巫女、風と遭う
前作を読まなくても、何とかかんとか分かる内容だと思います。
子供は 夢の中で 『神様』 に 出会った。
夢と希望、願望と悲願成就の神『ケレンシャティス』。
彼の神の声を聞いたのは齢六つになったばかりの商家の末娘。
年の殆どを寝室で過ごす病弱な娘は、目覚めた朝にはすっかり健康になっており、翌日には『教会』に迎えられていた。
いきなり親元から離され、住み慣れた場所からも遠ざけられた娘は、けれど泣きもせず。
病がちだったせいで萎縮と遠慮を何より覚えたせいなのか、言葉少なく『教会』に従って、俯きながら迎えの馬車に乗ったという。
『教会』には娘だけが連れていかれた。
娘の両親はもとより、着ていた服も誕生日の祝いに贈られたリボンも、『名前』すら持ち込むことは許されず、娘は真っ白にされてから『神殿』に足を踏み入れた。
「ようこそおいでくださいました。『夢神の巫女』様」
そう言って頭を下げてくる大人達に囲まれ、娘は正式に『巫女』として就任する事となる。
『ケレンシャティスの巫女』。
『夢見の巫女』。
『予知夢の巫女』。
『子守唄』を意味する古い言葉『メレン』。その名前を拝命した娘は。
神殿で半年が過ぎた頃、『現人神』に面会する事となる。
◇◇◇
広大過ぎて果てが見えないような『神殿』の敷地には、何箇所か禁足地が存在した。
その一つである通称『風吹く原』は、中央神殿から西に行った方角にある草原である。
この草原を囲むように、まるで閉じ込めるように林や丘、川があり、さらには神殿騎士を常に配置し侵入を制限しているのには訳がある。
この草原には『神』が住んでいるからだという。
その『風吹く原』を三騎の騎馬騎士に護衛された立派な馬車が横切っていく。
馬車には『教会』最高位である教皇と、この度『ケレンシャティスの巫女』と成ったメレンが乗っていた。
ガタガタと揺れる馬車の中から緑の絨毯のような草原を眺めていたメレンは、向かいに座る教皇に視線を移してコクリと喉を鳴らした。
こんな場所に本当に『神様』がいるのだろうかと、とても不思議だったから。
それを聞いてみようと口を開いては閉じ、喉を鳴らし、また開いて漸く言葉を紡いだ。
「…っあ…、あ、の…」
それでも視線は自分の膝の上。
ついこの間までただの小娘だったメレンに、天上人である教皇を直視するのはまだ無理だ。
例え自分が今や『巫女』という『教会』高位に就いているのだとしても、無理だ。
メレンは俯いたまま話すしかできない。
「……あ、……あの…教皇様。…あの、こんな、……あの…」
「メレン。お話をしたい時は、相手を見て話すようにいたしましょうか?」
「あっ……は、はい…。すいません…」
メレンは意を決して教皇に話しかけたのだが、嗜められたことにより萎縮してしまい黙り込んでしまった。
決して教皇は意地悪や見下してメレンを諭したわけではないのだが、生来臆病なメレンは礼節を説かれただけでも酷くうろたえてしまうのだ。
メレンは病弱なせいで家族に迷惑をかけていると理解していた。
金銭的にも時間的にも肉体的にも、自分は厄介なお荷物なのだと早い段階から知っていた。
子供は大人が思うよりもよくよく周りを見ているもので、家族の何気ない所作や隣人のちょっとした噂等で自分の立場をメレンは知り、出来るだけ邪魔をしないようにと生きていた。
大人しく静かにしていれば容態も酷くはならず家族も安心する。そうなると暇を潰すには読書くらいしかないせいで知識量が増え、もともとの聡さもあり六歳にしては大人びた言動をとる娘に育っていた。
けれどそのお陰で、自分に自信の無い引っ込み思案な娘にもなってしまった。
「メレン、顔を上げなさい?貴女は『巫女』です。ケレンシャティス様の名前を預かる身なのですから、堂々としていなければいけませんよ」
「…っは、はい……。すいま、せん……」
更に人付き合いというものをしてこなかったメレンには対人恐怖症気味な部分がある。
同年代の子供には病弱なせいでバカにされ、少し上の年齢層からは足手まといと疎まれ、大人からは憐れみと侮蔑と諦めの視線を浴びせられて、他人と関わるのを恐れたせいだ。
教皇を始め『教会』関係者はメレンに理不尽な要求はしてこないが、とても良くしてもらっていると分かるのだが、怖い。
それでも『巫女』として教育されてきた半年の間に随分とましにはなったのだか、今のように出鼻をくじかれるともう何も言えなくなってしまう。
