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狼少年の憂鬱  作者: 澤群キョウ
It's A Hard Life.
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悪手 / 玲二

 遠屋の言葉の意味はすぐにわかった。

 俺も、いつかはそうしなければならないって思っていたから。

 命を落とした時に分けてもらった、一路のかけら。

 だけど返すのは、別れを突き付けるように思えて、出来なかった。


「早くしなければ間に合わなくなる。彼はとても強い体を持っているが、心はどうかな。手も足も出なくて、ずいぶん自分に失望していたよ」


 心が負ければ終わりだ。

 それは俺も、よく知っている。

 一路は今までずっと群れの中で生きてきたから、あの中では珍しい生まれたばかりの命であり、将来を期待される身だったから、大事にされてきたんだと思う。

 だからわがままだったし、短気だった。

 それがそのまま弱点になると、この龍は見抜いていた?


「争いはダメだとあれだけ言っておきながら、ひどいことをするんだな」


 龍は笑いをこらえているようだ。肩を震わせ、下を向いたまま小さく声を漏らしている。


「私が求めているものはただ一つ。取り戻すために、こんなにも長い年月がかかるとは思わなかった」

「俺を殺そうとしたのも、お前の差し金だったのか」

「いや」


 ニヤついたまま、遠屋が近づいてくる。


「あれは真夜がやった」


 ゆっくり足音を立てて進んで、青い光を浴びて輝きながら、俺たちの前に立った。

 後ろからはピヨピヨ鳴き声が聞こえて、更に奥ではライとハールがいる。

 俺は一路を抱えたまま動けない。ライがノイエとハール、両方を助けられるかどうかはわからない。いや、無理だと思う。

 ここで動けないまま遠屋の要求を呑むのか、それとも戦って追い払うのか。

 

「兄弟に、命を返せ」


 早くしなければ間に合わなくなる? 本当にそうなのか。

 でも、一路の体は冷たい。触れた場所が温かったのはハールが覆い被さっていたから。冷たい水で満たされたここで、さっきまでの熱はあっという間に散らされてしまっている。


「わかった」


 一路もこうやって俺を助けてくれたんだろう。

 だったら俺も、一路を助けなきゃならない。

 右のてのひらを力いっぱい開くと、しまい込んでいた銀色の光が飛び出してきて、一路の胸に勝手に吸い込まれていった。


 だけど、見た目にはなんの変化もない。


「だましたのか?」

「弱っているのだよ。戻されたところで、一気に回復するわけではない」


 戦いは得意だ、僕は強いって言ってたのに。

 俺と同じ、所詮は十六歳。人生のド素人でしかないんだな、立花家の兄弟は。


「では次だ」


 そう、一路は変わらなかったけど、自分に起きた変化にはもう気が付いていた。

 体の底から湧き上がってくる。力というか、気力というか、とにかく無尽蔵に湧き出して、体中を巡っているのがわかった。

 なにも怖くないし、誰にも負ける気はしない。

 今すぐ、目の前の憎たらしい龍を吹き飛ばし、ぼろぼろにすることもできる気がした。したけれど。


「君は私に手を出してはならない。わかるね?」


 遠屋の口調からは余裕を感じる。


「君は並ぶ者がない強さを抱えているのに、笑えるくらい弱点が多い」


 今、ここに、遠屋はいるのに。

 俺の弱点。確かに、あちこちに散らばっている。


 いつきのところに移動できないかな? やってみればできるかもしれない。

 だけど一路を置いてはいけない。ライと、ハールと、ノイエ、鳥たちも置き去りにはできない。遠屋を支持する者は少なくない。さっきのイワみたいに攻撃を仕掛けてこられたら、目の前の一体なら対処できても、遠いところでうごめく魔の手がいくつもあったら? うまくやれるのか?

 一か八かでやるには、失敗した時の代償が大きすぎる。


「力を返したら、気が済むのか?」

「ああ」


 この龍の計画は一体いつから続いていたんだろう。母さんが俺を連れてやって来た時から? 最近? それとも、もっともっと昔から、ずっと?

 わからない。どこからどこまでが用意された運命だったのか。


「この力は、命を奪われたあとに入ってきたものだ。一路からもらった分は返してしまった。だから……」


 渡したら俺はまた、命を失ってしまうんじゃないだろうか?


