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狼少年の憂鬱  作者: 澤群キョウ
It's A Hard Life.
82/85

ほほえみ / いつき

 ぷつん、と音を立ててインターホンがつながる。


「いつきです」

『いらっしゃい。今開けるわね』


 

 今日は大切な用事があるんだと話していた金曜日。

 しっかり片付いたら、土曜か日曜はデートにしようねって言っていて、これまでの経験上それはないかもしれないな、なんて思った私が悪かったのかもしれない。

 土曜日のお昼に連絡をくれたのは、玲二くんじゃなくてお父さんで。

 家に来てもらえないかなって、電話ではそれだけ。

 とても話しきれないから、直接会って説明したいって。


 このパターン、何回目かなって考えたんだ。

 玲二くんはいつも大変なことに巻き込まれていて、肝心な時に来られないの。

 けがをしたのは何回だったっけとか。うまくいかなすぎて落ち込んじゃったこともあったな、とか。


 なるべく楽観的な気持ちで来ようと思ってそんな逃避をしていたんだけど、事態は思ったよりも深刻だった。

 部屋に通されて見たのは、元通り、薄茶色の私の王子様の姿に戻った玲二くんで。

 玲二くんはじっと静かによこたわったままで、ちっとも動かなくって。


 一路くんはグスグスしていて、話はちっとも要領を得ない。

 お父さんとお母さんの推測と、それからハールさんと、来平先輩がやんややんや口を挟んでなんとなく、事情がわかったような気分でいる。



 玲二くんは念願通り、人間に生まれ変わった。

 だけどなにかがうまくいかなくて、眠りから覚めないでいる。


 みんな、私には伏せておきたいことがあるみたいで、ダメだよとか、言うなとか、そういう発言が多かった。特に、ハールさんとお母さんがかなり止めた。


 わけのわからない説明会に私は疲れてしまったし、玲二くんが心配でたまらなくて混乱してしまったんだけど。最後の最後にお父さんが私の手を強く握って、こんなお願いをした。


「玲二に会いに来てほしい。毎日、少しでもいいからここに来て、声をかけてほしいんだ」


 そんなの、お安い御用すぎる。

 私からお願いしたいくらいだもん。

 夜になって家に帰ってから、泣いてしまったけど。

 だって一路くんが泣いてるんだもん。

 僕のせいで、とか。玲二がかわいそうだとか。


 でも、泣いてる場合じゃないんだよね、絶対。

 色々考えると頭が爆発しそうになるから、詳細は今はおいておかなきゃいけない。


 次の日の日曜日は、一日中そばについていた。

 手を握ったり、頬に触れたり、髪をなでてみたり。

 誰かがかわるがわるやってきて、あんまり二人きりの時間は長くなかったけど。

 

 お母さんが来て、お父さんが来て。

 一路くんがやってきて、狼になっちゃった時は驚いた。

 それから、鳥が三羽、ぱたぱた来るんだよね。

 来平先輩と、その奥さん。それから、この間見た時は雛丸出しだったはずなのに、かなり大きく育っていたノイエ君。


『いつき、いつき』


 鳥に話しかけられる日が来るなんて、思ってもみなかった。


「なあに?」


 私が返事をすると、両親が揃ってぴいぴいと鳴く。


『おこられた』

「どうして?」

『にんげんに、はなしかけたらだめなの』


 また怒られるパターンだよね、それ。

 私が返事をしなかったらいいのかな?