教皇は『巫女』として預かる事になったメレンのそんな背景を重々承知していたので、黙り込んでしまったメレンを刺激しないように先を促した。
「…"こんな"、と言いましたね。何を聞きたかったのですか?」
「あ、……あの、その…」
「遠慮せず聞きなさい。知らない事や不思議に思ったなら聞いて理解し、学ぶのが今の貴女の仕事です」
「…は、っはい…。あの、こんな草原に、神様がいらっしゃるんですか?……神殿に、いなくていいんですか?」
「おられます。正確には『次代の神』となりますが。あの方は神殿のような建物を好まれません。空と大地を感じやすいここを気にいっていらっしゃる。神殿は人間が集まる場所、必ずしも神がおわす場所ではないのです」
馬車の振動にも姿勢を崩さない老齢の教皇は、淡々とメレンの疑問に答えてくれた。
「……そ、そうなんですか?」
「そうなのです。神殿や神像を必要とするのは人間だけです。ケレンシャティス様も神殿にはおいでにならないのはメレンが一番良く知っているでしょう?」
言われてメレンは気づいた。
『巫女』となったメレンは頻繁にケレンシャティスと会うことが出来ているが、一般人には『神様』を感じる事が出来ない。
少し前のメレンも、家族と一緒に神様の像に祈りを捧げたりしていた。神様がいるかどうか実はよくわからなかったが、お祈りをしている内に神様はここにいるんだろうと思うようになった。つまり、普通の人が少しでも神様を感じられるように、神殿や像はあるのだろう。
メレンがそう話すと、教皇は深く頷いて肯定する。
「本来、神達は世界中何処にでもいらっしゃるのです。何時でも私達を見守っていてくださいます。けれど凡人である私達にはその姿を確認する事はできません。すこしでも神に近づきたい、触れたいと願った人間が願いを込めたのが神像であり神殿です」
「は、はい」
「その神が『人間』として存在しているとなれば、大変な騒ぎになるのです。わかりますか?メレン」
「……な、なんとなく、ですが…」
『巫女』となった日。
ケレンシャティスの『声』を聞いた日、メレンは心臓が止まってしまうかと思った。
あんなびっくりする事が沢山の人に起こったら、すごく大変だ。
世界中といわれても、生まれた小さな町と今いる神殿しか知らないメレンでは正確な混乱具合は計り知れないが、大変なのは分かる。
「なのであの方は人間が住んでいない、このような場所におられるのです。混乱を招きますからね。数年前までは放浪の旅をなさっていましたが、漸く私達の土地に腰を落ち着けていただけました。メレン、これからお会いする方の事は誰にも話してはいけませんよ?」
「…そう、教えられて約束しました。…約束は、守ります…」
余計な事をして誰かに迷惑をかけるのはメレンも望まない。
(…が、頑張らなきゃ…。ケレンシャティス様の言っていた人が、来るんだから……)
ケレンシャティスとの約束を果たす為にも、『巫女』を辞めさせられるなんて事のないようにしなければと決意も新たにメレンは拳を握りしめた。
(…?)
──────ッ………ッ……。
(…?あれ?…なんだろ…)
馬車の音とは違う、なんだか重い音がしたことに気付いてメレンは顔を上げた。
教皇も気付いたらしく、不審に思い外の御者に確認をとる。
「…どうしました?」
『教皇様。前方から騎馬が近づいてきます。数は1、いかがいたしましょう』
御者からの返答に教皇は眉根を寄せた。
『風吹く原』は『教会』の敷地である上に禁足地である。
自然動物以外で入れるのは神殿聖騎士しかいないので、騎馬上の者は神殿聖騎士だろう。敵ではないので迎撃する必要はない。
けれど彼らには『現人神』の警護という至上任務がある。
勝手にその任務から離れることはないはずだ。
先触れで教皇訪問は伝えてあるはずなのに、何故持ち場を離れてこちらに来るのか。
「馬車を停めなさい」
何事か、起きたのかもしれない。
教皇は馬車を停止させ、護衛の騎士が周りを固めていることを確認してからドアを開けた。
すぐに騎士隊長が側に寄り、教皇に件の騎馬を指し示す。
「教皇様。目視で確認をお願い致します。騎馬はあちらに…」
「……っ?、ま、まさかっ」
隊長が示した方に顔を向け、教皇は刮目する。
その様子を馬車の中から窺っていたメレンは、ふと耳慣れない『歌』を聞いた気がした。
── ♪ ──── ─ ─── ♪♪ ────
