チェンジ・ザ・ワールド
「ごきげんよう、鷹月くん」
学校の廊下でゲームの会話イベントのごとく出現し話しかけてきたのは佐倉さんだ。
大会を2日後に控えた木曜日。
選抜に呼ばれてからというもの、わりとバタバタとしたスケジュールで日々が進行していたので佐倉さんとはなかなか落ち着いて情報交換をできる機会がなかった。
「こんにちは」
「少しお話をしてもよろしいでしょうか?」
「うん、いいよ」
優雅で上品に微笑む佐倉さん。
人目があるところでは意識してなるべく普通の庶民だった前世の人格を出さないように心掛けているらしい。
音楽室でふたりだと、なんだかネトゲのオフ会みたいな気安いノリになるのを思うと激しく違和感がある。
キャラのイメージを大切にしたいということだそうなのだが、僕からの視点では少しお嬢様属性を演じることに目的がズレているようにも見える。
佐倉香緒里はもうちょっと自然体で隙が多く、気取らない感じだったはずなんだけどな。
少なくとも「ごきげんよう」は言わなかった気がする。
今日は髪型をハーフアップにして後ろを髪止めで飾っていておしとやかな雰囲気を放っている。
季節がもっと涼しくてストールでも装備していれば薄幸の病弱キャラ設定でもいけそうだ。
これまでどおり、毎日ツインテールなのは「さすがにテンションが続かないんだよね」ってことで廃止にしたという話だ。
美少女に転生できたので今は色々と着飾ったりするのが楽しくてバリエーションを増やしているとも言っていた。
結局のところ厳密にキャライメージを守る気はないのだろう。
「日曜日に菱井麻衣ちゃんと会ったの」
「うん。僕も会ったよ」
たしかにあれは菱井麻衣だった。
いきなり現れたと思ったらすぐに去っていったものだから現実のことだった実感がないんだけれど、やはり僕はあの菱井麻衣と出会っている。
「土曜のことね。そのことを麻衣ちゃんから聞いたわ、シド」
例の渾名を口にして悪戯っぽく目を細める佐倉さん。
「もうね、あの子、紅白戦でシドがねっ、シドがね!……ってうるさかったんだから。ひととおり選抜のチームのことを解説されたのよ」
「へえ。じゃあ、どこかから見ていたんだね」
「だいぶ気に入られたみたいよ、原作ヒロインから」
「それは光栄なことだ」
僕は単純に嬉しいことだなと思った。
なにしろ菱井麻衣といえば原作でも超絶サッカー通として描かれている上に寮さんの娘なわけだから、僕の地味ながらチームに貢献していくプレイスタイルにも理解があるのは頷ける。
寮さんの教えを受けた僕のサッカーを認めてくれたのだとしたら、それは嬉しいことだ。
わかる人にはわかってもらえる。
こういうときには自分が積み上げてきたものが無駄じゃなかったって感じられて、また続けていこうと思える原動力になる。
「今度の大会……佐倉のグループ企業が協賛で名を連ねているのには気づいていた?」
ややシリアスになって話題を変えてくる佐倉さん。
「ああ、資料のスポンサー欄にあったと思うけど」
「実はね、選抜チームをつくること自体が私の父によるものよ」
「えっそうなの?」
「うん。もちろん呼ばれたのは実力があるからだし、ほとんどの人選は菱井麻衣の父が能力主義でしているから変なコネで集められたチームじゃないわ」
見た目が小学生とは思えない大人の事情トークを自分の言葉で語る佐倉さん。