 動物たちに和まされながら、玲二くんの隣にそっと座り続けた。

 夕方になるといつの間にか眠ってしまっていて、はっとして起きたけど、玲二くんは寝る前とまったく同じ。薄い茶色の髪はさらさらと流れて、私がどうしようも恋しく思っている瞳は開かず、見られないまま。


 月曜日。学校の授業は身が入らず。

 一路くんもずっと眠たそう。きっと徹夜で玲二くんに寄り添っているんだろう。


「園田ちゃん、玲二、どうかしたの?」


 昼休みになった瞬間、一路くんの姿は既になかった。

 葉山君は鋭いから、それでなにかが起きたってわかったんだと思う。


「ここではちょっと、話せないかな」

「じゃあ、部室に行こうか」


 二月にも慰めてもらった墨汁の香りのする部屋で、葉山君と向かいあって話した。

 玲二くんがどうやら人間になれたらしいけど、眠ったような状態のまま、起きないって。


「人間になれたの?」

「わからないよ。眠ったまんまだし、見た目は変わってないというか、戻ったんだけどね」

「戻ったって?」

「髪の色が戻ったの。一路くんの話だと、目も元通りなんだって」

「色でバージョン変わるんだな、あいつ」

「そうだね」


 葉山君の軽快な口調で、やっと心が少し救われたような気がした。


「人間じゃない人たちって、いっぱいいるの?」

「うん、玲二くんの家には結構たくさんいるんだ」

「その人たちにはわからないの? 目を覚ます方法」

「そうみたい。そもそも、人間になるってほとんどありえない話みたいで」

「そうなの」

「あと、なんでもできるすごい力を持った存在もいるんだけど、なぜか反応はないんだって」

「なによそれ。一路のこと?」

「ううん、一路くんではなくて……。話していいのかな、これ」


 でも、説明しようと思っても難しかった。

 金曜日の放課後だけで、一体なにが起きたのか、全部教えてはもらってないから。


「誰かの命を犠牲にしなきゃって言ってたからね。玲二くんがその……、誰かを手にかけるとか、そういうことを試したとは思えないの」

「その条件が本当なら、そうだな」

「今のままでいいよって言ったんだけど」


 だとしたら、アクシデントでそういう流れになっちゃったってことなのかな。

 話の見えない影の部分に、たくさん隠れている誰かがいるのかもしれない。

 知らない誰かについてなんて、想像できっこないんだよね。


「詳しく知りたいけど、聞いていいのかどうか」

「そうね。敢えて伏せてるなら、あんまりよくない話なのかもね」


 葉山君は笑顔だけど、いつもと違って少し影が落ちているように見える。

 私と似たような考えになっているのかもしれない。

 玲二くんとの付き合いが始まって一年半。

 不思議なこと、意味不明な現象はいろいろあって、今のは究極かもしれない。

 さんざん悩んで苦しんでいた「人間じゃない」状態から解放されたのに、今度は目を覚まさないんだもん。


「でもさあ園田ちゃん」


 葉山君は机をつんつんと指先でつついていたけれど、ぱっと顔をあげると私にこう言って笑った。


「これさえ乗り越えたら解決でしょ」


 これさえ乗り越えたら。

 そう、だって究極なんだもんね。

 玲二くんは一番高かった壁を、私の知らない間に乗り越えていた。

 

「やったじゃない」

「……そうだね」


 葉山君がこぶしを突き出してきて、私もグーにした右手をぶつけた。

 

 あと、超えなきゃいけない山はひとつだけ。

 閉じている目を開けるだけ。

 

 玲二くんはきっと、ものすごく頑張ったんだと思う。

 それで疲れちゃって、今は休んでいるんじゃないかな。



 放課後になっても一路くんの姿はない。

 一緒に帰ろうと思ってたんだけど、もしかして勝手に早退したのかもしれない。

 一路くんは電話なんか持ってないから、緊急の時に連絡できないんだよね。


 クラブはしばらくお休み。一路くんもたぶん、お休みするだろう。

 そう伝えて、電車に乗った。

 

 

