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ビン底に映る世界

作者: しーた

海沿いのある町、散歩をしている男がいた。素性は誰も知らない。いつも、白衣を着ていることから、どこかの研究所に所属していたのかもしれない、実験に失敗したようなボサボサ頭で、ビン底のような眼鏡を掛けていたので、「ビン底」と人々に呼ばれ、馬鹿にされていた。


ビン底は、2、3年前にこの街に越してきた。ご近所づきあいは乏しく、働いているといった様子も無く、噂では、どこかの研究施設から左遷されて、その左遷先でクビ切られたということを聞くが、いつもの散歩コースをとぼとぼと歩くその後ろ姿は、そんな噂にも納得してしまう。何ともうだつのあがらない男である。


しかし、そんな素性の分からぬ男であるのだが、不審者として扱うほど、欲も牙も無い様子で、いつも同じ海沿いの散歩コースを歩く彼を町の住人達は、滑稽話の主人公としてそんな自分たちの材料、生活の糧、しょうもない人生の例、自分よりも大したことの無い人物の一例とし、馬鹿にすることで、ある意味、その場での話題を盛り上げていた。そんな風にして彼はこの町から受け入れられていた。


「ビン底」に関する噂は、絶えないのだが、信憑性が高い噂として、彼が毎日自宅のベランダから天体観測をしていると。毎日決まった時間に。それと、珍しく、彼が激しい口調で電話をしているのを目撃したということが言われていた。何やら、隕石が落ちると言っていたらしい。その噂が出回った時期の彼の表情は、いつもよりも険しく、やはり何かがあったことは確からしい様子であった。町の住人達は、彼に毒気が無いただの変わり者だと思っていたが、頭がおかしい人なのかもしれないと感じ、少し距離を置いていた。


さて、そんなこんなで、毎日、何か変化があるわけではないこの町でとある雑誌の記事が話題になる。それは、何かのオカルト雑誌の1ページらしいのだが、そこにビン底の記事が載っているというのであった。『人類滅亡!?』『来るXデイを回避できるか。』

その分野の第一人者として、ビン底のことが取り上げられていた。


何やら、難しい言葉が並んでいたが、どうやらこの半年中に地球に隕石が落下し、人類の存続に関わる甚大な被害を巻き起こす可能性があるとのこと。


なぜ、そのような一大事に世界が黙っているのかという問いかけに関しては、まだ実証されてはいないが、恐らく確からしい法則があり、それをまだどの研究機関も気づけておらず、結論に辿り着いているのがビン底ただ一人であるという事、そして、切迫した状況であるがどこもまともに取り合ってもらえないということを少し馬鹿にした視点からデフォルメされて書かれていた。


オカルト雑誌の記事は、変人もここまで真剣にやれば有名になることが出来るんだなという教訓を地元の中学生たちに与え、主婦層に次の井戸端会議を楽しみにする肴を与える程度の影響であった。



ビン底の記事をあらかたの住民が知り、飽きた数週間後のこと、今度騒ぎ出したのは、町の若者であった。何やら、星の動きが従来の予測とは違うそうで、あらゆる星の軌道をかいくぐって地球に到達しそうな隕石があるということだ。そのことをなんとNASA、アメリカ航空宇宙局が公式の見解を出しているらしいということが実しやかにささやかれていた。

そんな情報がこの町では中学生や小学生を中心に広がり、微かな不安を呼んでいた。大人たちは、根も葉もない噂がパニックを起こすことを心配し、ネットリテラシーについて子どもたちに説明して回った。

ネットを通じた情報なので、日本どこも同じ状況かと思うが、この町はビン底がいるから子どもたちの動揺が大きいらしかった。ビン底を嘲笑っていた人たちは、眉をひそめ始めた。


そんな自分たちを気にも留めないかのように、あたりをキョロキョロ見回しながら散歩をしているビン底に怒りを感じ始めている人もいた。


大人達の火消しが終わるやいなや、次なる燃料が投下される。


今度は、全国のニュース、お昼のワイドショーで今回の件が取り上げられたのだ。なんと、大自然だけが取り柄のこの海沿いの町にいくらかのテレビカメラがやって来ていた。

今回の噂を広げた張本人として、ビン底をカメラが捉える。

初めてビン底の声を聞いた住人が多数だった。隕石が落ちる可能性があるというNASAの見解と一致し、さらにそれを上回る何かを言っていた、が誰も理解する者はいなかった。


コメンテーターは、あくまで、確率があるというだけで、まだ明確になっていない点が多々あるということを強調し、ニュースの内容は、どちらかというと、日本を騒がしている張本人を突き止めたといった内容のものであった。