横をなんだか難しい話をしている子がいるという目で見ながら何人かの子供が通りすぎていく。
「以前にも話したと思うけど、佐倉の家は矢吹隼に必要な投資を注ぐことで世界最高峰の舞台で活躍する選手に育成させるつもりよ」
「うん、前にもそれは聞いた」
「父は大会に世界トップのクラブチームから人を招いているわ。矢吹くんを彼らにお披露目するためよ」
「まさか……そのためだけに大会を開催したってこと?」
ほのかにニヒルな笑みを浮かべる佐倉さん。
「やりかねないけどね。それだけじゃないの……どうやら他の参加チームも、それぞれ思惑があるみたい。そんなことを麻衣ちゃんが匂わせていたわ」
「詳しくは教えてくれなかったの?」
「まあね。とにかく、今度のは単なる子供サッカー大会ではないのは確かよ。気をつけて」
「気をつけてって言っても……」
僕にできることは普通にサッカーをすることぐらいだけどな。
それにしても世界のクラブが見ている大会か。
「矢吹は、すぐにでもヨーロッパに行くことになる?」
「……そうね。そうなると思っていいわ。原作では高校2年になるときに出た海外にもっと早くから行くことになるけど」
「御覧ノ坂高校に進学することはなくなってしまったのか」
「そうね」
もちろんそうなる可能性は前々から感じていなくもなかった。
矢吹の才能が世間に発見されてしまえば、何もこれといって実績のない平凡な公立高校のサッカー部に入る道を歩むこともなくなるのは自明のことだから。
サッカー選手としての将来を考えれば、今からでも世界に出ていくけとは決して早すぎることはない。
矢吹個人のことを、あるいは彼がいつか貢献することになるだろう日本のサッカーのことを思えば悪い話でもない。
しかし、こうも早く矢吹が僕らから離れていくことになるとは。
これは完全に僕が変えた世界線だ。
後悔しているのかと問われると難しいところだが、矢吹の可能性を早い段階から開かせることができたのは長い目で見て間違っていたとは思わない。
思わないけど、原作のあのチームが形を変えてしまったことはやはり寂しい気持ちがある。
矢吹隼は菱井麻衣が指揮するサッカー部には居ない存在になってしまうのか。
「世界に飛び立つのは、矢吹くんだけじゃないかもよ」
「そうだね。力石はもちろんだし、剛士だってそうだ。それに木津根だって活躍次第ではクラブチームの目に止まるかもしれない」
「貴方ね……まあいいけど」
佐倉さんは言いたいことがありそうにしたがそれを飲み込んだ。
「もう『僕タク』のストーリー自体はあってなきものと想定したほうがよさそうね。麻衣ちゃんが、リダルニアのザナドFCユースの選手として来日しているのも不可解だし」
「えっ、菱井麻衣が選手?」
「あー聞いてないわけね。バリバリのレギュラーだって話よ」
佐倉さんは大真面目に告げるものの、そんなことがあるだろうかというのが僕の見解だ。
菱井麻衣は原作ではどちらかというと運動オンチに近いキャラだったはずだ。
まともにサッカーボールを蹴れないことを陽狩剛士に揶揄されるシーンがあった記憶がある。
負けず嫌いな菱井麻衣が「な、なによ、リフティングだって2回はできるわよ」と言うので剛士から「そりゃ、蹴り上げたボールにもっかい足を当てただけじゃねーか」と返されていたりした。
その菱井麻衣が選手をやっている?