「園田ちゃん、どうぞ」


 インターホンを押す前に勝手に扉が開いて、出てきたのはハールさんだった。


「玲二くんはどうですか」

「まだ駄目だ」


 わかってる。目が覚めたらきっとすぐに連絡してくれるだろうから。


 家の中は静かだった。

 お母さんも姿を見せない。だけど玄関にはかかとのつぶれたスニーカーが落ちていたから、一路くんはいるんじゃないかと思う。


「みんな留守なんですか?」

「ライは今はいない。いろいろ決めなきゃならないことがあって、リアとノイエを連れて行った」

「一路くん、お昼から見かけなかったんですけど」

「一路は寝てる」


 玲二くんに変化が起きてから今日で、四日目か。

 一番疲れが出る頃かもしれない。


「お母さんは?」

「一路についてるんだ。あいつは本当に泣き虫でな」


 私を玲二くんの部屋に通すと、ハールさんはどこかへ行ってしまった。

 かと思ったら、お茶を用意してくれたみたい。

 グラスには半端な量のお茶が入っていて、慣れていないのがよくわかる。



 玲二くんはきれいなまつ毛を下に向けたまま、今日も静かに眠っている。

 生きているのか不思議なほど、なんの音もしない。

 触れてみると暖かくて、それにほっとしながらやわらかい髪を撫でた。


「ハールさん」


 昨日は姿を見なかった。

 私にいろいろぶちまけてきたハールさんなら、ほかのみんなが隠していることを話してくれるかもしれない。


「玲二くんになにがあったか教えてください」


 お茶を置いたままの姿勢で、ハールさんの動きが止まる。


「みんなが話しただろう」

「玲二くんが人間になってしまったとしか話してくれませんけど、でも、きっとなにかあったんですよね。人間になる方法はすごく難しくて、自分にはできないって玲二くんは言ってたのに」

「園田ちゃん、玲二は誰かを傷つけるような真似はして……」


 ん? して?


「いや、あの、大丈夫だ。人間になったのは、玲二がちゃんとその、準備したからだ」

「そんなにとんでもないことがあったんですか?」

「ううん」


 一度、あの白い鳥さんとも話してみたい。

 じゃないと、鳥はみんななにもかも全部うっかり話してしまうものだって思ってしまいそう。


「玲二が人間になったのは、あの、あれだ。あの人でなしの娘の力だ」


 百井さんの力?


「消えてしまったんじゃなかったんですか」

「消えていたんだと思う。だが、ノイエに呼ばれて姿を現し、玲二に命を与えたんだ」

「金曜日はそのために出かけていったんですか?」

「う」


 違うんだ。


「それは言えない。すまないが俺の口からは言えない。園田ちゃん、わかってほしい。すべてについて、速音にも話せないんだ」

「じゃあ、どうして言えないのかだけ教えて下さい」

「それは」


 ハールさんは言い淀んだきり、黙ってしまった。

 会話を続けていれば全部話してしまいそうだから?

 

「もしも誰かと争うようなことがあって、玲二くんが傷ついたらイヤだって思ってました」

「争いは、あった。だから園田ちゃんには言いたくなかった。だけど、玲二はそれで命を失ったんじゃないんだ。一路と俺がまずヘマをして、そのせいで身動きができなくなった。玲二はとにかく、みんなを守りたかっただけで」


 やっぱり。予想は当たっていた。

 口を開けばなにも隠しておけなくなって、重要な事実をぽろぽろこぼしてしまう。


「玲二くん、死んじゃったんですか」


 ハールさんの「しまった」って顔に、見覚えがある。

 春休みに話した時、来平先輩もおんなじ顔をした。


「いいんです。今は生きてるんですよね」

「ああ。ああ、そうだ」


 どうしてそんなことになっちゃうの?