テレビ局があらかた去った後は、子どもたちの不安の火種が再燃し、より大きく盛り上がって、ちょっとしたパニックになった。大人たちは根拠は無いが、とにかく、あまり踊らされるなという曖昧な言葉しかかけられず、子ども達の不安をさらに煽る結果となった。


そんなことはどこ吹く風と、城下を真昼間から歩くビン底。


テレビでのニュースは一時のものかと思われたが、毎日のように放送され続け、不安の種は日本中に広がっているようだ。

一部の気づいた者が事態の大きさを声高に騒ぎ、主張し、そのことに煽りを受け、また別の者が騒ぎ出す。それを見たまた別の人が事態について考え、もしかしたらヤバいことなのではないかと感じ騒ぐ。


そんなことが日本中で巻き起こり、異様な雰囲気を漂わせていた。


専門知識を持たぬこの町の住民は、解消されない行き所の無い不安を胸に持ち、人々は着実に疲弊していった。



ある日、散歩をしていたビン底に、正義感の強い老年男性が詰め寄る。


「お前のせいで、どれだけのモンが迷惑しとると思っとる、向かいのお子さんは、怖くて学校に行けんくなったそうじゃ。お前、どう責任とる。」


周りにいた住人、買い物途中の主婦も寄ってくる。老年男性が皆の想いを代弁しているようで、男性の半ば演説に近い抗議に皆大きく頷き、蔑むような眼差しをビン底に向ける。


ビン底は黙って俯いていた。


ただ黙って、しかし憮然とした表情でいる。


「話にならん。」


そういうと、ビン底を突き飛ばしてその場はお開きになった。


「大丈夫ですか?」


女性の声がする。顔を上げると、手が差し出されていて、その手にはビン底の眼鏡が握られている。


「ありがとうございます。」


情けない所を見られたと分が悪そうに礼を言う。


「あら、眼鏡ヒビが入っちゃいましたね。」


そういって、女性は優しく微笑む。歪んだレンズでもはっきり分かるほどの美人で、ビン底は少し頬を赤らめる。

女性は大きなお腹をしていて、子を身ごもっているのが一目瞭然であった。


「色々と大変そうですね。」女性は声を潜めてほほ笑む。


「ええ、まぁ。」


「毎日お散歩をされてますよね。お散歩が好きなんですか?」


そう聞かれると、毎日見られていたのかと少し恥ずかしくも、嬉しい気分になりながら


「ええ、まぁ。」と答える。


「散歩しながら考え事をするのが好きなんです。景色は綺麗ですし。」


髪の毛を恥ずかしそうにいじくりながら続ける。女性と会話らしい会話をしたのは、いつだったろうか。


「そう、私もこの町の景色が好き。朝の静かな澄んだ海も、夕焼けが溶けた海も私は大好き。」

そう言いながら、お腹の子を愛おしそうに撫でる。


「きっと、大丈夫ですよね?」

微かな不安の混じったその声に、ビン底は、一瞬ハッとする。


「きっと大丈夫です。」

笑顔でそう答えた。

女性の表情が晴れた所で、ビン底はまた歩き始めた。



さて、町の住民がいくらビン底を蔑んでも、隕石衝突の話題が無くなるわけでは無かった。それどころか、連日テレビで報道され、徐々に騒動の全貌が明らかになってくる。初めは胡散臭い祭りに暇つぶしがてら記憶にとどめておく程度であった、誰もが。しかし、今度ばかりは、今までのあらゆるうさん臭さとは違いそうで、地震の予知と言うよりも、それは台風の予報のように、何かしらが確実に訪れそうであるということをどこもかしこも言い始めたのであった。


日本政府が声明を出したことで人々はただごとではないのであるということを確実に認識した。政府が言うにはこうだ。事実関係を各国と連携しながら確認している所であるが、万が一に備えて、自衛隊の配備を行うということであり、国民の行うことはパニックを起こさないで冷静でいることということであった。


この町の住民は、年寄りが多く、婆さんはこぞって心配性であり、それに反発するかのように爺さん連中は頑としてあらゆる準備を拒んでいた。町としては、防災リュックを作ろうと言うことと、連日避難場所についてを街宣車で呼びまわった。


ある日、ビン底が散歩に出ない日があった。


外は何やら賑わしく、出歩く人は、こぞって近くの家に招き入れられる。

多くの人が団子になり、テレビに釘付けになっている。


そこにあったのはビン底の姿だ。


「天文科学の専門家」というテロップが流れる。

一連の騒動に関して、ビン底が現在の事象と、自分の立てた仮説に関して比較しながら解説をしている。相当動揺している様子である。また、多くの者が初めてビン底の声を聴いた。

