巫女、愛に会う
『夢神ケレンシャティス』への『祈祷』は、『眠り』である。
無論、神像に黙祷を捧げるのが一般的ではあるが、『巫女』であるメレンが『声』を聞くための『祈祷』は『眠る』事で意味を成す。
なのでメレンが『眠りたい』といえば、それは歓迎される。
『巫女』が『神』に祈る神聖な儀式だと受け止められ、深く追及はされない。
例え、朝であろうと昼であろうと、一日中眠ることになっても怪しまれない。
それが今は有り難いとメレンは目を瞑る。
眠るのはあまり好きではない。病気で臥せっていた時を思い出すから。
もう次は目覚めないかもしれないと、眠る前に何度思ったことか。
でも今は眠りたい。
眠って逃げたい、『ケレンシャティスの世界』に。
逃げた先でケレンシャティスに助けてもらいたい。
(…わ、わたし…。『巫女』だよね?…ちゃんと、ケレンシャティス様に選ばれたんだよね?…だ、大丈夫、なんだよね…)
泣きそうになるのを堪えて深呼吸をし、体の力を抜いて『祈祷』に入るメレン。
ケレンシャティスはノンビリ屋で気まぐれなので、会えるかわからないし、会えたとしても『お告げ』をくれるとは限らない。
でも、それでも。
(ケレンシャティス様…、大丈夫って言って下さい…。私は、わたしは……)
メレンは逃げる。夢の中に。
(……ケレンシャティス様……、わたし、『神様』に……辞めろって…)
追いかけてくる悪夢から逃げるために、メレンを否定した『風の神』から逃げるために。
『神様』に否定されたのだから『巫女』を辞めるべきなのだろう。
だが、そうしたらメレンはどうなる?
家族の元に帰れるのか?
『教会』から頂いたお金は返さなければならないなら、かえって家族に迷惑がかかるかもしれない。
身体はどうなる?
契約して健康になったのだから、また病気の身体に戻るのだろうか。
それでどうなる?
余命僅かな身体で家族に疎まれる毎日が、またやってくるのか。
(……やだ…やだ……やだ…。ケレンシャティス様……やだ、助けて……)
メレンは『祈祷』を初めて自分の都合で行った。
自分のためだけに、ケレンシャティスと話そうとした。
だからだろうか。
その日の『祈祷』にケレンシャティスが現れる事はなかった。
◇◇◇
『風神フェデテローガ』の後継者であるエゼンスとの会合は、エゼンスの失態によりメレンが気絶してしまい、流れた。
どうやら彼は内臓が悪いらしく、たまに吐血してしまうらしい。
大人しくしていれば大事ないらしいが、豪快な性格ゆえに度々無茶をしては吐いているのだと後日教皇が話してくれた。
伝染る病ではないと言われてメレンは安堵したが、『神様』が病気になるのかと不思議にも思った。
「あの方の体はまだ『人間』です。『神の後継者』といえどケガも病気もするし寿命もあるのですよ」
「……そ、そうなんですか?」
「そうなのです。ですが、体が人間といっても中身は……魂は『神』に成りつつある方ですからね。ただの人間とは、やはり違います。まぁ、それはおいおい貴女にも理解できるでしょう」
理解するには『エゼンス』を知らねばならず、それには彼と会う必要がある。
あの強い瞳が怖いメレンは、会うくらいなら何も知らなくていい、分からなくて構わないと涙ぐんだ。
なのに、また会合が開かれると話が来てメレンは胃を痛くした。
自分を否定した相手と会うなんて、しかも『神様の後継者』なんて偉人となんて、仮病を使ってでも拒否したかったが地位が下のメレンでは従うしかない。
『風吹く原』にまた赴くのかと思っていたら、神殿の中に謁見場を設けたらしく、最奥の奥までメレンは連れて来られた。
前回同様、教皇と護衛の騎士に囲まれ、逃げられないメレンは謁見場に渋々ながら足を踏み入れる。
「お待たせ致しました」
まず教皇が口を開き、腰を折るのにメレンも倣う。
あの太陽のような瞳で射抜かれては溜まらないと急いで頭を下げたメレンは、しかし教皇に応えた声を聞き、首を傾げた。
「お気になさらず。私もつい先程着いたばかりですから」
『女性』の声だ。
エゼンスは男性でこんな柔らかく話すような方ではなかったと、メレンはつい許可も出ていないのに顔を上げてしまった。
中庭を望む開放感ある茶室には神殿聖騎士に護られた『神様』が座していた。
肌触りの良さそうなローブを纏っている、細い身体をした人だった。
光を受けて輝く腰までの金茶の髪がサラサラとなびくのを、膝に置いていた白い手でゆっくりと背中に流すのがとても上品で、座っているだけなのにまるで絵画のように美しい。
だが。
「……お、お面?…」
美しい姿の中央、顔があるはず場所には真っ白い『仮面』がついていた。
卵のようにつるんとした、凹凸のない平凡な仮面。
どうしてお面をしているの?
