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 今までにした仕事や、面白いお友達の話。そういうものを聞きながら、僕はなぜかおじさんの部屋で長い時間を過ごしていた。


「おじさん、って呼ばれるのはイマイチだな」

 そうしたら突然、こう言われてしまった。そういえば僕はおじさんの名前を知らない。おじさんも、僕の名前を知らない。

「ええと、そういえば名前を聞いていませんでした」

 そう言って、名乗ろうと思ったんだけど。

「いや、そんなのはいいんだ。名前を知らない間柄っていうのもなかなかオツじゃないか?」


 オツってなんだろうと思ったし、随分不自然じゃないかなあって気持ちになった。だけどおじさんはニカッと笑うと、こんな提案をしてきた。


「俺のことは『師匠』と呼びなさい。俺は君を、『少年』と呼ぶ」

「なんの師匠ですか?」

「人生のだよ」


 なぜそうなる、というのが率直な感想だ。僕はおじさんから人生について特になにも教わっていないし。いや、なくはないか。子供にこう話しかけたら絶対怪しまれるよ、という見本は見せてもらった。


「年齢を超えた友情や師弟関係に憧れていた!」

「知りませんよそんなの」

「ふふ。少年のそういう生意気な反応も、俺の憧れていた師弟関係像に含まれている!」


 もう、返す言葉もない。

 だけど、呆れはしたんだけど、僕はおじさんを悪くは思えなかった。僕という敵を作って団結しているクラスメイトたちよりも、正直で人懐っこい笑顔を浮かべるおじさんと一緒にいる時間の方が、どこか安心できるって気がついてしまったから。


 そんなわけで僕は、それまでは友達と一緒に遊ぶために使っていた時間を、師匠の家にあてるようになっていた。もちろん師匠はいつでもヒマというわけではなくて、仕事をしていることもあった。

 そんな時は、師匠の本棚から色んな本を借りて読んだりしていた。マンガだったり、小説だったり。師匠が作ったっていう古いゲームで遊んだりもした。本棚を漁っていたら、時々すごくいやらしいものが出てきて焦ったりもした。

「すまんすまん。片付けておく」

 僕がちょっとじっとりとした目で見ていると、師匠は珍しく困った表情を浮かべてこう漏らした。

「これも、俺がシナリオを書いたんだ」

 この、いやらしさ以外を感じない箱のムニャムニャ、と考えている僕の顔はきっと、おかしなものだったんだろう。師匠はふっと笑うと、いつもはない陰のようなものをその横顔に落として呟いた。

「こういうのも大人には必要なんだよ。っていうのが、精一杯の言い訳だな」

 箱には肌色とピンクばかりが踊って、僕はまともに見ることすらできない。

 だけど師匠は自分の過去が詰まった箱をじっと見つめたまま、小さく呟いた。

「働かなければ金は得られない。これは、俺が悪魔に魂を売った、その結果だ」


 師匠は寂しげに笑うと、成人指定のエロゲーの箱を本棚の上にある段ボールの中にしまった。


 時にはそんなアクシデントもあったけれど、僕と師匠の仲は良好だった。

 僕の話を、師匠は真剣に聞いてくれる。好きなアニメがあるといえば、俺も見たぜと一緒になって盛り上がってくれた。とにかく、師匠は大人ぶって偉そうなことを言わない人だった。小学生の僕にレベルを合わせて、なんでも一緒に面白がったり、悔しがったり、怒ったりしてくれる人だった。


 友達とのいざこざも、全部話すことができた。

 家族にも先生にも話せなかった、深くて悲しい、埋まらない溝の話。

 ある日突然僕の口から零れ落ちた悲しみを、師匠はマジメな顔でじっと聞いてくれた。

 涙をぽろっと流した僕に、駅前でもらったポケットティッシュを差し出してくれた。

「そういう時期もある。必ず、そういう時期はやってくるんだ、誰の元にもな。むしろ、そういう経験をしないのは不幸だ。人を悲しませるだけの行為の愚かさを知らずに生きていかなきゃならないんだから」