多くの者は、理解が出来た。理解のできない者には、理解のできた若者が解説を行い、議論が始まったり、専門知識は無いのに熱を帯びた討論をする。目の前のテレビでコメンテーターたちが自分らが立てた生存策を代弁し、「そうや!」と大きな声が上がるも、全て否定される。


近所の食堂、病院の待合室、電気屋、至る所で集まってその映像を眺めて、皆、一様に脂汗が滲むような底知れぬ不安に沈黙していた。


テレビもそのようで、今後の対応策をビン底に求める。


ビン底の口が開かれるのを町中が固唾をのんで見守る。


現在対応策を打ち立てている途中で、策には確かな手ごたえがある心配は要らない、また近日中に明らかにすると述べ、住民や、各国は冷静な対応を行い従来の災害対策マニュアルに沿って行動してほしいと述べ、番組は終了した。


皆一様に、口を一文字に結んで、深刻な顔で下を向いていた。


「みんな、そんな顔しぃなや、博士がおるんじゃけぇ何とかなるがな!」どこかのおっちゃんが調子のよい口調でそういう。


「そうよね。」「あんだけいっつも考え事しとるんじゃけぇ。」

なんて声が聞こえ、緊張した雰囲気が解ける。


ビン底がこの町にいることは、人々にとって何よりも強い心の支えとなった。



翌朝、海沿いの散歩道には、ビン底の姿があった。いつもより1時間は早いだろうか。町の年より連中も、落ち着いて寝れなかったのか、いつもより早く通りの落ち葉を掃いている。早朝の海沿いの町、車道に車は無く、枯葉を掃く音と不安のかけらも感じない小鳥たちの声、それから、静水にきらめく光、空は夕焼けよりも明るく、まだ何事起こりそうにない朝に不思議な気分である。みな、こんな日々をあと何回迎えられるだろうかということを考えていた。ただ、それは恐怖と言うよりも、生きてこの景色を感じれていることの幸せを感じさせる。


ビン底は、いつものように、あたりをキョロキョロと見まわしながら、時折、ジッと空や海を見ている。もしかすると、彼は、毎日この美しさに感じ入っていたのかもしれない、少しだけそのビン底眼鏡に映るモノを理解できるような気がした。もしも、こんな景色の、日々の美しさを、終わりに際してしか感じられない感情を彼が感じれていたのならば、地位や名声、自分たちの陰口や噂話など些細な事と感じられたかもしれない、そう思った。


「テレビ見とったぞ!」「先生、頼んだぞ!」「みんなあんたば頼りにしとるよ!!」

すれ違う人が、口々に声をかけていく。

ビン底は、驚いたように、申し訳なさそうに頭をペコペコさせながら足早に立ち去る。

通学し始めた小学生たちもやってくる。小学生たちは、不安に押しつぶされそうな顔で行く手を阻む。


「まだ隕石こんよね?」


「もし隕石飛んできてもビン底がボッカーンってたおせるっちゃろ?お母さんがいいよったばい。」


様々に、それぞれの不安を口にする。


「みんな死んでしまうと?」


ある女の子が、耐えきれずに、泣き出しそうな声で問いかける。心に同じ言葉があったようで、子ども達はみな黙って俯く。


大人達も手を止め、遠巻きにビン底の言葉を待つ。


「おじさん、今、何してると思う?」女の子に問いかける。


「・・・歩きよる。」


「何のために歩いてると思う?」


「・・・分からん。」


「おじさんはね、こうやって歩きながら、みんなが幸せに生きられる方法を探してるんだ。」


「みんなテレビ見とったやろ?」


子ども達は、潤んだ瞳で頷く。強がりの男の子もみな。

「おじちゃんは、テレビに出れるくらい天才なんよ。世界で一番頭が良いんよ。やっけん、何も心配せんでダイジョブかとよ。」


「大人の人たちよりも、皆の方が強かけんが、おじちゃんが、世界を守る作戦ば立てよる間、みんなは、大人の人たちば支えてやってね。」


そういって、ほほ笑むと、子ども達は、ビン底の方言に笑い、頷き、走しっていってしまった。


子ども達の姿を見送ると、離れたとこで足が止まり「せーの、ビン底がんばれー!!」と大きな声が聞こえる。


それに手を振る。人の温かみを感じる。その温かみは何ら人為的なものではなく、水に映りこむ空のように、波のさざめきのように自然的で、ビン底は、人からそのようなモノを感じたのは初めてだと思った。何か、ヒントが見えそうになる。