 お父さんにも聞かせないっていう選択は、間違ってない。

 私ももう泣きそうだもん。

 振り返って、ベッドの上で力なく広がっているてのひらをぎゅっと握った。

 温かいけど、握り返してくれない。

 このままなんてイヤだよ、玲二くん。


「本当に誰かの命をもらわないと、人間にはなれなかったんですか?」

「おそらくはそうだと思う。あの娘は、伝えた通りだと言った」

「その後は? 目を覚ます方法は?」


 ハールさんに背を向けたまま、返事を待った。

 肝心な部分は内緒なのかな。そうだよね、いつも、そうだもん。

 いろいろ教えてくれるけど、一番知りたい部分は伏せられていて。

 人間じゃない人たちはみんなそんな感じかもしれない。


「玲二くんはそうじゃないよね」


 声に出して伝えようと思ったのに、ふらふらに揺れた弱々しいものになってしまって、慌てて涙を拭った。


「園田ちゃん、すまない」

「いいんです。教えてくれて、ありがとうございました」


 申し訳なかったのか、いたたまれなくなったのか、わからなかったけど、ハールさんは部屋を出て行ってしまった。


 玲二くんの部屋はすごく静か。


「どうしたらいいのかな、玲二くん」


 頬に触れても、まだ動かない。


「百井さんになんて伝えられたの?」


 私が聞いたのは、「心配しないでほしい」くらいなんだよね。

 あれがどういう意味だったのか、いまだにわからない。


 だけど、心が折れてしまいそう。

 命を落としたって、どうしてそんなことになっちゃったの?

 危険だってわかっていて行ったの? それとも、知らないうちに巻き込まれちゃったの?


 私が守ってあげられたら良かったのに。

 玲二くんは一生懸命だけど、いつも一人で戦っているから。

 一緒に立ち向かってあげたかった。

 隣にいて、危険な時にはかばってあげられたら良かったのに。

 そうできなかったとしても、せめてそばに、いてあげられたら……。


 手をぎゅっと握ったままぼーっとしていると、部屋の中がすっかり暗くなっていた。

 明かりをつけたら眩しいかなって思うけど、真っ暗じゃあちょっと変だよね。


 もう六時半か。

 お母さんに連絡してない。そろそろ、帰らなきゃいけない。

 立ち上がって部屋の入口に向かおうとしていたけど、くるりと振り返って、薄暗い部屋で眠る王子様の顔を覗き込んだ。


「玲二くん」


 呼びかけても、まだ返事はない。

 そのまま近づいて、唇に何回も触れてみたけど、やっぱり起きなかった。


「こうじゃないの?」


 きれいな顔だな、改めて。

 このままじゃ栄養が足りなくなっちゃうんじゃないかな。

 入院とか、そういうのって、やっぱりNGなのかな……。


 ベッドの横に座り込んで髪を撫でていると、ドアが開く音が聞こえた。


「ごめんなさい、すっかり眠りこんでしまって」


 お母さんの声と同時に、部屋に明かりがついた。

 お母さんは私の隣に座って、優しく肩を抱いてきて。


「一路くんは大丈夫ですか?」

「大丈夫よ。ありがとう、一路のことまで気にかけてくれて」


 目をこすりながら一路くんも入ってきて、私を家まで送ると話した。

 制服のまま寝ちゃったのかな。しわくちゃになってる。


 一路くんの目の下には隈ができていて、あくびも次から次へと出てきて、お疲れなのがよくわかった。


「一路くん、クラブしばらく休むって伝えてあるからね」

「うん」


 会話はこれくらいしかなかった。

 別れ際に、また明日も行くからねって。それだけ。


 一晩中ついてあげたいけど、さすがにできないよね。

 普通の人だったら病院にいるはずだもん。

 意識不明のまま家で療養している理由を、私は説明できない。

 そもそも男の子の部屋に一晩中なんて、許されるわけもないし。


 ご飯を食べても、お風呂に入っても、頭の中は玲二くんでいっぱい。

 部屋に戻った後はっと思い出して、来平先輩の羽根を引っ張り出してみたけど、絶好調の時の輝きはなくて、なんだかくったりしていた。


 これがまたキラキラになれば、玲二くんの目が覚めたりしないのかな。

 明日行った時に先輩がいたら、聞いてみよう。


 外から聞こえる虫の音が、少しずつ秋のものに変わっている。

 涼しげだけど、少し寂しい響きで、心細くなってしまう。


 どうしたらいいのかな。

 伝えた通り。

 誰にどう伝えたんだろう。

 玲二くんにしか、伝えなかったのかな?


