に微笑みかける。

 少しだけ赤く染まって見える頬に、やっぱり彼女は僕のことが好きなのかなと思わせた。


 でも、そんなことを続けていると、僕の方が、森川さんのことを好きになしまうんじゃないかという気がした。


 まだ、気になるから見てしまうというだけだけど、僕は次第に、森川さんに惹かれるようになっていたんだ────。


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