さてと気を引き締める。


このような、自然的な感情がアイデアの匂いを醸し出していて、ビン底はそれをひたすら追う。忘れないように一思考ごとにメモを取りながら。


ビン底が帰還する。散歩をするその足取りはいつもより、早い。

町の住民も我慢できずに、ビン底に声をかける。

「頑張れ!」「人類を頼むぞ!!」等々、各々の声援を投げかける。

ビン底は、少し困惑した様子で、ペコペコと頭を下げる。


それから、日々はたんたんと過ぎる。終わりが近づいた夏休みのように、誰もがこれで良いのかと首を傾げている間に1日、また1日と時間が過ぎ去る。

その間に、とうとう、隕石が地球に近づき、もしかすると、落下するかもしれないという日の大方の推測が各国から出そろい、一致した。予想は、7日後の日本時間では、朝の5時30分頃である。


ただ、人々は、絶望はしていなかった。各国が緊急対策会議を開き、互いの関係を一旦は脇に置き共にこの危機に立ち向かおうとしていたのであった。この日ばかりは、誰もがあらゆる武力を誇らしく思った。簡単に言うと隕石を確実に破壊しきるまで、あらゆる方向からミサイルを撃ち込む作戦を展開するそうだ。

期せずして訪れた世界平和、こぞって、各国の統治者が民衆を奮い立たせる演説を行い、世界中に放映される。


世界規模の連携に、人類に対してのナショナリズムというか、人々は未だかつてない心の燃え上がりを感じていた。


ビン底は、そんな中、淡々と思索のための散歩を続ける。町民は、テレビでの演説に釘付けになりビン底のことを忘れていたのと、覚えている者は、邪魔をしてはいけないという配慮をし、窓越しに散歩コースを歩くビン底に思いを託すに止まった。


テレビを見る限りでは、ビン底の出る幕などなさそうなのであるが、ビン底の家の前に警察の立ち入り禁止テープが張ってあり、政府の重要な役人が出入りしているという噂を聞くことから、依然として何か意見を求められる立場にあることが伺える。


ビン底は、ただ前に歩くだけではなく、後ろを向いてみたり、グルっと回ってみたり、歩き方の様子が変わってきた。散歩に出る頻度も、朝と夕暮れ時だったのが、昼や早朝など、明らかに頻度が増えていた。何かを探しているようだ、全ての景色から知恵を授かろうとしているように見える。


誰もいない町の静かさ

「あの!」

どこかの家の門から女性の声が聞こえる。声の主を探すと、そこにいたのは、以前、ビン底が老人に突き飛ばされた時に手を貸してくれた女性であった。


「あぁ、どうも。」また会えたことが嬉しくて、頭を掻く。ビン底はこの女性に気があり、初めて会った日から頭を離れたことは無かった。


女性が玄関の方に目配せすると、自分と同い年ほどの男性が出てくる。

表情には出さないもののかなり心にくる。互いに遠慮がちに会釈を交わす。

男性は、容姿はなかなか良くて、何よりも優しそうで、女性のことを愛していそうだということが見るからに伝わってくる。まぁそうだよなと思いつつも、心にポッカリと穴が開いて、後できっとこの穴と向き合うことになるのだろうと頭の片隅で思いつつ、女性に視線を向ける。


「あの、1つお願いを聞いてもらいたいのです。差し出がましいお願いかもしれないのですが・・・」


「そんなにかしこまらないでください。」少し寂しさを感じる。


「もうじき、お腹の子が生まれるんです。女の子で、もしも、よかったら、ビン底さんにこの子の名付け親になってもらえませんか?」


「僕からもお願いします。」夫と思しき人物も頭を下げる。

「な、名前ですか。責任重大ですね、ハハハ・・・・」


「今日の、こんな日を忘れたくないなと思って、この子の名前を呼ぶたびに家族の大切さを感じれたらいいなって。それでビン底さんからお名前をいただけたらいいなと思いまして、どうかお願いします!」


夫の方が頭を下げる。続いて女性も。


「・・・・ヒカリちゃんなんてどうでしょうか?あくまで一案なんですけども。」


「ヒカリというのは、不思議なものですよね。それ自体は、水のように掴めなくて、でも、海も、山も僕たちも、ヒカリが無いと映し出されないんですよね。ヒカリがあるから、僕たちはこうやって色んなモノの美しさに気づくことができます。真っ暗闇のどん底に落ちたなら、星の光が一層輝き、そのことを美しさに変えてしまいます。その子もまた、あなた方のあらゆる感情を美しいものに変えてしまうヒカリとなり、家族の大切なものを映し出すヒカリになることでしょう・・・・と僕は思います。」