 ねえ百井さん。せっかく命をわけてくれたのに、その後がわからないよ。

 どこかで会って話せたらいいのに。

 今なら少しくらいは楽しく話せるかな。

 あなたもきっと、玲二くんのあの瞳に惹かれたんだよね。

 わかる。私も同じ。あんなにきれいな目をした人なんて、滅多に、ううん、絶対にいないもん。



 

 次の日、一路くんはお休みだった。

 葉山君は「しょうがないね」で済ませてくれるけど、本城君はうるさい。


「二号も休んでるみたいだけど、どうしたの、いつきちゃん」

「ちょっと具合が悪いだけ」

「ねえ、パーティに来てよ。お見舞いよりも楽しいと思うんだ」


 そっか。今週だったっけ?

 まともに顔も見ない私に、本条君は腕組みをして首をかしげて、ため息を吐き出して。

 

「どうしてそんなに立花がいいの?」


 本城君の問いかけに、思わず笑ってしまった。

 玲二くんって本当に肝心な時にいないから。普通なら不満に思うところだよね。

 見た目がいいだけじゃないかって思われるのも仕方がないのかもしれない。


 だけど、もちろんその辺の人たちには内緒だし。

 そもそも、私にも説明はできない。


 私がこんなに惹かれるのに、理由なんてない。どれだけいいところを挙げていっても、充分じゃない。


 雷が落ちたみたいだったから

 玲二くんを初めて見た時に、心が吸い寄せられたみたいだった。

 あれから、もう、目が離せなくなってしまった。


 運命みたいなものって、本当にあるんだと思う。


「どうしても玲二くんがいいの」


 心の中の全部を見せるつもりで、かなり強い口調で答えると、本城君はふっと笑って去っていってしまった。

 

 これでいい。

 私の時間は全部玲二くんのために使わなきゃ、きっといつまでも眠りこけちゃうだろうから。


 来月には学園祭があって、今日の六時間目はその話し合いがある。

 そういうのはもうみんなに任せちゃおう。

 放課後になったら一目散に駅まで走って、玲二くんの家まで一直線。


 授業も話し合いも全部頭に入ってないけど、お構いなしに走った。

 玲二くんの家のドアはやっぱり、インターホンを押さなくても開くみたい。

 今日出てきたのは一路くんで、だらっとしたスウェット姿。髪がぼさぼさになっている。


「いつき、いらっしゃい」

「一路くん、今日来平先輩はいる?」

「ライ? うん、いるよ」


 まずは玲二くんの様子を見て、まだ静かに目を閉じているのを確認してから、来平先輩のお部屋に向かった。

 うん、鳥の部屋だ。

 白い小鳥と、ノイエ君と、それから大きな黒い鳥が並んで寛いでいる。来平先輩だけ人の姿だけど、なんというか、正体を知ったからかもしれないけど、鳥っぽく見える。


「こんにちは」


 ちょこんと頭を下げてくれる様子はとにかく可愛い。

 その辺を飛んでたり、動物園の中にも案外意思の疎通ができる子が混じっているのかもしれないなんて考えてしまう。


「来平先輩」

「なんだろう園田ちゃん」

「前にもらったきれいな羽根、もうくたくたになっちゃったんです。あれってもう、復活しないんですか?」

「ん? うーん、そうか。それはその、どうだろうな。俺はあげるだけで、そのあとどうなるのかはそういえばなにも知らなかった」


 一瞬呆れそうになったけど、そういうものなら仕方がないかな。

 ありがとうございますとお礼を言って、すぐに玲二くんのもとへと戻る。


 ベッドには一路くんが腰かけていて、おんなじ顔の弟が眠る姿を眺めていた。


「一路くん」

「なにかわかった?」

「ううん、あてがはずれちゃったみたい」


 幸せを運ぶ羽根、玲二くんにもくれたらいいのに。


「玲二くん、怪我はしてないの?」

「してないよ」

「そう」


 じゃあどうして目が覚めないのかな?