風が鳴るような、木々が揺れるような、囁くような『歌声』。
女のような男のような、楽器のように掠れ響く、歌詞のない『歌』。
鼻歌なのに、不思議と音楽であり、何重にも重なるような…。
「………なんだろう…?…すごく、キレイな歌…」
誘われるようにメレンはドアから反対側にある小窓を開け、ヒョッコリと顔を出してしまった。
「…っ巫女様っ!?」
馬車を囲んでいた騎士が慌てた声を上げた。
緊急時なのだから不用意な事はしないで欲しいあまり、少々荒げた声を騎士は出してしまった。
「っ!…ごっ、ゴメンっなさいっ!」
呼ばれたメレンは、大人しくしていなければいけなかったのだとこちらも慌て、急いで引っ込もうとする。
……その時、─ゴウッと風が吹いた。
吹いた、というよりは空気が落ちてきたかのようにメレンは感じた。
上から下に吹いた風によって窓の縁に首が引っ掛かり、危うくなりそうなのを両手で踏ん張り堪えたメレンは、止んだ風に安堵してきつく閉じていた瞳を開く。
眦に浮かんだ小さな涙がポロッと頬を伝い落ちる寸前、自分を見下ろす人影があることにメレンは気づいた。
「……っひ?…」
途切れた悲鳴のような声を出して、メレンは誰が近寄って来たのかと首を巡らす。
てっきりメレンの迂闊さに騎士が近付いて来たんだと思ったが、その人は騎乗していなかった。
なのに、馬車の窓から首を出すメレンが見上げなければいけない程の背丈で彼女を見下ろしている。
太陽を背負っている誰かは黒い影の中、爛々と光る瞳でメレンを射抜く。
なんて強い光を放つ瞳だろうか。
なんて力強い、美しい光なんだろうか。
まるで太陽のようではないか。
太陽に睨まれ灼かれるような熱を感じながら、メレンは顔を上げた姿のまま固まってしまった。
ポカンとしたメレンをどう思ったのか、太陽の瞳を少し細め、その人はがっかりしたような声を出した。
「…なんだよ、ガキじゃねえか…」
(…!?…)
落胆の声にメレンは心が酷く痛んだ。
それは病気で臥せる度に、家族が溜め息混じりにメレンの事を話していたのと同じような響きだったから。
『また病気に』『いつになったら元気に』『どうにかしないと』『なんであの子は』
自分の前では優しくしてくれた家族の本心を聞いた時。
メレンは初めて『消えたい』と思った。
それからメレンは出来るだけ家族の邪魔はしないように、息を潜めて生きてきた。
『巫女』になれば健康になれて、『教会』からも支度金が入るから家族も楽になると『ケレンシャティス』に言われて従ったのに。
悲しいけど我慢したのに。
『神殿』に来て、親切にされて、これで良かったんだと漸く納得してきたのに。
(…私…、また、迷惑を…)
"太陽"にまで邪魔にされたら、何処で生きていけばいいのだろうか。
夜の世界にしか、ケレンシャティスの世界にしか自分はいてはいけないのではないか。
ぐるぐると回る思考に涙がせり上がり、とうとう頬を流れた。
「…何故こちらにいらっしゃるのですかっ?私共がお伺い致しますと…」
「よぉ~、久しぶりだな教皇っ。お前ら遅いんだよ。待つのに飽きたからこっちから来ちゃったよ」
「護衛はどうしました?御一人で動かれては…」
「そんなの要らないって言ってんだろ~?邪魔なんだよ。あいつら遅いしな」
馬車を回り込んできた教皇が何やら話しているのが聞こえるが、メレンは内容まで理解出来なかった。
「では、馬から飛び降りたのは何故ですか?あのような曲芸まがいの事をしてまで『巫女』に会いたかったのですか?」
「会いたい…、っていうか、確かめたくてな。『巫女』なんていうからどんな美女かと楽しみで……。ま、実際はこんなチンチクリンだったわけだから、せっかくの空中大回転も無駄に終わったわけだ…。教皇、なんでもっと色気のある女を連れてこないんだよ?」
ただなんとなく、教皇様が敬語を使うような偉い人に自分は嫌われたんだろうということはわかった。
「『巫女』の選定は神の御技です。なんにせよ無茶はお止めください。御身体が…」
「あー、大丈夫だってっ。ほら、なんともないだろ俺?このくらいで倒れたり…」
大きな影が大丈夫と手を振り教皇を牽制しようとしたが、ふいに動きを止めた。
これ以上ここにいたくないメレンは馬車の中に戻ろうと動くが、間に合わず至近距離で、それを被った。
「ッ…っぐはっ!!」
被った、という量が降り注いだわけではない。