言っていて初めて自分でもヒカリの美しさに気づいた様子だった。


「ヒカリ・・・ヒカリ、ヒカリ」夫婦は何度か呟くと、嬉しそうに互いを見つめ合った。


「ありがとうございます、元気の子を産みます。」女性が笑顔で述べる。

「良かったねぇ、ヒカリちゃんお名前もらったよぉ」母の顔で愛おしそうにヒカリちゃんを撫でる。


「きっと、良い子になります。」ビン底は、2人を見つめ、その場を去る。ビン底が橋の向こうに消えるまで、夫婦は見送る。


ビン底は、晴れやかな気分だ。失恋の穴が開き、すぐにそれが埋められた。何が穴を開け、何がそれを埋めたのか、ヒカリ、家族、美しさ・・・・


ふと立ち止まる。


家の窓からいくらかの住民がその様子を眺める。何やら、ぶつぶつ、呟いたと思ったら、その場に座り込んで、メモ帳に何かをもの凄い勢いで殴り書きしている。

最後は、エンターキーを押すように、小気味良くノートに点を打ちつけ、やり切ったような顔で、あたりを見回して立ち上がる。


メモ帳は、ポケットにしまい、騒動があった以前のように、ノロノロと、空を仰ぎ見ながら歩き始める。幸せそうな表情、吹っ切れた表情、あらゆる難解な問いに対する方程式を遂に発見したような表情で家路につく。


それを見た誰もが、窓越しに歓喜した。今晩には、避難所の学校の体育館への移動が始まる。日本時間、深夜0時に、世界の総力を尽くしたミサイルによる隕石粉砕作戦が始まる。


避難所への住民の移動はスムーズに終わった。町の住民はそれほど多くない。近くの小中学校へ移動しても個人が取れる場所的にはゆとりのある程度であった。


避難所は、ステージ上にテレビが設けられていて、情報を収集できるようになっているのと、各自が持ってきたラジオから同じ中継が流れる。子ども達は、夜の学校ということで、いつもよりはしゃいでいて、大人たちは、不安はありながらも避難所の運営を担っていた。お年寄りは、少し疲れた様子だった。


0時前、外は、何の異変もないのだが、一応、屋内退避を命じられていて、人々は、ワンセグや、ステージ、広間に設置されたテレビ中継を凝視する。


ミサイル発射拠点からの中継が何度もなされ、なんと、この町にもテレビカメラが来て、避難所の様子や外の様子を中継している。ビン底がいるからであるのと、今後の対応についてビン底が声明を出すということで来ているらしい。


照明がわずかばかり落とされた体育館は、少しだけざわざわと声が響くのみで、0時までのカウントダウンを心の中で開始している。ニュースキャスターも緊張に包まれる。テレビ局内のゴタゴタ感がニュースキャスターのバック画面から伝わってくる。


5、4、3、2、1・・・・


12時を回った! あれ?人々が何も起こらないと思ったとこで、次々とテロップが流れ、それぞれの携帯の速報が鳴り響く。

続々と各国のミサイル発射が成功したことを伝える速報だ。


みな、ほっと胸を撫でおすも、どうやら終わりではないらしい。着弾まで時間がかかるので、引き続き速報をお待ちくださいということが述べられる。

それから、何の音沙汰もなく、キャスターが沈黙する場面や、状況を確認しておりますというセリフをただ繰り返すのみで、合間を縫って、避難の仕方や注意事項を説明している。


キャスターが適度に体を動かす必要性を説明している所で、またも、テロップが流れ、すぐに報道に切り替える。


「速報です、煙幕が晴れ、状況を確認したところ、隕石の粉砕は確認されませんでした。繰り返します。隕石の粉砕は確認されませんでした。」


住民たちは、息を呑んだ後、ざわざわし始める。


「あぁ!静かに」誰かの声が響く。


番組の画面外で怒号が走る、スタッフが動き回る音が聞こえる。キャスターは続ける。

「えぇ、また、速報がはいりました。各国は、それに伴い、隕石粉砕作戦の第二段階に入るとのことで、引き続き、ミサイルによる隕石の破壊を試みるとのことです。えぇ、テロップをご覧になられているように、今なお、各国が総力を挙げてこの危機に立ち向かっております。住民の皆様は、冷静に次の指示をお待ちください。繰り返します、住民の皆様は、冷静に、避難所に避難してください。互いに助け合ってください。」


