輝き / 玲二
昨日は一日中騒がしかった。
俺がどういう存在になったのかという確認は、一応全部済んだと思う。一族郎党、それからカラスやクロもやってきて、見て、覗いて、感じ取って、どうやら間違いないだろうという結論を出された。
俺としても、確実に変化があったと感じている。
すっきり身の丈通りの自分になった。自分の体型にぴったりフィットした服をようやく見つけたような気分で、言葉では説明できないけど、しっくり来たという感覚が心地いい。
一路はあれから、俺にあまり近寄らなくなってしまった。
ふてくされたような顔で、ちょっと離れた位置からじっとりと見つめてくるだけ。
いろいろあって、最終的に人間になっただけ。
こんな経緯があるから、責めるに責められないんだろう。
そこに至るまでの道筋について考えれば、あんな顔になるのも仕方ない。
ずっと同じ道を歩けなくなって、ごめん。
一路の顔を見るたび浮かんでくるこんな思いを勝手に感じ取ってしまうだろうから、八つ当たりもできなくなっているんじゃないかな。
兄弟間の問題については、時が過ぎるのを待つしかない。
父さんはそう言うし、俺もそうだと思う。
母さんは、やっぱり複雑な心境なのか、俺に対してはなにも言わない。
ただ、無事で良かったって。それだけだ。
俺の確認と同時に進められていたのが、この辺りの次のマスターを誰にするかという問題で、これについてもなぜか我が家が激しく巻き込まれている。
力は全部ノイエに吸い込まれてしまって、資格はあってもまだ赤ん坊というのは困る状況で。誰かが後見人みたいなものになって、それでなんとかできないかという案と、水の底に潜ってしまった遠屋にもう一度頼めないかでもめている。
人間相手に心に話しかけたらいけないとかで、ライは姿を変えて俺の隣で首を傾げている。
「なあ玲二、どっちがいいと思う?」
もう俺、関係ないと思うんだけどな。
「なんだよ、少し薄情じゃないか? ノイエがこうなったのは、玲二を助けたからなんだから。一緒に考えてほしい」
「マスター選びはみんなで勝手にやってたじゃないか」
「玲二の時とは少し違うんだ。ノイエは若すぎるし、前のマスターは少し弱ってしまったし、とても深いところに潜ってしまって」
じゃあもう、カラスあたりを後見人にしてノイエを立てたらいいと思う。
ライとよく似て気のいい鳥みたいだし。優しい子になるように育てたら問題ないだろう。
こう提案したら、ライが呼んだのかカラスが部屋の隅からぼんやり浮かび上がってきてしまった。
「それでは困る。いざという時大勢を導く必要があるのだから」
「じゃあカラスがそういう風に育てたらいいだろう?」
「鳥の勝手はわからない」
「そうだよ、こいつは俺たちにとって天敵なんだぞ」
心が全部筒抜けになってしまうのは、本当に困る。
できればそろそろこの世界から離れたいんだけど。
『れいじ、とおくにいっちゃうの?』
だいぶ大きくなってきたけれど、ノイエはまだ俺になついているようだ。
完全な解放なんてないんだろうな。
人間になっても、縁が切れるわけじゃあないんだ。
結局午前中いっぱいつき合わされて、時間がギリギリになってしまった。
父さんに急かされて鳥の部屋から出て、昼ご飯を急いで詰め込んでいく。
先に準備を済ませた両親はびしっと決めたスーツ姿で、俺も、父さんのネクタイを借りてぎゅっと締めた。
三人で歩くのって、なかなかない機会だと思う。
最後にこうして父さん、母さんと歩いたのは、高校の入学式の時だったかな。
母さんはあまり話さなくて、父さんはにこにこ笑いながら他愛のない話を振ってきて。
俺がそれに答えながら、細い路地を歩いていった。
だけど、たどり着いたいつきの家で、俺は少し呆れることになった。
父さんは、いつきちゃんのお家に挨拶しに行く約束をしたよと言った。
この間朝帰りさせちゃったお詫びをしに行くって。
それにしてはちょっと、服装が固すぎないかとは思っていたんだ。
俺だけ普段着って変だろうからちゃんと合わせたし、もしかしたら今日の用件、勝手に大げさに伝えているんじゃないかって考えたから。
たとえば、お嬢さんと交際させて頂いていますと伝えるための訪問だとか、そういう風に電話の時に言ったのかなと思っていたのに。
絶対言ってないよな、これ。いつきのご両親はちょっと引いてると思う。慌てて着替えてきたみたいだけど、普段着の範疇のものだし。いつきも含めて困惑しているのがわかる。三人そろって「なにが始まるの?」って顔で。