何かお祭りだったかな?
可笑しな状況に思わず声を出してしまったメレンを教皇が叱責する。
「メレンっ、失礼ですよっ!控えなさい!」
「っ!?、…すっ、すいませんっ!」
ハッとして再び頭を下げたメレンは『失敗してしまった』と顔を青くするが、『神様』は気にした風もなく、寧ろクスクス笑いながらメレンを許してくれた。
「『お面』は『お面』ですからね、構いませんよ。教皇も初めて会った時に『ノッペラお化け』と馬鹿にしてきましたから、それに比べたら…ねぇ?」
「キナ様っ!それは私が三歳の時の話でございましょうっ?」
『キナ』と呼ばれた『神様』の発言に、今度は教皇が顔色を悪くして慌て出す。
それを笑いながら宥める『キナ』は、どう見ても教皇より若い。
教皇が幼児の頃から付き合いがあるような話だったが、となれば見た目以上に年配と言うことなのだろうか。
それとも『神様』だから歳をとらないのだろうか。
そうして、年配者だからこそメレンの失言も笑って許せる度量があるのだろうか。
だが、許されたとしてもメレンがしたことに変わりは無い。
どうしよう。
頭を下げたまま、メレンはぐるぐると思案する。
「さあ、そちらのお嬢さんも頭を上げて?こんな奇妙な仮面を付けている私が悪いのだから、貴女が困る必要は無いのよ?教皇もそこのところは柔軟にね、大事にはしないように」
「かしこまりました」
泣きそうになったが『キナ』が擁護してくれたので、なんとかメレンは落ち着きを取り戻した。
おずおずと顔を上げたメレンを教皇も頷き1つで認めたので、メレンは一歩前に出てから改めてお辞儀を『キナ』に向ける。
教わった作法を間違えないように慎重になるメレンを労るように、『キナ』は立派に『巫女』として勉強しているのね、と誉めてくれた。
そして漸く自己紹介となり教皇がまず口を開く。
「メレン。こちらは現人神の一柱。現在、最も『神』に近い方です」
「初めまして『ケレンシャティスの巫女』メレン。私はキナ・エイウーラと申します。…『愛の女神ユリフィージャ』の後継者として生きている、一応は人間です。先日、案件が済んだので『教会』に帰還したばかりで、恐らく暫くはこちらに住む事になるでしょう」
だから顔を合わせる事もあるだろうから、どうか宜しくね?
…と言う『女神』は、メレンに苦手意識を植え込んだ『風の神』とは違いとても暖かく相対してくれたので、人見知りがあるメレンも彼女とは比較的安心して話す事が出来るのだった。
椅子を勧められ教皇と共に着席すると、『キナ』が手ずからお茶を煎れて二人に出そうとした。
それを見た藍色の髪の神殿聖騎士は、素早く茶器を『キナ』から遠ざける。
「キナ様、そのような事は私が…」
「いいのよ。私がやりたいのだから。さ、それを渡しなさい?シャービル」
「…御意」
神殿聖騎士のシャービルは一言も言い返さずに『キナ』に茶器を渡し、彼女の後ろに音もなく下がった。
「…ゆっくりお茶が飲めるって幸せね。贅沢な時間だと、本当に思うわ」
慣れた手つきでお茶を注ぎ、メレンの前にカップを出した『キナ』の手は白く、指先までつやつやとして美しかった。
その贅沢な時間を思うまま甘受できる身分に相応しい、白魚のような手。
なのに、台詞には重々しい"深み"があり、メレンは違和感を感じる。
(…王様よりも贅沢で、楽な暮らしをしているんじゃないの?…だって『神様』なんだから、なんでも出来て、自由、なんでしょう?)