誰もが、不安に押しつぶされそうな中、唯一の希望として、再びビン底のことを思い起こすのであった。


時刻は午前2時、眠れるものは誰もおらず、それぞれが家族と身を寄せ合っている。


テレビは、依然として状況確認と沈黙を保ったままであり、不安で胃の中にあるものを戻しそうな感覚を体感している。

次の報を聞きたくない、誰もがそう思っていた。このどうしようもない状況で、しかし、自分はどうすればいいのかという答えの無い問いを永遠と考えざるを得ない状況である。


誰もが疲弊していて、しかし、気を張ることを止められない状況で、パッと、テレビの画面が移り変わる。


どこかの体育館のステージを映し出す。放送事故かと思われたが、よく画面を見てみると、なんとこの小学校の体育館ではないか。ステージの垂れ幕にある校章で分かる。


それから、ゴロゴロと何かを引く音が聞こえる。

ステージ袖から、ビン底が出てくる。後からホワイトボードが曳かれてくる。


ステージの中央であたりを見回す。誰かを探しているのだろう。

避難所には、妊婦の姿は無かった。

徐々にざわめきが鎮まっていく。何が起こるのか固唾をのんで見守る。


ただ前だけを今までにない肝の座った目で見ていたビン底はくるりと振り返って、ホワイ糸ボードを裏返す。


それが日本中、世界中へと配信されている。


そこには、体育館の後ろからは見えないが、ワンセグのテレビを見ると、樹形図や細かな言葉の式が描かれている。


「人≠人間」

「死→受け入れられない、恐怖、狂いそうな、どうなるか分からない」

「死→制限時間→尊さ、愛おしさ、幸せ」


など、よく分からない言葉が書いてある。

人々が、己の仮説を誰にも言い出せない。

「どういうこと?」とざわめきが起こる。

子ども達は、状況は分からないが、不安げな顔で誰もが両親に抱きしめられている。


時刻は午前3時を回ったところ。


「あー、えーえー、みなさん!」ピーンとマイクが鳴り、顔をしかめる。


色々と見まわして、言葉を探している。


全世界がそれを見守る。


「えーと、自己紹介しましょう。」ニコッと笑う。


誰もが顔を見合わせ困惑している様子なのを見て、大きな元気な声を上げる。


「はじめまして!私の名前は!山田博士です!ハカセと書いて、ハカセと呼びます!ニックネームはビン底です!趣味は、お散歩しながら、色んな景色を見て、考え事をすることで!最近、あった嬉しいことは!お散歩してたら、色んな人が応援してくれたことです!」


初めて聞くビン底の元気な声に、皆が思わず笑ってしまった。博士と言う名前だったんだ。


「近くにいる人と、手を繋いでください。誰でもいいです!」

「手を繋いだら、自己紹介をしてください!始まりは、初めましてです!」

「家族がいる人は、家族とやって、1人の人は、僕の所に集まって下さい!」


ぽつぽつと、初めまして、初めましてという声が聞こえその声は大きくなる。


「手を繋いだら、まだ繋がっていない島の人と、自己紹介をして繋がってください!テレビの前の皆さんもです!!」


避難所の中で大移動が始まる。

空を囲む雲のように、皆が繋がり合う。子どもたちも、大人たちも少し照れ臭そうで、でも楽しそうである。


「繋いだ手を離さないで、みなさん、目を瞑って今、自分がどんな感情なのかを感じて下さい。」


「その感情を呟いてみて、皆で共有しましょう。」


温かい、ちょっと不安、楽しいなどといった声がブツブツと聞こえる。


「目を開けて下さい。こうやって、誰かといるだけで不安だった心が和らぎます。僕は、ずっと歩き続けました。真理や、変わらないものを探し続けました。人を取り巻く感情と言うのは様々あり、一概にどれが人間として正しい感情なのか分かりませんでした。恐怖は否定されうるものなのだろうか、それもまた人の自然な感情だろう、特に、このような状況に際しては、恐怖に支配されるのが自然な摂理である僕の中で結論付けられていました。」


誰もがビン底の話しに聞き入る。


「しかし、この1か月間、歩き回って、みなさんと出会いました。時に突き飛ばされたり、すがられたり、奉られたりしました。」

「でも、そんな日々が僕に教えてくれたことがあります。」


「人の温かみもまた、自然的で、真理として存在するのだと言うことです。」


「僕が、一人の人であった時、目の前の現実は絶望をもたらす以外の何物でもありませんでした。」


「しかし、みなさんと出会い、触れ合い、人間になった時、絶望は切なさに変わり、切なさは愛おしさに変わりました。その時、僕は、人間に賭けようと思いました。」


「皆さんは今、人間になっています。最期の時まで、、、きっと、人間でいましょう。」


慈しみ深い笑顔を浮かべる。


「初めまして、ビン底です。35年間生きてきて、ようやく人間になることが出来ました。僕に色々なことを教えてくれた、みなさんと、この町の自然に感謝の気持ちで一杯です。今の感情は、、、、そうだなぁ、名前を付けづらいんですけど、とっても温かくて、切なくて、寂しくて、愛おしいです・・・・そんな気分です!」