父さんはお構いなしにいつものペースで、立花ですって挨拶をし始めた。母さんの紹介をして、玲二がお世話になっていますって頭を下げて、それにいつきの両親がいえいえこちらこそ、なんて答えていって。
お互いに紹介を一通り済ませたところでお茶が出てきて、どうするつもりかと思ったら、父さんは本当にマイペースに、こんな風に話し始めた。
「いつきさんは本当に可愛らしくて、優しいお嬢さんですね」
初めて会った時に、少し話しただけで、大切に育てられてきたのがわかりました。
父さんの言葉に、いつきの両親は「いえいえ」なんて答えている。
「ずっと同級生ではあったようですが、高校に入ってから初めて同じクラスになった……んだよな、玲二」
「はい」
「それからお付き合いをさせて頂いています。もっと早くにご挨拶に来たら良かったんですが」
「いえいえ、そんな」
高校生同士の付き合いで、家と家の挨拶ってなかなかしないだろうと思う。
いつきの両親もそう考えてるんだろう。
「ご挨拶もまだだったのに、玲二がいつきさんと結婚したいと言い出しまして」
「え!」
「正式に婚約ができたらと思って今日はお邪魔させて頂きました」
いや、俺も「え!」だよ。いつきのお母さんと同じ。
いつきもびっくりしているし、お父さんの顔もひきつってる。
「いつき、そうなの?」
結婚はするつもりだった。いつきしかいないと思ったから、よく考えたら恥ずかしいことこの上ないけど、一昨日婚姻届けまで取りにいった。でもさすがに今日こんな流れになるとは思ってなかった。
戸惑っているいつきと目が合う。
だけど困っていた顔はみるみる落ち着きを取り戻して、きりりと引き締まっていった。
「そうです。お父さん、お母さん。私、玲二くんと結婚します」
「本気なの?」
いつきのお母さんの視線は、娘に向けられ、そして俺へと移った。
困ってる場合じゃない。いつきが心を決めて、そうですって宣言してくれたんだから。
俺もちゃんと、言わなくちゃ。
これまで何度も、強い愛の言葉をいつきと交わしてきた。
まだ子供の分際で、大げさだって思われているんじゃないかと不安だったけど。
でも、俺はいつきを信じている。
まだ十六歳だけど、本気で俺の人生を受け止めて、まるごと愛してくれる人だって。
「僕たちはまだ高校生で、お互いの人生に責任を取れる立場にはありません。働いていないし、両親に守ってもらって暮らしています。だけど、僕はいつきさんなしじゃ生きていけないってことだけはわかっています。二人で人生を歩んでいくためになら、どんなことでもします。なにを言っても今は、信じて頂くしかありませんが、絶対に裏切らないし、決して不幸にしないし、これからもう少しだけ学んで、仕事も見つけて、いつきさんにとって安全で、安心して暮らせる場所を用意すると誓います」
あの日、目が覚めた時にいつきがいてくれた。
俺を抱いて、包み込んで、受け入れてくれたのがわかった。
どれだけ多くをもらったかわからない。
あんなに多くを与えてくれる人なんて、ほかにはいない。
いつきのためにならどんなこともできる。
「玲二くん……」
いつきの目から大粒の涙が落ちて、テーブルの上ではじけた。
涙は落ちたけど、顔にはほほえみが浮かんでいる。
笑っていてくれることが、今の俺には最高にうれしい。
「でも、さすがにまだ早いんじゃないかしら?」
「はい、早いと思います」
いつきのお母さんがした当然の反応に、父さんはいつも通りの飄々とした口調で答えている。
「しかももっと図々しいお願いがあるんです」
「なんですか、お願いって」
いつきのお母さんは不安そうだ。そしてお父さんは口をぎゅっと結んだままで、微動だにしない。本当に迫力のある顔だから、根性なしなら三秒で帰りたくなるだろう。
「実は我が家にはもう一人息子がいるんです。玲二の双子の兄で、一路というんですが」
「何回か見かけたことはあります」
「はい。今は日本にいるんですが、身体的な問題を抱えていまして、四月になるまでは妻の故郷で暮らしていました」
「そうですよね。中学まではいなかったと思ってました」
「逆に玲二は妻の故郷では環境が合わなくて、私たちはやむを得ず兄弟を別々の場所で育ててきたんです。この問題はまだ解決していません。一路はまた妻の故郷へ帰ります。私たち夫婦も一緒に行きます。これまでは玲二を手元で育ててきましたが、次は一路に寄り添ってやらなければならないんです」
俺が高校を卒業したら移住すると、父さんははっきり言った。
本当なのかな。初耳なんだけど?