「返したまえ」

「返したらどうなるか、わかってる?」

「無論だ」


 ああ。そうか。予言は結局、果たされていなかったんだ。

 一度死んだからって、そこから蘇ったからって、俺はまだ十六歳なんだから。

 あんなに寒々しくて苦しい思いをまたしなきゃいけない? 


「なんとも思わないんだな」

「何度も言わせないでほしい。私の目的は一つだけだ」

「その為にここでマスターをやっていたのか」

「いいや、仕方がなかった。龍は特別な存在。永遠に近い命を、鋭い爪と牙、長い尾、未来を見通す瞳を持ち、神と崇められる存在だから」


 資格を持っている者がいればマスターにされるけど、それに匹敵するほどの強さがあれば、選ばれるようになっている。

 有無を言わせない方法で選考しているんだから、遠屋だって勝手にマスターにされてしまっただけなんだろう。

 みんな知っていたのかな。みんなをまとめるリーダーがこんなヤツだったなんて。知っていてもそれで良いとしていたのか、強いから仕方ないと考えていたのか。


 いや、疑問なんてそもそも存在しないのかもしれない。強い者が上に立つ、それで当たり前なら、誰もおかしく思ったりしないんだろう。


「神になるために、俺に死ねって言うのか」

「そうだ。お前が諦めればすべての者が救われる」


 ここまで威圧的に出るんだから、周到に準備をしていたんだろう。

 いつきだけじゃなくて、父さんや良太郎まで巻き込まれている可能性は高い。

 そんなひどいことが、あるのかな。

 でも確かに、母さんは遠屋を酷いヤツだと言った。そう、何度も言っていた。


「人には手を出さないって決まりは?」

「手を下すのは私ではない。君の大切な少女は人間の中では特に愛らしく、どんな手を使ってでも自分のものにしようと思う男がいるのだから」

「なんだと……」

「人間は時に強いが、弱くて愚かな者も多い。身勝手な暴力に巻き込まれる人間もいる。君の生きた時間は短いが、そのくらいは知っているだろう」


 血の気が引いていく。一気に引いて、最悪の想像に体が震えた。

 操ったらダメだと言いながら、いつきには俺を忘れさせようとしたじゃないか。

 この龍の言葉を信じること自体がおかしかったのに。

 

「最強が聞いて呆れる」


 なんとか絞りだした言葉も、相手にはまったく意味がない。 


「なんとでも言うがいい」


 俺の周りにいる人たちを全員守って、傷つけず、命を失わずにすむ道はどこにある?


 いつきがいなくなったら生きていけない。

 生きる希望になってくれた父さんも、友情をくれた良太郎も、未来に続く道の上に居てほしい。

 だけど渡したら、俺は終わりだ。

 いつきは悲しむだろう。一路は怒るだろう。だけど、とうとう完成された龍には誰も敵わない。跳ね返され、追いやられ、一撃で屠られておしまいになる。


「一日、待ってくれないか」


 もし終わるしかないなら……。


「断る」


 いつきの顔を見ないまま、こんなところでいきなり終わるなんて耐えられない。

 だけど遠屋の目は冷たくて、なんの感情もない。

 ありとあらゆる交渉はできない。だって彼は。


「見えない君は本当に面倒だった。これ以上はない」


 ピイピイ鳴く声がする。ノイエはぴょこぴょこと寄ってきて、一路の足からのぼって俺の目の前までやって来た。


「今の君になら私を倒せるだろう。その場合は、君の生きがいを道連れにする」


 俺が生きれば、いつきは消える。

 いつきを救えば、俺はいなくなる。


 いなくなるのは嫌だ。ずっと一緒にいたい。

 だけど俺のせいでいつきがひどい目にあうなんて、もっと嫌だ。

 人はいつか必ず死ぬけれど、俺が味わったみたいな辛いものじゃなくて、もっと優しくて温かくて、明るい終わりだってあるはずなんだから。


 どうしてこんなにうまくいかないんだろう。

 生まれた時から、家族が揃って暮らせなくて。

 俺も一路も世界からそっと離れたところに置かれて。

 秘密を抱えたままずっと苦しんで、いつきを悲しませて、まわりに心配をかけて、大けがして、挙句に一回死んだりもして。

 最後は究極の選択だ。

 どっちを選んでも俺には真っ暗。いつきのない世界で生きるか、こんなところで断絶されて闇の底に落ちるか。


 誰かが勝手に決めてくれたらいいのに。

 どうして俺に選ばせるんだ?