目には沢山の涙が浮かんでいた。誰もが同じ気分だ。互いの手を強く握り、抱きしめ合う。


外では鳥たちが異常に騒ぎはじめる。


時刻は午前4時、何が起こるのか、テレビは、もう何も映してはいなかった。


人々は、互いに、今まで出会った人が涙を交えて、語り合ったり、思い出話をしたりしている。もう誰も、涙を我慢などしていなかった。大人も子どもも、子どものように泣きじゃくりながら感情を露わにする。しかし、全てが温かく人間らしさというものに包まれていた。


時刻は午前5時。外界にも目に見えて変化が表れ始める。ある星々の一に過ぎなかった点が、確実に大きくなり始めている。

終わりが静かに、着実に迫っている。

日もまた登り始め、あたりが徐々に明るくなってきている。


外に出て最後の日の出を拝もうとする者もあった。


明かりに照らされ始める海沿いの静かな町、いつもと違うのは、誰もウォーキングをしていないことだろう。


そんな町の一角で、新たな命の産声が上がる。


夫の手のみを借りて、やり遂げた表情の母親に抱きかかえられた赤子、元気な女の子だ。

「よくやったなぁ、よくやった・・・!!」夫は、涙を流しながら妻の手を握る。


妻は、息絶え絶えであるが、夫と自らの子の頭を撫で、愛おしそうに目を細める。


部屋は、赤子の泣き声と、シクシクという夫の泣き声で包まれる。


外は、飛行機が飛ぶような何かが空を切る音が聞こえている。

産湯が揺れ始める。


母親が、胸に抱いた赤子の頭をポンポン撫でながら言う。


「はじめまして、ママとパパですよ。あなたのお名前は、なんでちゅかー、

ヒカリ、ヒカリっていうんだよ、これからよろしくねー。」


ヒカリ、ヒカリ、ヒカリと子守唄を唄いながら、穏やかに揺れる。


ヒカリは、強く、強くその産声を上げ続ける。

その泣き声に木霊するように家がガタガタと震え出す。


抱きしめあい、相手の愛おしさを感じる。こんなに誰かを愛おしいと思ったのは初めてかもしれない。


「そうだ、3人で写真を撮らないか。」


手元にあった携帯電話を取り出す。


「ヒカリを、元気に生んでくれて本当にありがとう。今まで、本当にありがとう。」

そう言い、2人の家族を強く抱きしめる。


妻は、虚ろ虚ろと話し始める。

「これから、一緒に幸せな生活をします・・・3人でピクニックに行ったり、お散歩をしたり。わたしはヒカリにお洋服を作ってあげたいです・・・あなたは、何がしたいですか?」


「ぼ・・・ぼくは、ヒカリと一緒にキャッチボールとかしてみたいです。お母さんは、それを微笑ましそうに木の陰のシートから見守っています・・・ヒカリはきっと、お母さん似の美人になって・・・僕のように、活発な女の子になると思うので、男の子が沢山寄ってきます・・・」


「それで?」


「ぼくは、いつか、ヒカリの連れてくる男の子のことを殴り飛ばすんですが、、、最後は、きっとその男の子と、お酒を飲むと思います。」


「ヒカリちゃんの彼氏さんは、殴られちゃうんですねぇ、パパは気がはやいでしゅねぇ。」

そういってほほ笑む。


家が軋みだす。外は、地鳴りがしている。


「・・・きっと、幸せになろうな。」


「うん。」


「ずっと、傍にいるよ。」


「うん。」


静かに囁き、3人は肩を寄せ合う。


「ねぇ、あなた。」


「なに?」


「これからも、よろしくね?」ほほ笑んで首を傾げる彼女をたまらなく、たまらなく愛おしいと思い、強く抱きしめる。


地面が海のように波打つ。

瞬間、強い光が部屋中に反射する。声にならない声が漏れ、互いを求める手が強くなる。

熱さと痛みがごく一瞬、感じられる。互いの手を握る痛みだけを感じようとする。

すぐに何も分からなくなった。


天才だと自分でも思っていた。インスピレーションが凄い。次々とアイデアが浮かんで、思考を重ねる度に、研究が進み、しかし、あまりに思考が進みすぎて、科学的実証が間に合わなくなった。でも、いちいち、論文を書いて実証していたら、全然進まない。だから、とにかく、先を、先をと言った感じで考えていた。そんなことをしていて、まぁ、所属してる研究所も解雇される。ぼろっかすに叩かれて、発表しなくなり、ただ、黙々と自分の世界に没頭していった。