 すんなりとうまくいかない理由は一体、なんなんだろう。


「百井さんは、一路くんになんて伝えたの?」

「誰かの犠牲が必要だってだけだよ」

「玲二くんには、なにも伝えてない?」

「……どうかな。玲二は見えないから、僕にはわからなかった」


 見えなかったっていうけど、今はどうなんだろう。

 私はそう考えただけなのに、一路くんは首を振っている。

 

「今は見えない感じはないんだけど、なにもないんだ」


 なにもないなんて。

 なにもなくないよね、玲二くん。ちゃんとここにいるんだよね?


「日記つけたりとかはしてなかった?」

「ニッキってなに?」

「毎日なにが起きて、どう思ったとかをノートに書いておくの」

「そういうのは見てないけど、変な本はあった」


 一路くんは立ち上がると、机の上に置かれた古めかしい本を取って私に見せてくれた。


「これってあの時の?」


 百井さんのくれた札がパーンと弾けて、字が消えたアレだよね。

 相変わらず真っ白で、意味がわからない。


「それは玲二にしか見えなかった」

「なにか書いてあったの?」

「玲二はそう言ってた。むかしばなしってやつが書いてあるんだって」


 森に住む狼は人間の娘に恋をしました。

 一人と一匹は寄り添いあって暮らしました。

 いつしか狼は人間に変わって、いつまでも幸せに暮らしました。


 一路くんは時々目を閉じて思い出しながら、昔ばなしの内容を教えてくれた。


「この狼はお父さんの先祖じゃないかって玲二は考えたんだ」

「これがもしかして、百井さんの伝えた話なの?」


 だって、あの木の札がきっかけで現れたんだよね。

 この本を持ってきたのは蔵元先輩だって言ってたっけ。


「この本って全部白紙だけど、どういうものかは玲二くん、言ってた?」

「それは、人じゃないやつらが用意したものだって」


 じゃあ、可能性は高いんじゃないかな。

 

「その話って本当にそれだけ?」

「それしか言ってなかった。玲二も、それだけしか書いてないって戸惑ってるみたいだったから」


 


 玲二くんは結局目を覚まさなくて、夜になって私は自分の部屋で一人。

 目を閉じるとさらさらの髪の感触がてのひらに蘇ってきて、たまらなく切なかった。


 狼の玲二くんと、人間の私。

 寄り添っていればいいの?

 寄り添ってるよ。

 それだけじゃダメなの?