「双子の兄弟で、大事な家族です。が、玲二には玲二の人生がありますから。大人になろうかという年になるのに、いつまでも家族の事情につき合わせるわけにはいきません。大切に思える相手ができて、そのためにどんな努力もする覚悟も出来ている。ですから私たちは、玲二を日本に残していきます」
初耳すぎて、思わず両親の顔を見てしまった。
そうしたら、母さんの瞳には涙が浮かんで、ゆらゆらと揺れていた。
「今日決めようという話ではないんです。お願いしに来ただけですし、反対されても仕方ないと思っているんですよ。でも、受け入れて頂けたらと願っています」
俺の視線に気が付いて、父さんは一瞬だけこちらに目を向ける。
そしてにこっと笑うと、またいつきたちをまっすぐに見つめて、こんな爆弾を投げ込んだ。
「玲二を園田さんの家の一員に加えて頂けないでしょうか」
賢くて、正直で、努力家ですよ、なんて続けている。
自慢の息子なんです、って。
いつきさんが好きで好きで仕方ないんです、とも。
「婿入りさせてほしいという話ですか?」
「はい」
すごいな、父さん。むちゃくちゃだ。
今日どんな話をするつもりだったか、事前に教えておいてもよかったと思うよ、俺は。
いつきのお母さんはおろおろして、娘と夫を交互に見つめている。
いつきはひたすらまっすぐ、俺を見つめてくれている。
問題はお父さんだよな。
同じ父親でも、対照的だ。
今まであんまり気にしてこなかったけど、俺の父さんはちょっと自由すぎるんじゃないだろうか……。
園田家の客間には、少し重たい沈黙が満ちている。
父さんは重力に捕われない人みたいで、いつも通りの軽やかな表情だけど。
お付き合いの挨拶だけとか、婚約させたいって話だけならまだマシだっただろう。
だけど、二人を結婚させて、その際は婿入りさせてくださいねって。いきなりお家に突撃して提案するなんて、あり得ないと思う。
申し訳ない気分に沈んでいると、とうとう、山が動いた。
いつきのお父さんが口を開いた音が聞こえて、緊張が走る。
「なにもおっしゃられませんが、お母さまは同じ意見なんですか?」
問いかけられた母さんは、静かにゆっくり頷いて、こう答えた。
「もしそうなってくれたら、どれだけいいだろうと思っています。いつきさんは本当に素晴らしいお嬢さんで、玲二が心惹かれたのもよくわかります。いつきさんと一緒に生きていけたら、間違いなく幸せでしょうから」
「婿に出してかまわない?」
「ええ。時々顔を出すくらいはできますが、気軽に行き来はできなくなります。いつきさんを育てたご両親に迎え入れてもらえたら、心強いです」
ああ、そうか。本当にもう、あっちに引っ込むつもりなんだ。
母さんが人前に出られる時間にも限界があるし。
父さんも覚悟ができてるんだな。母さんとずっと一緒に、気兼ねなく暮らしたいんだろう。普通の人間の世界に紛れていたら、そうできないから。
俺をだしに使って、なんだよ。
二人の愛を貫きたいだけじゃないか……。
「いつき、本気だって考えていいんだな?」
父親の言葉に、いつきは大げさなくらいに頷いている。
「はい」
娘の真剣な顔になにか感じるものがあったのか、いつきのお父さんはびっくりするほど寛大な返事を聞かせてくれた。
「この子に異存がないのなら、私たちは構いません」
「本当ですか?」
「子供を置いて去らなきゃならないなんて、よほどの事情があるんでしょう。玲二君とはまだあまり話したことはありませんが、良い青年なのはわかっています。うちにはあと三人息子がいますし、一人くらい増えても問題ありません」
いつきのお父さんから手を差し出され、なんだか半信半疑のまま、そっと握った。
「これからの予定なんかは、また改めて話しましょう。故郷に帰られるといいますが、すぐにではないんでしょう?」
「ええ、ありがとうございます。突然こんな無茶を言って、驚かせてしまってすみませんでした」
本当だよ、父さん。
だけどなぜか全部認められる方向でまとまって、両家の顔合わせはお開きになった。
「いつきの家で話してたの、全部本気なの?」