散歩をする中、一つの仮説に行きついた。人類が滅亡するシナリオ。果たして今の自分の発言を誰が信じるであろうか。Xデイはいつだろうか。


しかし、シナリオが、現実化してくる。いよいよ問題が表面化してきたときに、世界が気づき始める。


表面化した時には、手の打ちようがあるのだろうか。表面化してからでは手の打ちようは無い。

人類は、滅びるしかない。

僕は、そのことに気づいている。でも、それは、僕だけの秘密だ。


僕も希望的観測を持っていた。わずかながらに自分の予測が外れる可能性がある。僕はいくつかのシナリオを作る。


今から世界が動いてもどうしようもできない。ならば、その希望的観測に可能性をかける。

問題が表面化、一部の科学者が気づき始めるレベルまで問題が表面化してくると世界がパニックに陥るであろう。


その時に、自分の言っていたことが誰もが理解できるようになる。その時の希望になるのは自分であろう。


それまでは、道化になる。パニックを起こさせないための希望になる。


道化を務めて、予測が外れたなら良いではないか。世界のほら吹きと呼ばれようじゃないか。


僕の中でも考えなくちゃいけないことが1つある。死についてである。


どのように死にゆくか、人はどのようにしたら自分の死を受け入れるのかということである。


この考えを十分に示さなければ、世界は絶望と混沌の中終わりを迎えることになる。


それが自然で、生命の理なのかもしれない、真理なのかもしれない。強盗、強姦が横行し、多くの者が欲に走る。勿論すべてではないだろう。ある者は、優しさの中、家族と共に死にゆくかもしれない。では、それが出来ない者はどうすればいい?


犯罪に走ると言うことは、寄る辺が無いと言うことではないか。


それは、人間の根源は悪だと言う真理ではないのではないか、ただ、現在の環境においては、そのようなふるまいをする他ないということの表れなのではないか。


それならば、僕が最後に与えられた時間ですることは分かる。滅びはま逃れぬかもしれないが、絶望に至る環境を変える。少しだけ違った過程を通り滅びゆく。それが僕に出来ることなのではないか。


散歩の中で考えることは決まっただろう。


与えられた時間で、人が死を受け入れられる、いや、死というモノがそもそも受け入れられるものなのかどうかを考える、人がどのように振舞うべきなのか、どのように振舞うと、受け入れることは出来ないかもしれないが、温かい気持ちでいられるのか、恐怖は避けられないだろう、しかし、そこに何かがあれば死すら乗り越えられる、その瞬間を受けられるのではないか。いや、発狂してしまえる方が楽なのだろうか。


こればかりは答えは分からない。初めて答えの無い疑問に行きついた。何故答えが出ないのかと言うと、答えが出た頃にはみんな死んでしまっているからである。


これは困った。


これまでこの世に生を受けあらゆる方法で死んでいった人たちも、「このような死に方がいい!」などということは誰も教えてくれない。みんな死んでしまっているから。


これは、今までで最も難しい問いである。



散歩の途中、ある夫婦が話しかけてきた。以前、僕に声をかけてくれた女性だ。


名付け親になってほしいだってさ。まだ彼女も出来たことないのに、親になってしまうとは。


何と言う名前を付けるだろうか。


希望、光、愛、繋がり、命


光ってのはいいな。考えたら、僕がこうやって、色々な景色を見れたり、美しさに気づくことが出来るのは光があるからなんだよな。


その子があなたがたを導く光となりますように。


人の温かさとか、そんなものの「人間らしさ」、「温かさ」に希望の匂いを感じるな。


希望にすがる時、それは恐怖にすがる時よりも、皆が温かくて、素晴らしいと感じるだろう。


人類は、僕は、いよいよ最後までこの「温かさ」というものを実証できなかった。でも、今まで、そんなの人が作り出した美談に過ぎないと思っていたけど、僕の心は今、凄く温かくて、どうやらそれは自然的であるっぽいんだよな。


最後は、そいつに賭けてみるか。


その日、研究員は、ホワイトボードに全ての式を書いた


初めまして、ビン底です。35年間生きてきて、ようやく人間になることが出来ました。僕に色々なことを教えてくれた、みなさんと、この町の自然に感謝の気持ちで一杯です。今の感情は、、、、そうだなぁ、名前を付けづらいんですけど、とっても温かくて、切なくて、寂しくて、愛おしいです・・・・そんな気分です!

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