しかもちゃんとしたクラブユースの一員として。
「貴方たちがデュマデュマ代表チームに勝って、麻衣ちゃんのいるザナド代表が日本代表に勝てば、対戦することになるわね」
「うん」
しかもふたつ目の試合で当たる可能性があるのか。
だが、どうだろうか。ザナド代表はヨーロッパのチームとはいえそこまで強いとは聞かないし勝ち進むには12歳以下の日本代表チームを破る必要がある。
「日本代表チームは全国から有名な選手が集まっているからね。簡単に勝てる相手じゃないよ。なにしろあの鎌施賢や針古太牙がいる。それに、御覧野選抜だって勝てると決まっているわけじゃないし」
「まあ、そうだけどね。でも麻衣ちゃんがいるのよ。それって、この世界では大きなことだと思わない?」
「それは、そうだね」
原作のチームが躍進したことを思うと、菱井麻衣がいるから勝つというのは妙な説得力がある。
指揮する立場と選手という違いはあるけれど。
「私ね、大会のこと、麻衣ちゃんのことを知ってから、色々とこの世界に起きていることを調べたの。幸いなことに諜報のプロを雇えるくらいのお小遣いが手元にあったから、この3日間で色々なことがわかったわ」
佐倉さんはそう言って窓の景色を流し見る。
まるでそこから世界のすべてを眺めようとでもするかのように。
「今、この世界のサッカーには大変な変革が起きているの。その多くは『僕タク』に関わる人物や組織からの影響とみていい。あのマンガが、私たちが生まれる前にいた世界に近い常識と法則で成り立っていたこちらの世界を変えてしまいつつある。
調べた限りでも、昨年の中学生のサッカーでは全国各地でボールが消えたり、増えたり、燃えたりしていたことが確認されているの。
これはそれまでの年代にはなかったことよ。
過去にも、凄いシュートを撃つブラジル人や凄いドリブルをするアルゼンチン人、凄いテクニックをもつイタリア人に凄いフェイントをするオランダ人、凄いキーパーなドイツ人、凄いイケメンのイギリス人……サッカーの世界にはいい選手がたくさんいたわ。
でも私たちの常識から逸脱するほどの人間離れした能力を有しているわけではなかった……」
「つまり僕らを含む、ふたつ上の年代までの選手からサッカーが劇的に変わってきているってこと?」
「ええ。でも、それだけじゃないの。『僕タク』には何人か登場人物の師匠的な立ち位置のキャラがいたでしょう。
そうした人たちが少なからず世界中でなにかしらの影響を与えているようなの。
今回の大会に参加している幾つかのチームにも、なにかの関係がありそうよ」
佐倉さんは、外に向けていた目線を僕へと戻す。
「矢吹くんのことだけじゃない。この世界のサッカーは……いえあるいはこの世界そのものは今、ただならない変革期を迎えているの」
「……」
「この流れはきっと誰にも止められはしない。私にも、貴方にも、ね。どこまで行くのか想像もつかないわ。変わる世界のなかで、はたしてどれだけのことができるのか……覚悟しておくことね、鷹月孝一……!」
「──決まった。決まった?」
唐突にテンションを変えて僕に確認する佐倉さん。
「えっ、ああ。たしかになんか、いい感じだったよ」
「でしょ、でしょ? 重要人物感を出してみたかったんだよね」
「うん。マンガだったら、かなりの大ゴマが当てられていただろうね」
なにやら満足げに、うんうんと頷く佐倉さん。
「1ページ丸ごと使われていたんじゃないかな」
「あー見開きまではいかないかー」
「でも、いい雰囲気で次回に続く場面になってたんじゃないかな」
「そうそう、それは意識していたの。引き、ってやつよね。雑誌連載だとアオリの文が入ったりするの」
コミックスになると無くなる編集の人が加えたりする文字のことか。
マンガによってはなくなると寂しい感じがしたりする場合もあるやつだ。
「まあ、あの文って場合によっては邪魔なこともあるけどね」
「作品によるね」
「そうだね。イッキ読みする単行本だと、ないほうがいいし」
「連載には連載のリズムがあるから」
「うん。だからマンガって、週刊連載か月間連載かで作品の呼吸感が違うよね。私はその点、月間のペース配分が好きだったりするなあ」
なにかもっと大事な話をしていた気がするが、完全に脱線しているタイミングでチャイムが鳴った。
「あら。じゃあ、そういうことだから、鷹月くん。選抜、おめでとう。頑張ってね!」
「うん。ありがとう」
佐倉さんはお嬢様キャラをさっぱり忘れている様子で去っていった。
僕は教室に戻る前に、ふと彼女が見ていた景色を視界に入れる。
何事もない、普段通りの街がそこにはあった。
「変わる世界……か」