 背後にはひっくり返った鳥が二羽。

 腕の中には意識のない一路と、まだ弱々しい雛がいる。

 今、俺がいなくなったら、どうなるんだろう。


 まだ未来を選ぶのが嫌で、無意味とわかっていながら、俺は遠屋に質問をひとつ投げた。


「もし俺が力を渡したとして、一路たちの安全は保障してくれるのか?」

「そんなもの、私には関係のない話だ」

「なん」


 遠屋は鋭く俺を指さす。

 それだけでもう、なにも言えない。

 


 こんな結末のために生きてきたんじゃない。

 あの妙な本の昔話みたいに、ただただ二人で寄り添いあって、普通の幸せを手に入れられればそれでよかったのに。

 なんで俺にはこんな、意味の分からない、壮大なだけの力しかないんだ。

 なんでもできるはずなのに、なんにもできない。

 腹が立って仕方がない。こんな運命を俺に押し付けたのは一体だれなんだ。


『玲二、落ち着け』


 怯えた声に、俺は振り返りもしなかった。

 背後でハールに寄り添いながら、ノイエの心配をしているんだろう。

 ライは視線だけこちらに向けて、どうしたらいいのか迷っている。


 後ろの二羽には頼れない。

 無力感で俯くと、優しいクリーム色のノイエが目に入った。


 ノイエにはなにか力がないんだろうか。

 成長がやたらと早いだけで、まだなにもわからない。

 俺になついたばっかりに、こんな場所についてきてしまって。

 リアと家に残っていれば良かった。あの時、ライに連れて戻るようにどうして言わなかったんだろう。


「ごめんな」


 ノイエの首がちょこんと横に倒れて、一番大好きないつきのしぐさを思い出した。

 

 好きになってしまったのは、一体いつだったのかな。

 初めて二人きりになった日は、とにかく、意識しないように必死だった。

 いけないんだ、駄目なんだって誤魔化し続けて、でも案外すぐに認めたんだっけ。


 俺はあの日、放課後二人きりになったあの瞬間、恋に落ちていたんだと思う。

 いつきから放たれている輝きに照らされたから、暗い迷路から抜け出せた。

 可愛くて、優しくて、少しヌケてて、まっすぐで、泣き虫なところもあって。


 彼女を思うととても幸せで、それがたまらなく辛かった。


「渡すから約束しろ。俺以外の誰にも手を出さないって」


 遠屋に向けて叫ぶと、龍は澄ました顔で首を振った。


「聞き入れる理由がない。君は私に指示できる立場ではないよ」

「じゃあどうする? 全員消すのか。お前に逆らう者はみんな、その水の底に沈めるのか?」


 答えはなかった。

 遠屋の態度は一貫している。

 力を渡せ、それだけだ。譲り受ければあとはなんでもいいんだろう。

 

 カラスが俺に期待した理由がようやくハッキリとわかった。

 クロがどうしてあんな風に声をかけてきたのかも、やっと理解できた。

 知っていたんだ。遠屋がどれだけ恐ろしいヤツなのか。


 どうやったのかはわからないけど、一路を呼び寄せていたわけだし。

 力を取り戻すために、長い時間をかけて、絶対に確実にするために、あらゆる手を打っていることだろう。


 ピイ、と鳴き声がした。

 ノイエの甲高い声は、俺の名前を呼んでいるように聞こえる。

 つぶらな瞳が輝いている。父親譲りの金色は、俺に宿っている力と同じ色だ。


『ノイエ、お前の母さんに伝えてほしい。今ここで起きていること。いつきや父さんが危険だって知らせてほしいんだ』


 かわいい小鳥は不思議そうにまた首を傾げるばかりだった。

 無垢な愛らしい姿に、ますます胸が苦しくなる。

 そこに立っている龍の邪悪さが際立って、心がぶるぶると震えた。

  

「力を手に入れたら、どうするつもりなんだ?」

「知ったところで意味などなかろう」

「ないさ。でも教えろ」


 遠屋は一瞬目を細めると、小さく息を吐きだし、こう答えた。


「私は変わらない。力を求めたのは本能だ。私はずっと欠けた状態だった。ずっと完全になりたかった。完全になれるのならば、どんなことでもすると決めた」


 俺が悪かったのか?