 ごろごろしているうちにいつの間にか眠りに落ちて、私は夢を見ていた。


 さらさらと川が流れていて、

 まっすぐに伸びた細長い木がたくさん生えていて、

 木々の陰の隙間から狼が覗いている。

 賢そうな狼は私を怯えたような目で見ている。

 こっちへおいでって何度言っても、来てくれない。


 瞳に浮かんでいるあまりにも寂しい色に心が苦しくなって、それで目が覚めた。

 夢だったのに、眠っていたのに、私は泣いていたみたいで、頬がびしょびしょになっている。


 つけっぱなしの電気が眩しい。

 涙で霞んだ視界の先に浮かんだ時計は、午前一時三十二分をさしている。


 いけないと思いつつ、家を出た。

 家の鍵だけポケットに入れて、玲二くんの家まで走る。

 誰もいない道路は暗くて、寂しくて、怖くて、ひたすらに走った。


 十分もしないうちにたどり着くと、玄関の扉の前に誰かが座っているのがわかった。


「一路くん」


 あの時と同じ。玲二くんがいなくなってしまった時と同じ。

 もう少し時間は早かったけど、いてもたってもいられなくてやって来たのも同じ。

 違うのは、役割が入れ替わっていることかな。

 一路くんは不安を抱えて寂しそうで、私は玲二くんを助けに駆け付けたところ。


「いつき、どうしたのこんな時間に」

「玲二くんが寂しがってる気がして」


 門を開けてもらったのはいいけど、一路くんは困っているみたいだった。

 こんな深夜に私を家に入れていいのか、迷ってるんだろう。


「一路くん、全部話してほしいの。私が知らない方がいいと思っていることも、全部教えて」

「どうしたの、いつき」

「玲二くんの全部を受け止めたい。どんな話でも受け入れるから。私が待ってるって、玲二くんに教えてあげたいの」

「だけど」

「教えてくれるまで帰らない」


 あんなにうっかり喋る鳥たちですら隠そうとするんだから、本当にとんでもない出来事があったんだと思う。

 それでもやっぱり、私は知らなきゃいけない。


「すごく辛いよ」

 

 わかってる。だけど気が付いてしまった。

 こんな自分じゃダメなんじゃないかって、自信を失っているんだよね、玲二くん。


「辛くてもいいの」


 私が求めているのは、楽しいとか、優しいとか、幸せなものばかりじゃない。

 苦しみも悲しみも、不幸な思い出すらも合わせて、すべてを理解するために来た。


「一路くん、お願い」


 薄い茶色の奥に、銀色の光がある。

 玲二くんとは違う色なのは、一路くんに流れている血の影響なのかな。


 私は、一路くんにもわかってほしい。

 あなたと同じくらい、私も玲二くんを大切に思っているって。


 終わりかけた夏の真夜中。今日は月が出ていなくて、風もなくて、とても静かで。


 昼間と同じスウェット姿のままでしばらく悩んで、一路くんも心を決めたようだった。

 

「わかったよ」


 深夜の誰もいないリビングに通してもらって、話を聞いた。


 

 生まれた時からトラブル続きだったこと。

 周りから切り離されて、孤独に育ったこと。

 突然秘密を告げられたこと。

 誰かと愛し合ってはいけないと禁止されたこと。

 力が安定しないせいで、周囲から疎まれたこと。


 生まれた時に予言を受けていたこと。

 そして、予言通りに死んでしまったこと……。


 金曜日に起きた事件についても、全部聞いた。


 誰にも危害が及ばないように、自分の命を投げだしたことまで、全部。

 苦しかったけど、必死で涙をこらえた。

 私なんかより、玲二くんの方がずっと苦しかったはずだから。


「これが、全部だよ。玲二の全部」

「ありがとう、一路くん」



 話が終わった後に玲二くんの部屋に行くと、夜が明けて、カーテンの隙間から細く光が入り込んでいた。

 薄い茶色の髪が光を受けてキラキラ輝いていて、とてもきれい。私がずっと憧れていた世界で一番きれいな色に、頬の筋力が緩んでいく。


「玲二くん」


 白い肌が素敵なんだ。

 鼻もすうっと高くて、本当にきれいな瞳をしてる。


「全部知ってるよ、玲二くんのこと」


 上半身を起こして、ぎゅうっと抱きしめた。


「なにも変わってないよ。私、玲二くんの全部を知っても、なにも変わらない」


 足も長くて、背が高くてすごく目立つんだよね。

 だけどとても恥ずかしがりやで、真面目で、正義感が強い。


「安心して。どんな玲二くんでも大丈夫だから」


 頭、おでこ、ほっぺ。

 上から順番にゆっくり撫でて、最後に手を握って、耳元に唇を寄せた。


「もう朝だよ、起きて」


 不安はない。

 不満もない。

 ただ、一緒にいたい。


 まだ部屋の隅に残っている夜のかけらを、窓から入る光が追い払っていく。


「玲二くん、大好き」


 ダメ押しでこうささやくと、とうとうその時が来た。


 まつげが震えて、つないだ手を長い指が掴んで、それから、まぶたがゆっくりと開いて。



 私と目が合った瞬間、玲二くんは本当に優しい顔をして、にっこりと微笑んだ。


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