 僕が鼻をかんで湿ったティッシュを、師匠が手を伸ばしてきて受け取る。それをゴミ箱に放り投げ、力強い笑顔を浮かべて、頷いた。

「お前は同じことをしてはダメなんだぞ。誰かを傷つけようと誘われても、一緒になってやってはダメだ。される人間の悲しみを、少年はもう知っているんだからな」

 はい、と言いたかった。けど、声が出なかった。

「だけどそれが一番、難しい」

 

 師匠の口が少し、開いたまま止まった。まだなにか言いたげな様子だったけど、それ以上の言葉はなくて、僕の肩を優しく叩いただけだった。

 夏休みの終わりのある日の夕暮れ時に交わした時間。

 いわゆる「師匠」らしいと思える会話はこれだけだったけど。


 名前も知らない三十歳のおじさんと僕は、多分、親友になれたんだと思う。




「なあ少年。俺、今、好きな人がいるんだよ」

 突然だった。秋が訪れて、今日は寒いからって師匠が奢ってくれた肉まんをかじっていた時だった。

「琴美さん?」

「くわーっ、バレてるか!」

 バレてるもなにも、僕にはそれ以外心当たりがなかったからそう言っただけなんだけど。

「そうなんだよ。彼女、恋人とかいるのかな。少年は知っているか?」

「知らないよ。僕だって二回しか会ったことないのに」

 一回は、例の図書館でだし。まともに会話をしたというレベルにすら達していない。

「友達のいとこって言ってたよな。俺、紹介してもらえないだろうか」


 無理かなあって思う。率直に言って。


「高橋君とはもう違うクラスだし、そんなに仲が良かったわけじゃないし」

「家に行ったんだろう?」

「社会の授業で班ごとに発表しないといけないから、高橋君の家に集っただけだもん」

「ううーっ!」

 本当に悔しそうに師匠が唸る。その様子に呆れたし、なんだかちょっと可愛いかもと思ってしまった。三十歳のおっさん相手なのに。

「あんなに美しい女性を俺は他に知らない」

「確かに琴美さんはキレイだけど、でも、どんな人かは知らないんでしょ?」

「なにを言うんだ。ピアノをたしなむ美人の音大生だぞ? 中身だってクリスタルのように美しいに決まってるじゃないか!」

 僕は吹き出して、ケラケラと笑った。師匠はそれに、ちょっと怒った。

「じゃあ少年は、琴美さんが稀代の悪女だとか、そんな風に思うのか?」

「キダイ?」

「歴史上類を見ないほどの悪い女、という意味だ」

「そんなわけないよ」

「だろう? あの外見で、美しく長い指をしていて、髪もサラサラで長くて染めてなくて、いつだってロングスカートをはいている彼女に、悪の要素なんかあるわけがない!」


 見た目のイメージだけでそこまで美化できるなんて。僕は、師匠をすごいと思った。


「清楚以外の特徴が俺には思いつかないのだが」

「僕もそう思うけど」

「けど、ではない。僕もそう思います! まったくその通りです! 琴美さんはこの世に降りた女神です! だろうがっ」

「あははは」

 また笑った僕の頭に、げんこつが落ちてきた。結構痛くて文句を言うと、師匠はぷりぷり怒って顔をふんっとそむけた。


 大人げない。

 というか、子供っぽい。


 今ならわかる。師匠はすごく純粋な人だったんだ。

 ちゃんと仕事もしているし、。エッチなゲームのシナリオを書ける大人だけど、本当は大きな子供だったんだと思う。

 だからこそ、僕は師匠に惹かれた。理解しあえる人なんだって、心の奥底で感じたんだと思う。


 それはとても素敵な、素晴らしいことだ。

 いつまでも少年の心を失わないなんていうと聞こえがいい。


 だけどそれは、すべての人が認める「良さ」ではないんだ。世間の価値観はもっと違う。厳しくて、ちょっとでも他と違うマイノリティを許さない。


 出会ってからそろそろ一年。

 小学六年生の、夏。事件は起きた。

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