 なにも知らないでいたことさえも罪なのか。

 遠屋が求めるのが当然ならば、返さなきゃいけない。

 だけど返したら、これから先起きるすべてを知らないまま、冷たい暗闇の底に沈まなきゃいけない。


 そんなにたくさんではないけれど、夢を見てきた。

 将来に対するささやかなものは砕かれて、せめて普通に生きたいと願った。

 それもダメ。好きな人に心を向けるのもダメ。心を打ち明けて、触れるのもダメ。

 抗って、もがいて、手を差し伸べられて、ようやく繋いできたのに。

 やっと光が差してきて、いつきが隣に並んでくれて、もしかしたら、本当にひっそりとでも、長い時を共有できるかもしれないというところまで来たのに。



 そんなに欲張ったつもり、ないんだけどな。

 誰も傷つけずに、たったひとつの恋をしたくらいの人生だったと思う。



 心の中をたくさんの顔がよぎっていく。

 みんな、俺に力をくれた人ばっかりだ。

 だけど、ダメだった。

 父さん、母さん、俺にはもう生きる道はなかったみたいだよ。

 いつき、大事に思ってたけど、約束はもう守れない。

 良太郎からはたくさん希望のある言葉をもらったけど、もう全部消えてなくなった。



「一路、起きてくれ」


 頬を叩くと、ようやくかすかに反応があった。

 目が薄く開いたけど、虚ろだ。

 反対に、遠屋の表情は険しくなっていく。


「余計な真似をするな」


 全部の力を返したから、一路はもしかしたらものすごく強くなっているのかもしれない。

 始末できなかったのは、遠屋にとっての弱点なのかな。

 だけどもう仕方がない。人質を取られているんだから。

 

「これ以上は待たない」


 本当にいつきが失われてしまうのかはわからない。

 今すぐ遠屋を消せれば解決するかもしれないけど、具体的な方法がまったくわからないから、賭けになってしまう。だけど一瞬で消せなければ、あいつの命が数秒でも続いてしまったら、指示が出されて作戦は決行されるだろう。

 

 きっと相原なんだと思う。

 あいつが家に踏み込んで、全部めちゃくちゃにしてしまうんだろう。

 俺にとって一番最悪なシナリオはこれで間違いなくて、そんなのきっとお見通しで、遠屋を消せたとしても、復讐だけは果たされるようになっているかもしれないし。


 ありとあらゆる可能性に縛られて、息ができない。

 

「では渡してもらおうか」


 本当に初めて、俺は誰かを心の底から憎いと思った。

 目の前の龍にはひょっとしたら悪意なんてないのかもしれないけど。

 だけど自分の目的のためになら、どれだけ犠牲が出ても構わないなんて考え方は許せそうにない。

 

「いつきに手を出したら絶対に許さない」


 もちろん、龍は答えない。

 彼には俺の思いなんて関係ない。

 悔しくて、腹立たしくてたまらなかった。

 俺は絶対に遠屋を許さない。


「他の誰も、絶対に傷つけるな」


 一路をそっと冷たい地面に寝かせ、ノイエもそばにある岩の上に乗せて、立ち上がった。

 遠屋はゆっくり頷いて、手をまっすぐに俺に伸ばしている。


「力を捨てろ」


 俺の意思でやらなきゃいけないのか。

 なんて残酷な終わり方なんだろう。

 最後の最後に大逆転できるいいやり方も見つからない。

 ライがぐすぐす泣いている声が聞こえてきて、慰めになるのはそれだけみたいだ。


「玲二、俺は……」

「一路を頼むよ。ハールとノイエも」


 たとえば時を巻き戻すことができれば、どうにか回避できるかな?

 何度も何度もやり直せば、いつかは解決できる道が見つかるのか。

 だけど念じてみても、時はやっぱり一方通行で、過去にさかのぼるなんてできなかった。

 なんでもできる、神のごとき力なんて言ってたくせに。

 それとも、遠屋が手に入れればできるようになるのか?


「待たないと言っただろう」


 龍の目が輝いて、背後から悲鳴が聞こえた。

 どっちのものかわからないけど、悲痛な鳥の鳴き声が。


 


 本当に、本当に、心の底からいつきが愛おしくてたまらなかった。

 もっともっと生きていたかった。


 だけどそう伝えられもせず、駆け寄ることもできない。



 無力で愚かな俺を、どうか、すぐに忘れてほしい。

 

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