仮面をつけている『キナ』の表情は伺い知れないが、苦しむような生活を『神様』がしている訳がないとメレンは思う。
けれどフッと。
苦々しい顔をした『エゼンス』の顔が過ぎる。
苦痛と恐怖を無理矢理押し込んだ、怒りのような顔。
彼は『神様』なのに幸せではないのだろうか。
ならばこの『女神』も不幸せなのだろうか。
メレンが不思議そうな顔をしていることに気づいた『キナ』は、気にしないでと言って茶菓子をメレンに出す。
「『巫女』の修行はどうかしら?大変?」
「…っ、そ、それは…あの、はい…。でも、だいぶ慣れました…」
「まだ子供なんだから、遊ぶ事も大事よ?教皇、ちゃんとしているのかしら?」
「もちろんです。節度ある"飴と鞭"が教育には必要ですからね」
「…正論だとは思うけど、どうにも"毒"に感じるのは私の気のせいかしら?」
何か酷い事をされたら私に言うのよ?、とメレンを気遣かってくれる『キナ』に、メレンはたまらず聞いても言いかと質問をしていた。
「質問?なにかしら?」
「…あ、あの……、私…。『巫女』を、辞めた方が、良いんでしょうか?…」
「……え?……」
訝しむ『キナ』と教皇に問い詰められ、メレンはエゼンスに言われた事を話してしまった。
告げ口のようになってしまったが、ケレンシャティスも応えてくれない今、『キナ』に縋るしかメレンには出来なかった。
話によれば『キナ』は『エゼンス』より偉いようである。
だったらより詳しくメレンの資質を見定めて、本当に『巫女』を辞めるべきかどうか助言をくれると思ったからだ。
メレンが途切れ途切れに説明すると、『キナ』は深く溜息をつき、『エゼンス』の言葉を否定してくれた。
「…ったくあの男は…。いい?メレン。私もエゼンスも神の後継者でしかないの。貴女が『風神の巫女』ならまだしも、『ケレンシャティス』が決めた事に口を挟む権利なんて無いのよ。だからエゼンスの言った事なんて気にしなくて良いわ。アイツは馬鹿野郎だから自分の考えを他人に押し付け過ぎなのよ」
「…ほっ…本当、ですか?」
「本当よ。『ケレンシャティス』がちゃんと貴女に説明してくれるのが一番信じられるでしょうけど、あの神、度が過ぎた怠け者だからねぇ…。ここのところ寝てばっかりみたいだし、だから会えなくて不安になったのね」
ヨシヨシと『キナ』はメレンの頭を撫でる。
「あの馬鹿野郎みたいに直球で言ってくる奴なんてそうはいないだろうけど、この先も『巫女』として生きるなら多少はこういうことがあると思うわ。嫌な目にあったり悪口を言われたり…。『巫女』のくせにとか、『巫女』なんだからとかね」
「………っ…は…はい…」
「でもねメレン。『巫女』は『神』だけが選べる存在なの。そして他の『神』もそれを認めたから、貴女は『巫女』になったの。それを疑っちゃダメよ」
「…」
「それとも、メレンは『巫女』をやりたくないのかしら?」
「……いえっ、それは、ないです。『巫女』になって、私、…沢山、嬉しいことが、出来ました…」
「なら、選ばれたことに誇りと自信を持ちなさい。喜びをくれた『ケレンシャティスの巫女』の名を傷つけないように、自分を磨きなさい。その時間と努力、それが自信となって、更に誇りは輝くわ」
優しく強く、柔らかく暖かくメレンに言い聞かせる『キナ』。
メレンが誠実に『ケレンシャティス』に仕える限り、彼の神がメレンを見放す事はないと断言した『女神』。
『愛の女神』らしく、とても慈悲深い語り方だった。
「私もメレンを認めるわ。貴女は『巫女』よ。『ケレンシャティス』の声を皆に届ける、大切な役目を持った女の子よ」
「ゆっくりでいいわ、『巫女』として頑張って。疲れたら、ちゃんと休まなきゃダメよ?」
花のような匂いをさせる『女神』は、別れた母親を思い出させて、その夜メレンは偲び泣いた。
泣き疲れて眠った夢世界。
久方振りに訪れた世界には、やはり『ケレンシャティス』は不在だった。
けれどメレンはもう不安でも寂しくもなかった。
「ケレンシャティス様…。聞いていらっしゃいますか?」
返事はない。
「今日…キナ様にお会いしました。優しい方ですね。……私、ずっと、怖くて、不安で……寂しかったんです」
「『巫女』になって、元気になっても、でも、一人ぼっちで…。『巫女』の役目が、大事で大切だって言われるたびに、怖くて…。私には出来ないって、逃げたくて」
「ケレンシャティス様のお話を皆に伝えるだけ、ですけど、それでも怖くて…」
「風の神様にも、辞めろって言われて。やっぱり私には無理なんじゃないかって」
「……でも、キナ様が…頑張れって言ってくれました。……私を、邪魔にはしなかった…。お母さん達も…私を邪魔に、し、してた、のに……」
返事はない。
「…わっ、わたしっ………」
「……ま、まだ、ここに、いてもいいですか…。誰に、なにを、言われても、ケレンシャティス様に…」