家に帰ってネクタイを緩めて、ようやく俺も確認ができた。
「もともとそうするつもりだったんだ」
「どうするつもりだった?」
「玲二が人間になりたいって言い出した時に決めたんだ。もし本当にそんなことが可能なら、安心して向こうに行けるってね。一路とも暮らしたかったし。だけど玲二のことが心配だったから、誰か頼める人がいればいいって思ってたんだよ」
なるほど、ちょうどいい相手がいたって話なんだろうけど、お付き合いをって話でついでに繰り出していいような軽い話題じゃあないよな。
「俺が高校卒業したら行くの?」
「いいだろう、玲二。一人暮らしして、いつきちゃんと暮らす準備をしなさい。学費と生活費だけは用意するから。そのあとは自分でなんとかするんだよ」
「ちょっと軽すぎない?」
人生の一大事なのに。父さんがいつも通り過ぎてなんか、変な気分だ。
「玲二にはもういつきちゃんがいるんだから、平気だろう」
「それはまあ、そうなのかな」
「子供はいつかはみんな巣立つもの。玲二はそれが少し早いだけだ。一生会えなくなるわけじゃない。来てくれるのはいつでも構わないからね。ハール君に頼んで迎えに行ってもらうよ」
そうか。俺が行く分には、いいんだよな。
行けるかな。ハールは飛ぶのが速そうだ。どこかで落ちても気が付かずに飛んでいってしまいそうだけど。
「家族が一緒にいられなくなるのは少し寂しいけど、玲二は自分にとって一番いい未来がもう見つかったんだから。良かったな、あんなに可愛い子と出会って。だけど、まだ駄目だぞ」
「なにが?」
「子供だよ。できるような真似は、ちゃんと全部自活できるようになってからだ」
ちょっと、なにを言い出すんだよ、こんなしんみりした場面で……。
「こっそりバレないようにしたら大丈夫と考えたくなるのはわかるけど、いけないよ」
「もう、父さん」
「大丈夫、玲二がなにかしたら僕がわかる」
どこでふてくされていたのか、一路が不機嫌そうな顔で現れて俺の隣に座った。
そうなんだ。ちょっと考えただけで、またいつきか、っていちいちうるさく言ってくる。
「僕は双子のお兄さんだから。どんなに離れていても、玲二がわかるからね」
やめてほしいな。やめてくれない……よな?
「しょうがないから、たまに覗くくらいで許すよ」
「一路」
「もういい。いつきに取られたって思ってたけど、もうやめる。玲二が困ってたら僕は悲しい。幸せだって思っていた方がマシだ」
ハッキリ見えるようになって、そう思ったんだ。
一路は寂しげにそう呟いて、俺の肩をどんと押した。
「今度、なんとかサイってやつがあるって聞いた。面白いから参加しろって良太郎が言ってたんだ」
「文化祭か」
「やめようかと思ってたけど、卒業までは学校に行くよ。玲二と一緒の思い出を作る」
すごく怒ってたな、一路は。
俺が人間になりたいって思うだけで嫌なんだって。
「ごめんな、一路」
「いい。玲二は悪くない。たぶん最初っから全部決まってたんだよ」
これからもっと強くなっていく。一路はそう呟くと、冷蔵庫に向かって歩いて行った。
だけど気に入るお菓子はなかったのか、またふてくされた顔で戻って来た。
「なにか買いに行こうか?」
「どこに」
「コンビニだよ。秋の新商品がいっぱい出てるだろうから」
やらなきゃいけないことがいっぱいだ。
勉強して、受験して、大学に入ったら、仕事についても考えなきゃ。
だけどその前に、他愛のない日常も重ねていこう。
両親と話したり、兄弟で通学したり、買い物をしたり。遠い場所じゃなくても一緒に出掛けて歩いたらいい。
色とりどりのページをたくさん重ねたら、人生も自然と豊かになっていくだろう。
たくさんの思い出があれば、離れても寂しくない。
お互いを思いあえる家族がいる俺は、たぶんとても幸せなんだと思う。
「父さん、ちょっと行ってくる」
「じゃあ一路にお小遣いをあげようかな」
今日はちょっと衝撃的な一日だったけど。
でも、ちょうどいい。インパクトがあっていつまでも忘れないだろうから。
今日が俺の人生の、新しい始まりの日だ。