ほんの少し、1・2滴がメレンにかかったのだ。
『血』が。
苦悶の声で影が口から吐いた『血』が、メレンに降った。
「…ひっ……」
口を抑える影の大きな手から真っ赤な『血』が垂れるのをメレンは見た。
自分の頬をヌルリと滑る、生暖かい"モノ"がなんなのか、考えたくなくて、しかし無意識に拭おうと手を動かして。
ぶるぶる震える掌で拭ったモノを見て、硬直してしまった。
(……ちっ……血、を……血が、ついた……)
「ッゴホッ、ゴホッ!~っ、うあっ…やっちまった…。ぺっ!」
唾とともに吐き出された血が滲みのように地面にこびりつく。
自分にも拭き取れない『血』が付いたように錯覚したメレンは、恐怖した。
病弱だったメレンは、血を吐くという病気があるのを知っていた。
それは伝染する病気で、死んでしまう事もあるという知識もある。
少し前まで病気と隣合わせに生きていたメレンに、『血』とは『死』をもたらす象徴の1つだ。
それがかかった。
自分も、また、病気になってしまうのか。
また、……ベッドで過ごして、胸が痛くなって咳をして汗をかいて気持ち悪くて眠れなくて頭が痛くて、外に出たいのに我慢して少しだけと外出しては倒れて飽きれられて諦められて泣かれて閉じ込められて……。
身体の不調より、周囲の腫れ物を扱う態度に胸が痛くて泣いて。
どうして自分だけがこんなに弱いのだと、恥ずかしくて泣いて。
なんで誰も彼も、自分より健康なんだと理不尽さに泣いて。
自分に泣いて、怨んで泣いて、妬んで泣いて。
泣いてカラカラに乾いたメレンに染み込むように、赤い『血』が、『病』が……。
「……ヒィ……、ヒ…」
呼吸を間違えたように鳴る喉。叫びたいのに、吐きだしたいのに身体が言うことをきかない。
怖い怖い怖い。
やっと健康になったのに。
また、また、また、あの日々がやってくる。
ざわめく周囲の音が急激に遠退くのを感じながら、メレンは気を失った。
◇◇◇
部屋に焚いてある香の優しい残り香でメレンは目覚めた。
じわじわと身体の熱が手足に巡り、やっと瞼を上げると、この半年で慣れてきた『神殿』の自室であることがわかる。
(……あれ?……私…、寝ていたの?…)
カーテンの引かれた窓の外は薄暗い。
夜明け、ではなく夜更けの色だとメレンは感じ、なんでこんな時間に寝ているんだろうと不思議に思う。
何をしていたんだっけ?、と考えようとした時、天井を向いていたメレンの視界に『男』が入り込んできた。
いきなりの事に息が止まりそうになったメレンが大きく目を見開くと、『男』はニヤッと口角を上げ、ベッドの上から身体を引いていく。
誰なんだと首を巡らせると、ベッド脇の椅子に『男』は座り直してメレンを改めて見つめて来た。
『男』の強い眼力には見覚えが、ある。
強い、熱い、光る瞳。
太陽の瞳。
「目が覚めたな?悪かったな、目の前で吐血なんてしちまってよ」
「…………あ、……あなた、は……」
どうやらメレンはこの『男』の血に仰天して倒れたらしい。
あれから半日ほど意識不明だったのだと説明される。
「『巫女』の私室に勝手に入っているが、誰かの不手際とかじゃないからな?ちょっと言いたい事があったから不法侵入しただけだ」
「は……はい…?…」
『巫女』の私室の警備をくぐり抜け、それを白状しても悪びれず、罰を恐れもしない態度の『男』。
教皇すら下手に出ていた、この『男』は誰だろうと考えれば、答えは一つしか出なかった。
「……あ、の……、あなたは、神様、ですか?」
メレンが聞いた途端、『男』はグシャリと顔を歪めた。
苦い顔、苦汁の顔。痛い顔だとメレンは思う。
「……俺が言いたい事は、一つだけだ」
けれどメレンの問いには答えず『男』は冷たい声で告げる。
「いますぐ『巫女』なんて辞めろ。後悔したくなかったら『神』に関わるな」
病を捨てて人並みとなるため『巫女』となったメレンを否定する、勝手な事を言い放った『男』。
風と空、季節と芸術を司る神『フェデテローガ』。
その後継者たる『現人神』の男『エゼンス』。
「たとえ病気に逆戻りするんだとしても、それで死ねる方が幸せだ。『巫女』として死んだら地獄だぞ。……分かったな、ガキ?」
太陽のように燃える瞳を憎しみに満たして、エゼンスはもう一度メレンに残酷な台詞を叩きつけると、滑るように窓から姿を消した。
『神様』に否定されたと、蒼白になるメレンを残して。
読んで頂き有難うございます。