「ケレンシャティス様に言われるまでは、貴方の『巫女』でいていいですか?」
結局ケレンシャティスは現れてはくれなかったが、目覚めたメレンは清々しい朝を迎える事ができた。
決意して『巫女』になったはずだったが、自分自身ではっきり意思表示することによりより自覚が生まれたようで、それからは修行にも身が入った。
大人ばかりの『教会』は萎縮するばかりで周りを良く見ていなかったメレンは、自分を本心から労ってくれている侍女や騎士がいることにも気づき、彼らと少しずつだが打ち解けていった。
『キナ』や教皇だけではない、自分を見てくれている人がこんなにいたんだと悟ったメレンは自信がつき、クヨクヨと悩む癖を改善させていけた。
もともと聡く、人の機微にも敏感なメレンは人間関係を荒げるような事をせず、『キナ』に言われたとおり誇り高くあろうとする姿勢は『教会』からも評価されていく。
誰かに認められるたびに、自分の居場所がここにあるのだと実感していくメレン。
『教会』が家になり、そこで生きる人々が『家族』になっていく。
ケレンシャティスは相変わらず気まぐれで、『神託』を授けたり授けなかったり、全く会えなくなったりとメレンを振り回したが、一度として『巫女』を除名するような素振りは見せなかったのでメレンは安心して役目をこなしていった。
苦手な『風の神』とは式典等で会う度に無視されたり嫌みを言われて凹んだが、頻繁に会うことは無いので気にしないようにすることにした。
メレンは多少、図太くなったのだ。
結局、彼が何を思ってメレンを『教会』から追いだそうとしたのかは分からなかったが、あれ以来エゼンスもその話はしないのでメレンもあえて問い質そうとはしなかった。
極力会わないようにメレンが避けているせいかもしれないが。
『愛の女神』は滅多に会うことが出来なかったが、面会すれば歓迎してくれ労いもくれる、母親のような姉のような存在としてメレンは慕っていった。
教皇は厳しく諭し、神官は熱心に教えを伝え、侍女や騎士は優しく日々を支えてくれる。
それが当たり前になり、月日は過ぎる。
商家の娘が『子守唄』として生まれ変わり、そう在ることが日常と化した頃。
名付けられた日を誕生日とし、もうすぐ四度目の誕生日を迎えようとしたある日、夢世界に『ケレンシャティス』からの置き手紙が置いてあった。
手紙じゃなくて会ってくれればいいのに、と仕える神への愚痴を飲み込み内容を確認すれば、どうやら『契約』に関する人物がやってくるという旨だった。
「とうとう来た……」
……と、妙な感慨深さで目覚めたメレン。
その日の公務には、新しい騎士達の叙任式典があった。
ただでさえ狭い『教会騎士』の門、それをくぐり抜け、まずは見習いとして選別にかけられた者が叙任式典まで辿り着くのはなまなか事ではないという。
その中に、いるのだろう。
大聖堂に集まった神殿関係者。
厳かな雰囲気の中、入場してくる新人騎士達をメレンは上座から眺めていた。
『ケレンシャティス』の言う者が誰なのか。
それは直ぐに解った。
三十名に満たない新人騎士達の中で、頭一つ小さい、少年。
目立つ白金髪、整った目鼻立ち、ピクリとも動かない表情。
神殿に相応しい静謐さを携えた美しい少年。
なのにその瞳だけはギラギラと燃えているのをメレンは見て、
(……ああ、あの人だ…)
そう直感した。
名前を呼ばれ教皇に拝礼する少年。
あれが『契約』によりメレンが『手助け』する少年なんだと、メレンは瞬きを忘れて見入っていた。
教皇が少年に真新しい騎士剣を授け、祝福する。
「汝、今この時より神に仕え神に殉ずる戦う剣。その力は神の為、その意志は神の為、その魂は神の為、その命を尽くすことを誓え」
「我が全ては最愛なる"女神"の為に有ることを誓います」
「……汝、"騎士リロー"よ。神の剣たる矜持を持つ汝を、神は認めよう」
祝詞への返答は、通常『神』への忠誠を誓う。
それをリローは何故か、『女神』と断定して応えた。
それは許されない訳ではないが、少し奇妙で。そして真摯過ぎて。
メレンは知らず呼吸を止めてリローの宣誓に聞き入っていた。
(…あの人を、私、手助けするんだ…)
『ケレンシャティス』によればリローには"願望"があるという。
『夢神』に目をつけられるほどの強い強い"願い"。
漠然とした多数の『神』ではなく、『最愛の女神』に誓ったリロー。
夢を叶える為に立つリローはメレンにとても眩しく映った。
彼の夢は何だろう。
彼は何をしたいんだろう。
(頑張って、夢を叶えてください…。私も、お手伝いします)
この時のメレンは『巫女』として。
そう、『ケレンシャティスの巫女』としてしか、少年を見ていなかった。
…あれ?ケレンシャティス様が出てきてませんね?おかしいな…。